自然のシャワーを浴びながら:パート2

定年後の主人と晴歩雨読の日々。同じタイトルのニフティのブログ の続きです。

自己満足の世界

2021-01-28 | 日記
男性には過去の栄光なんてものがあるようだが、今までほぼ専業主婦に近かった私にはそのようなものがない。
最近山道を歩きながら、考え事やら昔の事を思い出したりしている。
それだけたくさん生きて来たからなのか、はたまた年を取ったからなのか。

思い返せば自分の中では、よくやったと言えるイベントがいくつかあった。
奥秩父七峰縦走ハイキング大会(平成13年)がそれだ。
フルマラソンと同じ42,195キロの距離、それも7つの峰々を越えて歩く大会で過酷だった。
初めて参加した時はタイムアウトで山を下され、2回目の翌年は歩きながら食事をしたりして、10時間かけて完歩した。

多摩川50kmを1日で完歩した、多摩川ウオーキングフェスタ第2回(平成21年)も頑張ったと言える。
羽村の堰の玉川兄弟の像の前からスタートして、多摩川河口のガス橋近くのゴールまで8時間かかった。
翌年相棒たちと懲りずに31キロに参加して完歩したっけ。
山登りとは違った筋肉が疲労して翌日は大変だった。

2006年シンガポールに住みだした当初は、コンドミニアム内にプールがあって、毎日泳いでいた。
そのうち飽きて来て今度はコンドミニアム内のジムで走っていた。
でもベルトコンベヤーの上を走っていても景色は変わらないし、つまらなくなってきた。
そこで涼しくなった夕方から近くの公園や、カナールに沿った道を走りだした。
そしたらシンガポールマラソンがある事を知り、1年目に10キロマラソンに出場して完走。
2年目はハーフに出て完走した。
3年目にはフルに挑戦するつもりでいたが、帰国する事になり実現せず。
もしシンガポールで暮らしていなかったら、マラソンとは出会っていなかったはず。
帰国後も第7回南アルプス桃源郷マラソン(平成21年)など大会のいくつか走った。
でも今はハイキングオンリーになった。

山に関していえば私の中のベスト5はまず3776mの富士山(1996年)で、1回でご来光も拝めた。
そして剣岳、槍ヶ岳、穂高岳、標高第2位の北岳となる。
番外でマレーシア・ボルネオ島のキナバル山(4095、2m)登山も。
登ったのは相棒と、まだシンガポールに住みだして日も浅い2006年。
山頂途中の山小屋に宿泊して、翌朝ピーク目指して歩きだしたが、朝から雨だった。
ガイドが雨だったら行かないと言ってたが、そこをなんとかと拝み倒した。
ガイドなしでは登山の許可が下りないので、ガイドが見なかったことにすると言ってくれて。
というわけで途中からガイドなしで、二人だけでピークまで登ることになったが……。
メチャ嬉しかった!!
私にとって4000m越えの唯一の山がキナバルで思い出深い。

それから瀬戸内海のしまなみ海道約75kmを、Iさんとチャリで完走した事も。
2泊3日で観光を兼ねての走破だったけど、雨にたたられて……。
それでも楽しかった!

特に自分が何をしたわけでもないけど、ヨーロッパ大陸最西端に行った事も私の中では一大事。
2013年ポルトガル旅行の時のロカ岬がまさにそれ。
「陸尽き、海はじまる」と詠われ新世界を求め、未知の海へと繰りだした航海者たちの信仰心と冒険魂が
今尚脈打つ所」というのがロカ岬だった。
果てしないロマンを感じた岬だった。

日本一の富士山はやはり1合目から登ってこそ……とずっとこだわっていた。
1996年に登った時は5合目から歩き出し、山小屋に1泊して翌朝山頂へ。
その後はもっぱら富士山は眺める山になっていたが、2015年に1合目の富士吉田口から6合目まで歩いた。
これで1合目から山頂まで完璧に富士山を制覇したと言えるかなー。

どれもこれも自己満足に過ぎないけど、そんな自己満足の世界が持てて幸せかも……。
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