南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

旧正月の休みの最終日

2006-01-31 15:05:29 | シンガポール
こんなに長い休みはどうして過ごしたらよいのかと心配
していたくらいなのですが、気がついたらあっという間に
最終日を迎えていて、多少の焦りを感じております。
この休みの間には、いろいろ溜まっていた仕事も片付けな
いといけないと思いながらも全く手がつけられず、ブログ
もどんどん更新できるかと思ったらそういうこともなく、
だらだらと過ぎ行く時間をただ呆然と見送るばかりで、
まったく情けない結果となりました。

しかしながら、生産性はきわめて低かったのですが、のん
びりとできたという点においては、まあよかったと思って
おります。静寂の4日間でした。

昨日と今日は、近くのイーストコーストパークに行って
ジョギングをしてきました。と言っても、30年くらい走って
いなかったので、なかなか長いことは続きません。すぐに
息が苦しくなってしまうので、少しずつです。海岸のビーチ
沿いの道を走ったり、歩いたりするのは気持ちのよいもの
です。

上の写真は、本日のイーストコーストパークの風景ですが、
海沿いにテントがいくつも見えました。たぶんマレー系の人
たちなんでしょうが、彼らは旧正月はただの長い休みという
意味しかないので、この休みの間、この海辺でキャンプをして
いたのかもしれません。何か気持ち良さそうでした。

キャンプと言えば、以前、屋久島にロケで行ったとき、山の
中で何泊かキャンプしました。テントを張ってキャンプして
いたら、台風が来ていて、テントが吹き飛ばされそうになり
怖くて寝られませんでした。屋久島の山の中で転々とキャンプ
したのですが、時々雨が降っていて結構大変でした。台風の後
で川の水が増水していて、川を歩いて渡るときに膝くらいまで
水に浸かってしまうので、防水の靴とか履いていても全く意味
がありませんでした。昔の戦争の時は雨の時とかさぞかし大変
だったのだろうなあとその時思ったものでした。

話は戻りまして、シンガポール。イーストコーストはかなりの
人がぶらぶらと時間を過ごしていて、平和な空気が漂っていま
した。犬の散歩をしている人、ピクニックシートを敷いて日本
の花見のようにみんなで食事をしている家族、ギターを弾いて
いる男に合わせて歌を歌っているフィリピン系の男子グループ、
ローラーブレードをおそるおそる練習している中国系の中年の
オヤジさん、ただぶらぶら歩いているインド人の家族、海水浴
をしている子供を見ながら波打ち際に足元まで水に浸かりなが
ら立っている白人の夫婦、昼寝をしているマレー系のおばさん、
自転車を一生懸命こいでいる中国系の男の子...そこでは
みんながゆっくりと時間を過ごしていて、ひょっとしたら、
平和というのはこういう風景のことを言うのだろうかと思いま
した。

日本にいると、平和の風景というのはあまり意識したことが
ありませんでした。花見の時期は平和な雰囲気はするのですが、
酔っぱらいがいたり、喧嘩があったりで、完全な平和というの
とは違う気がしました。旧正月の間のイーストコーストの風景
は、平和そのもので、酔っぱらいは皆無で(マレー人などのイ
スラム教徒は酒をのみません)、またいろんな人種が混在して
いても、ギスギスしたところがなく、喧嘩をしている人を見か
けません。日本だと、同じ民族でありながら(同じ民族だから
こそ?)殺伐とした雰囲気になってしまっているように思えた
りするのでした。

イーストコーストで今日、こんな光景を見ました。中国系の
家族が自転車を楽しんでいるときに、小学生低学年くらいの
男の子が転んで足首あたりを怪我をしたようなのです。お父さ
んがその子を抱えてきて、ベンチに寝かしていました。それほ
ど大した怪我ではなかったのですが、足首が出血しているのか、
ハンカチを縛り付けていました。母親がベンチで男の子のそば
にいて心配そうな顔をしていました。男の子のお姉ちゃんが
遅れて自転車を引っ張ってやってきました。そこにたまたま
インド人の労働者風青年が自転車で通りかかりました。青年の
一人はビニール袋に氷を持っているようでした。どっかで使う
ものだったのでしょう。インド人の青年たちは、自転車を降り
て、ベンチの男の子のところにさっと駆けつけ、「怪我は氷で
冷やすのがいい」と言って、自分が持っていた氷のビニール袋
をまるごとその母親にあげたのです。母親は躊躇していたので
すが、インド人は、「遠慮することはない。これで冷やして」
と言い捨てて、また二人で自転車で去って行きました。

明らかに、その二人のインド人と中国人家族は知り合いでは
なく、たまたま通りすがりのようでした。その光景を見て、
インド人って何て親切なんだろう、人が困っているときには
なりふり構わず助けるという姿勢に感動しました。

インド人の親切さ、義侠心を見るのは、実はこれが最初ではあり
ません。今月インドに出張しているときに、車で移動している
時に、反対車線でバイクが事故にあったようでした。私たちの
車の前を走っていた車が急に止まり、路肩に車を寄せたかと思う
と、その青年運転手がいきなり車から走り出て、反対車線で事故
で倒れている男のもとに走りより、抱きかかえて向こうの歩道に
運んだのです。向こうの歩道からも、何人かの義侠心のある男
たちが協力して怪我人を助けようとしているのが見えました。
インド人の行動力ある親切心に感動しました。正義の味方という
のは、単に親切な心を持っているだけでなく、このインド人の
ような決断力と行動力を持っている人のことを言うのだなあと
その時思いました。

私たち日本人は、このような事態に遭遇しても、なかなか勇気
ある行動が取れないものです。見て見ぬ振りをするということも
多いです。シンガポールでは、人が困っているとすぐに行動に
移す人をたびたび目撃します。それはインド人だけでなく、
マレー系であったり、中国系であったりするのですが、老人に
電車の座席を譲るというのは日常茶飯事で目撃します。そういう
のを見ると、反省してしまいます。日本人は思いやりがある国民だ
というのが全く事実に反していると思ってしまいます。我々日本人
はアジアの人々の思いやりと行動力に学ぶところが大きいという
のを改めて感じる今日この頃でした。

同じ人種だからという理由ではなく、知り合いだからという理由
ではなく、困っている人がいて、自分が何かできるとわかったら
即座に行動に移すという態度こそ我々が見習わなくてはいけない
ことではないでしょうか。シンガポールにいると勉強になります。

4 コメント

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そのインド人はもしや仏教徒では? (へいたらう)
2006-01-31 18:28:51
以前、テレビで世界版どっきりカメラをやっていたのですが、アメリカ人、イタリア人、タイ人、ブラジル人の各家庭にカメラを仕掛け、奥さんが「大金を拾った!」と言うときのダンナの反応を撮っていたのですが、皆、大喜びで、当然のように「ネコババ」しようとしてましたが、その中にあって、ただ一人、タイ人のダンナだけが、「警察へ届けなさい。」と言ってました。

奥さんが、番組スタッフからの指示で、「使い込もう。」と言ったら、「おまえ、本気で言っているのか!」と色を為す始末。

私は感動さえ覚えました。



もちろん、この方がタイ人すべてではないでしょうが、タイ人には、この手の話をよく耳にします。

インド人の中にも、少数でしょうが、まだまだ、仏教徒がいると聞きました。

シンガポール辺りのインド人は、ヒンズーに逐われた仏教徒が多い・・・なんてことはないのでしょうか?
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仏教徒のインド人? (南の国の会社社長)
2006-01-31 19:20:28
へいたらうさん、コメントありがとうございます。タイ人の話は面白いですね。まあ人によるんでしょうが。インドに何度か行って思ったのですが、ヒンズー教は宗教というよりも生き方に近いもので、他の宗教に対しての排他性が少ない傾向があります。以前、ブッダのことをちょっと研究しようと思ったとき、仏教とヒンズー教の境界線の曖昧さみたいなことを思いました。どちらもフュージョンのようなところはあります。イスラムとか、キリスト教は宗教のために戦争をしますが、仏教や、ヒンズーは仏教の場合はあまりそういうことがない気がします。一向宗とかはありましたがあれも宗教の教義というよりも別の問題のような気がしますよね。よくわかりませんが。
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はじめまして。 (ゴトウ)
2006-01-31 22:27:47
南の国の会社社長さま、はじめまして。

実は私も昨日までシンガポールで旧正月を過ごしていました。中国系シンガポーリアンの夫の家族や友人たちと楽しい時をもちました。私も去年からブログを始めたばかりで、日本で小さな会社を経営しています。よろしかったら遊びにいらしてください。TBさせていただきますので。
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ゴトウさま、ありがとうございます。 (南の国の会社社長)
2006-02-01 00:24:01
コメントありがとうございます。

ご主人がシンガポーリアンなのですか?!旧正月の間は、天気も比較的よくて、よかったですよね。ゴトウさんのブログは先ほど訪問させていただき、コメントを残させていただきました。私の妻の下町娘はドリアンが大の苦手で、写真を見るだけで鳥肌がたってしまうようです。今後ともよろしくご贔屓のほどお願い申し上げます。
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