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若者に難聴を広めた<ソニー>ウォークマン30歳 賠償責任訴訟はもうすぐだ!

2009年07月04日 21時33分06秒 | 事件・事故・自殺
地を這っているソニーが30年目にして懲りないでまたしゃしゃり出てくる。
いまソニーに主流なものはなにもない。

アメリカを起爆剤にしてウォークマンによる難聴訴訟と交通事故訴訟を起こす。
日本では司法は冬眠して100年、最高裁の判定もアメリカでは効果がない。

それなら基点をアメリカにすればアメリカも損害賠償で1兆円規模の収入が得られる。


<ソニー>ウォークマン30歳 時代変わり劣勢…ブランド復活目指す

7月4日12時52分配信 毎日新聞
 ソニーの携帯音楽プレーヤー「ウォークマン」が、7月で発売30周年を迎えた。「いつでも、どこでも音楽が聴ける」スタイルは若者を中心に世界的に広がり、生活と文化を一変させた。しかし、21世紀のインターネット時代に入ると、01年に登場した米アップルの「iPod(アイポッド)」の人気に圧倒され、主役は交代。節目の年に、ソニーはヘッドホン一体型のウォークマンなどで反撃、ブランドの復活を目指している。【高橋昌紀】

 ウォークマンの誕生はソニー創業者、故井深大氏(当時・名誉会長)が「海外出張の機内で聴けるカセットステレオを」と要望したのが始まり。技術陣は画期的な小型ヘッドホンや充電池を開発、79年7月に初代ウォークマン(当時の価格は3万3000円)の発売にこぎ着けた。

 商品はシリーズ化して進化を続け、90年には手のひらサイズまでに小型化。媒体もカセットテープからCD、MDなどへと変わり、今年3月末までの累計販売台数は約3億8500万台となった。

 しかし、アイポッドの発売で、ソニーの優位はもろくも崩れる。インターネットで1曲ずつ音楽を購入できる時代にマッチしたアイポッドはデザインの斬新さもあって、携帯音楽市場を席巻。調査会社GfKジャパンによると、08年の国内販売シェアはアイポッドの55・2%に対して、ウォークマンのシェアは31・3%にとどまるなど劣勢だ。

 ソニーは今年6月、耳にかけるだけのヘッドホン一体型の新型機種(ソニーの通販価格は9980円)を発表。「初代ウォークマン発売時と変わらぬ最小・最軽量への挑戦を続ける」と、巻き返しを狙う。

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最終更新:7月4日16時46分

毎日新聞




クミン カレーに欠かせない香辛料

2009年07月04日 20時40分44秒 | 食文化
カレーライスは日本人の大好物である。

鮨は嫌いというひとをために見かけるが、カレーライスが嫌いと答える人をあまりしらない。

最近はレストランなどでのカレーライスも店それぞれに一ひねり工夫をして値段が高くなっている。味はというとまあまあであり、特別うまいという店は少ない。


インド人は3食がカレーだという。
インドへ行って驚いたのは日本人が食べているカレーとはほとんど似ていない。
日本で食べるインド人経営の店のカレーは日本人好みに作られている。
しかし、インドで食べるカレーはご飯に味噌汁をかけているような食べ物になる。
しかもごはんはインディアナ米で細長くてぱさぱさしている。なんでも炊きあがりの時には水気をすべて流すらしい。だから炊きあがってもコメの芯が残っているような感じである。

ただカレーはインドで食べることによって一日三食カレーを食べ続けることができる。
日本のカレーは朝から晩まで毎日毎日食べ続けることができるカレーではない。

インドを長年植民地にしていたイギリスのレストランにもカレーライスがおいてある。
しかし、イギリスのカレーはインドのカレー以上に味が悪い。
これはインド人が食べてもカレーとは言えない。

日本のカレーはインド人が食べてもたいていおいしいという。しかし、中にはこれはカレーではないというインド人が多くいる。

日本ではレトルトパックのカレーが普及している。35年ほど前には大塚のボンカレーしかなかった。なんとも簡単にカレーが食べられる時代になったが、味はこれがカレーかと思えるほどにまずかった。

その後、今日に至っては数え切れないほどのレトルトカレーが出ている。
カレーのルーもあれよこれよと出てきたが、これと言って変わり映えしない。

カレーのルーには様々な不順品が入っている。以前狂牛病で騒がれたときには、牛の骨髄のエキスが入れられていたので、売れ行きが芳しくなかった。

その他にもかなり余計なものが入っている。

カレーの香辛料はスーパーで比較的簡単に手に入るようになっている。
カレーの香辛料で代表的な一品はクミンである。


環境に悪い車がなぜエコカーという名が許され減税までされるのか?

2009年07月04日 13時58分29秒 | 社会問題
いままで1リッターで10km走っていた車が1リッターで35km走るということがなぜエコに妥当するのか?

つまり、1リッターで10kmしか走らなければ、ガソリンを節約するために遠くへ行かないとか、車をあまり乗らないとかの抑制が働いていた。

ところが1リッターで25km多く走ることができるとなると、乗る機会が増え、車の熱そのものが温暖化を加速することになる。

最近お掃除に重そうがよくつかわれるがあれは、

炭酸水素ナトリウム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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炭酸水素ナトリウム
IUPAC名 炭酸水素ナトリウム
別名 重炭酸ナトリウム、重炭酸ソーダ、重曹
組成式 NaHCO3
式量 84.007 g/mol
形状 白色粉末
結晶構造 単斜
CAS登録番号 [144-55-8]
密度と相 2.159 g/cm3, 固体
水への溶解度 7.8 g/100 mL (18 ℃)

炭酸水素ナトリウム(たんさんすいそナトリウム、Sodium Hydrogen Carbonate)、別名重炭酸ナトリウム(じゅうたんさんナトリウム、Sodium Bicarbonate。重炭酸ソーダ、略して重曹とも)はナトリウムの炭酸水素塩である。常温で白色の粉末状である。pHはアルカリ性を示すものの、フェノールフタレインを加えても変色しない程度の弱い塩基性である。水には少し溶解し、メタノールにも僅かに溶解するものの、エタノールには不溶。具体的には、水(0℃)100gにつき6.9g、水(20℃)100gにつき9.6g、メタノール(25℃)100gにつき0.8g、溶解する。

最近はやりの酒はトニックウォーター=炭酸の水割り=炭酸で割ったウィスキーである。

温暖化は何も二酸化炭素が原因ばかりではない。
そもそもここ100年の地上の温度上昇は工場と車によって加速され、さらに家庭での電気の需要の増加によって大気そのものが地上から熱せられるようになった。

世界のどこへ行っても車・車・車で轟く騒音と熱が大気へ上昇している。

いくらハイブリットカーが静かになっっ他とは言っても、熱の放出はそれほど変わりない。
多く走る分環境に負担がかかるのである。

それを加速するかのように高速料金が安くなるだけで、車の使用と走行距離は増え続ける。

今や車に乗るのは恥ずかしいことである。そういう罪人のために国はなぜ特別に減税措置をとらなければならないのか?

車に乗らない一般人への減税措置はとらないのであろうか? 一生懸命町のごみを集めている住民たちがいるが、その人たちへの減税対策は講じないのであろうか?

自動車産業だけが産業ではない。
買い替えで廃棄される車が増え、エコポイントでさらに廃棄される電化製品が増え続けることが環境に良いといえるだろうか?

すべて環境などという事簿の背後に金儲けだけを狙う罠があるだけである。


国は子供に多様な教育の機会を与えなければならない

2009年07月04日 10時18分40秒 | 教育問題
今は幼児の世界から集中力散漫で、幼稚園児でさえ、教室ではしゃぎまわり動き回り、めいめい勝手なことをやり、嬌声をあげ、先生のいうことを聞かない。

小学校の入学式でも授業でも同じことである。椅子に座っていることができない。
授業中勝手に外へ抜け出す。

これらのことは親が全くしつけができない。完全なアホであるためだが、その親を育ててきた教育にも問題がある。

授業の内容についていけない。おいてきぼりにされる。興味がわかない。突然暴れだす。授業中居眠りをしながら、考えていることはセックスのことばかりである。

では何歳からそんなことばかり考えているかというと、大体10歳前後辺りからである。
すでにタトゥにあこがれ暴走族まがいのことにあこがれ、だんだんに不良化していく。

授業に退屈すればするほど、妄想は肉体への狂乱である。麻薬・セックス・スポーツ・支離滅裂な映画などが友となる。

赤エイや越前クラゲの毒にしびれていたいのである。
地方自治体レベルで18歳以前の楽しいセックスを淫行扱いにしたことで、ますます18歳いか同士のいかがわしいセックスが低年齢化していく。

初体験が10歳未満がどんどん増えている実態をバカ議員や警察はどう考えているのであろうか。

子供にはさまざまな能力がそなわっている。学校で教えることの内容は氷山の一角ではなく、縫い針の一角にも満たない。

世の中に学ぶことは数限りなくある。今の教育制度の枠を外し健全なる資質を引き出す努力を社会が行わない限り、質の悪い日本人がどんどん増えて行くであろう。

そうなると困るのはエリート諸君である。