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カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

江津湖畔の句(歌)碑めぐり(その2)

2020-09-17 10:46:54 | 熊本地震
 今日は朝から雨模様の天気だし、昨日に引き続き江津湖畔の句(歌)碑めぐりの記を。

 マップに従って、動物園側(下江津)から上江津湖の方に遊歩道を歩く。

 江津湖を跨ぐ2本の橋の内の、植物園側の江津橋の下をくぐって水辺沿いの遊歩道は続く。

 
 (江津湖で一番狭い箇所)

 この2本の橋(斉藤橋と江津橋)の間に、句(歌)碑が4基比較的まとまって建っている。

 
 (安永蕗子の歌碑)

 「はなびらを 幾重かさねて夜桜の あはれましろき 花のくらやみ」・・・・安永蕗子

 数々の賞に輝く、現代日本歌壇の大御所の歌。

 
 (藤崎久をの句碑)

 「蜻蛉に空あり 人に汀あり」・・・・藤崎久を

 で、汀を眺めてみると・・・。

 
 (湖畔の彼岸花)

 白い彼岸花が沢山咲いていた。

 直射日光の強い日だったが、適度に植栽がなされた遊歩道は日陰を求めて歩くことも出来る。

 日常的に歩いて運動しているらしい人達とも時々出会う。

 
 (有働木母寺の句碑)

 「流れゆく 水葱に照り添い 江津の月」・・・・有働木母寺(もっぽじ)

 水葱という字が読めなかった。

 帰って辞書で調べたら「なぎ」と読み、ミズアオイの古名とあって季語は夏。

 月が主役の句のようだから、季節は秋か。

 
 (綴敏子の歌碑)

 「天霧らひ 雪降る湖に寂かなる 光はありて 鴨ら相寄る」・・・・綴敏子

 季節は冬、天霧(あまぎり)に包まれたように曇って見える日。

 確かに冬の江津湖は、湧水のため凍ることがなく渡り鳥の天国。

 
 (富永兆吉の句碑)

 「音のよさ まいっ時櫓で 漕いでくれ」・・・・富永兆吉

 東バイパスに架かる橋の直ぐ西側の遊歩道沿いにある句碑。

 ただし、遊歩道が一部二股に別れているので湖畔沿いの遊歩道を進む。

 肥後狂句の一句で、櫓で船を漕いでいた頃の古い和船で、多分櫓べそといわれる部分の、ぎ~っぎ~っという音だろう。

 
 (中村汀女の句碑)

 「つゝじ咲く 母の暮らしに 加はりし」・・・・中村汀女(ていじょ)

 石の文字は、苔むして殆ど読めない。

 中村汀女の生家の庭にあった碑を、ここに移設したものらしい。

 日本を代表する俳人で、江津湖が作句活動の拠点。

 実は、二股に別れた遊歩道のもう一方を歩いてしまい、帰りにやっと出会ったのが、中村汀女と富永兆吉の句碑。

 句碑はまだ江津湖の上流部へと続くが、本日これまで。

 また、明日の心なのだァ。

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雑草に水やりの愚行

2020-08-09 13:36:42 | 熊本地震
 暑い日が続いて、庭の水やりも本格的になりつつある。

 水を撒きながらふと考えた。

 なんで、雑草にも水をやらねばならないのか・・と。

 
 (草ぼうぼうの東側花壇)

 キンカンだの、ブルーベリーだの山椒だのと、小さな木が多いが隙間には花も植えている。

 ギボウシとかベゴニアなどは地植えしているが、その他の花は時期が終って殆ど地面の下で根っこだけが生きている。

 目に見える緑の大部分は雑草で、それも茎の部分から次々に根っこを張って増殖する質の悪さで1~2を争う種類の雑草。

 雑草に水をやる愚かさにやっと気が付いた。

 確かに草花というが、花は終わって草ばかり、草に水をやる義理はないので、除草することに。

 
 (除草後の花壇)

 草が大部分だったので、除草するとスッカラカンに。

 本当はここら辺りには、花があった筈だが雑草に圧倒されて無くなってしまっている。

 この初夏に目を出したサトウキビの付近を除草していたら、もう一本のサトウキビが出て来た。

 
 (サトウキビ2号)

 去年の暮れに、謡曲仲間から2本頂いて、土に埋めて保管し春先になったらちゃんと植えると芽が出ると教わった。

 そのまま保存していることすら忘れてしまっていた。

 初夏にやけに大きな雑草が芽を出したと思ったら、それが忘れていたサトウキビだった。

 確か2本埋めていたはずだが、芽は1本しか出ていなかった。

 今度のは、その残りのもう1本のサトウキビらしい。

 よく見ると、出てきて間がない小さな芽らしきものが見える。

 そうなると発芽率100%というわけだ。

 
 (サトウキビ1号)

 慌てて、雑草の根と一緒に掘り起こしたサトウキビに土をかけてやった。

 元々が植えようと思っていた場所ではなく、保存場所として庭の隅に浅く植えたので、今の場所が適切な場所とは言えない。

 しかし、ここまで大きくなってしまうと、移植は躊躇する。

 大きな背丈の葉っぱの先端は、隣の塀を越えて風に揺れている。

 まさか、サトウキビの葉っぱの処置を考えることになるとは・・・。

 盛りを過ぎた、キュウリと朝顔と共に何とかせねばが、また一つ増えた。

 サトウキビの葉っぱは、「ザワワ・ザワワ」とは言わぬ程度に揺れている。

 それにしても、・・・・・・あつい!

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熊本城、久々の登城

2020-06-02 17:14:07 | 熊本地震
 句会参加のため街に出かけた。

 おりから、熊本城の特別公開が始まったので、半分はそちらに期待を込めていた。

 吟社の句会も、熊本城の特別公開も、新型コロナウイルスにしてやられて、中止や延期になっていたのだ。

 当初は、県内だけの公開ということで、逐次全国公開への移行するらしい。

 少し早めに家を出て、熊本城を周った後に句会の会場に向かうことにした。

 
 (新緑の熊本城)

 城彩苑に回って、二の丸広場の方に歩いた。

 多分、特別公開のための特設通路は、二の丸の方から伸びていると勝手に思い込んでいたのだ。

 確かに二の丸広場の一角に受付ブースがあって、所用の申込用紙に記入し500円也を払うとチケットを貰える。

 ところが、入り口は行幸坂の中腹位に設置されていているとかで、登って来た道を下ることになった。

 
 (特設のゲート)

 このゲートにくるまでに、かなりの数の誘導員に誘導された。

 いきなり昇り階段になるが、エレベーターも設置されている。

 
 (特設の通路)

 見学コースは特設の通路が出来ている。

 横断歩道橋の親方みたいな、とても大きな架設橋で空中回廊といった風情がある。

 
 (武者返しの石垣と天守閣)

 今までは、下の方の地面を歩きながら石垣を見上げ、やがて天守を見上げという順序だったが、一挙に眼前に展開する。

 石垣と、本丸御殿と天守閣が一緒に見えるアングルは、通常ならドローンなどにお世話になる必要がある。

 見慣れない角度から城内を見ることが出来るので、とても新鮮である。

 
 (本丸御殿の地下通路)

 通常は、この地下通路の先の方の光の射す方向から入場していたが、特設のコースはこれを横切ることになる。

 大銀杏の直ぐ脇に上がると、天守閣前の広場に出るが、ほぼ工事用資材で埋め尽くされている。

 
 (熊本城天守閣)

 お城の修復の優先順位は知らないが、取り敢えず大天守と小天守が急がれているようだ。

 本丸の周りの櫓は、殆ど崩落していたり取り壊されていたりして、石垣の端の向こうには直ぐ熊本の市街が見える。

 架設のコースから見下ろすと、彼方こちらに石垣や建物の崩落が見られ、かなり先の長い修復作業であることがわかる。

 てなことを、考えながら歩いていたら、電話がきた。

 句会の会場の、副主幹からで、「今どこ?」という電話。

 「熊本城です。すぐ行きます」と言いつつ、会場に急いだ。

 まだ時間は十分ある筈だが、久々なので皆さん集合が早いようだ。

 マスクをかけての、28度の炎天下の急ぎ足は暑かった。

 城内の他の様子や、句会の様子などはまた明日のことにしよう。

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熊本地震から4年

2020-04-16 10:53:15 | 熊本地震
 四年前の4月16日の朝は悲惨な状況だった。

 一日前に、前震の様子を聞いてきた朝のニュース番組の電話インタビューで、元気に応答した状況が一変した。

 真夜中の午前1時25分、緊急警報より遥かに早くド~ンと下から突き上げられて、布団ごと空中に浮いた感じがした。

 それから経験したこともないほどの、強い縦揺れの後は横揺れが長く続いた。

 家のきしむ音と、外で屋根瓦の落ちる音や諸々が壊れる音が続いていた。

 後で聞くと、皆さん家を飛び出したとかいう話が多いが、私は飛び出すどころか布団から起き上がることすら出来なかった。

 布団の中で揺れながら、家の軋み具合、2階から1階への移動の危険性、もし建物が崩壊した場合の倒れる方向などを頭で想定しながら、一番危害が少ない位置はこの寝ている場所ではないかと考えた。

 出てきた結論は、「このまま、布団の中で寝ながら暫く様子を伺う」だった。

 幸い相方は娘のお産の手伝いのため、先月末から他県にいて留守なので対応に関しては自分の事だけで身軽だった。

 地震の写真も多く残っているが、ここではUPは省略したい。

 4年が経過し、町も復興が進んでいる。

 
 (総合体育館)

 地震直後は落下した天井を片付けた後、一時避難所として使用され仮設住宅完成後は建て替え工事が進められた。

 完成しあと少しで供用開始となる。

 
 (復興公営住宅)

 町内に数か所、元の居住区に近い場所に分散してこうした復興住宅が整備され、ほぼ3月末で完成している。

 後は仮説やみなし仮設住宅に入居している人達の引っ越しを待っている状態である。

 
 (秋津川堤防沿いの道路)

 堤防の整備と合わせ、道路の整備も進められているが全線通行可能は少し先になる。

 町の中心部も、4車線化の工事が進められている。

 災害に強い街づくりということで、区画整理をして新しい街をつくる工事も進められているが、この進捗の具合で自宅を再建できない人や、再建そのものが困難な人がまだ沢山いて、仮設住宅の集約が進められているものの無くなる状況にはない。

 また、前回活動しなかった部分の活断層のひずみは、明日次の地震が起きてもおかしくない状態になっている。

 
 (布田川断層と日奈久断層)

 今回の地震で動いた部分と、動かなかった部分が表示され、残った部分の地震発生の確率は極めて高い。

 
 (残った断層帯に起因する地震の震度予測)

 震度7の地域とそれ以下の分布予測が色分けで表示されている。

 自分の居住場所を当てはめてみると、震度6弱以上の地域にあることがわかる。

 二度の震度7で、耐震構造も多少損耗しているはずだから、今度は震度6クラスでも危ないと思っている。

 何百年単位で活動する活断層でも、ひずみがリセットされたのは布田川断層帯と日奈久断層帯の一部である。

 残った部分のひずみは、極限に達している。

 これらの事実が、あの地震から4年を経た今日、広く報道されることには意義があった筈である。

 しかし、コロナがすべての報道機関を占領してしまった。

 明日の危険性より、目の前の危機に対処するのが急務なのだ。

 
 (地震から数日後の夕焼け)

 地震の後の町には、地震臭ともいうべき独特の匂いが漂っていた。

 土ぼこりが雨に濡れた後のような匂いで、年配の人なら分かる独特な匂いが町中を覆っていた。

 そんな匂いを嗅ぎながら、見上げた夕焼けの色は美しいというより不気味なものに見えていた。

 前回の地震で崩壊しなかった我が家のような場合も、次の地震では危険な状態になる。

 耐震診断も耐震補強もまだなのである。

 今度は、相方と共に飛び出そうかとも思っている。

 「様子見と空念仏で平和主義」・・・・しろ猫

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熊本地震・前震の後の15日、ほっとしたひと時

2020-04-15 12:59:23 | 熊本地震
 去年の朝顔が終っても、張っていたネットは、エンドウ豆のために残しておいた。

 一昨年のスイートピーのイメージで安易に考えていたらとんでもない。

 エンドウ豆の蔓は半端じゃない。

 ぐんぐん太るは伸びるし、はち切れそう。

 

 道路にも蔓が飛び出すので、紐で引っ張り、花壇の方にのびてパンジーなどを覆い尽くすし。

 麻ひもを引っ張り回して、横の膨らみを制御することにした。

 紫色の花を咲かせていたエンドウに豆のサヤが出来た。

 白い花の従来のエンドウよりサヤは長くて少し曲がっている。

 多分豆ごはんなどにすると、赤飯みたいに色がついたりするタイプではないかと思っている。

 出来てみないと分からないが・・。

 

 白い花の、普通のエンドウは花も早かったし実が付くのも早かった。

 膨らんだ奴は収穫して、取り敢えず豆ごはんにして食べてみた。

 出来たばかりの豆なので、とても柔らかくて上手かった。

 相方の風邪?も大分良くなって、起きてきて私の炊事に文句をつけたり、自分で手出しをするまでになった。

 体が動くようになると、それに先行して口の方の回転も良くなるので要注意。

 本来なら今頃は、二人で人間ドックで喉越しの良い胃カメラを呑んでいた筈だが・・・。

 お楽しみは6月に延期になってしまった。

 その頃、コロナもある程度終息の方向に向かってくれればいいのだが・・。

 昨日は4月14日、4年前の熊本地震の前震の日。

 震度7もあれば本震のつもりだった。

 で、翌朝15日は、朝からテレビの対応から始まった。

 九州ローカル局の、朝7時のニュース番組で、被災地からの電話インタビューの対応を依頼されて、呑気に「大丈夫です、電気も電話も水道も、一応ライフラインは機能していますし、テレビも映っていますから情報は入手出来ます」等と答えたものだった。

 その後、我が家の庭に落ちて来た隣家の屋根瓦の後片付けを、両家協力で実施した時期である。

 まさか、今夜の続きの午前1時半前に、再び寝込みを震度7の本震に襲われるとは夢にも思っていなかった。

 つまり、能~天気に豆の話をしている今日のような、「いやあ凄い揺れでしたねえ」的会話が出来る雰囲気だったのだ。

 それでも震度5~6程度の余震を予測して、落ちそうなものは全て段ボールに入れ床に水平展開し、テレビもPCも全て周りに布団などの緩衝材を置いて寝たのだった。

 他県に住んでいる娘のお産の手伝いで、相方は留守だったので安全確保や避難行動などには自由度があると、むしろほっとしていた。

 地震もコロナもちょっとピークだと思った時点を過ぎ、ほっとした辺りが要注意ということだろう。

 4年が過ぎたのに、今夜あたりまた揺れたりしたら・・・などと一瞬思うことが・・。

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町の復興と個人の復興

2020-03-26 12:52:35 | 熊本地震
 近所で家が建ち始めた。

 地震によってわが班(14世帯)では6軒が全壊し、その後2軒は再建されたものの4軒は更地になっていた。

 

 4年ぶりに家が建ち始めたのだが、何だか少し様子が違う。

 建設を請け負っている会社から、近所に挨拶回りに来たのだが施主が元の持ち主の名前と違っていた。

 この敷地内には家が2軒立っていて、兄弟がそれぞれ夫婦で住んでいた。

 地震では2棟とも全壊し仮設住宅に2世帯とも移っていったのだが、同じ場所での再建を諦めたのだろうか。

 町では、数か所に分散建設されていた仮設住宅は今年中に1か所に集約されることになっている。

 既に復興公営住宅は完成し、もう直ぐ入居が始まる。

 

 こうした復興公営住宅は、元の生活の場に近いようにと町内の各所に数棟ずつ分散して建てられている。

 元の場所に戻ってこない人や、施設にそのまま入所してしまった人などで、14世帯で回していた回覧板も8世帯になってしまった。

 近くには、アパートやワンルームマンションなどが増えて、回覧板どころかゴミ置き場のルール周知も容易でない状況になっている。

 先日新聞の読者文芸欄に私が投句した「漬物が回覧板についてくる」というのが掲載され、それを呼んだ友人からコメントがメールで届いた。

 掲載されると、必ず何らかのコメントを寄せてくる相手なのだが、「回ってきた回覧板に食べこぼしか何かの漬物がくっ付いてきた」と解釈していた。

 解釈は人それぞれ自由だが、こちらとしては隣の人が回覧板と一緒に、おすそ分けの漬物を持ってきてくれた、という意味だったのだが弁解はしなかった。

 いろいろ作っては、人に配って嬉しがる人だから配るための容器の収集には我が家も協力してる。

 カレーやホルモンなど多彩だが、まさか「ホルモンが回覧板についてくる」じゃあんまりだと思ったのだ。

 ただ、残った8世帯では細々と連帯意識は持ち続けているのだ。

 

 地震の際には避難所にもなった総合体育館も、ほぼ建て替えた完了し供用の時を待っている。

 直ぐそばを流れる秋津川の河川にも、桜が6分咲きくらいで見頃である。

 ただ眺めていたのは、東屋と近くの橋の袂からそれぞれ一人ずつと私の三人だけだった。

 これから1週間ほど雨模様の日が続くようだが、晴れた頃は散っているなんてことにならないように願いたい。

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ミニ「野生の王国」

2020-03-25 11:47:54 | 熊本地震
 今日は気温もあがり、3月とは思えないような陽気。

 庭の鉢に水やりでもしようかと、表に出るとニャンが鎮座していた。

 

 カメラを向けると目線をずらす。

 ただ妙に何かを訴えるような態度なので猫の行動を見続ける。

 植え込みの脇で何か小さいものを舐めている。

 ゲロでも吐いたのかと近寄ってみると、なんと小さなネズミが一匹。

 

 猫は、戦果報告の一つとして、持ってきたのだろうがあまり嬉しくはない。

 何処で捕まえたのかと聞いても、猫かぶりでさっぱり。

 昔の猫なら戦果報告が済むと、さっさとムシャムシャやったものだが、最近は猫も飽食の時代。

 形ばかり舐めたりしていたが、やがて放置したまま私が水やりで準備していたジョウロの水を飲んだ後、何処かに出かけてしまった。

 実は、先日は地面に落としたキンカンを、地面でつついて食べていたヒヨが猫に捕まった。

 木の上で安心して食べていたヒヨも、まさか猫がすぐ近くに潜んでいるとは知らず油断したのだろう。

 かくて、我が家の庭で「野生の王国」ミニチュア版が展開されたのだった。

 だが、後始末にはまったく無頓着な猫なので、鳥もネズミも土葬の儀式はこちらが施行する羽目になってしまった。

 

 今日は、ポカポカと日中は暑いくらいの陽気。

 隣家の猫も、我が家の庭でごろごろすることが多くなった。

 カマキリやバッタ、それにトカゲなどがこれからどんどん顔を見せてくる季節が到来する。

 庭の雑草が熱帯雨林にならないよう、せめてサバンナくらいにでも除草しなければ。

 「野生の王国」もそれなりに管理はつかれる。

 猫が手を貸してくれればいいのだが・・・。

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故郷の山々

2020-03-13 19:34:09 | 熊本地震
 故郷から遠く離れて生活していて久々帰省した場合、あるいは出かけていて帰り着いたやれやれ、と実感できる風景というのは確かにある。

 その対象は、最初に目につく山である場合が特に多い。

 今の住居に住むようになって26年目になる。

 
 (飯田山・船野山)
 
 南を見ると我が家にとって一番近い「飯田山」や「船野山」が見える。

 無意識でも26年も住めばこの山が見えると我が家に帰り着いた気分になる。
 
 
 (阿蘇と南外輪山一帯)

 東を見ると、阿蘇山系が見える。

 風向きによっては、噴煙の状況により火山灰が降ってくることもあるが、概ね家に近づいたことを感じる。

 
 (鞍岳)

 北を見ると阿蘇の北外輪山の一角に鞍岳が見える。

 この山の麓で生まれ育ったので、本当の故郷の山なのだが、子供の頃から見慣れた頂上部分の「馬の鞍」に似た鞍部は現在の住居の方からは見えない。

 同じ山でも見る方向で、馴染みのない形に見えるが、慣れてくると段々違和感が無くなってくる。

 
 (金峰山と遠方に雲仙普賢岳)

 西には熊本市の中心部を挟んで金峰山が見え、その左側には有明海を隔てて長崎の雲仙普賢岳も望める。

 さすがにどんなにハッキリ見えても、島原半島の雲仙普賢岳は他所の山だが。

 少し歩いて家々のない場所まで行けば、これら東西南北の代表的山々が一望に見えてしまう。

 「阿蘇と雲仙」という二つの国立公園が見えるというのも、私の密かな自慢。

 ちょっとした山に登れば、一望で二つの国立公園を見ることが珍しくはないだろうが、平地では珍しい部類に入るだろう。

 なにこれ珍百景には程遠いが・・・。

 田舎では、不便さと風景が唯一の自慢なのだ。

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地震から復興にむけて3年9か月

2020-01-09 09:49:37 | 熊本地震
 新年を迎え、熊本地震から3年9か月が経過したことになる。

 しばらく前の埃っぽさは無くなったような気がする。

 わが町に限って言えば、むき出しの更地に雑草が生えて土埃が立ちにくくなったのと、取り敢えずの道路補修でばら撒かれていた土砂が無くなったからだ。

 句会で市内に出ると熊本城も、石垣の痛ましさが見えない遠景ならば、往年の姿に戻りつつあるように見える。

 
 (新春の熊本城)

 ただ、工事用のクレーンが現実を見せつけてくれている。

 中心部では復旧と復興それに新しい建設も進んでいるようだ。

 わが益城町についても、それなりに進捗はしているのだろうが、全般計画の中では緒に就いたというところか。

 
 (四車線化工事)

 用地取得や、工事の難易等によって数か所に分散して行われているが、完成は当分先になる。

 できれば元気に自分の足で歩いて、完成を見たいものである。

 
 (復興公営住宅の一つ)

 町内の数か所に分散して建設中である。

 町内の仮設住宅や、町外も含めたみなし仮設などで生活している人はまだ大勢いる。

 道路の拡張・町の再開発・その他個人の事情などで自宅を建設できない人達も多いので、早期の完成・供用が待たれるところである。

 
 (体育館と交流情報センター)

 体育館は解体されて新しく建設中であるが、交流情報センターは使用しながら建物の基礎部分の補強工事が進められている。

 
 (文化会館)

 これは使用を中止して、建物の基礎部分と周りの擁壁の工事が進められている。

 当初説明より1年ほど工事期間が延びる見通しのようだ。

 
 (橋梁工事)

 木山川・秋津川などの河川に架かる橋はほとんど架け替えの対象になっている。

 この橋は新しく架ける工事をしているが、元の橋を横に移動させ橋脚・橋台部分を作り直した後に、運んで上に乗せるという工法がとられているのも多い。

 同時期に工事を始めると交通への影響が大きくなるので、通行重量制限などの処置をしつつ逐次に工事を進めている。

 道路の工事予告や、町の広報などをよく確認しないと状況によってはめまぐるしく通行要領が変わる。

 
 (町役場の工事現場)

 町役場は、現在仮設の庁舎で運営されているが、元の場所で再建されることになって工事が始められている。

 ただ、遺跡ということで発掘調査なども事前に行われているので、完成は当分先になるだろう。

 
 (サンジの像)

 地域を盛り上げようと、熊本出身のアニメ作家の好意によって各所にワンピースの登場人物たちの像が建てられている。

 益城町は、コックの「サンジ」を希望し、昨年交流情報センターの東側に陸上競技場を背に建てられた。

 住宅や施設など、ほとんどが元あった物の建て替え・再建であるのだが、このサンジだけは純粋に無かったものが出現したことになる。

 子供連れの町民などが訪れてカメラを向けている姿をよく見かける。

 希望・諦め・喧騒・静寂・・・復興への道のりは結構ながい。

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埋蔵文化財

2019-12-17 11:14:38 | 熊本地震
 熊本地震からの復旧・復興の事業は、進められている。

 道路拡張や、新しい災害に強い街づくり等の過程で用地交渉や、建設予定地域での遺跡の発掘調査などの影響が、全般の進捗に影響を及ぼすこともある。

 

 元の場所で建て替えが予定されている役場も、現在発掘調査現場になっている。

 これまで役場の駐車場として使用されていた場所なので、遺跡があることが予想されていたのに役場として使用されていたことに少し驚く。

 

 各所で復興公営住宅が建設中だが、その建設の前には発掘調査が行われている箇所が何か所かある。

 縄文時代から弥生時代にかけて、現在の町よりやや高台の位置に生活の場所をもっていた先人はやはり、自然との共存が上手だったことが分かる。

 今回の地震でも被害の少なかった地域であるし、水害常襲地帯である川沿いの低地より安全なゆるやかな台地上の居住地は何千年もの生活体験から導き出されたものなのだろう。

 今では全国的に、埋め立て造成やウオーターフロント開発などが行われ、水際と超高層の生活が豊かさの象徴にさえなっている。

 現代の技術偏重の危うさは、ここ数年の地震・津波・大水害と次々に襲ってくる天災の前に、その無力さが如実に現われて来つつある。

 町では、文化資産の修復や建設現場での埋蔵文化発掘調査など、地震の復旧・復興の過程で出てきた文化財の企画展を開催している。

 

 弥生時代のものが多いが、縄文時代や石器時代のものも今回の調査で沢山発見されているようだ。

 こうした文化財・埋蔵文化財調の成果報告会も催されるが、成果報告にとどまらずその課題も明らかにしてほしい。

 開発場所からは、次々と遺跡が発見され基礎資料を収集後は埋め戻されて、上部には施設が次々と出来ていくのが現状である。

 この企画展の「のこされたもの、のこしたいもの、伝えたいこと」の重要性を考えたいと思う。

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