「おかあさん、この花は何だか知っとる?」
いつの間にか母が私のそばで花を眺めている。
「わからん。こんな奇麗な花は見たことないねえ」
「これはブーゲンビリアっていう花だよ」
「ぶうげんびりあ?」
「そうブーゲンビリア。伊良湖岬のフラワーセンターとか
行った事があるだら?あそこにはあったかもしれんけどね。
日本でも沖縄とか南のほうに行くと咲いとるね」
母は花が好きだった。家の軒下にプランターや植木鉢を並べて、いろんな
花を育てていた。ひまわりが咲いていたこともあった。夏にはあさがおが
咲いていた。最近は身体の具合も悪くなってしまったので、花も枯れた
ままになってしまっていた。
「このブーゲンビリアの花はねえ、この赤いところが花だと思うだらあ。
それが違うだよ。赤いところは、ほうと言ってね、葉っぱの一部なんだね。
そいで花は真ん中にある小さな白っぽいところ、これが本当の花なんだね」
と私はついさっきインターネットから得たばかりの知識をひけらかす。
「よう知っとるだねえ。あそこにあるのは、ピンクじゃなくて、赤だったり
白だったりするけど、いろいろな色のがあるだねえ。みんな同じ花かん」
私はそこまでは調べがついていなかったので、ちょっと戸惑った。
「まあ、いろいろあるだねえ。人生いろいろ、ブーゲンビリアもいろいろ」
と言ってしまったが、ちょっと軽薄ではなかったかと後悔が残った。
「シンガポールは奇麗な花がいっぱいあっていいねえ。見た事もない珍しい
花がいっぱいある」母は嬉しそうに花を眺めている。
「そいでも桜とか、あじさいとか、あさがおとか、あやめとか、藤の花とか
ないのが残念だよね」
と言いながら、渥美病院がまだ今の場所に移転する前、庭に小さな藤棚が
あったのを思い出した。お見舞いにいった私に、藤の花が奇麗にさいてお
るで、見て行きんよと母が言っていた。
「菜の花もシンガポールにはないね。田原が市になって、市の花が菜の花
になっておったの知っとるかん」と私は母に訊ねた。
「それはしらなんだね。菜の花かん」
「3月にぼくが病院に行ったとき、病院の周りの畑は菜の花が奇麗に咲いて
おったよ」
「ふーん、私は目がよう見えんし、窓のところにも行けなんだで、
わからなんだね」
「天気がよくてねえ。黄色い菜の花がとても奇麗で...」
私は母の葬儀のとき、棺の中に横たわっていた母に、みんなで花を添えて
あげた。母の身体がまるで花園のように奇麗に覆われていく。「よかったねえ。
大好きな花をいっぱい入れてもらえて」と母に言おうと思ったら涙でつまって
声にならなかった。棺の中の母は穏やかに横たわり、なんだかとても喜んで
いるんじゃないかとさえ思えた。
さっきまで、ブーゲンビリアの花に触ろうとしていた母が見当たらない。
「おかあさん。おーい、おかあさん。どこ行った?あれ、おらんの?」
周りをみまわしても、母の姿は見あたらなかった。
いろんな花が咲いているので、あっちこっち勝手に見てまわっているの
かもしれない。
まあいいや、またどこかで会える。そう思って、私は家に帰った。
いつの間にか母が私のそばで花を眺めている。
「わからん。こんな奇麗な花は見たことないねえ」
「これはブーゲンビリアっていう花だよ」
「ぶうげんびりあ?」
「そうブーゲンビリア。伊良湖岬のフラワーセンターとか
行った事があるだら?あそこにはあったかもしれんけどね。
日本でも沖縄とか南のほうに行くと咲いとるね」
母は花が好きだった。家の軒下にプランターや植木鉢を並べて、いろんな
花を育てていた。ひまわりが咲いていたこともあった。夏にはあさがおが
咲いていた。最近は身体の具合も悪くなってしまったので、花も枯れた
ままになってしまっていた。
「このブーゲンビリアの花はねえ、この赤いところが花だと思うだらあ。
それが違うだよ。赤いところは、ほうと言ってね、葉っぱの一部なんだね。
そいで花は真ん中にある小さな白っぽいところ、これが本当の花なんだね」
と私はついさっきインターネットから得たばかりの知識をひけらかす。
「よう知っとるだねえ。あそこにあるのは、ピンクじゃなくて、赤だったり
白だったりするけど、いろいろな色のがあるだねえ。みんな同じ花かん」
私はそこまでは調べがついていなかったので、ちょっと戸惑った。
「まあ、いろいろあるだねえ。人生いろいろ、ブーゲンビリアもいろいろ」
と言ってしまったが、ちょっと軽薄ではなかったかと後悔が残った。
「シンガポールは奇麗な花がいっぱいあっていいねえ。見た事もない珍しい
花がいっぱいある」母は嬉しそうに花を眺めている。
「そいでも桜とか、あじさいとか、あさがおとか、あやめとか、藤の花とか
ないのが残念だよね」
と言いながら、渥美病院がまだ今の場所に移転する前、庭に小さな藤棚が
あったのを思い出した。お見舞いにいった私に、藤の花が奇麗にさいてお
るで、見て行きんよと母が言っていた。
「菜の花もシンガポールにはないね。田原が市になって、市の花が菜の花
になっておったの知っとるかん」と私は母に訊ねた。
「それはしらなんだね。菜の花かん」
「3月にぼくが病院に行ったとき、病院の周りの畑は菜の花が奇麗に咲いて
おったよ」
「ふーん、私は目がよう見えんし、窓のところにも行けなんだで、
わからなんだね」
「天気がよくてねえ。黄色い菜の花がとても奇麗で...」
私は母の葬儀のとき、棺の中に横たわっていた母に、みんなで花を添えて
あげた。母の身体がまるで花園のように奇麗に覆われていく。「よかったねえ。
大好きな花をいっぱい入れてもらえて」と母に言おうと思ったら涙でつまって
声にならなかった。棺の中の母は穏やかに横たわり、なんだかとても喜んで
いるんじゃないかとさえ思えた。
さっきまで、ブーゲンビリアの花に触ろうとしていた母が見当たらない。
「おかあさん。おーい、おかあさん。どこ行った?あれ、おらんの?」
周りをみまわしても、母の姿は見あたらなかった。
いろんな花が咲いているので、あっちこっち勝手に見てまわっているの
かもしれない。
まあいいや、またどこかで会える。そう思って、私は家に帰った。
ムッシューの母上、お花いっぱいの花畑で少女のように走り回ってしまい、まだお花と戯れていらっしゃるのでしょうね。
落ち着いたら、お仕事宜しくお願いしますよ。(名刺)
おっしゃるように、親孝行はできる間にしたいものだと思ってます。
私もこちらに来ている間に色々なことがありましたが、一日一日大事に過ごしていれば、、、と後悔の無いような生活をすごすことを心がけるよう、スタッフにも言ってます。
ゴトウさん、静岡県西部ご出身だということだと、言葉は東三河とほとんど同じですね。名古屋弁はまたちょっと違う言葉です。いずれにしても、ありがとうございます。