南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

喫茶店で勉強する青少年

2006-10-29 21:46:36 | シンガポール
日本では、まず見る事ができないことですが、シンガポールで
は、喫茶店や、ファーストフード店、フードコートなどで、
中学生くらいの年齢の子供達がグループで勉強している光景を
よく見ます。この上の写真は、チャンギ空港の第二ターミナル
にあるコーヒー・ビーン。ケーキを食べながら、一生懸命勉強
しているグループがいます。今日の午後、空港に行ったら、こ
こだけでなく、スターバックスでも、マクドナルドでも、パシ
フィック・コーヒーでも、勉強しているグループがいました。

空港のお店は、けっこう奇麗だし、何となく落ち着けるので、
私も用事もないのにたまに来てしまうのですが、勉強のために
空港を利用する若者たちはかなりいると思われます。日本だと、
用もないのにわざわざ空港まで勉強しにでかけるということは
ないと思うのですが、シンガポールでは地下鉄(MRT)駅も
繋がっているので、わりと気軽に来ることができます。

勉強している若者たちは、空港だけでなく、いろんな場所で見
ることができます。日本では考えられない牛丼の吉野家(シン
ガポールの吉野家はずっと牛丼が食べられていました)でも、
若者たちがテーブルを占拠して勉強しているのを見ることがで
きます。フードコートのテーブルも例外ではありません。

彼らの大半は、HDBという公団住宅に家族と一緒に住んでいる
ので、家の中では集中して勉強できないのでしょうか、それと
も仲間と一緒に勉強したほうが勉強しやすいのでしょうか?
仲間で一緒のテーブルを囲んで、とくに話し合っているという
わけではなく、かなり集中して勉強しているようなのです。

日本では、人前に勉強する姿をさらすということはあまり考え
られません。図書館とか、そういう場所は例外ですけど、喫茶
店とか、ファミレスで、一生懸命勉強している学生は見た記憶
がありません。

私が学生だった頃もそうでしたが、勉強している姿を人前にさ
らすことは日本ではあまり格好のいいことではないという雰囲
気がありました。学校ですら、授業時間以外に教科書を開くと
いうことはありませんでした。一生懸命勉強すると、「ガリ勉」
として蔑まれ、勉強しないことのほうが好意的な目で見られる
というへんな風潮がありました。

日本では、学習塾が発達しているので、そういう場所で集中し
て勉強するのでしょうが、それ以外の場所で勉強していたら、
それこそ「いじめ」に会ってしまうかもしれません。日本は、
つくづく勉強するのには環境がよくないんだなあと思います。

総理の安倍晋三さんは1954年生まれなので、私と一つしか違
ないのですが、育ってきた時代背景がかなり共通しているので、
共感できる部分もかなりあります。安倍内閣は教育改革という
ことを一つの大きな柱としています。文春新書の「美しい国へ」
(安倍晋三著)を読んだのですが、この最終章の第七章が
「教育の再生」というテーマでした。

この中で安倍さんは、ゆとり教育の問題点について指摘し、
学力の向上が急務であると述べています。私が高校の頃から、
ゆとりのための課外活動が教科に組み入れられました。これは
これで意味のあることだったのかもしれませんが、全体的な
雰囲気としては、がむしゃらに勉強することは、全く勉強をし
ないことよりも悪いことであるという風潮が蔓延していました。

「学校以外の勉強時間はどのくらいか」という調査のことが、
安倍さんの本の中で紹介されています。日本の高校生の45%が
「ほとんどしない」と答えているそうです。アメリカは15%し
かないのに、日本の勉強嫌いの比率はダントツです。日本は、
勉強ができるようになることよりも、クラスのみんなに好かれ
ることを最優先しているそうです。こうなると国際的な学力
低下は必然です。

「ゆとり教育の弊害で落ちてしまった学力は、授業時間の増加
でとりもどさなければんらない。内容の乏しいマンガのような
教科書も改めたい。そのためには、学習指導要領を見直して、
とくに国語、算数、理科の基礎学力を徹底させる必要がある」
と安倍さんは、語ります。しかしながら、単に授業時間を増や
すということだけでなく、勉強することが決して悪いことでは
ないのだというムードを作っていくことが重要だと思います。

しかし、政治が教育の重要性をとりあげることはよいことだと
思います。これまで教育はメインの課題ではありませんでした
ね。「ダメ教師には辞めていただく」と安倍さんは、言ってい
ます。ここで日本の教育が少しでもよい方向に変わることがで
きれば、それは非常によいことです。

なんてことをシンガポールの若者を見ながら思うのでした。