四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

石原産業 三重県 北川正恭 川田龍平

2009年08月19日 06時47分29秒 | 日毎起こること
石原産業と言えば、三重県の北川正恭元知事が思い浮かぶ。
杜撰な環境政策と企業へのバラマキ行政で三重はどう変わって行くことだろう。

知事ブームも衆議院選のためになりを潜めている。
お笑いタレントの知事も亀のように甲羅の中に首をひっこめたようである。
只単に恥をかいただけである。



碌でもない早稲田大学
つくば市の回らぬ風力発電で2億円の賠償命令を受けたことを言っているのではない。
人選をする場合に間違った選考方法を用いているからである。

学生がそういう教授たちを見抜かなければならないが、学生は教授のネーミングで集まるようなところもある。

早稲田にしろ慶応にしろ、野球やラグビーをやっているだけの大学なのかもしれない。
北川正恭は早稲田出身である。

しかし、北川正恭を三重県知事に勧めたのがジャスコの息子で民主党幹事長の岡田克也である。


* リサイクル製品の認定制度を充実させた。しかし、石原産業によるフェロシルト問題の誘引ともなった。
* 三重県知事時代にトップセールスによりシャープの工場建設を積極的に誘致した。亀山市とあわせて135億円の補助金を一社に提供し、2002年、シャープは亀山市に液晶テレビなどを製造する工場を建設すると発表した(参考、クリスタルバレー構想)。
* 廃棄物固形燃料によるごみの有効利用を推進した。しかし2003年に多度町の発電プラントで火災事故が起こり、作業員や消防士7人が死傷、サイロは解体に追い込まれた。県民の間では導入を急ぎすぎたとして非難の声も上がっている。初期工事費650億円を投じ、その後の追加工事費を含め1000億円以上費やした廃棄物固形燃料プラントRFDプラントは2016年廃止が三重県議会で発表されている。建設工事をおこない、メインテナンスを担当した富士電機は施工・メンテナンス実績が皆無であったことも事故の原因であった。北川の地元鈴鹿市に工場があり、天の声が下った怪しさが伊勢新聞に報道されている。

略歴 [編集]

* 1972年:三重県議会議員選挙に鈴鹿市選挙区から立候補し当選(連続3期)
* 1983年:衆議院旧三重1区から衆議院選挙立候補し当選(連続4期)
* 1990年:文部政務次官に就任。
* 1995年:三重県知事選挙に立候補し当選(連続2期)
* 2003年:三重県知事を引退。早稲田大学大学院公共経営研究科教授に就任
* 2009年:富士通社外取締役に就任



フェロシルト

まだまだ続く
川田龍平編



石原産業に絡む黒い手袋をした知事とは誰だ!

2009年08月19日 05時31分44秒 | 日毎起こること
三重県の元知事は大きな失策に関しては知らぬ顔でいるが、あの顔を見ている限りでは、ずるそうな顔であるというのが、普通の感性があれば分かってしまう。

おおよそ、その人間よりも眼鏡が目立つ輩は信用が置けない。
武見敬三の逆さま眼鏡もそうであるが、金と権力を継続して生まれたのが唯一のよりどころで、腸(はらわた)は、まっ黒けにくさっている、そこに住みつくのは真っ白な回虫であろう。


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合法という名のもの違法行為

2009年08月19日 05時28分07秒 | 日毎起こること
企業の信用は一種のねつ造である。
色々な企業調査で黒色に染まっていない企業はまずない。

はったり、胡麻化しなどは当たり前である。
そう極めて信用の高い企業からしてそうであるし、小さな企業に至るまで、みんな胡麻化しだらけである。

昔は日本全国が公害列島であった。
食品被害や排気ガス、煤煙被害、薬害など、官庁は先ず隠し、政治家は胡麻化し、司法は企業に味方し、警察は怠慢を極めた。

国民とは20歳以上の人間で選挙の時だけ存在するのである。
普段は蟻よりも見えない存在である。
何があっても踏みにじっても絶対に気づきはしないのである。
多くのスーパーエリートは確実にそういう集団なのである。



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自分の身体を自分で守るために!

2009年08月19日 05時24分33秒 | 日毎起こること
添加物に無頓着だとあとでとんでもないことに!

あなたは自分の味覚で添加物をチェックできますか?

忙しい人ほどガンになる。

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爆笑問題の日本の教養 芸大訪問 爆問 音楽部

2009年08月19日 04時04分40秒 | 日毎起こること
芸大特集2回目をまたしても途中から見ることになった。
美術と違って音楽の学生たちは金持ちが多い。
特に弦楽器の学生たちには金持ちが多いという。

所有する弦楽器の値段は高いもので数千万円もするものがある。
それだから音楽科の方は部外者の出入りに対しては昔から神経を使っていた。

金管楽器は少々レベルが落ちるそうである。
中学・高校のブラスバンド出身者が多いためである。

その点バイオリンは由緒正しい講師に習う必要があるため、始めから金が掛かるのである。

今では芸大生たちも髪を染め、ピアスをしている。
タトゥはしていないだろうと思うがわからない。

きれいな子が多くなったが、この中から巣立つとしても、創作の世界に入る音楽科はごくごく限られている。

ソロの演奏家は敷居がたかい。
どこからの楽団員になるのが理想的ではあるが、いま楽団の予算はかなり減っているのが現状である。

クラッシクに比べるとジャズの方がまだ融通がきくのかもしれない。

太田光が東儀の笙のことを言っていたが、雅楽をやっても聞くような日本人はいない。
たしかに雅楽を聞く日本人は少ないかもしれないが、聞きたいと切望する人間もいるにはいるのである。

もし雅楽が演奏されなくなれば伝統と宗教的な儀式が途絶えてしまう。
雅楽を学ぶために芸大へ入る学生は少ないでであろう。
邦楽科があるから皆無ではないだろうが、邦楽は地味な活動が必要である。
一か月の内にNHKで雅楽を聞くことはまずない。
歌舞伎や能楽、文楽などは一度位はやるかもしれない。
(雑誌サライで文楽特集をやっている)

芸大にはコンピュータ音楽まで教えて呉れるそうである。
皆、忙しい。徹底的に専門家を育てる。
皆、専門家になって結構である。

芸大の教師たちは死んでいる。名もあり、能力もあるが、肝心の才能が乏しい。
ただし、今や能力の時代ではあるが、才能の時代ではない。

また、芸大は芸術以外の分野を含めすぎたようである。
もちろん多様であることは良いことであるという意見をうのみにすれば、
芸大の多様さはまだまだ狭いものであるかもしれない。

たとえば、工房ヴェロッキオでは幼少の徒弟たちも多くいたであろう。
一流の芸術家が集まり、切磋琢磨しあった。さまざまな工芸品をも作りだしていた。

ところが芸大に居ないのは人材である。
一流の人間がいない。
優秀な学生が多く集まる。優秀な学生たちは恐ろしく感じることが無いかもしれない。
自分の居場所をはっきり悟っているだろうか?
マラルメのようにきめられた場所の決められた椅子にこだわる感受性があるだろうか?
先生たちにしても教えるのではなく、作りづつける存在であるのが師匠である。
大学という無機質の中で何年も暮らしていると、人間というのは駄目になるものである。
優秀な学生たちは芸大の中では満足な暮らしができるであろう。
それほど反目しあうこともなく、議論に熱が入って、殺し合いを始めかけない雰囲気は生まれないであろう。
他人と異なる感覚を持つものは、理不尽でも中々他人を許容できないものである。まして若ければ絶対的に自己の意識が優越するものである。
太田光の自我がそうであるのかもしれない。

芸大の先生たちの作品がまず拙いではないか。
胸に迫るものがない。

顔が汚い。顔が浅い。絹谷などは池袋の芸術ホールに大きな絵が飾ってあるが、一体あれは何であろう。
アイズピリのような絵で、会津ピリ辛らっきょみたいな感じだった。いや、これは失礼、エスカレーターを登っている間にお節介にも目に入るのである。虫が目に入るように不快な思いをする。

芸大に入学させた先生に知人が何人かいる。絵画・工芸・音楽についても、入学前からすでに芸大スタイルがある。それを身体に覚えさせるようでないと、受験に失敗するというのである。日本の芸術は型にはめることから始まる。

爆笑問題があの中に入ることでピリ辛を落としてきたようだ。
番組の最後の方で学生が、オーラが射していた、と言っていた。
オーラが本当に射していなければ困るのが、芸大生の方でである。
時代の文化・芸術の担い手たちが社会を先導しないと、この国は駄目になっていく。すでに駄目になっている。

世間の流行は気にしなくとも、いつ知れず影響されているものである。
それよりも自分自身というものに悶着し、悶々とした日々を送るのがよい。
最初から、教師になろうなどとは考えない方がよい。

数学者ペレリマンのように、母親の年金で暮らすような生活を続けても、自分に忠実であることが、人を惹きつけてしまうようである。

何のために高い税金を費やして学ばせているかは分からない。他界させるためか?

それにしてもTVなどというものが出しゃばって芸が死んだと言われるが、1億2000万人全盲時代を生み出したようである。



目立つペンシルで!

2009年08月19日 03時22分14秒 | 日毎起こること
LAMYは万年筆から入り、手帳用に携行している。
ボディが黒色やアクリルの透明だと存在感が弱い。
というのも、よくボールペンやシャープペンを落としてしまう。
そして落としたことに気づかいことがおおい。
目立つ色なら落としたときにも目に入りやすい。

ただそれだけではない。
LAMY独特の持ち味感がある。
どちらかというとその感じを楽しむために持っているよなものである。

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ブックマーク コットン100% 絵本などに!

2009年08月19日 03時12分17秒 | 日毎起こること
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水 断水 料金未払いで水道を止めるということ

2009年08月19日 02時48分13秒 | 日毎起こること
料金未払いで水道が止められる場合があるが、水道はある基準量を無料にする必要がある。

空気も無料なら本来土地も無料であったはずで、水も無料であるはずである。
つまりゴミの収集を無料にしておいて、生存にかかわる水を有料にするのはおかしいともいえる。

もちろん工業用や洗濯・風呂などは有料化するとしても、飲料水は無料でなければならない。
飲料の部分まで停止すれば生存にかかわる。

土地でさえすべてが私有財産となった場合には、人々はどこへも出かけられなくなる。
今、空気だけは万人のものであると、保証されている。
もしこれが私有化されると大変なことになる。

しかし、水は世界の趨勢から考えるとこれを独占するという発想が生まれている。

都市の中で水はそのままに利用できない状態である。
川の水をそのまま飲むことができない以上、浄水場を建築しなければならない。

そのためには、資金が必要となる。その資金は税金で賄ってきた。
その税収がどんどん目減りし、税金を投入する度合いはどんどん増えている。

コンピュータで管理するようになってから、あらゆる分野にその恩恵は広がったように見えるが、システム維持が莫大になる一方、コンピュータシステムを応用した分野も拡大している。

気温・地震などの管理のためにも、汚染土壌管理のためにも新しいシステムを組まなければならない。

人口が集中すると、学校や病院を建設しなければならない。老人が増えると老人ホームも必要となる。

浄水場も増やさなければならないが、下水道設備も必要となる。
雨が降れば貯水するための設備も必要となる。
コンクリートの街づくりでは、地面がすべて覆われ尽くされ、水の逃げ場がないのである。

そのため都会では何兆円も掛けて工事をしなければならない。
しかし、年々その貯水量を上回る豪雨が降り続ける。

そしていまや浄水場が老朽化しており、それに税金を投入する余裕がなくなってきている。

守るべきものは何なのか、100年先の災害であるのか、3年先の水不足なのか?

ダムは周辺の山林をかなり破壊する。
貯水効果があるようで、水量が増えると一挙に莫大な水を放出しなければならない。
一定量の水は下流に流れないで貯水のため、つまり電力を作るために備蓄される。

昔は清流が都会まで流れ着いていた。
工業化や産業優先社会が、生活の基盤を破壊しながら、贅沢や便利さが得られたと考えた。
しかし、そういう社会は200年しか持たないのである。

海は枯渇し、陸は汚染され、山林は木も生えない。
それもそのはず、本来の水の循環をおかしくしているのである。

レオナルドは川は大動脈、雨は静脈とたとえている。

自然の成り立ちは我々に恩恵をもたらしてくれていた。
そして、戒めのために災害を起こし、そのつど人々は神をあがなってきた。

日本の山には必ず山の神を祭る場所がある。
そこをとおる度に目礼し、お供えをしたものである。
そうして日本人は謙虚な気持ちで生きて来たのである。
それに理屈はない。強く感じるものがあったからである。