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カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

去年と違う今年の春

2022-03-03 16:00:47 | 熊本地震
 
いきなり初夏が

 今日はとても暖かい、と言うより暑い。 室内でも暖房なしで25度だったから、歩いたら汗が出た。 陽気に誘われて、庭でもいろいろな花が咲きはじめた。  (さくらんぼ)......
 

  去年のブログ配信サービスをみると、季節の移り変わりの違いが如実に分る。

 サクランボが満開になっただの、庭梅が満開だのととにかく去年の方が圧倒的に早い。

 今日は、室温は暖房なしで19度あって、暖かくなったと喜んでいるが、去年は何と25度の夏日で暑いなどと言っていた。

 庭の花も、冬から咲き続けているパンジーなどや、イチゴの花が2~3輪咲いている他は花がない。

 今日も田んぼの畦を目を皿のようにして、ツクシを探したが見つからなかった。

 

 (体力増強中の鴨)

 鴨もまだ河原の土手で餌をあさったり、集団でバタバタと飛び上がっては隊列の組み方の訓練飛行を繰り返している。

 ウクライナ情勢など、北帰行には関係なさそうだが、なんだが帰りをグズグズしている。

 

 (畦の彼岸花の葉っぱと菜の花)

 ツクシが集団で出る場所があって、集中して探すがまだ顔を出さない。

 

 (オオイヌノフグリ)

 ただ、オオイヌノフグリなどは花の数が圧倒的に増えてきた。

 去年など、この花にあわせてレンゲが咲いていたとかスミレを見つけた等と書いているから、庭に限らず野の花も遅いのだ。

 やっと人に慣れて、バタバタと逃げたりしなくなった鳥が帰って行くのは寂しいが、花はあまり遅れて欲しくない。

 明日は車の点検もあるし、上江津湖の芭蕉園付近でも歩いてツクシを探してみよう。

 「春彼岸今は葉のみの曼珠沙華」・・・しろ猫

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災害の賞味期限

2022-02-18 15:34:19 | 熊本地震

 昨日は地上に断層が表出した震災遺構の場所を歩いたが、この他にも断層沿いには何カ所かある。

 ただ震災遺構のある地域は、どこも長閑な風景が広がっている。

 

 (堂園地区)

 クランク状に畦が曲がった断層は前方の田んぼの続きだが、見渡せば梅の花の咲くノンビリした風景が広がっている。

 前方の山の麓沿いに布田川断層は続いている。

 この辺りは地震直後は、各研究機関がボーリング調査などを頻繁に行った場所。

 

 (杉堂地区)

 山懐に抱かれたような集落があって、その最深部に潮井神社がある。

 神社に至る道路脇には芝桜の花が沢山咲いていた。

 地域の人達が、手入れをしているのだろう。

 

 (潮井神社の下の池)

 もっと沢山の湧水があって、池も深かったのだが地震の後水脈が絶たれて一時干上がってしまった。

 半年後くらいから水が湧くようになったが、元の状態よりかなり水量は少ない。

 時期的に水量の少ない時なのかも知れない。

 

 (布田川)

 神社の脇を流れていて、この上流は阿蘇の西原村に続いている。

 

 (徳富蘇峰の生家)

 明治・大正・昭和の言論人として活躍した徳富蘇峰は、母久子の生家(矢嶋家)で、生まれている。

 徳富蘇峰・徳冨蘆花の兄弟の母親の実家である矢嶋家は、母を含めた四姉妹の生き方が異彩を放っている。

 いまも熊本の四賢婦人として顕彰され、記念館は地震で被災したため潮井神社の手前の広場に再建されている。

 山懐に抱かれたような長閑な集落にも、道路の復旧や新築の家々の建設の槌音が響く。

 それがなかったら、5年前の地震は嘘のように思えてしまう。

 本当の静けさは、もう少し後のことになりそうだ。

 「災害の賞味期限は直ぐ切れる」・・・しろ猫

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熊本地震あの時と今

2021-04-15 16:44:30 | 熊本地震

 熊本地震から、ちょうど5年が経過した。

 昨日(4月14日)の午後9時過ぎに「前震(震度7)」があって、明日(4月16日)と言っても今夜の続きの午前1時過ぎに「本震(震度7)」に襲われた。

 孫が誕生し、九州新幹線の開業セレモニーが行われる予定の前後だった。

 相方はお産の手伝いで隣県に行っており、私一人の時の大惨事だった。

 あれから5年が経ったが、町の復旧・復興の現状は如何に。

 

 (避難所となった体育館)

 天井が崩落し使えなかったが、瓦礫を除去した後、内部は避難所として、駐車場は車中泊として利用された。

 その後、基礎部分に問題が発見され、去年から建て替えられて、現在使用されている。

 

 (災害公営住宅)

 災害公営住宅が、町内の各所に建設され、仮設住宅等で生活を余儀なくされた人達が入居を開始した。

 町内各所にあった仮設住宅も、一箇所に集約されているが、まだ400名以上の方が仮設に入居中である。

 町中心部付近の、災害に強い町作りのための区画整理の進捗が遅れ、自宅再建を待たされている人も多い。

 

 (橋の架け替え工事)

 橋の架け替えはかなり進捗している。

 

 (役場の建設予定地の整地作業)

 元の位置に建設が決まって、現在基礎工事のための整地が行われている段階。

 これから、震災直後と現在の姿を対比させてみよう。

 

 (我が家に近い、惣領地区の震災直後)

 

 (復旧した県道と町並み)

 

 (地震直後の住宅街の道路)

 

 (擁壁等の工事が進められている現状)

 

 (一番被害の大きかった宮園地区の地震直後)

 

 (復旧工事と、町の新しい区画整理事業と道路拡幅等が同時に進められている)

 

(震災後の様子を象徴した建物と車)

 

 (道路拡幅に伴い、少し後退した位置で復興した建物と車)

 町の中心部で、被害の一番大きかった宮園地区は区画整理事業のため、取り壊し予定の建物がまだ残り、更地になった場所も雑草が多い。

 復旧も復興も目に見える状況にはない。

 

 (道路拡幅:4車線化工事中)

 道路側に両側から倒壊した家屋等が道路を塞ぎ、緊急車両の通行もままならない状況であった。

 道路の拡幅が急務とされ、一気に4車線化の工事が始まった。

 用地取得等が終わったところから、工事が進められている。

 ただ、虫食い状態の工事のため供用開始は予定通りになるかは、何とも言えない。

 私も5年前の今日、朝のTVニュースの電話インタビューを受けて、「大丈夫です」等と結構強気の発言をしていた。

 前震の震度7では、室内の物が倒れたり食器が割れたりしたが、ライフラインは通じていたし、テレビ等で情報も入手出来ていたのだ。

 ところが、深夜の1時過ぎの本震は、おなじ震度7でも桁が違った揺れ方で、個人的に震度8を新設したいくらいの揺れだった。

 町の交流情報会館のロビーの床に、地震の揺れ方の偏移図が掲示されているが、東西1.5m~2m・南北50cm~70cmくらいの幅で地面が動いた様子が描かれている。

 地表面に現れた断層は、震災遺構として保存され研究や教育等に活用される。

 

 (次々と同じ位置で屈折した田んぼの畦)

 直接目に見える形で、町内の数カ所に震災遺構として残されている。

 地震を引き起こした「布田川断層と日奈久断層」まだ歪みが開放されていない部分が残っている。

 地震前の確率では、むしろ残っている地域の方が確率的には高かったのだ。

 それら残りの断層の活動如何では、震度7クラスの地震がくることも想定しておく必要がある。

 コロナ騒ぎの陰で、震災5周年も霞んでしまいそうだが、ウイルスに負けず自然災害も時と場所を選ばない。

 列島の真下は、どこも断層ばかりなのだ。

 「車中泊やさしく照らす十三夜」・・・・しろ猫

 車中泊も飽きる頃の一句である。

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一面の青田をめざして廃土の除去を

2021-01-15 17:00:26 | 熊本地震
 地震の後の町の復旧は、優先順位に従って進められている。

 例えば崩落した堤防などは、優先順位的には極めて高い。

 ただ大きな河川の場合は優先順位が高くなるが、小さな川は応急土嚢のままの場合がある。

 そうした小さな河川も、合流部辺りでは工事が進捗しているらしく、堤防工事に伴う大型土嚢の撤収がなされていた。

 
 (土嚢の撤収作業)

 応急の土嚢を撤収しないと、堤防が設置できない。

 撤収した後は、梅雨などの大雨が降る前に堤防工事を終わらせなければならない。

 いろいろと手順がありそうで、難しそうである。

 
 (撤収した土嚢の集積)

 撤収した土嚢は、取りあえず一時保管場所に集積される。

 工事の途中でも、あるいは別な場所での出水の非常時対応のためには、直ぐさま使える状態で備えておく必要があるのだろう。

 
 (小型の土嚢集積場所)

 中小の河川が合流する地域なので、あらゆる場所の非常時に即応するため、河川の近傍に数カ所こうしたの土嚢集積場所がある。

 被害が軽微な内に迅速に対応するための、小型の土嚢が常設されブルーシートで覆われ所要の表示がしてある。

 この他、田んぼ道などを歩いていると、彼方こちらに盛り土が見られる。

 
 
 (廃土の山)

 地震直後の崩れた部分や、建物の擁壁の工事などに伴う廃土が多量に発生した。

 その土を置く場所として田んぼが活用され、その結果田んぼの彼方こちらに小山が出来上がった。

 ただし、田んぼは個人の所有地なので有償で借り受けるという形になる。

 地震からもうすぐ5年がやってくる、田んぼは本来の目的に現状復帰する必要にせまられている。

 
 
 (現状復帰のための廃土の除去作業)

 この廃土を除去して現状に復旧させるため、重機が投入され運搬のダンプが列をなす。

 一箇所が終われば、次の箇所と次々と現場は移動する。

 
 (廃土撤収が終わった田んぼ)

 廃土を運搬以前に、元々田んぼにあった肥沃な土壌の部分は一箇所にまとめられている。

 運んだ後の、凹んだ部分にはもう水が溜まり始めていた。

 この辺りは地下水位が高いのだ。

 この窪みを含めて、水平を取り均一に元の土を均す作業が行われる筈である。

 こうして、一つ一つ山が崩れ元の田んぼに帰っていく。

 出来れば震災後5年を迎える今年の夏には、青田が一面を覆って欲しいものだ。

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益城町の今を歩いて見る

2020-12-25 11:45:57 | 熊本地震
 年賀状・柳誌の校正・機関紙の編集・大掃除・買い物PAT-1等がトントン拍子に進捗して、自分で驚いている。

 例年より早く、頭の髪の毛でも手入れしようと散髪へ。

 と、言うのも散髪屋さんの方から電話があって、年末は早く店を閉めたいとのこと・・。

 

 早速誘いに乗って、散髪に出かけた。

 随分昔の話になるが、暮れの散髪屋さんは大忙しで、除夜の鐘が鳴り終ってもまだお客の髪を切っていたものだ。

 何でそんなに押し迫って散髪にくるのかと、子供こころにも不思議だった。

 コロナや自然災害に見舞われて、気持の上でもパッとしない一年だった。

 行動を阻害する事象が次々と発生すると、復旧・復興作業にも影響を及ぼすが、それでも復興は続いている。

 
 (完成した体育館)
 
 地震直後から、多くの避難者でごったがえした体育館も、建て替えられた。

 
 (橋梁の架け替え)

 町の橋梁の半分以上が壊れて、現在はあと2~3箇所を残して掛け替えが進んでいる。


 
 (道路拡幅工事)

 両側の民家や商店が道路に崩落し通行を阻害し、緊急車両の通行もままならなかった狭隘道路は拡幅工事実施中。

 あと5~6年で4車線化工事完了予定だが・・さて。

 
 (解体撤収される仮設住宅と復興住宅の一つ)

 復興公営住宅の建設が終わり、町内にあった仮設住宅団地は現在1箇所に縮小・集約されている。

 残った仮設団地の住民の中には、中心部の復興のための再開発事業の進捗待ちで自宅再建が出来ない人達も多い。

 
 (活断層:横ずれ断層)

 活断層の横ずれが、地表面に現れた貴重な場所として残されている。

 隣の畑も、その隣もという具合に畑の畦が同じ位置で屈曲している。

 町内にはこうした断層が地表面に現れた場所が数カ所ある。

 これらは震災遺産として後世に伝える計画である。

 次々と目の前で災害が発生し、コロナまで追い打ちをかけているので話題も霞がち。

 時々は、復興の現状を見つめながら明日を考えてみたいものである。

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菜園の去年今年

2020-12-05 11:47:12 | 熊本地震
 去年のブログを見ていてると、毎年同じ事を繰り返しているなと思う。

 退屈しないのかというと、これが不思議と退屈しない。

 花壇だったところに野菜を植えたり、花の間に野菜を植えたりするので、通りがかりの人が珍しげに覗き込む。

 花談義だったり、野菜談義だったりが始まったり、だったりまったりで、面白いといえば面白い。

 去年は猫対策で面白かった。

😹とネット作戦

 朝から庭の小松菜の発芽の様子を見に行った相方が、ぶつぶつ言いながら家に入ってきた。 「隣の猫が菜園の小松菜付近の土をほじくっている」と言うのだが、現場を目撃したわけではないか......


 今年もちょっとした、トラブルもあったが取りあえず穏便に解決出来た。

 
 (菜園の現況)

 相変わらず1本のトマトが、圧倒的に存在感を誇示している。

 現在まで10個ほど食べたが、相方の目測によるとあと100個くらいはぶら下がっているらしい。

 今でも花が咲き続け、実も増えているので正確な数は分らない。

 野菜の間に、ひょろひょろと背の高い葉牡丹と、手前には頂き物の「ネモフィラ」なるものを植えた。

 ネモフィラなど、猫の一掻きで根っこから抜けそうなので、周りにスダレをカットしたものや枯れた小判笹などを敷いた。

 
 (小ねぎ)

 ネギは種と苗の両方を植えたが、直ぐに猫が活躍し始めたのでネットを張った。

 防鳥ネット等と言うが、我が家の場合は防猫ネット。

 苗で植えた小さなネギは、ネットの編み目から顔を出して伸び始めている。

 除草もままならず、と言うか、さぼっているのでネギと同じくらい成長している。

 このくらい成長すれば、猫も入らないのでネットを除去して収穫や草取りを楽にした方が良さそう。

 
 (サトウキビ)

 頂いた2節×2本を、教えられた保存法のとおり土に埋めて越冬させたら、忘れてしまってそのまま春先に1本発芽した。

 その段階で、保存していたことを思い出したありさまで・・。

 台風で倒れたり、いろいろあったが現在は3本が大きくなりつつあり、更に脇から2本くらい芽を出している。

 沖縄などでは冬になると、収穫が始まり製糖工場が忙しくなったりするが、我が家ではいったい何時収穫になるのだろう。

 子供の頃は、サトウキビを畑に植えてあるのを見たが、先端から穂が出て色づいて暫くすると切り倒していたものだ。

 30センチくらいにカットしたものを、怪我をしないように気をつけながら皮を剥いてガリガリと囓っていた。

 絞って飴や砂糖を作る家庭もあったが、もう遙か昔の話だ。

 庭に出てゴソゴソやっていると、やがて件の猫が何やってんのとやってくる。

 

 直ぐ横は、隣家の駐車場で猫の監視活動の拠点になっている。

 地震の後、境界のブロックをお互いに低くしようと話がついて、もっぱら猫の散歩道として使われている。

 温暖化も困るが、やたら寒い冬も御免被りたいのが正直なところ。

 昨日誕生日を迎えて、また一回り大きく成長した私と、冬に向かって大いに食べた猫は、パンダのように成長しつつある。

 お互い、厳しい冬を楽しく乗り切りたいものである。

 「身長の測定時には胸を張る」・・・・しろ猫

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足の裏が鋭敏に

2020-11-30 17:12:49 | 熊本地震
 昨日サッカーの試合前に、スタジアムの周辺を歩いて気がついたことがある。

 補助競技場のフイルドの外側の歩いていると、靴底に伝わる地面の凹凸が感じられたのだ。

 
 (補助競技場)

 芝が密生して長目の所は感じないが、少し密生度が薄く短めにカットしてある部分にそれを感じる。

 微妙な凹凸感で、例えは適切ではないが、ブツブツと直径5~10センチくらいの泡だったものがそのまま固まった感じ。

 丸い敷石が一面に敷き詰められた上を、運動靴で歩くときの足の裏の触感という表現が近いかも。

 平らな芝の上を歩く感じとは違うのである。

 この感じは、秋津川の河川公園の芝生の上を歩くときも感じた。

 
 (河川公園の芝の遊歩道)

 雑草の根が張って、株の部分が盛り上がってそう感じるのかとも思った。

 こうした感じは以前は無くて、地震後に歩けるようになって以降のことである。

 広い芝生なら直ぐ傍の、総合グラウンドはどうかと試してみた。

 
 (総合グラウンド)

 少し傾斜をつけてある観覧席スペースの芝生は感じないが、平坦な部分になると同じように凹凸が感じられた。

 何故凹凸に敏感になっているのかと言えば、我が家の庭がそうだからである。

 庭の南側はほぼ全面に芝を張っている。

 自分で地ならしをして芝を植えたものである。

 庭は良く歩くし、芝刈りもやっかいだが続けていたので感触は分っている。

 ところが、地震の後は足の裏に凹凸感を覚えるようになった。

 相方に言うと、毎日洗濯物を干しに行く彼女も足の裏にぼこぼこ感じると言い始めた。

 前後左右の地震動で、地面が波打ったのかも知れない。

 地震の後、家の基礎部分にある犬走りと言われる部分より、庭の土の方が上になるほどだった。

 その時点では、家が基礎部分から真下方向に沈下したと思っていた。

 しかし、今では揺れによって、地面の方が波打ち盛り上がったと思うようになった。

 無意識に歩いていても、ちょっとした足の裏の違和感が地震後の感触と対比させてしまう。

 誰に言っても真剣には聞いて貰えそうもない、足の裏の地震の副作用なのである。

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「刻のかけはし」展を見る

2020-11-26 10:27:39 | 熊本地震
 益城町交流情報センター(ミナテラス)では、正面の展示スペースで「刻のかけはし」展が催されている。

 益城町教育委員会の主催で、大分県立歴史博物館交流展「いにしえのおおいた」も併せて展示されている。

 震災からの文化財の修復・保護等において大分県立歴史博物館から専門職員の派遣を受け震災直後から協力を得ている縁である。

 
 (刻のかけはし展)

 震災に当たっては、沢山の文化財が被災した。

 反面、復旧・復興の過程で建物内から発見されたもの、あるいは復興工事前の事前土地調査等の過程で多くの遺構が発見された。

 その遺構から新たに埋葬・副葬品や生活土器等が発見されている。

 
 (古代の土器・副葬品等の展示コーナー)
 
 (古文書等やいにしえのおおいた展示コーナー)

 展示品の一つ一つを見ると、縄文時代からつづく人々の暮らしが垣間見えてくる。

 
 (人形土器)

 ちょっと可愛い表情の土器で、土偶などとも異なって中が空洞で酒などの液体を入れることが出来る構造らしい。

 様式から弥生時代のものと推定されているが、使用法等についてはハッキリしていないとか。

 
 (鉄剣)

 痛みがひどかったため、大分県立歴史博物館の協力で、防錆・保存処理を施して貰った直刀型の鉄剣。

 
 (発掘された副葬品)

 古墳時代の石棺から、男女の人骨と共に勾玉や銅鏡などの副葬品も発見されている。

 このほか、町の各所から遺構が発見されている。

 
 (豊臣秀次の朱印状)

 400年の長きにわたり、水野家に代々伝わった古文書が教育委員会に引き継がれ一部が公開された。

 その中には、豊臣秀吉・秀次の知行(領地)の授与などに関する貴重な資料も含まれる。

 
 (いにしえのおおいた展示ブース)

 三角縁神獣鏡や銅剣、その他歴史資料が展示されている。

 この他、神社などの崩壊に伴う解体作業の過程で、多くの貴重なものが屋根裏などから発見されている。

 道路の建設、復興の区画整理、役場や復興公営住宅等の建設前には、遺構の調査が行われた後に建設が始められる。

 震災からの復旧・復興を通じて救われた文化財があり、或いは新たに発見された文化財もある。

 こうした先人からのメッセージを、「刻のかけはし」として後世に残していくことが重要だろう。

 どうやら遺構などの多い地域のようだから、民間の建設業者にも施工に当たっては、ある程度の意識が必要だろう。

 「工事音止めば聞こえる昼チャイム」・・・・しろ猫

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秋には灯りがよく似合う

2020-10-21 11:23:32 | 熊本地震
 昨夕ウオーキングに出たら、三日月が出ていた。

 2日前の夕べの月は、とても細くていわゆる眉月というものだったのだろう。

 帰ったら写そうと思っていたら、帰り着いた頃はもう地面に隠れていた。

 昨夜の三日月は綺麗だった。

 
 (月齢3.3の月)

 南の空には、木星も出ていた。

 この頃、目立つ明るさである。

 
 (木星)

 火星も、東の空のかなり高い位置に見られるようになった。

 先日までは、ウオーキングが終わる頃、やっと東の空に出始めていたのだが。

 
 (ナイターで野球の練習)

 刈り残した田んぼも、あと僅かになったがナイターの光が刈り取られた田んぼを明るく照らしていた。

 ついつい、灯りのある堤防沿いの道から田んぼの道に降りて歩きたくなってしまう。

 光は、特に秋の季節のよい夜は、光のイベントが各地で催されるが、今年はコロナで中止が多い。

 去年の今頃に催された、水灯りのイベントをブログでアップしていたものがメールで送られてきた。
「満月」と「熊本城・光のイベント」と「ラグビーワールドカップ」と盛り沢山の夜は更けて・・・。

 お城まつりと「水あかり」のイベント当日は、熊本城で空を見上げてはじめて満月だと分かった。 光のお祭りに協力して空からも月が応援してくれていた。   地上の光と、空から......

 コロナの無かった去年と、今年の違いを如実に実感させられる。

 こうした楽しいイベントも、コロナによって中止せざるを得ないのだから残念しごく。

 コロナが仕掛けた、世界規模の生き方を変えるイベントに否応も無く参加させられている。

 コロナ後がいつ来るのか、見通せない世の中になってしまった。

 「やり直す時間はあるか聞いてみる」・・・・しろ猫

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収穫の秋

2020-10-10 12:31:42 | 熊本地震
 やや雲が多いものの、陽が射すこともある。

 やや冷えていた朝の空気も、だんだん蒸してくるようになっている。

 田んぼでは稲刈りが始まった。

 緒に就いたばかりで、全体の1割にも満たないが、これからどんどん作業は進むのだろう。

 

 一面に広がる黄金の波といった感じで、人影は殆ど見えなかった地帯に突然コンバインや動く人影が見えるようになった。

 遠くからでも、白い物が見えたりするが、あれはきっと白いサギだろう。

 機械に追い立てられた昆虫などの餌を求めて、コンバインについて回る野鳥は今の時期の風物詩。

 雀などの、落ち穂などが目当ての鳥はまだ来ていない。

 稲刈りが終わる頃に、見逃された落ち穂をついばみに群れを成してやってくる。

 

 なだらかな里山の麓には、そうめん滝と名付けられた湧水池がある。

 滝と言うにはあまりに小さいもので、高さは1mにも満たない。

 横に広がる地層の、同じ高さの部分から水が湧き出して流れ池を作っている。

 その水は生活用水となり、田んぼを潤す水ともなる。

 この地域の農家から、穫りいれが終わると新米が届けられる。

 銘柄など聞いたこともないが、とても美味い。

 子供達がいた頃は、30Kg入りを5袋くらい届けて貰っていたが、二人だけになって4袋に減らした。

 年に数回子供達が遊びに来るので、その都度精米して持たせてやっていた。

 今年はコロナで、お互いを訪ねないことにしているので、米の減りが少なく現在でも1袋半くらい余っている。

 これに、新米を同量届けられると当分古い米を食べることになりそう。

 今年は3袋くらいで事前連絡しておこうかと思っている。

 

 車庫の屋根の下のピラカンサスの実も色づき始めた。

 冬に真っ赤になって、鳥たちを誘うピラカンサスの実は秋の深まりを思わせる。

 本日の気温は、30度近くになっている。

 秋真っ盛りの稲刈りと、初冬へ向かって色づき始めたピラカンサス、そして現実の30度。

 どうやら日本の四季も、再構成が必要なのかも知れない。

 「控えめに飯が炊けたと炊飯器」・・・・しろ猫

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