四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

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北朝鮮問題は右翼にとってはおいしい松阪牛 自民党議員もよだれが垂れます! 田原総一郎に1000万円?

2009年07月16日 20時31分51秒 | 政治・経済
日本人の頭がいかれているのは承知している。
そういう意味では拉致被害者も同じようなものである。
私も含める。

村上春樹は善も悪も結局のところ無いようなことをいう。
核兵器廃絶に三宅一生が一役買っている。オバマ大統領に親書を出した。
今年の広島原爆投下の日には参加しろという内容である。

拉致被害者も自分たちの被害ばかりを言わず広島にも参加してはどうだろうか?
アメリカの落とした核兵器で何十万の人々が死に追いやられて、今もその後遺症を引きズっているいる人々がたくさんいる。肉体だけの痛みよりも心の痛みも激しいのである。
三宅一生も原爆被害者であった。

田原総一郎がいうように拉致されて無くなった人もいるであろう。
いや、生きている根拠の方が無いという確率の方が高いのである。

横田めぐみさんの遺骨のDNA検査にしても二つの研究所での検査結果は相反するものであった。

もし、無くなっているということであれば、拉致被害の会は崩壊しかねない。存続させる根拠が失せるのである。横田めぐみさんの旦那の家族は韓国から北朝鮮に渡って会いに行ったが、横田夫妻はあらぬ理屈をつけ、北朝鮮に行くことをしなかった。孫にも会えたにも関わらず政治的策略などと言っていたのには疑問を感じた。個人的な悲しみの場合政治的判断をやる必要はない。すぐ会いに行くのが正しいのである。いろんな意味で30年は親であろうが子であろうとそれぞれの定めの中で生きて行くものである。子供が子供のままでさまよい生きているわけではない。ある時から決断しなければならないということを自覚しない人間はいないだろう。どんな境遇もそれが自分自身の人生上にあることであるなら、それに従わざるを得ない。ああなればいいだろうこうなればいいだろうとは思うがそれが運勢である。バカでも首相になる人間もいれば、利口でも教授になれない人間もいる。

tbsnews

有本さん両親、田原総一朗さんを提訴

 北朝鮮に拉致された有本恵子さんが「生きていないことは分かっている」とテレビ番組で発言したジャーナリストの田原総一朗さんに対し、有本さんの両親が慰謝料を求める訴えを起こしました。

 訴えによりますと、田原総一朗さんは4月24日深夜に放送されたテレビ朝日の番組で、「拉致問題の交渉が難航しているのは、被害者が生存しているとの前提で政府が交渉しているためだ」として、「有本恵子さんらについては、外務省も、生きていないことは分かっている」と発言しました。

 この発言に対し有本さんの両親は、「生きていると思って懸命に運動しているのに感情を傷つけられた」として、田原さんに1000万円の慰謝料を求めています。

 「お金(慰謝料)はいただく気持ちはありません。田原さんがウソをついていらっしゃるか、外務省の方が偽っていらっしゃるか、そこのところ分からないんですけど、それをはっきりしたいための裁判なんです」(有本さんの母 嘉代子さん)

 田原さんは謝罪はしたものの、発言自体は取り下げていないということです。(16日18:03)




日本の三大義務の年齢

2009年07月16日 20時15分03秒 | 生存権・労働問題
日本の三大義務に年齢があるとすれば、義務教育である。

義務三行
①教育の義務
②勤労の義務
③納税の義務

先ず日本国民は教育を受け、その後仕事をし、そして税金を納める。

この教育は日本国内で職業を得ることができる水準に基づいて仕込まれている。
義務教育を最低限受けていれば、最低の職業には就職できる。
しかし、義務教育は中学までであるが、中学の内容はけっしてやさしくない。
結局日本国民の8割は中学の内容が理解できないままで大学を卒業することになる。

だから、どの職業についても中途半端であるが、職業について20年もすると仕事は覚えるわけである。

とにかく、国としては税金が欲しいのである。そのために義務教育は授業料は免除、教科書代は有料としているのである。どことなく腑に落ちないが、そうなっている。

大体、病気でもしなければ15歳で中学を卒業できる。ここには一応の年齢制限がある。この年齢で卒業できなかった人たちには夜間中学の存在がある。

次に、勤労の義務であるが、多くの人は企業や公務員を60歳辺りで退職する。するとそこから先、勤労をしなくなるということになる。

勤労をしないと税金を納める額が少なくなる。
今では高齢者が増えすぎて、日本では医療費とともに年金支給が間に合わなくなってきている。
年寄りばかりでは税収は減るのである。
その変わり支出は増えるばかりである。

勤労の義務を声高らかに国が訴えれば、特に年齢制限なく働けるものは働き、できる限り税金を納めさせるとよい。税金をたくさん納める年寄りはいくつまで生きても問題はないのである。

しかし、病気ばかりして介護料もかかり、年金も支払い、さらにいつまでも長生きしているような年寄りは、生きている意味はほとんどない。臓器提供もあり得ない。

かと言って、生きている人に死んでくれとは公務員も言えるものではない。いかに薄情な公務員でもである。実際はキャッチャーミットを構えながらバッターの後ろでぶつぶつ小言をいう野村克也保守のように、「年寄りは早よう死ね、早よう死ね~」と、言っているのかもしれない。

勤労の義務は永遠ですよ!


芥川賞と直木賞 これも破廉恥な人気商売

2009年07月16日 16時11分06秒 | 文学・思想
芥川賞をとった作家で興味があったのは、石川淳と尾崎一雄であった。今は両者とも読まなくなった。

直木賞は全く興味がない。井伏鱒二が直木賞だったか、漠然としか覚えていないが、井伏鱒二の全集は筑摩書房のもので持っている。敢えて読むこともない。

インターネットをやりだしてから、生活が一変した。百科事典も国語辞典も他の語学辞典もほとんど開かなくなった。

集めた資料も見なくなった。資料が床に散らばっていても、自分の書きかけの原稿が散らばっていてもあまり興味がわかなくなった。

生活するお金とインターネットと脈略のない読書と植物図鑑だけは見ている。
床の上に落ちているので気になるのはお金だけである。お金だけはわざわざ屈んで拾うが、他のものはほとんど屈むこともしない。
やっぱりお金は便利である。

芥川賞・直木賞と毎年マスコミが騒いでいるが、騒げば騒ぐほど受賞者の顔を見るたびに、はyく死んでしまえと思わずにはいられない。

一体、作家ともあろうものが、芸術家の顔をしていないのが気に食わない。
読んでいて、とりあえず合格するのは漱石と志賀直哉である。漱石は若く亡くなったし、志賀直哉は途中から家族のためにダメになってしまった。

明治以降文学作品で面白いと思うものは、かなり読んだ中ではあとあと息を永らえている作品は少ない。鷗外は翻訳に良いものがある。創作は面白くない。

明治以前の日本の作品には世界に誇るべきものがかなりある。
黄表紙などの中でも迫力のある描写や人間の心理を文学的に如実にとらえているものがある。
如拙の『瓢捻図』のような気韻生動の作品を感じさせるものはどうしても明治以降は少ないのである。

芥川賞・直木賞は菊池寛とは無縁になっている。商売気の多い菊池が作った賞を受けて、されに商売上手な輩が文芸春秋を買収して継続しているだけに、その内容は低俗である。

辺見庸は作家よりはジャーナリストである。藤原智実はTVでちょこちょこ出ているが、その謝意を分析する能力には引き込まれるところがある。村上龍は論外である。

しかし、明治維新以後の日本の詩人は何と美しい詩を多く生み出したころであろうか。
詩の文学は思わず頭を垂れてしまう。

そして詩人作家の珠玉の作品は島崎藤村の『夜明け前』である。
室生犀星氏にも感謝する。

つまり、芥川賞・直木賞ともに文学賞ではない。文学賞であるなら詩も入っていなければならない。とてもではないが芥川の気質から考えて、今の芥川賞はふさわしくはないのである。


tbsnews

芥川賞と直木賞、受賞作決まる

 第141回芥川賞と直木賞の受賞作品が15日発表され、芥川賞は磯崎憲一郎さんの「終(つい)の住処(すみか)」、直木賞は北村薫さんの「鷺(さぎ)と雪」が受賞しました。

 「一生(小説を)書き続けていきたい。そういうチャンスを頂けたのかなと」(芥川賞受賞 磯崎憲一郎さん)

 芥川賞を受賞した磯崎さんの「終の住処」は、製薬会社に勤務する主人公の夫婦生活の紆余曲折を描いた作品で、言葉を知的に構築した点が高く評価されました。

 また、直木賞を受賞した北村さんの「鷺と雪」は、巧みなストーリー展開と安定した文体や作風が評価されました。

 芥川賞では、イラン人女性のシリン・ネザマフィさんの「白い紙」、直木賞では、映画監督の西川美和さんの「きのうの神様」も候補作にあがり注目されましたが、受賞はなりませんでした。(15日23:22)