いつも検査に行っている病院の、とても信頼している
医療関係者の方が、
「次の予約はちょっと先になるのですが~~」
と仰るので、旅行にでも行くのかとおもったら、
「実は弟の腎臓がよくないでの、腎移植をする」とのこと。
びっくりする私に、
「~~年の離れた弟で~~。
私のほうの(腎臓は)とても機能がいいんです」と
にっこり。
その方は40代で、独身。
とても信頼できる人で、その人がいるから、
その病院に行くほど。
いつも優しく親身で気遣ってくれる。
弟はA型、彼女はAB型、
「弟、誰からももらえるんですね」
ご自分の腎臓機能がいいとはいえ、
二つある腎臓が一つになるのは、
これからの人生、リスクを背負って生きることに
なるのは確か。
調べてみると、
腎臓提供したドナーの腎機能は70%から75%になる。
「摘出によって、透析や移植が必要な
腎不全となることはまれだが、
高血圧や蛋白尿認められることもあり、
わずかでも悪化しただけで、心臓病や慢性腎臓病に
進む可能性がある」とのこと。
自分の命を弟に分け与えるようなものですね。
その話を聞いてから、ずっと、
「私だったら、家族のためにそれできるか?」と
問い続けています。
子供のためなら~~、
できる??~~かもしれない??
本当か??
でも、移植しなければ命がないとなれば~~。
では、
兄弟、姉妹のためにできるか??
この話を聞いて、ドナー移植のために生まれた
ノーベル賞を受賞した、カズオ・イシグロ氏の
「私を離さないで」という作品を思い出しました。
かつて福祉関係にも携わっていた彼は、
ドナーの悲しみや葛藤を見て、
この作品を書いたのかもしれません。
あくまで推測ですが。
移植を決意したその方に、
いたずらに感情移入することは避けますが、
無事を祈って、二か月先の予約をしました。
「~~何かあるかもしれませんから、その前に
電話いれてくださいね」という彼女の言葉に
覚悟と複雑な感情を感じました。
無事な手術と退院を祈るばかりです。
健康であることのありがたさを
つくづく感じます。
いつも応援ポチ
ありがとうございます。
「家族なんだから提供して当たり前と言うのはやめるべき」とおっしゃっておられたのを思い出しました。私なら娘にはあげられる。弟にもあげられる。で、旦那は?と言うとうーーん、どうかなぁ?と言うと怒るかな?
他人から見たらハゲ散らかしたデブのオッサンでも母のお腹にいる時からずっと楽しみに生まれてくるのを待ち受けたいたと言う点で弟は娘と同じ箱に入ってるんですよ。でも夫は箱の外…その時が来てみないとわからない。
反対に自分が移植受けないといけないとなったら娘からなら要らないです。まだまだこれからだから。でも弟がくれると言ってくれたらもらっちゃうかも。旦那からは貰う!……夫婦ってやっぱり他人かも。
思い内容なのにコメントありがとうございます。人生を諦める、ということがどういうことなのかはわかりませんが、深い愛を感じることは確かです。他人への表向きではない気遣いにあふれた人で、人の苦しみを自分のこととして受けとめる人なんですね。まして家族なら。こういう人だからこそできた選択なのかもしれません。
いつもながらの本音トーク、感謝します、
「家族だから当たり前」という考え方があるんですか?それはNGでしょう。ドナー待機者、結構いらっしゃるようです。お金がある人は海外から(秘かに)買う場合もありますね。亜雅紗さんの本音の言葉に賛同する方も多いでしょうね。「家族箱」の中と外、という認識、とても興味を持ちました。夫婦も他人なら兄弟も他人の始まりといいますものね。私、兄弟の場合は、その家族に任せると思います。