四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

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すじ肉じゃがは大変おいしい

2009年07月18日 21時14分05秒 | 日毎起こること
国産牛のすじ肉をたくさん買った。
半額にならないのは残念であった。

国産牛と言っても和牛とはことなる。
牛の生体をどこからかの国から買って、国内で育てると国産牛になるらしい。

ずいぶんややこしい商売をしている。

すじ肉は関西ではおでん(関東煮カントウダキ)に必ず入っているのであなじみがある。
すじ肉が入っているだけで、あらゆる具は旨みを増す。中ではジャガイモは本当にうまい。

じゃがいもは知り合いから貰った。形は小さい、たぶん知り合いも農家辺りから売れないものを貰ったのであろう。それをさらに私が貰ったのだが、ジャガイモにとっては運がいい。

こう見えてもちょっとやそっとの料理人よりは味には定評がある。
まあ、昔で言えばくいしんぼの渥美清が作る屋台のステーキにも引けを取らない。

自分で作って食べてもうまいので、ただただ驚くばかりだが、若い時から外食が嫌いで自前の弁当を持って行った。実を言えば小学校の遠足も自分で弁当を拵えて持って行ったが、卵焼きはそのころからうまく焼けた。

なんでも、作る。ハムも作る。ウィンナーも作る。クッキーもパンも、デコレーションケーキも作る。塩からも作る。作れないのは人間である。これは相手がいなければ作れない。

魯山人も子供のころから料理をやっていた。何でもそうだが、子供のころから始めなければならない。スポーツ選手たちも、演奏家もこどものころから始めた者が早く成功を勝ち取る。

一番よくないのは学校教育である。
学校には情熱的ななおかつ優秀な先生はいない。

多くの才能ある子供たちは高い月謝を払って優秀な先生にレッスンをお願いする。
新幹線に乗ってでも、飛行機に乗ってでもレッスンに通うのである。

けちな親はそういう先生からも見放される。
よほど人間が立派でなければ、後は金の世界になってしまう。
あるいは親が直接教育するかである。これが一番金がかからない。
しかし、バカ親たちがどれほど努力しても、親ガメの子供は皆子ガメである。
当たり前である。それだけのことである。

拙いものを食べながら育った子供は味覚が衰えている。
幸いに我が家の料理は、舌づつみを打つほどにうまかった。

それで自分で作ってもうまい料理が作れた。

先ほど作った、すじ肉の肉じゃがはすじ肉がトロッとするまで煮込むと我を忘れてむさぼる犬のように、箸が次から次へとすじ肉めがけて機関銃のようにつつきまくる。

作り方は簡単である。

すじ肉を買ってきたら、その場で湯がく。2回ほど湯がいて油を落とす。

さらに熱湯にさらしながら油を落とす。

手で持てるくらいに冷めたら、それを食べやすい大きさに切る。

1cm角くらいよりも小さめで大丈夫。

ジャガイモの皮を剥く。皮むき機で剥くと早い。ぺティナイフで剥くと腕が上達する。
芽は取る。剥いたジャガイモは食べやすい大きさに切る。小さく切りすぎると煮てる間に形が崩れる。

玉ねぎとニンジンも適当な大きさに切る。
玉ねぎとニンジンがなければ無くともダイジョウブ。

だし汁。本当はかつおで取ったものが一番よいが、かつを風味の本だしを使ってもよい。

甘口がお好きなら、みりん少々をを加える。
砂糖は使用しない。

砂糖は材料の味を殺すのでできるだけ使わないことである。舌が発達していると、材料の旨みと砂糖の甘みは区別できる。西洋人が料理に砂糖を使わないのは、材料の旨みを味わえるからである。魯山人も砂糖を使うことを厳禁している。

まず、鍋にだし汁をいれすじ肉を入れ煮込む、ある程度煮込んでから、ジャガイモと玉ねぎを入れる。かつお風味を使う場合は水から煮たてる。

ジャガイモが煮たってからかつを風味を入れる。さらにジャガイモが柔らかくなりだしてから、みりんと薄口しょうゆを加える。薄口の場合は汁けが黒く感じない分量でよい。なべ底が隠れない程度の濃さである。濃いくちの場合は塩味がきつくならない程度に調節する。
味見しながら分量を量る。料理はその都度舌で確かめながら行うのである。火加減は沸騰したら中火にする。醤油などは開栓したら冷蔵庫に仕舞っておく。風味が飛んでしまうとうまく無くなる。

なお、醤油やみりんはケチらないで、醤油は丸大豆のものを使い、みりんは本みりんを使う。
調味料は料理の基本である。あと鍋は半生使えるから、厚みのある熱が鍋全体に均一に広がるものを使う。薄いとそこだけ熱が伝わって料理の味を損ねる。

包丁は常に研ぐ。切れない包丁は切り後のところを傷める。細胞が均等に切れるようにする。

よい鍋は値段が高い。包丁もそうである。
取ってのない雪平鍋は均等に熱が伝わるように、ビスも打たないように気を使っている。持つ時はやっとこを使う。

鍋はきれいに洗う。前の料理の屑がついていると味が変わってしまう。

常々料理は工夫しながら拵えなければならない。
賢い主婦は出来合いのものを使わない。

スーパーなどの主婦の買い物かごを見ていると、アホしかいないことに気づく。
冷凍食品、レトルト食品、インスタント食品、ジャンク菓子などなど、これでは子供はまともに育たない。
遺伝子がだんだんに狂いだし、まともな人間はできあがらないであろう。

どんなものを食べているかで、結婚相手を選んだり友達を選ぶのも一つの手である。
有名中学へ行くような家庭の子供は食事がしっかりしている。
そこからが違うのである。人間を育てる基本は食事である。
魯山人曰く、「まともなものを食べていないやつらにまともなものが作れるわけがない。」

西洋人の貴族が庶民と違うところと言えば、食事と言語に対する感性である。

だから、最低限、食事は生の素材から作って行くのが基本です。



柿渋の作り方と柿酢の作り方

2009年07月18日 11時52分21秒 | 食文化
柿渋は熟さないあおい渋柿を使い、柿酢は熟した赤い柿を使う。
柿渋はあおい柿を絞った汁を使う。柿酢は下手をとった熟した柿をそのままリカー作りの硝子の容器に入れて暗所においておくだけでよい。そのままじわっと発酵し酒になり、それから巣へと変化する。


柿渋を作るには3~5年かかる。

柿酢を作るには4カ月~6カ月。早ければ3カ月ほどでも大丈夫である。

柿にはタンニンが多く含まれている。

リポンビタンDやエスカップの品書きにはタンニン配合と書いている。(これは間違いである。タンニンではなく、タウリンです)
タンニンがどの程度体に良いのかは知らないが、柿はビタミンCが豊富な果実である。

ちょっとした田舎では柿の木はどこでも見かけるが、柿が熟していてもありがたがって取ることもあまりなくなったようである。柿の葉にも多くのビタミンCが配合されているので、葉を乾燥させてお茶の葉にするとよい。こちらも市販で売っている。都会人向けである。


インドボダイジュの木の下で悟りを開いたお釈迦様と松本清張『神々の乱心』

2009年07月18日 11時21分54秒 | 日毎起こること
日本の天皇様の歴史の中で偉大な業績をたたえる事績などあまり聞かない。

お釈迦様とかキリストさまとかは一見関係が無いように思えるかもしれないが、お釈迦様は釈迦牟尼の王子であるし、イエスはイスラエルの王である。INRIはイエスはナザレの者で王であるイスラエルにおいては!(変な訳です)と、言われている。

当時の王ピラト(イエスの誕生を知った東方の三博士がイエスをエジプトに逃がす)は不吉な彗星の出現とイエスの誕生を知り、当時生まれた嬰児のすべてを虐殺した。そのピラトが成長して奇跡を行うイエスを捕まえ、汝はイスラエルの王であるか?、の質問にイエスは然りの返事を持って答えた。そして処刑された。

かくのごとき、お釈迦さまもイエスさまも王なのである。
ここで言いたいのは我が国は事績よりは血を重んじる、最近の言葉ではDNA遺伝子を重んじる事になる。お墓を掘り出してDNA検査をすれば、現天皇の血統が知れることになる。ひょとして南北朝辺りで冤罪がおこっているかもしれない。

ただ、連綿と続く天皇様の歴史をしることはできない。その謎に迫る一冊の本として、松本清張の『神々の乱心』がある。

ちなみに、お釈迦さまが悟りを開いた菩提樹はインドボダイジュという木で、植物図鑑に載っている菩提樹ではない。

神々の乱心〈上〉神々の乱心〈上〉
(1997/01)
松本 清張

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