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◆皇位継承者夫婦が銃弾に倒れる 第一次大戦の引き金「サラエボ事件」は何故起こったか

2019-04-16 04:10:44 | Weblog

1914年6月28日に起きたサラエボ事件は、サラエボを訪れていたオーストリアの皇位継承者フランツ・フェルディナント大公が、妻ゾフィと共に、南スラブ解法を目指すセルビア人の青年によって銃弾を浴びせられて死亡した事件だ。
事件の後、オーストリアはセルビアに宣戦布告すると、ドイツ、ロシアが参戦。
更にイギリス、フランスも加わって未曽有の世界大戦へと発展する。
実はこの事件には、大きな疑惑が囁かれている。 何と事件の裏で、大公の母国であるオーストリアが糸を引いていたのではないかというのだ。

*セルビア人過激組織の青年による暗殺事件  
暗殺事件の主犯は、18歳のセルビア人ブリロ・プリンツィプというのが定説だ。
彼は、オーストリア領へと編入されたボスニアを解放することを目指すセルビア人過激派組織「黒い手」のメンバーだった。とはいえ、彼らの目的はボスニアを独立させることではない。ボスニアにはセルビア人が多く、彼らはバルカン半島のセルビア人を統合して、「大セルビア」を実現することを狙っていたのである。 オーストリアは、この事件の1ヵ月後、セルビアに対して宣戦布告し、これを切欠に、ヨーロッパ列強を二分する世界大戦へと突入して行くのである。

*皇位継承夫妻は、宮廷内で疎まれていた?  
しかし、事件が起きたのはボスニアであって、セルビア国内ではない。この事件によってオーストリアがセルビアに宣戦布告する理由はなかったのだ。そこから、セルビア政府を潰そうと開戦の口実を探っていたオーストリアが、宣戦布告の切欠を作る為に、皇位継承者夫妻暗殺のシナリオを描いていたのではないかという説が浮上しているのだ。本来なら、自国の皇位継承者を暗殺させるなど、あり得ない話だ。ところが皇位継承者フランツ・フェルディナントは、当時のオーストリアの宮廷内の多くを敵に回していたのである。皇位継承者であるにも関わらず、彼が城で働いていた身分の低いゾフィ・ホクテと恋に落ち、周囲の反対を押し切って強引に結婚してしまったからだ。 誇り高いオーストリアのハプスブルク家にとって、皇位継承者の妻は、カトリック教国の王女か、自国の最上級貴族出身でなければならなかった。しかし、ゾフィは、古い家柄の伯爵令嬢ではあったものの、既に落ちぶれていた、非常に貧しい家の出身だったのである。その為、フランツ・フェルディナントが皇帝になっても、ゾフィは皇妃にはなれず、2人の間に生まれた子供は皇位継承権も得られないという厳しい状況に置かれることになった。そうした背景から、ゾフィは夫と共に公務に携わることも許されていなかったのだが、このボスニアへの視察だけは同席を許されていたのである。

*危険な地域に「対策もなく送り出した」のは何故か?  
当時のバルカン半島は民族運動が活発で、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるほど政情が不安だった。そうした情勢下での視察は非常に危険で、実際、セルビア政府からオーストリア政府に対し、テロ組織がフランツ・フェルディナント暗殺を計画している可能性があるという警告も発せられていたのだ。 しかし、オーストリア側は何一つ対策を行なわず、夫妻を送り出し、危惧されていた通り、あっさり暗殺されてしまった。これはあまりにも不自然だ。 果して皇位継承者暗殺の裏には、セルビアとの開戦と邪魔者の排除という願いを一度に実現するという、一挙両得を狙ったオーストリアの陰謀があったのか? もし陰謀だったとして、この事件を計画した人物は、まさかこの事件がヨーロッパを未曽有の惨禍に引きずり込むことになるとは、夢にも思っていなかっただろう。


フランツ・フェルディナント・ゾフィ夫妻と子供たち


サラエボ事件の暗殺現場を描いた新聞の挿絵


サラエボ事件を巡る思惑


                世界史ミステリー
                  その事件は仕組まれていた?黒すぎる「陰謀」のミステリー

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