自然のシャワーを浴びながら:パート2

定年後の主人と晴歩雨読の日々。同じタイトルのニフティのブログ の続きです。

夏から秋へ

2021-08-26 | 日記
陶芸サークルの帰り、実りの秋を感じる光景に出会った。
稲の穂がたわわに実っていたが、鳥よけなのか鳥の鳴き声がスピーカーから絶えず流れていた。
大きな鳥の凧も風に泳いで鳥よけの役割を果たしていた。
根がらみ前水田付近を散策したら懐かしのホオズキがあった。
それからこんな西洋的な花も咲いていた。
こっちは和風な花とでも言おうか。
この前まで咲いていたと思った大賀ハスの花、まだちょっとは残っていた。
でも大部分は実に変わっていたがちょっと見た目には不気味な感じ。
ところが健康食品として昔から食べられていたんだそう。
調べたらむくみ予防、疲労回復効果、胃腸の機能を高める効果とかあるそうだ。
季節は確実に夏から秋へと移行しつつある事を実感したひと時。
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長崎市内観光

2021-08-26 | 日記
やはり壱岐対馬辺りは台風の影響で今日も大雨との予報。
私の決断力(ケツ弾力)がよかったからお天気を気にすることなく、今日は長崎市内観光へと出かけた。
風が吹いて意外と涼しくて観光には持って来いの気候だった。
でも時折雨が降って傘をさしたり閉じたり。
まず浦上天主堂には行ったけど、大浦天主堂には行ってないと相棒が言うので大浦天主堂へ。
チンチン電車に乗って乗り換えたりして、大浦天主堂に到着。
子供の頃何度も乗った事のある路面電車、今はスイカで乗り換えてもオール130円。
両替機も車内にあるし、路線は変わっていないけど、この50年位の間に進化していた。
大浦天主堂への急な坂道の両側には、異国情緒たっぷりのショップが並んでいた。
目的の大浦天主堂は残念ながらコロナ禍で臨時休業中だった。
当然ステンドグラスがキレイな内部は入れず……。

大浦天主堂は19世紀の開国後に、外国人宣教師によって建てられた日本に現存する最古の教会。
ユネスコの世界遺産であり国宝指定。
大浦天主堂近くに「祈りの三角ゾーン」という案内板があり、気になって行って見た。
その場所は大浦天主堂、妙行寺、大浦諏訪神社という、教会と寺と神社が接する場所だった。
なるほどね、それで祈りの三角ゾーンというわけで、諏訪神社にもお参り。
グラバー園も臨時休業中で私が行ってた頃の入り口が出口になっていた。
そして今の入り口からはエスカレーターが付いているのが見え、文明の利器のお蔭で年をとっても行けると……。
グラバー園は昔はグラバー邸と呼んでいたが、スコットランド出身の貿易商グラバー氏の旧住宅。
国内に現存する最古の木造洋風建築で、子供の頃は毎年行ってたのだが……。
坂道に並んでいるショップもみんな閉店で、ひっそりかんとしていていた。
外観を外から眺めて港方面の眺望を楽しんだ。
稲佐山ロープウェイで夜景を見に行った事もあった稲佐山が真正面に見えた。
3か所目はきらびやかな孔子廟。
ここも入場できず隣接するアパートの外階段を5階まで上がって。
孔子像を祀る大成殿までに前庭には、等身大の賢人像72体がズラリと並んでいるそう。
この派手派手さを見て一瞬中国へ来たみたいな気になった。
中国歴代博物館も内部に併設しているそうで次回のお楽しみに。
続いてブラブラと坂道を上ったり下りたりして、オランダ坂へとやって来た。
昔長崎の人は東洋人以外の外国人を「オランダさん」と呼んでいたそうだ。
そのオランダさんが歩いていたからオランダ坂と名付けられたという。
東山手12番館など、かつて外国人居留地だった頃の名残が感じられる一帯だった。

坂道を下って湊公園でちょっと一息。
まるで上海にある公園のような雰囲気の公園だった。
湊公園からは新地中華街へと続いていた。
中国へワープしたような異国情緒たっぷりの街並み。
新地中華街もほとんどのショップが閉店していた。
ランチをしている中華料理店は開いていたが、ランチを食べるにはまだ早くて……。
けばけばしいほどの中華料理店の店構えに、ここはやはり上海?北京?
横浜中華街と同じように幾つも入口があって、コロナ禍でなければ賑わっていたはず‥‥と。
道路にも中国らしさが至る所で見られたその一部。
出島へは以前行った事があったが、のんびりと中島川に沿って歩いてみた。
鎖国時代ヨーロッパに開かれた唯一の窓口だったのが出島。
よくよく出島を1周してみたら扇型をしていて、これが人工島だとは今回初めて知った。
入植したのもポルトガル人が先で次にオランダ人だという。
前回は中に入って観光したが、今日は入れないから周りをぐるっと回ってみた。

するとオランダ人の商館跡とか巨木・デジマノキがあった。
オランダ人がジャカルタから日蘭交流の印に贈ったという木だった。
出島からいったん長崎駅まで路面電車で戻り、駅近くの日本26聖人殉教地へ。
豊臣秀吉の禁教令により26人のキリシタンが殉教した丘へと坂道を上った。
今では聖地として崇敬され、国際的な殉教地になっているとか。
子供もいたようで日本人20人と外国人宣教師6人が……。
日本26聖人記念館も隣接していたが、ここも休館中だった。
キリシタン弾圧の歴史が分かる記念館だったけど残念。
すぐ近くに聖フィリッポ教会、日本26聖人記念聖堂として建てられていた。
スペインのサグラダファミリアのような奇抜な教会でビックリ。
お昼近くになったのでランチ、長崎と言ったらちゃんぽんでしょうというわけで。
長崎にも新幹線がいよいよ乗り入れるようで、2024年オープンを目指して工事中だった。
すでに駅ビルは一部で来ていたがまだ機能していなかった。
ランチ後まだ電車の時刻まで時間があったので、奇抜な教会の近くに見えた観音様を探しに行った。
丘の上にあったのは長崎観音という亀の背中に乗った観音像だった。

壱岐の島からのジェットフォイルとの兼ね合いで、帰りのフライトは夜便にしていた。
だから時間が余ったけど……福岡空港でウロウロ。
ラーメン滑走路なんていう横丁があって、もちろん軽く博多ラーメンを食べて。
10軒以上もあるラーメン専門店で迷ったが、相棒が一番客の入りがいい店に決めた。
やっぱり豚骨ラーメン旨い!
ナイト東京を空の上から見下ろして。
遠くにスカイツリーのライトがオリンピックカラーで輝いていた。
ミリオンダラーの夜景とでも言おうか。
お天気に翻弄された帰省だったし、観光地も閉館や閉店だらけで残念だったけど、コロナ禍が落ち着いたらまた……。




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佐賀から長崎へ

2021-08-25 | 登山ハイキング
古湯温泉で迎えた朝、別ルートで朝の散歩を楽しんだ。
佐賀には全国でも珍しく恵比寿さんが88か所あるそうで、街角のあちらこちらで見られる。
ダム放流中なので嘉瀬川が昨日同様にゴウゴウと音を立てて流れていた。
この恵比寿さんは徐福温泉恵比寿さん。
温泉街には足湯も。
佐賀のお米「夢しずく」を釜で40分炊いたそうで、朝食もしっかりと完食。
とってもアットホームなお宿で、女将さんとその息子、娘さんらに見送られて別れを告げた。
佐賀駅にもマスクをした恵比寿さんがいた。
母の姉がいた長崎へは子供の頃、夏休みに佐賀から蒸気機関車で毎年通っていた。
トンネルが多くて汽笛がなると、慌てて窓を閉めていた事を懐かしく思い出した。

長崎に到着後タクシーでお墓参りし、その後有名な観光地・眼鏡橋へ。
結婚後何度も相棒と一緒にお墓参りしているが、ほとんど日帰りばかりで…。
眼鏡橋へは行った事がなかった。
でも中島川にかかる石の橋、2連アーチの橋なのは知っていた。
実際に行って見たら中島川には眼鏡橋の他、いっぱい橋がかかっていてメチャ驚いた。
それに東京の日本橋、岩国の錦帯橋と並んで、日本3名橋の一つだという。
玉川上水道にかかる日光橋(福生)を2回見に行ったが、ちょっと似ているかも。
辺りの雰囲気は眼鏡橋には勝てっこないけど。
長崎の観光地のナンバー1だと言われている眼鏡橋から、川に沿って幾つも橋を見ながら散策。
川風が心地よくて河口への最後の橋まで歩こうかと思った位。

タクシーの運転手さんとの会話で美味しい居酒屋を教えてもらった。
夜は迷わずその店へ行って、贅沢盛り焼きでホタテ、イカ、エビ、ホッキ貝、ミル貝の串焼きなど。
お客さん達が競うように海の幸を焼いて食らいついていた。
壱岐で食べるはずだったウニも、ウニよごし寿司とやらをオーダーしてやけ食い?
やっぱりつまみが美味しいとビールもついつい行けちゃう。
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お天気には勝てない

2021-08-25 | 日記
先日の北アルプスでは台風接近の為、予定変更を余儀なくされた。
そして今月2回目の予定変更は、向かう旅行先と突然発生した台風が一致してしまった。
朝起きてテレビで天気図を見た時、もうこりゃダメだと。
そんな噓でしょ、ナンタルチア・サンタルチア、なんでやねん!
義兄の1周忌の翌日から長崎県・壱岐の島へ出かける予定だった。
ジェットフォイルやホテルの予約など、バッチリ準備OKだったのに……。
3年位前からイキにイキたいと思っていたのに、イキそこなったイキの島でイキ消沈。
11時からの法要へ移動中の車内で、スマホで壱岐関係の予約すべてのキャンセル。
そして帰りのフライトまでの2日間をいかに過ごすか、これも車内でパパッと決めて予約を入れた。

法要の後、何回も行ってるが近場で泉質がよい古湯温泉へ。
温泉旅館が14軒あり半分くらいは宿泊しているが……。
嘉瀬川に沿った温泉地で何でも徐福が発見した温泉だとか。
温泉地を散策していたらダム放流中という目立つ看板や、宮の淵という急流の場所も。
それから川沿いに斎藤茂吉の歌碑があった。
石畳の温泉街は派手さはないけど、蝉しぐれの中冷やっこい空気の中散歩。
立地条件が福岡からも近いので、佐賀と福岡からマイカーで来ているファミリーが多かった。
彦山大権現という神社があったが、今まで見た中で一番古い歴史がある神社かも。
我らが今回宿泊した宿は来年120周年を迎えるという。
全国にある飲める温泉は20%位しかないそうだが、古湯温泉のは飲めるそうだ。
ぬる湯でずっと入っていても、のぼせなくて、♬ いい湯だな ♬
旅館の入り口に珍しい赤い実がなっていて、何の木の実か気になっていた。
そしたらデザートの桃シャーベットに赤い実が付いて来て、ヤマボウシの実だと分かった。
白い特徴的な花が咲くヤマボウシにこんな実がとビックリ。
美味しいとも言えないが別に不味くもなかった。
懐石料理はどれも美味しくて完食。



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密かなフライト

2021-08-25 | 日記
コロナ禍にあって県をまたいでの移動は自粛とのお達しが出ている昨今。
8月21日密かに機上の人となって帰省した。
相棒の兄の1周忌の為に揃って九州・佐賀へ。
去年はワクチン接種無しの状態で、冠婚葬祭やお見舞いで相棒は6回私は3回帰った。
そして今年はなんだかんだ言っても夏休みだから、人の移動はやはり多かった感じ。
機上から下界の景色を楽しんでいたが、数分であっという間に辺りは真っ白になってしまった。
佐賀空港は九州で一番ラストに出来た空港で、有明海の潟に上に1本の滑走路があるだけ。
九州佐賀国際空港なんて恥ずかしい名前が付いているが、今は上海からの便はずっと欠航中。

法事の前日佐賀入りし毎回妹夫婦と飲み会をして来た。
これまで毎回帰るたびに山の格好をして帰り、妹からどっちがメインで帰ってきよっと?(帰って来てる?)と。
九州の百名山はもとより英彦山、宝満山、多良岳、背振山、天山等登ってきた。
登りたい山が無くなって温泉三昧に以降しつつある現在。
海の幸や次々と出てくる料理に舌鼓を打ちながら、最後の締めの鍋をも完食。



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