沢木耕太郎が藤圭子に長いインタビューをした
「流星一つ」
彼女の引退のわけを知りたくて、
長時間インタビュー。
しかし、なぜか(彼女と恋愛関係になったとの説も)
30年以上封印されていた本です。
藤圭子が自死したあと、
「彼女の輝いていたときを娘さんに
知ってもらいたくて」刊行~~。
伊豆の友人の部屋に行ったとき、
本棚に沢木耕太郎の本が並んでいました。
彼の本は若い頃、ほとんど読んだのですが、
「人の砂漠」のなかの「おばあさんが死んだ」
「テロルの決算」
「キャパの十字架」
「壇」~~。
どれも鮮明に覚えていますが、
この「無名」(新潮文庫)は未読。
彼の父親を描いたものですが、
なぜか手が出なかった。
読んでみると、とにかく面白い!
いま手元にないのですが、戦後に没落した人で、
職を失い、とにかく貧乏。
それでも三人(だったと思う、
違っていたらあとで訂正します)の子どもを持ち、
それでもどうにか生きていけた、
そんな時代。
その貧しさはどのくらいのものかといえば、
「お金がなくなるとご飯に塩、つまりおにぎりを
作って食べるだけ」
でも沢木氏、
「それがやたらとうまかった」
とまったく屈託がない。
卑屈さもコンプレックスもなく大きくなり、
大学には自分で行き、
就職に大手の銀行に通ったものの、
その初出勤の途中で辞めた~~、
で、ノンフィクションライター。
いわゆる団塊の世代ですが、
まったくその匂いがない。
群れない~~、
大学闘争にも無縁~~、
そんなことしている余裕がなかったから?
前置きが長くなってしまいましたが、
「無名」を読んでまた彼の著書を読みたくなり、
未読の「流星ひとつ」を。
火酒をいっぱい、またいっぱいと重ねるうち
胸のうちを開いていく藤。
彼女は芸能界というか、自分の周りに寄ってくる人に
大きな不信感を抱き、それが精神のタガを狂わせて
いったといいますが、
その原因はやはり「お金」でしょうか。
人気者になったら、いろんな人がタカる。
そして返す人はほとんどいない。
それは金銭の問題より、
人間不信につながっていった。
「~私はね、財布に一万円あれば一万円使うし、
百円でなければそれでいいの」
と藤がいえば、沢木は
「お金なんて、あるときに使えばいいし、
なければなくていい」
「~~みんな、必要なときになくて
困っているじゃない」と藤。
「いや、金なんていらないのさ、
金はあるにこしたことはないというけど、
ないにこしたことはない」ときっぱり。
「そんなことはないよ。~~私はね、もう絶対に
人にお金は貸さないんだ」
「沢木さんは甘いんだと思う。
~世の中の人はもっと嫌らしくて汚いよ~」
沢木と藤の周りにいる人の違い、が浮き彫りに
なっていきます。
というか、見る視点が違う。
いい人もいれば、嫌らしくて汚い人もいるのが
世の中。
どっちを見るか、どうとらえるか。
芸能界にいれば、とにかく稼げるじゃない」
という人がいるなかで、
「~~私はいやなんだ、贅沢のために
居たくないところに居る気はしないんだ。
居たくないことに気づいたんだ」
興味のある方は聞いてみてください。
一度頂上に上り、そこで見たもの、
経験したことに翻弄された一生。
「私の頂上には何もなかった~~」
何もなかった、というより嫌なことも
多かった~~?
引退の理由はもちろんそれだけではなく、
興味ある方は読んでみてください。
それでも、その輝きはなくならない。
沢木耕太郎のように
「お金なんてないにこしたことはない」
と言える人が今どれだけいるのか。
ずっと豊かになった世の中なのに、
だからこそ、いろんなモノを欲しがってしまう
私、たち~?
自戒を込めて彼の本を再読するつもり。
というわけで、
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