ぼくは神様でもないし、天使でもない。
悪魔になろうと思ったって、そうもいかなくて。
相変わらず、あっちへこっちへゆらゆら揺れて。
中庸なんていう便利な言葉に救われて。
自分の行動の規範がきちんと摑めるわけじゃなくて。
そんなぼくもミスをし、ミスをされ、凹むことや怒ること、
呆れることや泣きたくなることがたまにある。
今までの自分を振り返ると、最低で最悪で。
なんとも救いようがない自分だなぁ、なんて思ってしまうこともある。
でも、結局それが自分なんだよなぁ。
自分を凹ませるようなことばかり思っていたんじゃ、自分はいつまでたっても救われない。
何もかもが不確かで。
何もかも不透明で。
そんなときでも、見えてるもの、分かってるものは、自分だけ。
その自分を放棄してしまったら、ぼくは糸の切れた凧になってしまう。
口じゃどんなことも言える。
手じゃどんなことも書ける。
ふと思った。
もし、人生の幕が下りようとしたとき。
ミスや過ちをひたすら悔いるだろうか。
それとも、
笑いながら、拍手を贈れるだろうか。
ぼくの記憶は主観で構成されていき、ぼくの歴史は客観で構成されていく。
これといって、満足できるような立派なことをしたわけじゃない。
でも、いまのところ、元気に暮らしてる。
迷いながら、それでも、暮らしてる。
人と繋がれることの心地よさと、
人と繋がれることの不快さを、両極端に感じながら。
間違いを判断するのは自分。
正義を認めるのも自分。
当たり前のことだけど、流されてしまうことがたくさんあって。
そのたびに、そんな自分を嫌いになりかけて。
いまさら、何を怖がるかなぁ。
もう、自分は自分でしかないことぐらい、イヤというほど分かってるのに。
委ねた振りをするのはやめよう。
自分の体を動かそう。
まずは、この部屋の掃除から、はじめようか。
そして、煙草をやめよう。
きっと、掃除をしているうちに、ココロも一緒に片付いていく。