ポーの短編に『メルツェルの将棋差し』というのがある。
小林秀雄もこのメルツェルの将棋差しに言及しているが、実に不思議な人形であった。
我が国でもカラクリ人形は弓曳き童子や茶汲み童子お習字童子など、最近では学研の大人のおもちゃシリーズで出ているが、このメルツェルの将棋差しは機械人形であるが、人間を相手にして将棋を差すものである。まあ、西洋のことであるから将棋とはチェスのことになる。
たしかメルツェルの将棋指しの人形は現代アメリカのどこかに保存されていると聞く。ただし、1854年フィラデルフィアにて焼失したといわれているので、保存されているものはレプリカらしい。
この文章を書くことになったのは、台所でお茶を飲んでいて、物思いに耽りながらふとメルツェルの将棋差しのことを思い出したのである。お茶を飲み終わって二階に行こうとしたら、一階のコンピュータの横にたまたまポオ小説全集の一巻が乗っていた。
それを手にしてたまたま開くと不思議なことにメルツェルの将棋差しのページであった。何か宝くじがあたったような気分になった。さい先が良いかも知れない。(いや決してさい先は良くなかったのである)
そして今それを手にして読むところである。
読み終わってこの続きを書くことにしよう。
しかし、どう考えてもコンピュータが発明される前の機械人形に将棋が差せるかという問題は、たとえ当時の多くの人が本気に騙されたとしても、懐疑的な人々は疑ってみせるであろう。
もし機械人形が将棋を差せるとしたらどうだろう。
いや一般の人たちも手品の不思議に驚いても何か巧妙な仕掛けがあるに違いないと考えていたのであろう。私もそういう興業めいたものを何度も見ている。
MRマリックの手品の仕掛けならその多くはトリックが解りもする。解るようにトリックを公開しているのであるから、当たり前かも知れない。巧妙な技術は説明なくてはたしかにそれを信じ込んでしまう。
1万円札を焼いて、後で同じ番号の札が元通りになるとは思えないのである
しかし、実際サーカスなどでは四本の足のテーブルの上に乗っているカラッポの箱から意図もたやすく美女が出てくるところを見てみるとトリックとは知っているはずであるが、その知っているトリックとは何か別のことが行われているように思えてしまうのである。
美女が煎餅でもなければ隠れる隙間はどこにも見あたらないのである。目の前で見るとTVで見るよりも不思議な光景に驚く。
多分、二百年前の觀客と我々はそれほど遠い距離にいるわけではない。
「メルツェルの将棋差し自動人形は1769年ハンガリアのブレスブルグの貴族ケンプレン男爵によって、のち、その機構の秘密と共に、現在の所有者の手に渡ったものである。」
たんなる懐疑的なカラクリ人形として考えてしまうと、機械が将棋を指さなければ、人間がさしていることになる。しかし、人間が中に入っていなければ、自動機械というよりは、魔術であると考えてしまいかねないのである。
ただ、ポーによると、メルツェルの機械人形は精巧な機械であり、チェスを打つのは種も仕掛けもないと多くの人たちが信じていたとある。ポー自身はあくまでこれは人間が隠れていると推理する。
機械であるなら、構造さえ解れば、多くの製造が可能である。また、単なる人形であっても製造は可能である。しかし、問題はメルツェルの機械人形はたった一つしかないのである。これは一台しか作れない何かであったのだろうか?
メルツェルの人形の内部は觀客にトリックが行われていないということを確かめさせるために、概ね内部を見せている。ただ、その見せる角度に問題が無いとも言えない。
しかし、その中に人間が潜り込む余地があれば誰でも疑い得るのである。
さまざまな論考は当時からパンフレットや出版という形で出ていた。
知識階級の人々にとっても好奇の対象であった。
1785年大部のパンフレットが発行される。
1789年M・I・F・フライヘアによって一冊の本がドレスデンで出版される。
興業が行われている間は様々な思考がなされたようであるが、コビトを入れていたり痩せた青年を使ったりと、つまるところ人間が内部に入ったという考えに尽きる。
私は以前ドイツでおもちゃの毛虫が自在に巧みに動いているのを見て、購入したことがある。たしか5マルクほどであった。
マジシャンの恰好をした青年はカイザー髭を蓄え、シルクハットと燕尾服を着て、杖を持っていた。杖で毛虫の周りを動かし糸などの仕掛けがないと言わんばかりの仕草をしていた。ただし、杖の動きは横振りだけで縦には振らなかった。
私は不思議だったので毛虫のおもちゃを買ったのである。
買ってからトリックが解ったが、後ろの方でマジシャンの仲間がいて、その仲間が透明の細い糸を操っていたのである。マジシャンの服装とはまったく異なった普通の服装に却って引っ掛かったのであろう。
毛虫のおもちゃの中には慥かに細い糸も付いていた。
後年日本でも、この毛虫のマジックをやっている日本の青年に何度も出くわしたことがある。上野公園や歩行者天国などでしきりとこのマジックをやり、高値で販売していた。
青年の背後には二人の仲間が必ずいる。ドイツの4倍の値段1500円ほどで売りさばいていた。実際の値段は20~30円ほどのおもちゃに過ぎない。
メルツェル
もしメルツェルの人形を操るために目に見えにくい糸で操作し、会場が暗ければその糸も背後で操っている人間もわかりにくいであろう。これは私の勝手な空想に過ぎない。ただし、このような簡単な仕掛けに対して二百年も問題として残る事象ではありえない。
やはり、もっと不思議な仕掛けがあるのだろう。
ポーはチェス台の脇に三本づつのロウソクが据えられていることに着眼している。
後継的な機械の発展に繋がらなかったところを見れば、もちろん、これは機械ではなかったのであろう。
私が不思議に思うのは観客席とメルツェルの将棋差し人形との舞台の境に網を張っているという点である。なにか、視覚のトリックがそこにあるような気がする。
チェスの勝負は大体30分ほど行われている。されにそれ以上掛かる場合もあるという。
自動人形の中を見せるのにも時間が掛かり。舞台の左右にも移動をしたりする。当時の車輪の性能から考えると今日のようなベアリングが開発されていないのだから、内部に人が入っていると舞台を動き回るのは厄介なような気がする。
いかなる軟骨人間も40分以上も箱の内部に入っているのは窮屈である。さらに内部に潜り込んだ人間が、チェスが一般人よりも強くなければならな。そうすると箱の中に入る人は限られてくる。また、これだけ有名になっている興業に対して、チェスの腕利きたちはこぞって挑戦しにやって来たのではないかと思う。
当時の著名人、ナポレオン皇帝(19手で敗れた)やベンジャミン・フランクリン大統領(雷が電気であることを発見:科学者でもあった)も参戦しているというのであるから、ヨーロッパでもアメリカでも大変な興味の対象になっていたであろう。
ナポレオンは戦争に於てはアレキサンダーに継ぐ名将である。フランクリンは推理能力の卓越した科学者である。そのどちらもがたやすく負けてしまうようなチェス名人が、そのような窮屈な場所に耐えられるであろうか? チェスプレイヤーは当時でも人間だけがなしえる最高の知性であると考えられていた。チェス名人が狭い箱の中に入って興業に明け暮れなければならないとは到底考えられない。チェスで食えない半端な強さではたぶん興業はおもしろくはなかったであろう。
ポーの推理
ポーの推理は17項に上る(17項目は直接本で確認下さい。)
1.
2.
3.
4.
5.
6.
7.
8.
9.
10.
11.
12.
13.
14.
15.
16.
17.
なお、ポーはメルツェルの将棋差しを実際には見ていないようである。
ポー全集の後記にはそうある。
チェスロボット『ダルク』18世紀 ハンガリー
1938年フランス映画 『チェスプレーヤー』Lumieru
ドキュメンタリー映画『ゲーム・オーバー:カスパロフ対コンピューター』ビクラム・ジャヤンティ監督・シンクフィルム社2004年
コンピュータのチェスの歴史
クロード・シャノン博士の論文『チェスするコンピュータのプログラム』1949年
(シャノンはベル研究所で電話音声をデジタル化することを考え出した技術者である。
シャノンの法則はあまりに有名である。)
ロスアラモス研究所の原爆開発チームのコンピュータでもチェスをするソフトを考え出していた。
ただし、駒12個のミニチュアチェスをやるソフトが精一杯であった。
コンピュータのチェスソフト作りにはチェス名人も関わっている。1970年代ディヴィッド・レビー(元スコットランドチャンピオン)は年収の半分を投入してソフト作りに荷担している。
1988年 チェスコンピュータがグランドマスターを破る。
2000年の歴史上最も強いとされたチェスの名人ガルリ・カスパロフがコンピュータと対戦して破れたのは1997年10月のことである。その時のカスパロフがコンピュータに負けて表した感情むき出しの悔しさは今も目に焼き付いている。確実に茫然自失したその姿は、カスパロフが味わったことのない経験でさえあった。
12年間も世界チャンピオンであったカスパロフはその時34才の若さであった。
対戦するスーパーコンピュータはIBMとワトソン研究所の五人のプログラマーが開発した。
前年そのコンピュータはカスパロフに破れている。それを2倍の速度に改良し、1秒間に2億手を解析するVVSIチェスプロセッサーを搭載。コンピュータはディープ・ブルーと名付けられた。
ディープ・ブルーは駒にそれぞれの点数を付け、数値計算を行う。ポン100点・ループ500点・クイン900点、これらの点数を元に数百億の局面を計算する。3分で実に400億の局面を計算するのである。さらに世界で行われた100年間の序盤戦を記憶している。カスパロフは100年間のグランド・マスターたちとも相手にしなければならない。
場所はマンハッタンの7thアヴェニュー、時は1997年5月3日から9日間。勝者に賞金8000万円が授与される。100のメディアが世界に伝えた。
第1局 1997年5月3日
第2局 1997年5月4日 古典的な序盤戦。
古典的な定石で攻めるディープ・ブルー。
この定石はスペインのチェス名人ルイ・ロペスが完璧なまでに考え出したもので、この定石からはいかなるチェス名人も抜け出せないものであった。
ディープ・ブルー36手目、ポンを打つ。グランドマスターたちは誰もがクィーンを動かすと考えた。プラグラマーも予測出来なかった手をディープ・ブルーが打っていることに驚きを隠せなかった。
ディープ・ブルーは35手目に未来予測をする。8手先の未来を計算するとクィーンを動かすと(+87点)、しかし9手先には(+79点)になり8手先より(-8点)となる。10手先には(+74点)さらに(-5点)、11手先には(+48点)とさらに(-)が増えることになる。そこで11手先の最も有利な(+63点)に着目し、ポンを打ち出したのである。この手はカスパロフも人類すべてが予測できなかった手となった。カスパロフはコンピュータに始めて敗北を帰す。
第3局1997年5月6日
カスパロフは第2局の敗北が頭から離れなかった。その敗北の原因を明け方まで考えたがどうしても解決出来ないでいた。かつて無いほどの動揺がカスパロフ感情を揺さぶっていた。
第3局は引き分けとなる。引き分け後、壇上に立ったカスパロフは第3局目の話はなにもしない。第2局目の話ばかりをしていた。クィーンを動かさない理由が分からないと頭を抱えるように話すだけであった。
第4局1997年5月7日
ディープ・ブルーが細かいミスを犯す。5時間以上経過してディープ・ブルー側が引き分けを提案。
ディープ・ブルーはすべての検索を終えていた。カスパロフも引き分けを承諾する。
カスパロフの憔悴しきっていた。3局、4局は集中できなかった。
第5局1997年5月10日
ディープ・ブルーはビショップでナイトを取る。プログラムで設定していない動きをする。
千日手となり引き分け。
カスパロフはチェス台から離れることができない。恐怖に怯える。
第6局1997年5月11日
カスパロフは朝から口をきかない。9分7手目、世界チャンピオンとしては決定的なミスを犯す。精神的に追いつめられている。
17手目に敗北を認める。茫然自失。目に隈ができている。カスパロフはコンピュータに知性を感じたという。
グランドマスターの1986年の論文では2015年前後にはコンピュータが人間を超えると予測されていた。しかし、それよりも18年も早くコンピュータが人間を超え出ることになる。
コンピュータに勝ったことのない私はいつも負けているが悔しいと思ったことは一度もない。
1857年『The Chess Monthly』参考資料
続く2008年01月07日
こちらは途中になっています。お見苦しい点が多々ありますがよろしくお願い致します。
2008年01月23日
cowderoy.comより
小林秀雄もこのメルツェルの将棋差しに言及しているが、実に不思議な人形であった。
我が国でもカラクリ人形は弓曳き童子や茶汲み童子お習字童子など、最近では学研の大人のおもちゃシリーズで出ているが、このメルツェルの将棋差しは機械人形であるが、人間を相手にして将棋を差すものである。まあ、西洋のことであるから将棋とはチェスのことになる。
たしかメルツェルの将棋指しの人形は現代アメリカのどこかに保存されていると聞く。ただし、1854年フィラデルフィアにて焼失したといわれているので、保存されているものはレプリカらしい。
この文章を書くことになったのは、台所でお茶を飲んでいて、物思いに耽りながらふとメルツェルの将棋差しのことを思い出したのである。お茶を飲み終わって二階に行こうとしたら、一階のコンピュータの横にたまたまポオ小説全集の一巻が乗っていた。
それを手にしてたまたま開くと不思議なことにメルツェルの将棋差しのページであった。何か宝くじがあたったような気分になった。さい先が良いかも知れない。(いや決してさい先は良くなかったのである)
そして今それを手にして読むところである。
読み終わってこの続きを書くことにしよう。
しかし、どう考えてもコンピュータが発明される前の機械人形に将棋が差せるかという問題は、たとえ当時の多くの人が本気に騙されたとしても、懐疑的な人々は疑ってみせるであろう。
もし機械人形が将棋を差せるとしたらどうだろう。
いや一般の人たちも手品の不思議に驚いても何か巧妙な仕掛けがあるに違いないと考えていたのであろう。私もそういう興業めいたものを何度も見ている。
MRマリックの手品の仕掛けならその多くはトリックが解りもする。解るようにトリックを公開しているのであるから、当たり前かも知れない。巧妙な技術は説明なくてはたしかにそれを信じ込んでしまう。
1万円札を焼いて、後で同じ番号の札が元通りになるとは思えないのである
しかし、実際サーカスなどでは四本の足のテーブルの上に乗っているカラッポの箱から意図もたやすく美女が出てくるところを見てみるとトリックとは知っているはずであるが、その知っているトリックとは何か別のことが行われているように思えてしまうのである。
美女が煎餅でもなければ隠れる隙間はどこにも見あたらないのである。目の前で見るとTVで見るよりも不思議な光景に驚く。
多分、二百年前の觀客と我々はそれほど遠い距離にいるわけではない。
「メルツェルの将棋差し自動人形は1769年ハンガリアのブレスブルグの貴族ケンプレン男爵によって、のち、その機構の秘密と共に、現在の所有者の手に渡ったものである。」
たんなる懐疑的なカラクリ人形として考えてしまうと、機械が将棋を指さなければ、人間がさしていることになる。しかし、人間が中に入っていなければ、自動機械というよりは、魔術であると考えてしまいかねないのである。
ただ、ポーによると、メルツェルの機械人形は精巧な機械であり、チェスを打つのは種も仕掛けもないと多くの人たちが信じていたとある。ポー自身はあくまでこれは人間が隠れていると推理する。
機械であるなら、構造さえ解れば、多くの製造が可能である。また、単なる人形であっても製造は可能である。しかし、問題はメルツェルの機械人形はたった一つしかないのである。これは一台しか作れない何かであったのだろうか?
メルツェルの人形の内部は觀客にトリックが行われていないということを確かめさせるために、概ね内部を見せている。ただ、その見せる角度に問題が無いとも言えない。
しかし、その中に人間が潜り込む余地があれば誰でも疑い得るのである。
さまざまな論考は当時からパンフレットや出版という形で出ていた。
知識階級の人々にとっても好奇の対象であった。
1785年大部のパンフレットが発行される。
1789年M・I・F・フライヘアによって一冊の本がドレスデンで出版される。
興業が行われている間は様々な思考がなされたようであるが、コビトを入れていたり痩せた青年を使ったりと、つまるところ人間が内部に入ったという考えに尽きる。
私は以前ドイツでおもちゃの毛虫が自在に巧みに動いているのを見て、購入したことがある。たしか5マルクほどであった。
マジシャンの恰好をした青年はカイザー髭を蓄え、シルクハットと燕尾服を着て、杖を持っていた。杖で毛虫の周りを動かし糸などの仕掛けがないと言わんばかりの仕草をしていた。ただし、杖の動きは横振りだけで縦には振らなかった。
私は不思議だったので毛虫のおもちゃを買ったのである。
買ってからトリックが解ったが、後ろの方でマジシャンの仲間がいて、その仲間が透明の細い糸を操っていたのである。マジシャンの服装とはまったく異なった普通の服装に却って引っ掛かったのであろう。
毛虫のおもちゃの中には慥かに細い糸も付いていた。
後年日本でも、この毛虫のマジックをやっている日本の青年に何度も出くわしたことがある。上野公園や歩行者天国などでしきりとこのマジックをやり、高値で販売していた。
青年の背後には二人の仲間が必ずいる。ドイツの4倍の値段1500円ほどで売りさばいていた。実際の値段は20~30円ほどのおもちゃに過ぎない。
メルツェル
もしメルツェルの人形を操るために目に見えにくい糸で操作し、会場が暗ければその糸も背後で操っている人間もわかりにくいであろう。これは私の勝手な空想に過ぎない。ただし、このような簡単な仕掛けに対して二百年も問題として残る事象ではありえない。
やはり、もっと不思議な仕掛けがあるのだろう。
ポーはチェス台の脇に三本づつのロウソクが据えられていることに着眼している。
後継的な機械の発展に繋がらなかったところを見れば、もちろん、これは機械ではなかったのであろう。
私が不思議に思うのは観客席とメルツェルの将棋差し人形との舞台の境に網を張っているという点である。なにか、視覚のトリックがそこにあるような気がする。
チェスの勝負は大体30分ほど行われている。されにそれ以上掛かる場合もあるという。
自動人形の中を見せるのにも時間が掛かり。舞台の左右にも移動をしたりする。当時の車輪の性能から考えると今日のようなベアリングが開発されていないのだから、内部に人が入っていると舞台を動き回るのは厄介なような気がする。
いかなる軟骨人間も40分以上も箱の内部に入っているのは窮屈である。さらに内部に潜り込んだ人間が、チェスが一般人よりも強くなければならな。そうすると箱の中に入る人は限られてくる。また、これだけ有名になっている興業に対して、チェスの腕利きたちはこぞって挑戦しにやって来たのではないかと思う。
当時の著名人、ナポレオン皇帝(19手で敗れた)やベンジャミン・フランクリン大統領(雷が電気であることを発見:科学者でもあった)も参戦しているというのであるから、ヨーロッパでもアメリカでも大変な興味の対象になっていたであろう。
ナポレオンは戦争に於てはアレキサンダーに継ぐ名将である。フランクリンは推理能力の卓越した科学者である。そのどちらもがたやすく負けてしまうようなチェス名人が、そのような窮屈な場所に耐えられるであろうか? チェスプレイヤーは当時でも人間だけがなしえる最高の知性であると考えられていた。チェス名人が狭い箱の中に入って興業に明け暮れなければならないとは到底考えられない。チェスで食えない半端な強さではたぶん興業はおもしろくはなかったであろう。
ポーの推理
ポーの推理は17項に上る(17項目は直接本で確認下さい。)
1.
2.
3.
4.
5.
6.
7.
8.
9.
10.
11.
12.
13.
14.
15.
16.
17.
なお、ポーはメルツェルの将棋差しを実際には見ていないようである。
ポー全集の後記にはそうある。
チェスロボット『ダルク』18世紀 ハンガリー
1938年フランス映画 『チェスプレーヤー』Lumieru
ドキュメンタリー映画『ゲーム・オーバー:カスパロフ対コンピューター』ビクラム・ジャヤンティ監督・シンクフィルム社2004年
コンピュータのチェスの歴史
クロード・シャノン博士の論文『チェスするコンピュータのプログラム』1949年
(シャノンはベル研究所で電話音声をデジタル化することを考え出した技術者である。
シャノンの法則はあまりに有名である。)
ロスアラモス研究所の原爆開発チームのコンピュータでもチェスをするソフトを考え出していた。
ただし、駒12個のミニチュアチェスをやるソフトが精一杯であった。
コンピュータのチェスソフト作りにはチェス名人も関わっている。1970年代ディヴィッド・レビー(元スコットランドチャンピオン)は年収の半分を投入してソフト作りに荷担している。
1988年 チェスコンピュータがグランドマスターを破る。
2000年の歴史上最も強いとされたチェスの名人ガルリ・カスパロフがコンピュータと対戦して破れたのは1997年10月のことである。その時のカスパロフがコンピュータに負けて表した感情むき出しの悔しさは今も目に焼き付いている。確実に茫然自失したその姿は、カスパロフが味わったことのない経験でさえあった。
12年間も世界チャンピオンであったカスパロフはその時34才の若さであった。
対戦するスーパーコンピュータはIBMとワトソン研究所の五人のプログラマーが開発した。
前年そのコンピュータはカスパロフに破れている。それを2倍の速度に改良し、1秒間に2億手を解析するVVSIチェスプロセッサーを搭載。コンピュータはディープ・ブルーと名付けられた。
ディープ・ブルーは駒にそれぞれの点数を付け、数値計算を行う。ポン100点・ループ500点・クイン900点、これらの点数を元に数百億の局面を計算する。3分で実に400億の局面を計算するのである。さらに世界で行われた100年間の序盤戦を記憶している。カスパロフは100年間のグランド・マスターたちとも相手にしなければならない。
場所はマンハッタンの7thアヴェニュー、時は1997年5月3日から9日間。勝者に賞金8000万円が授与される。100のメディアが世界に伝えた。
第1局 1997年5月3日
第2局 1997年5月4日 古典的な序盤戦。
古典的な定石で攻めるディープ・ブルー。
この定石はスペインのチェス名人ルイ・ロペスが完璧なまでに考え出したもので、この定石からはいかなるチェス名人も抜け出せないものであった。
ディープ・ブルー36手目、ポンを打つ。グランドマスターたちは誰もがクィーンを動かすと考えた。プラグラマーも予測出来なかった手をディープ・ブルーが打っていることに驚きを隠せなかった。
ディープ・ブルーは35手目に未来予測をする。8手先の未来を計算するとクィーンを動かすと(+87点)、しかし9手先には(+79点)になり8手先より(-8点)となる。10手先には(+74点)さらに(-5点)、11手先には(+48点)とさらに(-)が増えることになる。そこで11手先の最も有利な(+63点)に着目し、ポンを打ち出したのである。この手はカスパロフも人類すべてが予測できなかった手となった。カスパロフはコンピュータに始めて敗北を帰す。
第3局1997年5月6日
カスパロフは第2局の敗北が頭から離れなかった。その敗北の原因を明け方まで考えたがどうしても解決出来ないでいた。かつて無いほどの動揺がカスパロフ感情を揺さぶっていた。
第3局は引き分けとなる。引き分け後、壇上に立ったカスパロフは第3局目の話はなにもしない。第2局目の話ばかりをしていた。クィーンを動かさない理由が分からないと頭を抱えるように話すだけであった。
第4局1997年5月7日
ディープ・ブルーが細かいミスを犯す。5時間以上経過してディープ・ブルー側が引き分けを提案。
ディープ・ブルーはすべての検索を終えていた。カスパロフも引き分けを承諾する。
カスパロフの憔悴しきっていた。3局、4局は集中できなかった。
第5局1997年5月10日
ディープ・ブルーはビショップでナイトを取る。プログラムで設定していない動きをする。
千日手となり引き分け。
カスパロフはチェス台から離れることができない。恐怖に怯える。
第6局1997年5月11日
カスパロフは朝から口をきかない。9分7手目、世界チャンピオンとしては決定的なミスを犯す。精神的に追いつめられている。
17手目に敗北を認める。茫然自失。目に隈ができている。カスパロフはコンピュータに知性を感じたという。
グランドマスターの1986年の論文では2015年前後にはコンピュータが人間を超えると予測されていた。しかし、それよりも18年も早くコンピュータが人間を超え出ることになる。
コンピュータに勝ったことのない私はいつも負けているが悔しいと思ったことは一度もない。
1857年『The Chess Monthly』参考資料
続く2008年01月07日
こちらは途中になっています。お見苦しい点が多々ありますがよろしくお願い致します。
2008年01月23日
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