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カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

ワンピースの「サンジ」が町にやって来た!

2019-12-07 13:58:28 | 熊本地震
 朝からちょっとした用件で町の交流情報センターへ行った。

 体育館の駐車場も、総合グラウンドの駐車場もすべて満車になっていて、誘導員から予備の第二駐車場へ誘導された。

 かなりな距離をあるいて交流情報センターに着くと、ちゃんと利用者のための最低限の駐車スペースは確保されていた。

 誘導員は行く目的の施設も聞かずに、多分満車になるほどの賑わいを見せているイベントの客と思ったのだろう。

 

 駐車場には、スクールバスも停まっていてなにやら賑やかな若い女性の声がスピーカーから流れてくる。

 用件の方はサッサと終えて、賑やかな方を覗いて見ることにした。

 

 沢山の人だかりが出来ていて、集まっているのは子供たちばかりではない。

 何でも写真に写るためには、順番があるのだという声が聞こえ、列も出来ていた。

 

 頭一つ出た感じで、黄金色の像が建っていて記念写真の撮影の最中である。

 アニメのワンピースの登場人物の像が、地震からの復興に向かっている各市町村、特に被災地域の自治体の希望で建立されることになっていた。

 

 益城町は、その海賊「麦わらの一味」のリーダーであるルフィーの4番目の仲間である「サンジ」を希望し、希望通り建てられたわけだ。

 「サンジ」はコックだから、きっと町の特産品を使った料理などを考えてくれることだろう。

 除幕式を迎えた像の前には、胸に大きなリボンをつけた偉い方たちが並んで盛んにフラッシュを浴びていたが、その偉い方たちが映り込まないように努めた。

 この方達の長い撮影タイムが終ると、いよいよ子供たちの順が回ってくるとアナウンスされていた。

 

 いつもは幼児・児童の遊戯スペース脇にある東屋に、ワンピースのパネルが貼ってあった。

 主人公のルフィーの像は、すでに県庁のプロムナードに建てられている。

 ちょっとした名所になっていて、像をバックにカメラに収まる人の姿が絶えない。

 地震の際は、長期に亘って大勢の被災者でごったがえした体育館や、車中泊の車が埋め尽くした駐車場やグラウンドを望む一角に「サンジ」の像は建っている。

 長い間、非常食に甘んじた町民にとっては、ある意味コックの「サンジ」は本音の希望だったのかもしれない。

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先人が残し伝えてくれたもの

2019-11-27 11:53:42 | 熊本地震
 益城町の交流情報センター(ミナテラス)の展示スペースで「企画展、のこされたもの、のこしたいもの、えたいこと」が催されている。

 11月26日から12月22日までである。

 先の熊本地震により町内に所在する文化財も甚大な被害を受けたが、その修復・復旧も逐次進捗し往時の姿を取り戻しつつある。

 復旧した文化財の現状もパネル写真等で紹介されている。

 そのなかで特に目立つのはケース等に入れられた古代の土器などの展示物である。

 

 遺跡発掘の出土品が多く展示されている。

 その発掘の経緯は、地震による復旧・復興に伴う開発事業を行う場所が遺跡との関連があり先行して発掘調査が行われることになったもの。

 

 パンフレットには、発掘調査を実施中の写真が掲載されている。

 見晴らしのいい高台で、南側には益城の町や田園地帯が一望できる。

 先人は水害などの心配がなく、比較的恵まれた地形を選定して生活していたことが伺える。

 その調査も一応終わって、記録を残し開発に着手したということだろう。

 

 災害公営住宅として、計画された期限内には完成し仮設住宅などで暮らす人々に供用されることになる。

 ただし、少なくともこうした遺跡は再び日の目を見ることはなく、記録として残されるだけである。

 

 すぐその北側には比較的最近開通した町道が通っている。

 この町道も、遺跡発掘調査のためかなりの期間工事を中止したことがある。

 この辺り一帯は、かなりの広さで遺跡や埋没した土器などが分布しているのではないかと思う。

 遺跡の重要度の判定はどのようになされるのかは知らないが、全国各地で開発の前に次々と姿を消していることだろう。

 今度の企画展のキャッチフレーズが「のこされたもの、のこしたいもの、伝えたいこと」というのが、何とも切ない心持にさせてしまう。

 甕棺や人骨などは出土しないということで、墓ではなく生活の場所そのものだったということだろうか。

 考えてみれば、先人が選んで居を構えた場所は一番安全な場所であった筈である。

 先人が現地・現物をもって「のこされたもの」「のこしたいもの」「伝えたいこと」だったのかも知れない。

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断層帯付近の秋

2019-11-07 09:43:44 | 熊本地震
 町の南側の里山沿いに「そうめん滝」と呼ばれる、水源がある。

 昔からの集落の飲用水であり、田畑を潤す水源池でもある。

 今でも立派にその両方の役目を果たしているが、稲刈りも終わった今は、出口の水量調整も自然の流れに任せたままである。

 

 水面から50センチばかり上部の地層から湧水が、富士の裾野の白糸の滝の超小型版のように湧き出している。

 滝と呼ぶにはあまりに小さいいので、「そうめん滝」と名付けたのではと私は勝手に解釈している。

 そのそうめん滝の一角に、小さな人工的な穴が見える。

 

 長い歴史の中には、水が枯れそうな時期もあったのだろうか、人工的に穴を掘ってみる必要性があったのだろうか、などと想像する。

 いつもは暗く内部は見えないが、たまたま訪れた時は太陽の光線が水面に反射し内部の天井にまで、光が揺らめいていた。

 

 しばらく眺めていると、何という名の鳥かは知らないが、数羽の鳥が羽ばたきながら出たり入ったりを繰り返している。

 こうした岩穴などで営巣する種類の鳥なのだろうかとも思ったが、鳥の営巣の時期にはあまりに違い過ぎる。

 たまたま太陽の光線の加減で、普通は気付きもしなかった穴と鳥の不思議な行動を目にすることが出来た。

 

 木山川沿いに少し上ると、先般の熊本地震での断層のズレが地表面に現れた畑があるが、ズレはそのままの状態でキッチリ保存されていた。

 数枚の畑が横並びで、同じ方向に畔が屈折した状態のまま残されている。

 以前は無かったが、見学者の為に近くの空き地の部分に駐車場が準備され表示が建てられていた。

 近くの潮井神社にも断層が地表に現れていて、これらは震災遺構として保存される
 
 

 こうした断層が目につかなければ、もうここはいつもと変わらない秋が訪れた静かな集落に見える。

 避難生活を続けている人たちも、元の集落でもとの生活に戻ることを決心した人が多く、その為の準備が進められている。

 ただ放置された柿は、当分の間ただ自然に落ちるにまかされることになる。

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命あっての・・・

2019-10-18 17:06:40 | 熊本地震
 今日の熊日新聞科学欄には、日奈久断層帯にひずみが蓄積している状況が掲載されている。

 調査は文科省の委託で、九州大学地震火山観測研究センターを中心に熊本地震後3年間実施したもの。

 報告書をまとめて政府の地震調査研究推進本部に提出したもの。

 2016年の熊本地震で、布田川断層帯のうち布田川区間はほぼひずみが解消したが、日奈久断層帯は高野~白旗区間以外は残っていることが分かっている。

 
 (布田川断層帯と日奈久断層帯)

 先般の熊本地震では、前震は日奈久断層帯の高野~白旗区間、本震は布田川断層帯の布田川区間でのひずみの解消が原因とされている。

 ひずみが蓄積したまま残されているのは、布田川断層帯の宇土区間と宇土半島北側区間、それに日奈久断層帯の白旗以南である。

 今回の調査の結果、日奈久断層帯は3つの区間で構成されているというこれまでの考えを変えて、4つの区間に区分している。

 熊本地震の後の、地質調査(トレンチ調査・ボーリング調査)の結果判明したものだという。

 その結果から、断層の区間ごとの地震の間隔が推定され、日奈久断層帯は近い将来もう一度大地震を起こすと結論づけられている。

 
 (日奈久断層帯の全域が崩壊した場合の県内各地の予想震度)

 同時に崩壊した場合なので、ほぼ最大規模が想定されているようだ。

 前回の熊本地震でも、各断層の布田川区間、高野~白旗区間というように実際は区間でひすみ解消が途切れている。

 ただし、連動しなくとも前回並みの大地震になるわけだから、連動したら大規模になる。

 こうしてみると熊本は地震の巣のような感じだが、断層帯と呼ばれるのは別にしても枝分かれした断層はわかっていないものの方が多いのではないかと思う。

 震度7に二度も襲われた益城町では、町の南側の里山沿いに南北に走る布田川断層から町の東部で枝分かれした3本の断層が街の直下を走っているのが発見された。

 直接の被害の大部分は、この枝分かれした3本の断層によるものである。

 新聞発表の予想震度の図面から自分の住んでいる場所を見積もると、概ね震度6強が予想される地域に今も住んでいることがわかった。

 地震対策は、多分耐震強度診断~耐震化工事となるのだろうが、新聞では1室を堅固な耐震構造に強化しグラッと来たらその部屋へ避難する方法を紹介されていた。

 耐震診断も耐震化工事も、建て替えや大規模補修をしないと住めなかった建物以外では、ほとんど進捗していないのが町の現状である。

 すでに地震が終ってしまった断層の近くの町という思いから、油断が生じている気がする。

 ところが、今回の震度予想図では震度5強~震度6強の範囲内に全町が入っている。

 

 熊本城は、熊本地震復興のシンボルとして着実に復旧工事が進んでいる。

 ただし、文化財的価値の高い石垣は完全復旧まで20年を要するという。

 熊本地震前には、布田川断層帯を原因とする地震の確率は30年以内で数%未満の低確率だったことを思い出す。

 日奈久断層帯を震源とする地震は、一度に全区間か、区間ごとの数度に分けての地震といった差異がある程度で、基本的に近い将来と明言されている。

 恐ろしい話ではある。

 各地の豪雨被害などを見るとき、あらゆる自然災害の可能性に囲まれた列島に住んでいることを痛感する。

 想定を超えた災害の多発に、個人が出来ることは「命あってのモノだね」を追求することしかない。

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災害は一瞬・復興は長期間

2019-10-17 20:48:17 | 熊本地震
 復旧工事がつづいて、しばらく上ることも出来なかった「木山城址公園」に行ってみたら入れるようになっていた。

 
 (建て替えられたトイレ)

 地震直後は建物全体が斜めに傾いて、壊れていた駐車場脇のトイレも、陥没していた地面を戻して新しく建て替えらえていた。

 ただ駐車場も車は1台もなく、人の姿はまったく無かった。

 城跡の西側下を走る国道443号をはさんで、工事中の文化会館が見える。

 
 (文化会館)

 文化会館の周りは擁壁が崩れ、応急の補強がなされているが復旧までは至っていない。

 会館本体と付属する事務所は、地盤の沈下などで少し傾き本体との間に隙間が出来ていたが、これらの修復もなされていることだろう。

 2年ほど閉館して、復旧工事をするという話だったが最近の話ではもっと閉館期間は延びそうだという。

 毎年ここで行われていた文化祭も、去年も今年も健康福祉センターで行われる。

 今年まで、臨時の会場で行い来年からは元の会館に戻って開催できると思っていたのだが・・・・。

 文化祭の会場準備や撤収は、結構きつい作業なのだ。

 施設や装置などが常設された施設がいかに便利かということが、なくなってみるとよく分かる。

 
 (本丸跡の水飲み場)

 中央付近にやや窪みがある石造りの水飲み場は、溜まったままの僅かな水を飲みに、小鳥がよく飛んできていた。

 誰も使わないので、水も溜まってはおらず鳥もいなかった。

 上部の平らな部分には「夏草やつわものどもが夢のあと」という句が彫ってあった。

 城跡だし、つわものどもが何らかの夢を託してここに集っていたことは間違いない。

 代々城主は変わり、阿蘇氏にあるいは清正に、はては島津氏にと、この小さな城はほんろうされ続けている。

 この本丸の周りの擁壁や、中央部分に建っていた記念碑のようなものは土台から崩れていて、まだ修復されていない。

 ひび割れた地面に地震直後にかけられた青いシートは、当時のまま今も広がっている。

 こうした風景を見ると、「兵どもが夢の跡」という言葉は、そっくりそのまま「人間どもが・・・」に読み替えられるような気がした。

 昨今の自然災害の激しさは、初めて経験するようなという言葉が必ず付くのが常である。

 水害も、風も、地震も、火山活動も・・・人智を超えた場所であったり・規模であったりする。

 
 (4車線化工事中)

 地震によって倒壊した家屋が道路を塞ぎ、救助活動や復旧活動に支障が出た。

 火災が発生しなかったのは幸いで、もし発生していれば幹線道路でも消防車も通れない状況だった。

 町の中央を東西に走る幹線道路の4車線化や、交差する県道・町道などの拡幅工事が計画されている。

 4車線化については、片側づつ数か所で工事が始められている。

 舗装などはまだなされていないが、拡幅される実態把握の意味を込めてか数か所に、このような表示板も設置されている。

 先日の新聞では、布田川断層や日奈久断層などが図示され、再び大地震が起こる可能性についての記事が掲載されていた。

 明日、18日付け科学面で詳報する旨の案内がなされていたので、明日の熊日新聞の科学面はよく見ておく必要がある。

 先日の日奈久断層帯のひずみの蓄積に関する記事も重大な内容だったが、明日の記事も含めて要チェックだと思う。

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「満月」と「熊本城・光のイベント」と「ラグビーワールドカップ」と盛り沢山の夜は更けて・・・。

2019-10-15 13:43:34 | 熊本地震
 お城まつりと「水あかり」のイベント当日は、熊本城で空を見上げてはじめて満月だと分かった。

 光のお祭りに協力して空からも月が応援してくれていた。

 
 
 地上の光と、空からの光でなかなかいい雰囲気を醸し出している。

 

 どっとアップしてみると、月ではなにやらウサギの餅つきも行われている様子。

 どこからどう見るとウサギの餅つきに見えるのか知らないが、昔の人の方が想像力が豊かだったのかも知れない。

 

 カメラを意識して、要所要所には灯りがセットされていて大勢の人たちが自分のアングルを求めて熱心にレンズを向けていた。

 丸い光の輪が出来ていたので、輪の中にお城を入れてみようと思いつく人が全体の5%くらいいる。

 それでも一人が結構ねばるので、なかなか順番が回ってこない。

 ライトアップされているお城は、天守閣・小天守とそれに宇土櫓である。

 角度の違う宇土櫓が待たずに取り込めるポイントは空いたまま。

 

 そこで、宇土櫓に焦点を当ててみるとこれがなかなかいい具合で収まりが良い。

 櫓といっても、最上階には高欄も巡らせてあって櫓とは思えない構造になっているのが特徴。

 自分的にはニンマリと言うか、してやったりというか、かなり満足する写真が撮れてしまった。

 こうして、混まないうちにと早々に家に引き上げた。

 日本戦VSスコットランド戦はまだ途中の筈だが、家に帰ると相方はワールドカップバレーを見ている。

 聞けば22:00からNHKで録画を放送するのでそれを見るために、バレーを見ていたのだという。

 結果を知ると面白くないだろうと、見ないでとっておいたという涙の出るようなお話。

 そうか、そうか、等と喜んで10時を待ってチャンネルを切り替えたところでテレビのチャイム音。

 「日本がスコットランドに勝利」というテロップが画面上に出て、アレレ・・・・・。><;

 よって、その後は相手の先制トライとその後のキックの成功を、お酒を飲みながら心の余裕をもって見ることになった。

 ただ、後半のスコットランドの追い上げには、流石に見るのにも力が入ってしまった。

 まさか、録画で逆転されることも無い筈なのについつい力が入る。

 かくて、満月と、熊本城と、光のイベントと、ラグビーワールドカップベスト8進出と、盛沢山の夜は更けていったのだった。

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復興の進み具合

2019-10-03 16:58:06 | 熊本地震
 1年前の益城の復興状況を、去年の昨日ブログにUPしている。

 復興の状況を遅いと見るか、順調と見るかは人それぞれで置かれた立場で人様々だろう。
回覧板のサイン
 地震で被災した町の総合体育館の工事が本格的に始まったようだ。  基礎の杭打ちが続いている。  町民グランドの基礎の部分の工事も始まった。 総合グラウンドは人工......

 総合体育館は、全面建て替え工事が始まって現在は建屋の屋根の部分の工事が続いている。

 
 (総合体育館)

 隣接する交流情報センターも、建ったままの利用可能な状態のままで建屋の基礎部分の強化工事が続いている。

 更にその東側の総合グラウンドはほぼ使用可能な状態に復旧した。

 
 (総合グラウンド)

 走路部分は茶色から青色になり、人工芝のフィルドも既にサッカーなどの大会が行われている。

 
 (町民グラウンド)

 野球場や相撲場ミニサッカーなどの施設もほぼ完成している。

 ナイターの照明設備も復旧している。

 
 (木山川の堤防及び橋梁工事)

 堤防工事や、各河川の橋の復旧はまだその途上にある。

 新たに掛け替えるもの、古い橋を持ち上げて横に移動させ、橋台部分を作った後元の位置に戻す工法など様々である。

 
 (復興公営住宅)

 つとめて、被災者が元の地域に生活出来るよう町内各所に分散して復興住宅は建設されている。

 建て方も様式も、借家としての公営から買い取りを前提としたものまで、各種が提示されている。

 ただ、幹線道路の4車線化工事や町全体を災害に強い町にするための中心部の工事計画の進捗状況によって、自宅再建に待ったがかけられた人達も多く、我が2町内も更地のままのところが数軒ある。

 回覧板も12軒で回していたものが、震災後6軒になり今もそのまま6軒で回している。

 自宅をアパートに建て替えて転出してしまった人や、地震を機に夫婦とも施設に入所してそのまま帰って来ない人など。

 1年前の画像を見ると、確かに今年は復旧した部分が多いが、町全体を見ると解体が進み、むしろ空き地が多くなったような印象さえ受ける。

 平屋が増えたり、瓦が防災仕様になったり、そもそも瓦を使用しないシンプルな構造の家も増えた。

 農家も納屋を鉄骨構造にしている所が多い。

 町全体が生まれ変わったと言えるのは、まだまだ先のようである。

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町は復興の途上

2019-06-21 09:47:59 | 熊本地震
 図書館併設の交流情報センターが、地震の復旧工事に入った。

 隣接の総合体育館が全面建て替えになって工事が続いているが、交流情報センターは周りの地盤改良と補強工事で済ますらしい。

 
 (交流情報センター)

 周りを深く掘っているが、その改良工事の手法は素人には分からない。

 ただ、運営しながらの改修工事なのでそれなりに騒音は我慢しつつということ。

 
 (新設工事中の体育館)

 こちらは全面的な建て替えなので、進捗状況は目に見える。

 
 
 (復興住宅の工事現場)

 自宅が壊れて「仮設住宅」や民間などの借り上げによる「みなし仮設住宅」に入居中の人はまだまだ大勢いる。

 仮設の入居期限の2年は過ぎて、延長を重ねながら4年目を迎えているが、自宅再建の目途が立たない人が沢山いる。

 個人的な事情もあるし、町の復興計画による災害に強い町造りということで、区画整理をはじめとする計画自体の策定が出来上がったのが2年を経過した後なので、自宅再建をしようにも出来ない状態のままの人も多い。

 また効率性や経済性ばかりを重視して、1箇所に大規模な近代的な集合住宅を作っても地域のコミュニティーが損なわれ、孤立の問題などが憂慮される。

 そのため、原則的に地区ごとに小規模でタイプの異なる復興住宅を建設している。

 賃貸であったり、買い取りであったり、あるいは複数階建てのものや戸建てのものなのだろう。

 仮設入居期限が2年といいながら、その受け皿つくりが遅すぎるという感もするが、どのようなタイプの復興住宅に入居の希望があるかを調査しながらの計画立案だったので、行政側の遅ればかりを非難するのは当たらない。

 体育館などの公共の建物等の復旧も大切だが、仮設入居者の生活再建が最も大切である。

 その際、考慮すべきは4年目を迎え、仮設の住民同士で自然発生的に生まれた被害者同士の心の繋がりや安心感が、損なわれるおそれのあることである。

 ソフト面にも十分配慮しながらハード面の整備を進める必要がある。

 急げよ、でも急ぎすぎるなという相矛盾する復興過程の最中、それが我が町の現状である。

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潮井水源の湧水

2019-06-08 11:29:54 | 熊本地震
 益城町の最東端にある潮井神社の脇からは、水が湧き出ていて池があり溢れた水はそのまま布田川の支流のようになっている。

 もちろん農業用水として今も活用されているし、過去には上水道として付近の集落で使われていただろう。

 豊富な湧き水が自慢の「潮井水源」と呼ばれ、夏は涼を求めて訪れる人も多かった。

 ただしそれは地震前の話である。

 
 (潮井神社)

 小さな神社だが水の湧き出す森の一角で、独特の雰囲気を醸し出していたものだ。

 先の地震では断層の真上ということもあって、地表面まで断層が露出するという極めて珍しい現象が起こっている。

 地震で断層が地表面に露出することは、全国的にも珍しいそうで震災遺跡として保存されることになっている。

 布田川断層という名前は、、直ぐ横の谷を流れている布田川に由来する。

 この断層露出部を震災遺構として整備しようにも、アクセス道路が殆ど寸断されていてその復旧に手間取っている。

 その潮井神社の脇の、湧水である「潮井水源」の水が涸れ始めたと報道されたので見に行った。

 
 (潮井水源の池)

 メインのアクセス道路が使えないので、集落の中のかなり狭い複雑な道をたどって現地に向かった。

 池は上下に2箇所あるが、確かにどちらも水量はいつもよりかなり少なかったが、完全に涸れた状況ではない。

 この熊本地震の直後に熊本市の「水前寺成趣園」の湧き水が止まってしまい、池が干上がる事態が発生したが暫くして復活し、今では元の綺麗な湧き水の池に戻っている。

 この潮井水源は、地震の後も湧水は変化無く出続けて人々を安心させていたのだが、3年も経った今頃水前寺と同じような現象が起こり始めているのだろうか。

 断層の影響によって水脈が変わったのかも知れない、というのが大方の見方である。

 いずれにしても、復活を祈りたいものである。

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2度の震度7からもう(まだ)3年ですが・・・

2019-04-16 13:22:06 | 熊本地震
 3年前の今日の今頃は、庭を眺め、立ち入りが出来る範囲で家の周りの様子を覗っていたものだった。

 車の音も人の声も聞こえなかったが、飛び交うヘリの音がいつもの町の何倍もの音量で響いていた。

 時の経過と供に、上空は静かになってゆき代わりに地上が賑やかになってきた。

 全国ニュース的には、東日本大震災の後には大災害が次々とそれこそ手を替え品を替えて各地に襲いかかり、その都度最新ニュースは上書き修正され、熊本地震も埋没してしまったということだろうか。

 そんな中で、県道沿いの更地に「ちびまるこちゃん」は今でも頑張っている。

 
 (ちびまるこちゃん)

 表と裏(東西両面)には、ちびまる子ちゃんを中心に沢山の花が描かれている。

 特に西側に面した側には子供達の絵とおぼしき沢山の花が人々を和ませている。

 
 
 家が在った筈の町並みにも電線ばかりがやたらに目立つ。

 まだまだ仮設住宅暮らしの人が大勢いる状態であり、復興住宅も建設に着手したばかりである。

 

 役場も仮設庁舎で、多分本庁舎建設などは復興住宅完成の後になるのだと思う。

 それでも、葉桜になってしまった河川公園では藤棚から藤の花が溢れんばかりに咲いていた。

 

 車中泊でごったがえした、グランメッセの広場には町民から寄せられた鯉のぼりが空に舞っていた。

 

 復旧の途上にあって、復興まではまだまだ遠い道のりというのが現状ではあるが、移ろう季節の花々や人々の優しい心に支えられながら、ゆっくりではあるが前を向いて歩き出そうとしている。

 「花の下滅びの美など考えず」・・・しろ猫

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