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カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

私的「本震」ものがたり

2019-04-15 09:41:45 | 熊本地震
 今日は4月15日で、三年前の地震では14日に前震、16日に本震となっている。

 しかし生活実感としては、2晩連続して起きた地震というのが実体験である。

 前震が14日の夜21時半前、本震が15日の夜に引き続く深夜16日の1時過ぎだからである。

 前日の地震が本震で、あとは余震に注意せよというのが一般的な認識だったので、前日より遙かに強烈な地震には驚いた。

 益城町の地震計は、前日の震度7で壊れてしまっていたので、隣の熊本市の震度7を準用して益城町も震度7と発表された。

 地震速報よりも、ドーンという衝撃の方が早かった。

 就寝中に布団ごと上に突き上げられ、やがてとても長い時間に亘って横に揺れ始めた。

 物の倒れる音、瓦の落ちる音、ゆれる家の軋む音などが同時に延々と続いた。

 立ち上がることも出来ず、そのまま布団の中で対処すべきことを考えながら寝ていた。

 家の中も、外も真っ暗で動き回るの危険と考え、行動は明るくなってからと決めて、揺れが収まってもそのまま布団の中に居た。

 屋根瓦が落下していたら、むしろ上部構造の重量が軽くなって倒壊した場合でも押しつぶされる可能性はむしろ低下していると布団の中で判断した。

 
 (倒れ込んできた東側隣家の設備)
 
 (落下してきた南側隣家の瓦)

 明るくなって外を確認すると、我が家の瓦の色がまったく見えず全て落ちているのは東と南の隣家の物ばかりだった。

 南の隣家の北側の窓は全て割れていて、部屋の中を通して反対方向の景色が見えるほど壊れていた。

 前日の前震では、隣家と笑いながら瓦の後始末などをしたのだが、今回の本震ではもう隣りに人影はなく、すでに避難をしたあとだった。

 
 (町内の倒壊家屋)

 建築年次や微妙な地盤の違いなどで、倒壊や半壊・一部損壊など被害に違いが出ていた。

 
 (家の沈下?)

 隣家はほぼ家の周りをコンクリートで固めていたため、両方の家から押されて我が家の土の庭が盛り上がったか、もしくは家の土台(基礎)ごと沈下したかのどちらか不明だが、10センチくらいは地面より高かった筈の犬走りの部分が、庭土と同じ高さになっていた。

 ただし、水準器で傾きを検査してもらったら、ほぼ水平で構造的に問題は無いと判定された。
 
 その後、水道の水が出るのに1ヶ月半、瓦の業者に点検して貰うのに10ヶ月、お墓の建て替えに1年近くかかり、その他のブロックなどの再建には隣家の再建などと並行したため、2年近く経ってしまった。

 
 (生きながらえて花を咲かせる境界のツツジ)
 
 (避難所となった体育館も建て替え中)
 
 (再建された総合陸上競技場)

 車中泊の車で一杯だった、グラウンドも再建され1週間ほど前から供用開始となって元気な声がこだまし始めた。

 ただ引き続き地震への備えは必要なようである。

 
 (布田川断層と日奈久断層)

 益城を通る布田川断層と、日奈久断層は益城の南西部で分岐しているが、今回の地震は青線部分の断層区間で、赤線部分はまだひずみが残ったままの区間である。

 日奈久断層の北側の一部で前震が発生し、布田川断層の益城区間で本震が発生したので、残された部分の方が区間が長いのである。

 しかも今回の地震で認識したのは、活断層としては1本の線が表示されるが、実際は各所で枝分かれし不明の部分が多いこと。

 益城の場合も、被害の実態に合わせて地質調査がなされた結果、町の東部で3本に分岐し町の中央を走る県道28号線とその南北に並行して東西に断層があることが判った。

 この3年間に、震度7が2回、6強が2回、6弱が3回、5強が5回、5弱が13回、4が123回、3が421回起きている。

 震度1以上は4597回だという。

 あらためて、日本列島は常時動いているということを思い知らされた。

 あれから3年の時間が流れたが、もう3年ともまだ3年とも言えない不思議な気分の昨今である。

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私的前震物語

2019-04-14 10:10:16 | 熊本地震
 今日は4月14日で、3年前に最初の震度7の地震が発生した日である。

 先日は、町の写真屋さんがカメラに捉えた震災から現在までの写真展が催されていた。

 
 (震災写真展)

 被災直後の町の様子から、段々と復旧していく様子が1年毎に記録されている。

 たまたま写真展の初日であったらしくテレビも来ていて、いろいろと取材を受けるはめになってしまった。

 あの時の地震の写真を見て、どう感じたかという主旨の質問を、問いかけ方を変えて何度も聞かれた。

 この地震に関しては、過去にテレビカメラが3度、新聞社から1度インタビューを受けたことがある。

 壊れた車庫のブロックを自分で補修しているとき、町の名前を冠した女子サッカーチームの復活戦を雨の中応援に行ったとき、一年後相方と二人桜の花の下で弁当を食べているとき等である。

 その中で一番思い出に残っているインタビューが、3年前の最初の震度7の翌朝の電話インタビューである。

 
 (台所)

 娘のお産の手伝いで、相方は前の月から家を空けていて、一人で台所横のテーブルで一杯やっていたらテレビ番組が面白くなってきたので、焼酎のグラスを持ったまま居間のソファーに移動した途端に、ドーンと強烈な揺れが来た。

 ガシャーンと大きな音がして、先ほどまで座っていたテーブルの方に食器棚の一つが倒れて食器が散乱していた。

 電気も水道も通っているし、電話も通じた。

 テレビも映っているので、地震に関する情報もかなり正確に把握出来た。

 余震への注意をテレビが盛んに喚起するので、対策をすることにした。

 

 食器棚の中味は段ボールなどに詰め、卓上や棚のものは床の上に水平展開することにした。

 

 倒れたタンスなどはそのままにして暫く様子をみることにした。

 

 本箱や机などが倒れて中味が散乱したが、片付ければ済むことなのでそのまま暫く放置することに。

 そこに他県にいる息子から電話が来て、テレビ局の電話インタビューに対応は可能かと聞いてきた。

 了承すると、早速打ち合わせが始まって、「翌朝七時のニュースの中で震源地に住む〇〇さんに直接電話でお話を伺いますという感じで進めます」という話だった。

 
 
 (隣家の屋根と庭の瓦)

 朝になって庭を見ると瓦などが落ちていたが、これは全て隣家の屋根から落ちたもので我が家の屋根は健在だった。

 後は、余震に注意しようなどと思いながら電話インタビューを待った。

 今思えばまあ、ナント恥ずかしい発言をしたことだろう。

 家の中はガチャガチャだが、テレビも映っているし、ライフラインも確保されているので何とか大丈夫です、と強気の発言をしたのである。

 確かに慌てて避難所に駆け込んだ人達もいたが、余震の中自宅に引き返す人達が殆どだった状況から、私の強気発言もあながち空威張りではなかったのだ。

 隣の人と力を合わせて、庭の瓦などはその日の内に全て撤収してしまい、やれやれと思ったものだったのだ。

 日奈久断層の益城~白旗区間を震源とする震度7の地震で、後は余震に注意しようと考えた。

 まさか、この震度7が本震ではなく前震などと聞いたこともない名前で呼ばれることになろうとは知る由もなかった。

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3.11に地元の被災を思う

2019-03-11 10:52:48 | 熊本地震
 東日本大震災が起こったのは8年前の今日で、3.11として私達の脳裏に深く刻み込まれている。

 迫り来る大波を知っているのか、手前の道を走りもせずに歩いてくる人の映像を見て、テレビ越しに早く逃げろと叫んだものだった。

 あれから8年が経過した。

 ちょうど5年後に熊本地震の被災地になってしまったので、我が町も被災から3年になろうとしている。

 それからの自然災害はたて続けで、地震や水害等の起こった災害の前後関係も分からないほど多発した。

 先日熊本城を訪れたが、復旧作業は続けられているものの、どこがどう変わったかはよく分からない。

 
 (宇土櫓方向から天守閣)

 崩れた石垣の元の場所を特定する方法が新しく考案されつつあるようだから、20年といわれている修復期間も短縮出来るのかも知れない。

 わが益城町も少しずつではあるが復旧・復興へ向けて前進しつつある。

 
 (更地が増えた町の中心部)

 倒壊した家々や瓦礫によって通行不能に陥った町の中心部は、道路の拡幅や再開発の計画に沿って作り直されようとしている。

 
 (道路拡幅のために確保された用地の縄張り)

 用地取得交渉が成立した場所から、逐次縄が張られ3箇所から工事が始まる予定になっている。

 
 (総合体育館)
 
 (総合グラウンド)

 いずれも、地震の際の緊急避難所として体育館の屋内は人で溢れ、グラウンド内を含む駐車場等は車中泊でごったがえした。

 グラウンドは、ほぼ整備を終えつつあり体育館は建屋の工事が始まった。

 
 (橋梁の工事)

 町を流れる川には、国道が通る大きな橋から生活用あるいは農業用の道路にも何本もの橋が架かっている。

 それらの橋は多かれ少なかれ被害を受けていて、とくに小さな橋は重量制眼がかけられたままのものが多い。

 橋が橋脚の部分から左右にずれたり、道路と橋の取り付け部の高低差が極端に出来たり、中央部の橋脚だけが下がったりと被害の程度も様相も違っていて復旧のやりかたも橋によって異なっているようだ。

 震災から三年、10年で復興を完成させるという計画が首尾良く行くかどうかは分からない。

 今日のネットのニュースで、東日本大震災の被災地のインフラ復興秒読みという見出しがあったが、すこし違和感を覚えた。

 インフラ復旧の秒読みと住民の心の立ち直りには、あまりにも距離が有り過ぎるように思えたのだ。

 
 (子供達が造ったモニュメント)

 町の入口に当たる位置の道路脇に、子供達が頑張ろうと訴えた絵や文字が並んで建てられている。

 置き去りにされがちなインフラ以外の地域力の維持といったものに目を向けることが必要なのだ。

 仮設住宅の集約や災害公営住宅の建設・入居などに伴う問題など、先行被災地の経験を参考にしなければならない。

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早春の堤防沿い道路

2019-02-19 10:20:16 | 熊本地震
 陽気が良くなると俄然歩数計の数値が上がってくる。

 結構な話ではある。

 昨日は町の南側を流れる秋津川沿いのコースを歩いた。

 

 震災で壊れた堤防を工事中で、工事の種類や区間の違いでしばしば交通規制が変わる。

 車は駄目でも人は通行できたり、地域住民のみ通行可等ということもあるので現地に行かないと分からないことも多い。

 先日まで通っていた道路が通れなくなってたんぼ道に迂回したついでに木山川の堤防を覗いてみる。

 

 ここでは堤防と共に橋も直していた。

 堤防道路が沈下して、橋と道路との段差が50センチ近くあったところである。

 修復・補強しようとしているのか新たに作り直そうとしているのか分からない。

 

 田んぼの畔には菜の花が咲いたりしていて、思わずツクシを探してしまった。

 いくらなでもツクシには少し早過ぎた。

 時が流れるのが早過ぎる等と言いながら、春には早く来いとせっつくのだ。

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復興工事と建設工事と・・

2019-02-15 10:21:36 | 熊本地震
 熊本地震の更地のピークが、少し過ぎたような気がする昨今である。

 倒れたり傾いたりした家々がそこにあった時よりも、解体され更地が広がる風景の方が殺風景だった。

 かなりの人達が自助努力によって自宅再建を成し遂げているのだ。

 そうした家々が増え、見える更地の面積が減ってくると景色が変わって見えてくる。

 そうしいう中で、まったく更地が減らない一画がある。

 町の復興計画によって、新しい災害に強い市街地の再開発が図られる予定の地域である。

 その他、道路への建物やブロック等の倒壊によ通行不能に陥った狭隘道路の拡幅などがなされる予定である。

 手始めに、県が主体となり町の中心部を東西に貫く県道の拡幅(4車線化)工事が始まろうとしている。

 

 工事の概要や、完成予想図が第1期工事が開始される県道横に設置された。

 現在の2車線を倍の4車線にすると共に、街路樹などを植栽した歩道などを広く整備する予定である。

 

 用地買収などが済んだ箇所は、いわゆる縄張りがしてあって、現在3箇所から一期工事を始めるという。

 震災後、比較的早期に資金を投入し再建・再開したガソリンスタンドや店舗などが、いくつも該当箇所に営業している。

 3階建て以上や地下構造物を含む工事は建築許可が必要との通達が出たが、通達以前や2階建て等が多く困難が予想される。

 私の知り合いにもやっと自宅を再建し、1年も経たない内に転居を余儀なくされた人がいる。

 補償額では同じ町内に取得できる土地がないということで、別の町内に引っ越すらしい。

 町の計画に理解のある人なので問題は局限されているが、そうでない病院や事業所なども多いと思う。

 

 町の体育館も、いよいよ地盤の補強が終わって基礎工事に入っている。

 完成予想図を見た知人が、何だか平凡すぎる建物だと言っていたが、以前の奇抜すぎる外観よりスッキリしていいと思う。

 なにぶんにも、「熱物に懲りてナマスを吹く」というやつで、極端に地盤に神経を使う反面、建屋や天井材などを軽量化しアリーナ内への落下物の危険度を減らした構造になるだろうと予測する。

 必然的に内装の部分も、余分な装飾を削除しただけ見かけ的にはパットないものとなるだろう。

 ある意味虚飾に満ちた現代文明は、自然現象の前には跪かざるを得ない弱いものだと自覚する必要があるのだ。

 ただ東京オリンピックで虚飾の上塗りに余念がないのが気に掛かるが・・・。

 「耳にタコ二度と再びこのような」

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屠蘇気分を吹っ飛ばす地震

2019-01-04 10:41:14 | 熊本地震
 2019年の1月3日は、久々の青空が顔を見せた清々しい一日だった。

 夕方まで概ね晴天が続きよく乾いた洗濯物を取り込んで、夕食の支度をした。

 

 洗濯物も良く乾いていて、夕食は準備に手抜きの出来る焼き肉を選定。

 いい気になってビールなどを飲んでいて、確か缶ビールを3人で4~5本空けた頃だった。

 突然「緊急地震速報」と同時に家が揺れ始めた。

 揺れた時間は短かったし、揺れの程度は体感で震度3~4程度だと思った。

 震度については、熊本地震で震度7を2回、震度6弱や5強は10回以上、4程度は約2ヶ月ほど続いたので、目眩のように体が揺れる地震酔いの状態が暫く続くほどたっぷり経験させてもらったので、体が震度を覚えている。

 熊本地方とくに熊本市や益城町は、半年前の発表では今後30年間に震度6弱以上の地震の起きる確率は26%以上と高確率になっていた。

 今回の震源地は約20キロ以上離れた、江田船山古墳などで有名な和水町であり、熊本地震の余震ではないという話だ。

 まったく確率の対象にもなっていない場所で地震は起きた。

 私がつらつら出来の良くない頭で考えたのは、確率ということと活断層ということである。

 東海地震が叫ばれてからもう半世紀以上が過ぎている。

 東日本大震災以降は、東南海地震に連動する以外には想定しにくくなったとある。

 地震学でいうところの確率の問題は、想定の基礎になっているものの設定の仕方で変わってしまうのだ。

 熊本地震の後、各所で実際のボーリング等による地質調査が行われた。

 
 (布田川断層と日奈久断層)

 当初の震度7は日奈久断層の益城寄りの部分の横ズレによる。

 二度目の震度7は布田川断層の益城直近の部分のズレによるものと発表されている。

 
 (地震後に益城町の直下にあると推定された断層3本)

 これは布田川断層が益城町の東部で分岐して、川の支流のように3本に別れ県道を中心に西進している断層。

 
 (我が町の中心部の断層)

 大まかな新聞発表図だったので、地図上に私が勝手に展開した図面である。

 途切れているのは、まだ現在調査中であると記されていた。

 その後調査が進み、最近の国土地理院が実測データとして公表しているものを見ると半端ない。

 断層の線が途切れていたり、空白があってその先にまた線が続いていたりするのを見ると、その空白部分を繋いでみたくなるのが人情だ。

 どこかの大学の断層に詳しい先生が言うには、断層はホウキの先のように逐次細かく枝分かれして行くそうである。

 益城で枝分かれした3本は熊本市東部で北に方向を変えている。

 立田山断層というのが熊本市を南北に走っているが、その断層の東側を北に伸びているのである。

 立田山断層といい、布田川断層の分岐から北進する断層といい一般方向は今回の地震を起こした県の北部を向いている。

 震度4~5の観測点を結ぶと不明瞭ではあるが一定の線が見えてくる。

 熊本地震の際も、やはり被害の大きかった地域や建物は、それらを結んだ線上に多く、断層のながれに沿っていた。

 これは被害の大きかった地域を調査した結果判ったもので、そもそも益城町直下の3本の断層も地震後に発見されたものである。

 本来の布田川断層は、町の2キロくらい南の山沿いを走っている。

 今回のような確率の低い地域での地震に遭遇すると、確率は安心材料では無いというのと活断層はどこを走っているかよく判っていないということが言えると思う。

 地震の専門家というのは、地震後は沢山登場させられるが、地震前にはほぼひっそりとデーターなどを整理していればいいという扱いで、あまり出てくると町の発展を阻害する等と言われかねないものである。

 

 復旧作業に余念が無い傍らで、全体が地盤沈下したあおりでそこだけが取り残されて30センチ以上も飛び出したままのマンホールが今も地震の様相を我々に伝えている。

 小さな震災遺産は、まだ目の前にある。

 
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熊本地震・益城町の今

2018-12-17 11:05:59 | 熊本地震
 熊本地震後の町の復旧・復興は少しずつだが目に見える形で進んでいるようだ。

 事業の優先度もいろいろあるようだが、安全性の確保や最低限の生活の場の確保などは急がれる。

 
 (木山川の堤防)

 例年上流で大雨などが降ると、その度に堤防が決壊して水害を引き起こす心配があった河川である。

 益城町を流れる殆どの河川は、堤防自体が沈下したり法面が崩落したりして特大の土のうを設置して凌いでいた。

 街中を流れる鉄砂川や木山川の堤防は概ね強化されて来たが、まだまだ支流の赤井川、町並みに沿って南側を流れる秋津川などは工事が続けられている。

 
 (復興公営住宅)
 
 復興住宅は建設の緒についた感じで、入居などはまだ当分先になりそうである。

 用地取得や取得した地域での遺跡の出土などによって、かなり手間取っている。

 仮設住宅やみなし仮設の入居期限は一応2年で殆どの人は延長申請をしている。

 元の場所に新築できる能力のある人で尚かつ建築業者と契約出来て、再建できた人から退去していく。

 そのどちらも出来そうもない高齢者などは、こうした公営の復興住宅が待たれる。

 
 (総合体育館の建設現場)

 体育館は工事が始まってかなり月日が経つが、まだ基礎のコンクリート柱を地中に設置する作業が延々と続いている。

 先般の地震では、建物本体はそれほどでもなかったのに、基礎部分が傷むという状況になったため、とにかく徹底的に基礎の強化が図られているのだろう。

 何百本打ち込むのかは知らないが、熱い物に懲りて膾を吹く感じがしないでもない。

 一般の宅地では、地震直後から始められた工事では沢山のコンクリート柱を埋める作業現場が目だったが、最近ではそれ程でもなくなった。

 多分、費用対効果とか建築期間の短縮とかの経済原則が働き始めたのではないかと思う。

 
 (町役場跡地)

 町役場は、プレハブの仮設庁舎を町の外れの台上に建てて業務を行っている。

 仮設庁舎のすぐ前には、新しく開通したばかりの立派な町道が通っていて、畑地で広い土地があり駐車場も広々として便利そうである。

 車を持たない人などのために町内を巡る循環バスも走っていて、バスの無かった地域の人には便利なバスである。

 多少の紆余曲折があったものの、町は元の役場のあった写真の場所に再建することに決めた。

 元の跡地は2基の銅像と、少しの植栽を残し更地になっていて、本格的な工事などは多分もっと先になるはすだ。

 町の中心部の四車線化も含め異論はあるものの、町の復興10年計画は決定していて、その方向で事業は進んでいる。

 ただ、地震から3年を迎える4ヶ月後に、10年計画の3分の1に近づいているかは定かでない。

 
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震度7から二年半不具合箇所が彼方こちらから

2018-12-12 19:28:38 | 熊本地震
 地震の後の自宅再建の時期は、年齢的なものや経済的な問題もあるが、一般に建築業者と如何に早く契約できたかで差が出ている。

 知り合いでも、1年半くらい前には新築に落ち着いている人もいれば、なかなか工事が始められず仮設のままの人もいる。

 わが家は、隣り近所が全壊だの半壊だのといっているときに、幸いにも一部損壊で済んだと喜んでいたのだが、ここに来て不具合箇所が彼方こちらに出てくる。

 当時から全般を調べて貰おうにも対応してくれる業者がいなかったのである。

 地震直後にリフォームをしてくれた、一級建築士の資格を持つ女性が直ぐ訪問してくれて、大凡見てくれて基礎や本体にはほぼ異常はなく住んでも危険はないと判定してくれたので、業者が手が空いた頃にそれぞれ頼もうと思っていたのだ。

 取り敢えず亀裂やブロックの補修等は自分でやってしまった。

 ところが最近台所の排水に問題が出て、緊急修理を依頼した際、不具合が見つかって、わが家の下水工事を担当した地元の工務店に見て貰ったら、台所・風呂・洗面所・洗濯機・トイレの全ての排水管が破損していて、すぐに修理して貰った。

 そして先月に入って、地震の時タンスや仏壇まで飛び出したり倒れたして畳が傷んでいる一階の和室の、畳の表替えを業者に依頼する前に、少し床がフワフワする感じがするので、個人の大工さんに見て貰うことにしたら、床下が弱っているので垂木の本数を増やして、なおかつ床材を強い物に交換した方が良いというアドバイスを受けた。

 これまた、工事を受けても良いが他所の作業もあるので、都合をつけながらの作業になるとのことだったが、今月になって作業が始まった。

 
 (一階の和室の床:工事前)
 
 (垂木の本数を倍にした)

 基礎のコンクリートは床はべた塗りになっているのだが、床の中央が南北より5ミリほど高くなっているという。

 他所の作業現場では2センチ以上高くなっていたので縦の柱の部分をカットしたこともあるという。

 「5ミリですけどどうします?」と言われて、そのままにして置いてくれと答えてしまった。

 私の頭の中には5ミリは許容範囲だったし、変に柱を切ったりすると全体のパランスに影響を与えそうな気がしたからだ。

 こうした高低差のような不具合が各所の作業現場で見られるという話だった。

 
 (床張り後)

 とても頑丈な床が出来た。

 和室に置いていたタンスだのは全部居間の方に移していたのでとても狭苦しい感じになっている。

 畳の見積もりにやってきた畳屋さんは、「早くしないといつまでも窮屈ですよね」などと言いながら帰っていったが、明くる日には対応してくれることになった。

 
 (新しい畳)

 色が変わりにくいとか、傷が付きにくく傷がついても広がらない特性を持った畳表に交換した。

 相方が着付けの練習などをするのに、小さな畳クズが気になる等と、かなり強く押して来てとうとう寄り切られてしまった。

 「女房と畳は新しい方がいい」と言う言葉は、わが家では「女房は新しい畳が良いと言う」に差し替えた。

 それに「亭主も新しい方がいい」等と言い出されたら、それこそ途方に暮れる。

 上水道の敷設工事、ブロック塀、下水管の補修、和室の改修などなど、地震から2年半を経てチビチビと補修をしてきて段々と正常な状態に戻りつつあるが、まだまだ不具合箇所は出てきそうな予感がする。

 こういう場合の私の予感は、よく当たる。

 
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やっと地震後の下水道補修

2018-10-27 18:34:53 | 熊本地震
 数日前の台所流し台洪水事件で、緊急対応してくれた作業担当者の助言に従い、専門の下水道工事屋さんに連絡したら今日来て貰えることになった。

 この工事屋さんは、最初に敷地内の下水工事をして貰ったところなのでどういう工事をしたかちゃんと覚えている。

 あの当時は親父さん夫婦とその二人の息子でやってきて作業をしていた。

 仕事は丁寧で値段が安いというので、入札などするとほぼ他の会社に勝ち目はない。

 あれから何年たったのだろうか、親父さんは第一線から引退し兄弟が頑張っているが、兄貴は公共工事を担当していて、一般家庭は弟の方が担当しているという。

 状況はほぼ判っているし、やるべき仕事は屋外なので留守をして貰ってもいっこうに構わないという話だった。

 やって来て挨拶だけするとさっさと所定の場所を掘り始めた。

 ただ基礎の外側の犬走りの部分を除去して見ないと傷んだ部分が判定できないとコンクリートを切り始めた。

 
 (トイレの排水口)
 
 (洗面所・洗濯機の排水口)
 
 (風呂場の排水2箇所)

 ことごとく破断していた。

 ただ100%破断ではないのでメインは排水出来ていたが、かなり漏水していたらしい。

 台所の排水は、地震後1ヶ月半ばかりして水道屋が配管をやり直した工事のついでに直してもらっていたが、そこもついでに掘り繰り返して今回調べてくれたが、正しく直されていると太鼓判を押してくれた。

 何やらウイ~ンだのダダダだのと一人で作業をしていたが、仕事はとても要領よく早い。

 とにかく家中の水は使用不能の状態だったが、台所は即時、トイレも近所のドラッグストアに相方が1回行っただけで直ぐ使用可能になった。

 
 (トイレ排水接続直後)
 
 相方の用事先まで、車で送ることになっていたので、その旨を作業の最中だったが断って出かけることにした。

 「帰ってから飲んでね」などと相方はドラッグストアから買ってきたビールを渡していた。

 相方の用件は、介護疲れの友人と久しぶりに夕食を食べ、一杯やりながら慰労会なのだという話。

 「帰りは迎えに来て欲しいから、いつもの調子で酒なんか飲んじゃだめだよ」と公安委員会にっこりの話。

 
 (コンクリート補修後)

  送り届けて帰ってみると工事はとっくに終わってコンクリートだけが乾くのを待っていた。

 さて、いくら請求されるのだろう。

 明日は新聞社主催の「熊日川柳大会」。

 ジュニアの部の選者もさることながら、自分の句がさっぱり出来ていない。

 相方も居ない静かな環境で、5~6句ひねり倒してみようかな。

 
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地震による我が家の被害はまだまだ続編がありそうな予感が・・

2018-10-24 19:30:41 | 熊本地震
 昨日の話だが、「ちょっと来てみて!」と相方が階下から大声で呼んだ。

 滅多にない声のボリュームなので、少し慌てた振りをして降りてみた。

 台所の流し台の中から何やら出そうとして扉を開けたら水がこぼれているという。

 
 
取り敢えず、かなり慌てることにして中味を全部引っ張り出して、濡れた箇所を拭き上げて中を覗いた。

 あらら?何たること、右側の小さなシンクのオーバーフローした分を流すパイプが外れている。

 

 差し込もうとしても長さが微妙に短く取り付け不能。

 ネジなどで締め込む部品タイプではなくて、差し込んだ部分は接着材で固定してあったらしい。

 オマケに残った部分は流し台と一体型で取り外せない。

 オーバフローさせなければ、右側の開口部を塞いでしまえば、使用は可能になる。

 しかし、相方はそうした対処療法は嫌だというので、何軒かの業者に電話したがどこも建設現場で忙しいと対応してくれない。

 とうとう、暮らし安心〇〇アンの24時間出動に電話すると、直ぐ来てくれた。

 届かない部分は延長して接続し、下の排水口に流れ込むパイプも交換した。

 溢れたのは下水のシステムの何処かがつまり気味になっているということで、高圧洗浄をして貰うことになった。

 

 何かオプションで作業が1つ増える毎に料金メーターが跳ね上がる。

 当初の予定より作業が増えて、「1時間ちょっとでは終わりますよ」の話が午前中には終わらなくなった。

 台所は使えないし、仕方が無いので冷凍保存してある各種の食べ物を電子レンジで調理して昼飯にした。

 作業している兄さんも誘って、相方の冷凍炊き込みご飯と冷凍パンプキンスープという妙なメニューだが兄さんは喜んだ。

 未婚であること、今の仕事の前は料理の修業をしていたこと、両親は早く結婚しろとうるさいこと等プライベートなことも楽しく喋っていた。

 高圧洗浄の最中に砂や小石が混じるので、何処かか破損しているということになった。

 家の基礎部分と下水の溜め枡の接合部を掘ってみると、確かにパイプがずれたようになっている。

 

 「あの~、これは多分地震の後でずれたままになっていますね。台所は交換してあるようですから、洗面所と風呂の排水は点検して見る必要があります。あの~~言いにくいのですが、この程度の工事は我が社でも十分対応が可能です。やってくれと言われれば直ぐ始められますが、修理代が高いです。緊急対応が専門ですから・・・多分専門業者の1.5倍くらいになると思いますので、今日明日という分けでもありませんので、一般の業者に頼まれた方が安くあがると思います」などと言う。

 「修理代が高くてすみません、修理箇所に問題などがあったら電話下さい」などと善いながら名刺を置いて帰っていった。

 そしてその日のうちに、相方の一般業者への電話攻勢が始まった。

 我が家の下水工事を担当した業者は、家族経営のとても丁寧で安いという評判の業者で、確かに見積もりを頼んだ中では一番安かった。

 3社に見積もりを頼んだのだが、落札した業者名を言うとどこも黙って引き下がったものだった。

 ところが地震の際は、その業者も被災しながら自分のところは二の次で、町の公的下水道補修等に追われていてずっと頼めないままになっていた。

 2年半後にやっと相方に捕まってしまい、様子を見に来てくれることになった。

 とにかく敷地内の排水設備を見て貰うことになった。

 我が家的、地震による損害はまだまだ続編がありそうな予感が漂いはじめた。

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