自然のシャワーを浴びながら:パート2

定年後の主人と晴歩雨読の日々。同じタイトルのニフティのブログ の続きです。

キノコファミリー

2021-08-20 | 登山ハイキング
今日は山頂から小作方面へと歩いたが、その途中でキノコファミリーを4つ見つけた。
キノコの名前が不明だけど、仲良しファミリーという感じで生えていた。
ニョキニョキと出て来たって感じで。
茎の部分キノコでは柄というけど、赤っぽい模様があって初めて見た。
何だかおかあさんといっしょて感じで仲良く。
3つ目のキノコファミリーは小さいオレンジ色のキノコたち。
朽ちた落ち葉の間からニョキとみんなで出て来たばかりかも。
こっちのキノコファミリーも下方に子供たちが育っていた。
どの位の日数で大人のキノコになるのかな。
番外でケーキのようなキノコあり。
ソフトクリームのようなキノコも。
特大サイズのキノコも発見したが、食べれたらいいのになあ。
堰下橋から見た多摩川の流れは、昨日同様に水しぶきをあげて流れが速かった。
山頂近くの羽村神社からの眺望は今日もハッキリクッキリ。
山野草の名前が分からないのが悔しいかな。
ちょうど咲き出したばかりの白い花で、山頂までにたくさんあった。
この花も……。
昨日の昆虫はカメムシの仲間かも。
今日も昆虫・白と黒の模様入り虫を見つけたが、勝手にパンダ虫と命名した。
長老のW氏がカメムシの仲間だというので、検索したらたくさん出て来た。
探しながら見ていたら気持ち悪くなった。
帰りに通った場所に私好みの花・キツネノカミソリが咲いていた。


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長雨の後

2021-08-19 | 登山ハイキング
秋の長雨のような1週間が過ぎようやく晴れた。
澄んだ青い空にまるで大鳥が翼を広げて飛んでいるような雲が浮かんでいた。
浅間岳へ登る前に、多摩川の水が増水しているだろうなと見に行った。
案の定ゴウーゴーーと音を立てて勢いよく流れていた。
このなげわたし堰は普段はこんなに水量が少ないと写真が貼ってあった。
こんなに水嵩が増している多摩川はひょっとして2018年の大雨以来かも。
ついでに多摩川の水の流れについての案内板でフムフムと勉強。
意外と知っているようで知らないのだった。
玉川上水道も今までにない水量で満々と流れていた。

浅間岳登山道にもどこからか水が流れていて滑りやすかった。
山頂仲間はみんな1週間ぶりだと言って、いつものように雑談に興じていた。
ひとり福生方面のスカイツリー展望台へと歩いた。
長雨ですっかり空気中の塵芥(ちりあくた)が洗われていて、空気もいつもより新鮮に感じられた。
お蔭でスカイツリーや都心のビル群がよーく見えた。
真夏にこんなに遠方の景色がクッキリハッキリと見えるなんて珍しい事。
盛んに蝉が「まだ夏は終わってませんよー」と大合唱していて、煩いくらいだった。
長雨の後だけにキノコもあちこちで見かけたが、今日のベスト3のみ画像アップ。
やっぱりタマゴダケみたいなキノコだけど、赤じゃなくて真っ白だ。
ちょうど生まれたてのようなチビは、親子キノコあるいは兄弟キノコかも。
直径何ミリかのメチャちっこいキノコもあった。
果たしてどの程度まで大きくなるのか今後また見届けなきゃ。
3つ目はこの食べれそうなキノコ。
私の嫌いな虫が目に留まってしまった。
はーちゃんがザリガニとかカブトムシとか家で飼っていると言ってた。
捕って行ってあげたい気持ちはあれど、虫が掴めないから無視して通り過ぎちゃった。
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日没

2021-08-18 | 読後感
今まで桐野夏生の小説はあまり読んでこなかった。
グロテスク、OUT、だから荒野、顔に降りかかる雨くらいかな。
日没は表紙からしてモノクロで陰気臭くて……。
ちょっと不気味な内容でもあり……。
ラスト15行でえっという結末になり、ちょっと意外だった。
言葉や自由を奪われると人は心までも喪われるのか?と感じた。
暗く閉鎖的なストーリーで雨の日に読むんじゃなかった。
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海外に思いを馳せて

2021-08-17 | 日記
初めての海外旅行の記録を読んでて、今までの旅行でゲットしたパンフが残っていた事を思い出した。
帰国後写真整理をしてブログを書いたら、パンフはお払い箱にしていたのだが。
コロナ禍で海外旅行は59カ国でストップしたまま。
もう一度行きたい国クロアチア、ハイキングとかして自然を満喫したいな。
次女と行ったクロアチア・プリトビッチェ国立公園では、ゆっくり散策したい。
ブレッド湖にもまたボートで行って、雄大な景色と一体化したい。

地中海とアラブ世界、アフリカ文化が出会う国・チュニジア。
エキゾチックなメディナ(旧市街)の裏路地を歩いたり、巨大な円形競技場を見たりしたっけ。
中でも印象的だったのがビーチリゾートのシディ・ブ・サイド。
白い壁に映えるチュニジアン・ブルーの街並み。
青い空、紺碧の海、青い扉というチュニジアの3つの青の世界だった。

フランス、スペイン、イタリア、カナダ、アメリカ、モナコ公国などは2,3回訪れている。
カナダはバンクーバーはじめ夏の観光の他に、冬にオーロラを見に行った。
イエローナイフに4日間滞在し、ワンゲル後輩たちと昼間はそり遊びやショッピングで、夜はオーロラ鑑賞。
初めて見るオーロラはカーテンが開くようにササーッと音がした。
防寒具でしっかりと身を固めてたので寒くはなかった。
一生に一度は見たいと思っていたからメチャ感激だった。
(約20年タイムスリップ)

中国にはまず北京に2回、上海2回、西安や九寨溝、黄龍へも行った。
最初は相棒と北京、それから中国語サークル仲間(女4人)で北京、上海、西安など。
2度目の万里の長城よりも兵馬俑が印象に残った。
当時兵馬俑を発見したというおじさんが生きていて、お土産物屋で働いていた。
こんな発見をしたのに普通の暮らしをしていた事が驚きだった。
(パンフより抜粋)

数年後にサークル仲間6人で上海、蘇州、七宝など。
九寨溝や黄龍はワンゲル後輩たちと行ったが、ベストシーズンでたっぷりの水の棚田で紅葉もよかった。

パンダもだっこできた旅だったが、思ったより重くてパンダを落っことしそうになった。
その九寨溝で名前を呼ばれて超ビックりしたが、初代の中国語の先生だった。
海外でしかも中国の奥地で、私を知っている人と出会うとは何という偶然。

ニュージーランドもワンゲル後輩たちと行ったが、目的のひとつにワンゲル後輩に会う事だった。
彼女の広い敷地には羊がたくさんいたが、ニュージーランドは人口より羊の数が多いと聞く。
現地のツワーでルートバントラックをハイキングしたりも。

オーストラリアにも2回行ったが、ひとつはタスマニア。
シンガポール滞在中2008年にホバートに住むドイツ人ベロニカに会いに行った。
その時現地ツワー4泊5日に参加してクレイドルマウンテン等をハイキング。
まだ日本ではツワーがなかった頃で、ベロニカに現地ツワーの手配をしてもらった。
タスマニアデビルやカモノハシとか珍しい動物も見た。
もう1回はSちゃんとシドニー、ゴールドコースト、ブルーマウンテンズ国立公園など。

相棒が定年退職後はもっぱら二人で、退職記念のペルー・マチュピチュやボリビア。

その年の秋には家族5人での子供たち3人の生まれ故郷のドイツへ。
それからエジプトとトルコ、北欧4カ国、ポーランドとバルト三国、アメリカ西海岸。
相棒はまだ結婚する前ドイツからエジプトに一人で遊びに行ってたそう。
次女の結婚式を家族が集合してニューカレドニアでも。
お婿さんのご両親も一緒にプチ旅行が楽しめた。

台湾にも大学の後輩がいて遊びに行ったが、相棒が仕事していた時期に慰問(?)にも行った。
その時故宮博物院はじっくりと時間をかけて見て廻った。
特に有名な翠玉がとてもみずみずしく素晴らしかった。

語り尽くせないが2018年のアメリカ西海岸の旅。
相棒がずっと行きたかったラスベのカジノで、ルーレットなど遊べて満足していた。
ドイツのバーデンバーデンでカジノを楽しんでいた頃を思い出したようだった。
ルート66なるハイウェイをどこまでも走っても目的地に到着せず。
アメリカ大陸の広大さを思い知らされたのだった。

果たしていつになったら安心して海外旅行へ行けるのだろうか。
海外旅行の友Sちゃんと早く行きたいね…と。
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初めての海外旅行・思い出あれこれ

2021-08-14 | 日記
初めての海外旅行は昭和50年(1975年)、ワンゲルの同期5人でのカナダ・アメリカ西海岸20日間だった。
その20日間を克明に記録したノートが出て来たが、これも処分する運命にあり。
宿泊や乗り物の予約などすべて、自分達で手配した手作りの旅で、皆にとっても初海外だったという旅行。
そして帰国後はみんなが文章を持ち合って、ドーヂー旅行記にまとめた。
ドーヂーは私たちが旅先でドジばかりしてたからで、名付け親は私。
卒業後50年近く経つのに未だに交際が続いているのだから、「同じ釜の飯」を食べた仲だからこそ。
楽しかった20日間、特にロスのディズニーランドに2日間続けて行って、夜中1時まで遊び狂った!!
今じゃ考えられないから、みんな若かったなーと……。
それからカナダ・バンフの有名ホテル「バンフ・スプリングスホテル」に宿泊した日が印象深い。
豪華なディナーをみんなでドレスアップして食べに行った事。
豪華絢爛なホテル内で、お姫様にでもなったような気分に浸って、眠ってしまうのが惜しかった一夜の事など。

手作りの旅だったからカナダでは、レンタカーを借りてドライブウェイを走ったり、
アグネス湖、ミラー湖、ルイーズ湖などの展望が広がる場所まで3時間ほどのハイキングをしたり、
エメラルド湖でみんな初めてのカヌーを漕いだり、
ボー川をいかだで3時間かけて下ったり、
コロンビア大氷原をスノーモービル(雪上車)で走ったり、連日遊びも冒険も満載だった。
記録ノートの中には食事のメニュー、飲んだワインの銘柄、値段なども詳細にわたっていた。
びっしりとその日の事を事細かく綴っていて、地図やパンフレットなども貼り付けて。
笑えるようなドジをやったりした事も随所に書かれていて、だからドーヂー旅行記となったわけだ。

当時はパスポートを取得するのにビザ申請の他にも、
銀行の残高証明書が必要だったり(渡航の支払い能力を立証する書類)や、
父の手書きの渡航に要する費用を負担する旨の保証書や、
父の手書きの観光旅行が終わったら日本へ帰国させることの保証書なども貼り付けてあった。
日本円が3万円までしか海外に持ち出せなかった事も。
いろいろとメチャ提出する書類が多くて、大変だったことを思い出した。

この初海外旅行は実は18日間の予定だったが、機材の関係で私たちが予約したフライトが突然なくなった。
それで2日間余計に遊べたと喜んでいたが、帰りのフライトで思いもかけず韓国・金浦空港に着陸となった。
何でそんな事になったかよく分からないまま……。
(45年位タイムスリップ)
でも何とか無事に羽田空港に到着し、20日間に及ぶ5人の旅が終わった。
そんなわけで旅の最後はシッチャカメッチャカだった。
未だに集まると思い出話に花が咲く。

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