熊本地震から、ちょうど5年が経過した。
昨日(4月14日)の午後9時過ぎに「前震(震度7)」があって、明日(4月16日)と言っても今夜の続きの午前1時過ぎに「本震(震度7)」に襲われた。
孫が誕生し、九州新幹線の開業セレモニーが行われる予定の前後だった。
相方はお産の手伝いで隣県に行っており、私一人の時の大惨事だった。
あれから5年が経ったが、町の復旧・復興の現状は如何に。

(避難所となった体育館)
天井が崩落し使えなかったが、瓦礫を除去した後、内部は避難所として、駐車場は車中泊として利用された。
その後、基礎部分に問題が発見され、去年から建て替えられて、現在使用されている。

(災害公営住宅)
災害公営住宅が、町内の各所に建設され、仮設住宅等で生活を余儀なくされた人達が入居を開始した。
町内各所にあった仮設住宅も、一箇所に集約されているが、まだ400名以上の方が仮設に入居中である。
町中心部付近の、災害に強い町作りのための区画整理の進捗が遅れ、自宅再建を待たされている人も多い。

(橋の架け替え工事)
橋の架け替えはかなり進捗している。

(役場の建設予定地の整地作業)
元の位置に建設が決まって、現在基礎工事のための整地が行われている段階。
これから、震災直後と現在の姿を対比させてみよう。

(我が家に近い、惣領地区の震災直後)

(復旧した県道と町並み)

(地震直後の住宅街の道路)

(擁壁等の工事が進められている現状)

(一番被害の大きかった宮園地区の地震直後)

(復旧工事と、町の新しい区画整理事業と道路拡幅等が同時に進められている)

(震災後の様子を象徴した建物と車)

(道路拡幅に伴い、少し後退した位置で復興した建物と車)
町の中心部で、被害の一番大きかった宮園地区は区画整理事業のため、取り壊し予定の建物がまだ残り、更地になった場所も雑草が多い。
復旧も復興も目に見える状況にはない。

(道路拡幅:4車線化工事中)
道路側に両側から倒壊した家屋等が道路を塞ぎ、緊急車両の通行もままならない状況であった。
道路の拡幅が急務とされ、一気に4車線化の工事が始まった。
用地取得等が終わったところから、工事が進められている。
ただ、虫食い状態の工事のため供用開始は予定通りになるかは、何とも言えない。
私も5年前の今日、朝のTVニュースの電話インタビューを受けて、「大丈夫です」等と結構強気の発言をしていた。
前震の震度7では、室内の物が倒れたり食器が割れたりしたが、ライフラインは通じていたし、テレビ等で情報も入手出来ていたのだ。
ところが、深夜の1時過ぎの本震は、おなじ震度7でも桁が違った揺れ方で、個人的に震度8を新設したいくらいの揺れだった。
町の交流情報会館のロビーの床に、地震の揺れ方の偏移図が掲示されているが、東西1.5m~2m・南北50cm~70cmくらいの幅で地面が動いた様子が描かれている。
地表面に現れた断層は、震災遺構として保存され研究や教育等に活用される。

(次々と同じ位置で屈折した田んぼの畦)
直接目に見える形で、町内の数カ所に震災遺構として残されている。
地震を引き起こした「布田川断層と日奈久断層」まだ歪みが開放されていない部分が残っている。
地震前の確率では、むしろ残っている地域の方が確率的には高かったのだ。
それら残りの断層の活動如何では、震度7クラスの地震がくることも想定しておく必要がある。
コロナ騒ぎの陰で、震災5周年も霞んでしまいそうだが、ウイルスに負けず自然災害も時と場所を選ばない。
列島の真下は、どこも断層ばかりなのだ。
「車中泊やさしく照らす十三夜」・・・・しろ猫
車中泊も飽きる頃の一句である。

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