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聘珍樓の焼き餃子(冷食)、ローメインレタスと豚肉の炒めもの

聘珍樓の焼き餃子(冷食)+茹でもやし
ローメインレタスと豚肉の炒めもの:オイスターソースで味付け
コーンスープ:椎茸薄切りと溶き卵

2015-12-14 23:06:59 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『サイボーグとして生きる』

マイケル・コロスト、2006、『サイボーグとして生きる』、ソフトバンク・クリエイティブ

突如聴覚を喪失した著者が人工内耳をインストールすることを決断し、サイボーグ(機械と人体が融合した存在)として生きることを選んだ過程での様々な経験を詳述しているのが本書である。最近まで本書の存在に気がついていなくて、いまに至ってしまったが、ろう者にとっての人工内耳の問題をしっかり認識するためにたいへん役に立った。

著者は、四歳まで難聴(胎児期に母親が風疹に感染したために起きた)のために言葉の発達が遅れたのだが、それに気がついた両親の献身的な教育の結果、言葉を習得し、補聴器の力を借り、読唇や口話法をまなんだ。さらに、書き言葉やコンピュータ言語まで習得して、英文科の大学院に進んだ。曲折を経て研究者への道は断念して働く中で、著者は、出張中に突然の失聴状態となり、聴覚士のすすめで普及し始めていた人工内耳をインプラントすることを決断する。彼は、コンピュータチップセットと蝸牛への電極の挿入をセットにしたインプラントと装着型のサウンドプロセッサーによって聴覚がサポートされる「サイボーグ」として蘇る。

しかし、聴覚を再獲得することは並大抵のことではなかった。蝸牛に挿入された電極によって伝えられる電気信号を脳は聞こえてくる音(音声言語だけでなく、音楽や背景雑音)として再学習しなければならない。技術革新は数度にわたるバージョンアップを彼にもたらすのだが、脳が音を理解するのはどうしても100%とはいかない。試行錯誤とインタフェースの限界が存在する。神経の数に比べて絶対的に電極の数が足りない上に、電気信号と神経信号および脳によるその知覚のメカニズムが、ブラックボックスになっている(研究途上である)。しかし、著者は前向きに行動する。かれは、聴覚にハンディキャップを負っているだけでなく、身長が低いというコンプレックスを持っていて女性との付き合いは、セックスをするまでに至るとしても安定したパートナーシップを獲得することができない。試行錯誤の中で、彼は、これは、自分の生育歴の中で獲得された社会性にも問題があることに気がつく。

ところで、ろう者には、大きく分けて(非常に雑駁な図式で申し訳ない)、読唇や口話法によって聴者の世界に適応する道と手話を通じてろう者コミュニティの中で生きる(といって、もちろん、世界の大多数の聴者の世界を無視できないので、ここにろう者の葛藤と困難が存在する)道がある。著者は、自分の社会性の問題点は、自分自身がろう者の手話社会に関わることなく生育したことに問題があるかもしれないとかんがえる。手話は指先の動きのみならず、表情や仕草など身体全体をつかってコミュニケーションを行うので、緊密な社会性が生まれるという。著者は、手話を取得して手話社会に加わることを断念して、様々なサークルに溶け込んで社会性を獲得しようと努力し、親しい友人をみつける。しかし、本書の中ではパートナーシップを獲得できたことは書かれていないので、この後も、彼は努力をつつけたということなのだろうが・・・。

本書の興味深いところは、脳の働きをとくに聴覚に関する問題について経験的に語っているという点だろう。私たちは、おそらく胎児のころから、聴覚機能の発達とともに、脳の機能のバージョンアップを繰り返してきている。著者は、生まれつきの難聴によって、多くの人が体験したはずの胎児から数歳までの言語形成期までの間には聴覚世界に参加しておらず、四歳から後天的に学習をして、言語獲得をおこなった。さらに、おとなになって決定的に失聴したために、人工内耳のシステムをつかって再び言語獲得を行うという稀有な経験を言語化したということである。こうした言語に関わる問題と社会性の獲得に係る問題を合わせて記述している点、本書を大変興味深く読むことができた。

サイボーグとして生きる
マイケル・コロスト
ソフトバンククリエイティブ

2015-12-14 10:24:36 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )