修聖、子供の頃(小学高学年から中学頃)、家の庭に、カマボコ板を割り、柱となして土に打ち、その上に古瓦を乗せて屋根となし、向かって右に神の宮、左に佛の堂を造り、神の宮には、石を御神体にし、小さい幟(のぼり)も立て、佛堂は、自ら彫った小さな佛像を祭り、僧の人形を作って堂の中に入れ、遊んでいる様を、庭木の中から、白髪白髯の老神と、龍宮系の女神が見ておられる様が見えました。
(注 長じて神の御用をせねばならぬ、先がけの型をさせられたのであろう。
老神は塩土翁、女神は龍宮の乙姫であろうか。
自らは何とも思わず、神様遊びをしていたが、人から見れば変わった子と見なされたのであろう。
世界平和や、縁ある人の倖せを祈っていたと思う。
佛像は今も何体か残っている。)
次に但馬の神鍋山の上空に、金勝要神の神霊石(みたまいし)をくわえた金勝龍が舞っていました。
(注 昭和五十年十月五日、神鍋山の噴火口より、金勝要神の神霊石出ずる。
金勝要神は金龍とも変化される。
昭和五十一年十月十日金龍に縁のある蘇武ケ岳神業、麓の龍ヶ丘の磐座に金龍が祀られている。)
次に海から昇る太陽の光を受け、冠島(男島)の老人島(おいとじま)神社の前に、出口直刀自、出口聖師、出口澄様、出口直日様、三代おそろいで、参拝されて、聖師は、パッと日の丸の扇を開かれました。
そして次に籠神社を拝されました。
(注 男島は太陽神の天照国照彦火明命降臨の神島である。
即ち日の出の神であり、その神を祀る籠神社である。[りゅうぐうのおとひめひのでのかみとあらわれるせかいのとどめのことであるぞよ]との筆先があるが、艮の金神国常立大神の神意を実らせるのが日の出神と龍宮乙姫であり、丹後男島女島、沖縄の久高島等も同じ理が型に見せられているのである。)
(地のみろく神、天照国照日の出神、沖縄ではアマミキヨ)