一応私の分の年賀状の図案は決めた。今年は北斎の富嶽三十六景を拝借してみた。妻の分はまだ決められないようだ。明日にかけて決めてもらうことにした。
明日は電話連絡と金融機関での手続き、年賀状の購入、整形外科受診を済ませると、とくに予定はない。しかし気温は本日程度に低いとの予報。最低気温はマイナスになるという予報も散見される。最低気温を記録する明け方は私は確実に寝ている時間なので、氷点下という実感はないはずである。
横浜では最低気温が氷点下になっても、水道管が凍るという事態は、私の耳にはあまり入ってこない。雨や雪のあとの路面の凍結はよくあり、現役時代には対応に追われたものである。もっとも水道局の職員は、水道管の凍結の事例に振り回されていたかもしれない。
ただし、明治時代には今の新横浜あたりで氷室が作られ、夏場には開港地へ氷を運び販売していたということを聞いたことがある。当時はいまよりも気温は低い時代だったようだ。
昼過ぎに妻と外出、喫茶店でのコーヒータイムまでは一緒に過ごしたが、その後は別行動。私は年賀はがきを購入しようとチケットショップに出かけた。しかし売り切れ。1枚につき0.5安くなるだけなので、郵便局で購入することにした。しかし本日は日曜日。杖をついて東口にある横浜中央郵便局まで歩くのは断念。明日近くの郵便局で購入することにした。
数年前までは地下街で職員が年賀状の販売を行っていた。内部的にいろいろと批判があり、私もそれを利用したことは多分ないと思うが、今年はまだ目にしていない。
本日は今年最後の日曜日ということなのであろう、横浜駅はとても混雑していた。喫茶店も満員でようやく空いた席に座ることが出来た。
横浜中央郵便局まではそれほどの距離ではないが、地下通路があまりに混雑しており、杖を突きながらの歩行は恐いと思えたので断念した。
別の喫茶店で、30分ほどの読書タイムとしたが、混雑で店内がざわついて落ち着かないので、早々と切り上げ。
これより年賀状の図案を考えることにした。
先日も記載したように髪の毛を極端に短く刈ってもらった。途端に寒気が列島を覆ってきた。
頭が寒い。先ず頭で寒気と冷たい風を感じる。顔でも手でも耳でもない。それも頭のてっぺんで感じる。
23歳までは髪は耳を覆うまで伸ばした。30代では耳を見せるようになった。50代からは左右と後ろは3ミリのバリカンで刈って貰うようになった。残りの毛のあるところは5〜10センチで通してきた。
これまではてっぺんの毛の無いところが広がるにつれて髪を短くしてきた。最近長くしている部分が白いバーコード状に見えるのではないかと思った。
50代のはじめに全体を3ミリのバリカンで短くしたら、妻が極めて不機嫌になって怒った。しかし今は何も言わないどころか、「いいと思う」と言うようになった。もう諦めたようだ。「歳相応」ということなのだろうか。
夕方から読み始めたのは「世紀末美術」(高階秀爾、ちくま学芸文庫)。「万葉読本Ⅱ」はこの書物を読んでからにする。やはり美術関係の本を読まないとちょっと落ち着かない。
本日は著者の「新装版あとがき」と「文庫版あとがき」、鶴岡真弓の「解説」、そして著書の「結び」から読み始めた。この書物は1963年に発刊したとのこと。高階秀爾31歳のときである。構想は23~24歳ということだから、学生時代直後には構想していたようだ。
「(十九)世紀末の西欧世界は、ルネッサンスに開けた実り多き一日の黄昏を迎えようとしていた。ルネッサンスとともに「現実的なものにひそむ詩情」を見出した人間は、その後四世紀にわたって、その詩情を歌い続け、その芳醇な香りに陶酔していた。しかし、今やその明るい歌声も、‥世紀末の夕暮れとともに消え去ろうといていた。‥人間はようやく、その公開の華やかで多彩な成果にもかかわらず、ふたたび自己自身に対する疑惑と不信とに直面しようとしていた。二十世紀芸術に大きな意味を持つようになるさまざまの問題は、すべて十九世紀から二十世紀へのこの転換期に提出され、新しい発展を約束されていた。その意味でこの世紀末の時代は、十五世紀のルネッサンスによって幕を開けた西洋近世の終焉を告げるとともに、新しい時代の出現を予告する第二のルネッサンスの始まりでもあった。‥第二のルネッサンスが、第一のルネッサンスに比肩し得る豊かな成果を誇り得るか否かは、われわれ自身に課せられている‥」(「結び」)
昨晩は今年最後の飲み会。少々お酒が過ぎたようで、帰宅後いつものように足を石鹸で洗った。次に妻と会話をしながら、パソコンを立ち上げ、メールを送るために書類をスキャナーしようとして、読み取り台の上に置いた。
そこまでは記憶しているが、いつの間にかパソコンの前で寝息を立てている自分に気が付いた。あまりの眠気に、着替えもせずにベッドに直行して寝てしまった。無意識に着ていた服などは脱ぎ捨てて、下着だけになっていた。
目が覚めたのが朝の5時過ぎ。急いでパジャマを着、夜に服用するはずの薬を3合の白湯で飲み、目薬をしてからまた寝てしまった。次に目が覚めたのが8時半。シャワーを浴びて、下着を取り換えて、ようやくすっきりとした。二日酔いに良いという、干し柿もひとつ食べてみた。そのためとは断定できないが、二日酔いにはならずに済んだ。
先ほどまで弱いながら冷たい雨。短時間で上がったものの寒さは厳しい。
昼過ぎに、今晩の食材と正月用の食材の一部の購入に付き合い、4千歩ほどを歩いた。帰りはバスを利用。
読書タイムを確保する気持ちのゆとりはなかった。
ようやく昼食にありつけた。金融機関に書類を提出、粗大ごみの手数料支払い、眼科で処方された点眼薬の受け取り、中華街まで足を伸ばしてウーロン茶を購入。ここまで予定通りの行動。
ただし時間は1時間は余分にかかった。
金融機関は年末&月末で大変な混雑。ATMコーナーの長蛇の列に驚いた。私は利用する予定はなかったので、他人事と眺めた。
歳をとると耳が遠くなるというが、それ以前の困難がある。本日も窓口で経験した。
隣で必要以上の大声の人や、行内で騒ぐ幼児の甲高い声があると、目の前で会話している人の声が周囲の声に紛れてしまって、実に聞きづらい。聞こえているのに、当該の声だけを取り出せないのである。
集中できない、と表現したらいいのだろうか。以前は取り出せた人の声が、取り出せない。
この状況は補聴器を使用しても改善はしないと思われる。隣に大声で話す人が来ると、怯えてしまう。それに気を取られて、ものを考えることも邪魔される。
歳を取るということを少しずつ実感・体感するようになった。
理髪店、100円ショップと家電量販店での買い物、喫茶店でのコーヒータイム、眼科、整形外科の順に回った。ウーロン茶を買いに行く時間はなかった。
喫茶店でリュックを探したが、読む予定の本が入っていなかった。家に忘れてきた。なんとも情けない状況にがっかり。コーヒータイムが味気なく、寂しいものになってしまった。
頭は、1mmと4mmのバリカンで短く刈ってもらった。帽子を被らずに出かけたので、帰りは頭がとても寒く感じた。髪の毛を短くしたためではなく、風が強かったのが原因だが‥。
叔母の家の家具類などの廃棄の見積が到着、想定よりも若干高かったので、安くなるようにお願いし、少しであるが、値引いてくれた。ありがたい。
夜には金融機関に提出する書類が配達された。コピーを取るのにまた時間を費やした。揃えた書類は、明日の午前中に提出予定。少しずつ前に動き出した感じがする。同時に読書などの時間がどんどん食われていく。やむを得ないことだが、やはりストレスを感じる。
明日も金融機関に寄り、中華街でウーロン茶を購入し、友人と打合せ、そして家の近くで軽く飲んでから帰宅予定。なかなか家のことも出来ずにいる。年賀状はまたも来週へ先送りになった。
明日はさらに寒いという予報、しかも夜は雲が厚くなるらしい。
昨日の昼間は、風呂の浴槽と風呂釜の外回りを清掃した。水垢がかなりたまっていて、時間がかかったもののすっきりとした。年末の大掃除のひとこまをこなしたのは何年ぶりだろうか。まったく役に立っていない夫である。
パソコンのある部屋の掃除は一応完成。一番最後に自分の机の上を片付けたものの、ここはまだ完全にはきれいになっていない。しかしこれにて一応終了。
年明けの中旬に粗大ごみをもっていってもらえることになった。これが終わるともう少しだけすっきりする。
新しい配置では、机とパソコンは反対に向いている。パソコンの画面を前にして座ると、後ろ側に机が位置しているのが、なんとなく不思議な感じで、まだそれに慣れない。もっとも95%の作業はパソコンに向かって行うので、普段の作業に支障はまったくない。
本日は1100円の理髪店、ならびに整形外科、不動産会社への電話相談、眼科その他の予定。できれば私が毎日喫しているウーロン茶を中華街まで購入しに行きたい。ウーロン茶は一番安いものであるが、すっかり癖になってしまった。
それぞれの場所が離れているだけにすべてこなすと時間はかかる。
本日は、久しぶりに家で夕食を摂ることになる。落ち着く。友人から里芋をもらった。妻も私も好物である。さて、どんな風に調理されて出てくるか。
忘年会よりつい先ほど帰宅。楽しい時間を過ごすことが出来た。もつ煮込みがとても美味しい店である。その他の肴もとても美味しい。その上に高くないというよりも安いくらいである。
歳をとると、慣れしたしんだ店が嬉しいということを聞く。私はまだそのような店を知らないが、本日の店はその候補になれる店だと思う。店のオーナーとは気さくに話が出来て、その上でしつこく話しかけてこない。静かに飲みたいときは声をかけてほしくないが、そんなわがままも察してくれるよわうな気がする。
本日中に「万葉読本Ⅰ 万葉の時代と風土」(中西進)を読み終えたいと思っていた。残るは「万葉にあらわれた女とくらし」という20頁に満たない論考。しかしリュックが重かったので、文庫本をリュックに入れた。
「世紀末美術」(高階秀爾、ちくま学芸文庫)。「万葉の時代と風土」は明日、午前中に我が家で読み終わりたい。
「萩原朔太郎の最初の詩集「月に吠える」は、短歌という伝統的な詩からは遠く距った、あまりにも新鮮な感覚において、従来の詩からの飛躍的な展開を示すものだった‥。にもかかわらず、彼は晩年きわめて伝統感覚をもった詩を作り、‥古典和歌への関心を示し、‥蕪村への親灸を見せる‥。朔太郎という近代の詩人の中に、古典和歌や俳諧という伝統的な抒情はどう位置していたのか。‥ひとり朔太郎にとどまらず、近代詩の作者にける伝統とのかかわりとして、もっとも基層的な問題となるはずである。伝統詩千年の歴史の中で、大ていの試練なら超克してきたはずである。そこに一方の西洋文化を迎え入れたとしても、何ほどのこともないと、まずは思えるだろう。それでいて近代詩という新しい形式、それにともなう用語の変革が、何物かをかえていくだろうことも、想像にかたくない。朔太郎と古典和歌との関係はまことに興味ある問題を、かなり普遍的な形で提出してくれるであろう。」(「月の詩心」一)
「朔太郎とまったく同じ意味において、漂泊の魂をもっていたのが大伴家持であったと思う。‥朔太郎はわが身がくらげの如く透明になり、つめたいものが体内に流れながら、なお魂の凍結、わが身の陥没を覚えた。家持もまた、月がいたずらにさやかだったのではない。」(「月の詩心」三)
「琉歌が万葉集と類似していることは、しばしば目につく。琉歌の成立はずっと後だが、ともに〈古代歌謡〉にぞくするからである。すると、これらの歌にみられる古代的発想とは、人間の心をしかに自然と重ねることであった。‥古代人の心は自然の草木と重なり合い、渾然とと融和しあうものであった。ことに花々は、古代人の心の〈象(かたち)〉そのものとして存在した。
あの中国最古の詩集たる「詩経」におさめられた詩、おそらく紀元前十世紀ごろからのものであろうと思われる市が、七、八世紀の万葉集と一致して、そんな心の〈象〉を示すこともある。‥古代人たちは花々を人間の無縁の生き物とはみていなかつた。植物の葉を髪に挿すことは、その生命をわが身に付着させることでもあったように、花々はじかに人間のいのちとひびき合うものであり、心の通い合うものであった。」(「はなと古代人」)
この指摘は白川静の万葉集の論考との響き合いを思い浮かべた。古代歌謡という共通点で詩経などとの比較を行っている魅力的な論であった。
「「なぜ高市黒人は舟の行先にばかり心がとらわれたのだろう。彼の心もまた、小舟同様に揺れ動いてやまなかったからである。黒人はは去っていくものしか歌わない。彼の心は確かに輝くもの、安定したものを見ることが出来ないのである。たゆたい揺れる心が彼の旅情であった。‥実際的にどうも大きくとも、海において舟が舟が小さかったとを示している。‥輝く美しき海は、そのとき無限の恐さに変る。海の賛美は海の畏怖と郷里であって、いつも舟を小さくし、たゆふう命の姿と見せたようである。」(「万葉時代の舟の歌」)
本日はも45分ほど喫茶店で読書タイム。昨日と同様に、「万葉読本Ⅰ 万葉の時代と風土」(中西進)の第3部。
本日読んだのは、第Ⅲ部の「月の詩心」「はなと古代人」「万葉の鳥」「万葉時代の舟の歌」の4編を読んだ。残りは「万葉にあらわれた女とくらし」の1編のみになってしまった。読み終わるのが寂しいものがあるが、いつまでも読み続けるわけにはいかない。
しかも家電量販店で取り寄せることの出来た「万葉読本Ⅱ 万葉の歌びとたち」も本棚で待ち構えている。
今回は第Ⅱ部からいくつか覚書として。
「古く人々の住まいは、川にそって営まれた。水辺が後々に至るまで生活の中心であることは、よほど機械文明が発達する時代まで、編かのなかったことだろう。万葉の時代とて例外ではない。飛鳥の諸宮が飛鳥川ぞいに営まれたこと‥。‥一度道をすべて消し去ってしまって、川沿いに万葉の歌を辿ってみる必要があるのではないか。」(「万葉の大和を往く」「二 川をたどる」)
「貨幣の価値はひとつの約束なのだから、きわめて観念的なものである。物の意味を一旦棄てて貨幣におきかえてみなければならないから、共通的な意味が強力となり、個別な切り捨てられる。‥銭を媒介されせることによって、物質の違いは物量の違いとなる。これは物の認識の仕方に、大きな変更を強いたことでろあう。‥ことばとて自然から作り出され、自然物に相当しているはずなのに、それ自体の別個の価値体系を持つに至る。より社会的なものであり、指示する内容とことばそのものとの量感には、大きな距たりがある。個別を捨象する普遍化によって銭もことばも、ともに記号としての役割が完全になる。‥貨幣の流通は、ことばの認識と濃厚にかかわっているといわなければならないだろう。それはとりもなおさずに、和歌に変更をせまることでもあった。」(「万葉集と都市」「一」)
「白鳳の人麻呂が「大君は神にしませば」という句をしばしば口にするのは、その意識がすでに弛緩していこうとしていた持統朝であった。‥人麻呂はその翳りの中からことばを発していたことになる。翳りということばの縁をもっていえば、事柄は光と影をもって言うことができる。大伴家持の時代に「みやびを」は光であり「ますらを」は影であった。その影を家持は光として求めた。人麻呂もすでに影となろうといるかつての光を、光として追おうとした。」(「万葉集と都市」「三」)
結局30分ほど前から一人居酒屋。美味しい宮城の「日高見」と豆腐のサラダ。ツマミは味の濃い魚がいいとは思ったが、ワカメが食べたくて、このサラダを注文。悪くない選択だったと思う。
2杯目はハイボール。
後ろのカップルはツマミで言い争っている。そこまでして二人で飲みに来る必要もないだろうと思いながら、オジサンは呆れながら聞いている。
不動産業者、清掃業者との打ち合わせ、整形外科でのヒアルロン酸注射とリハビリがようやく終了。
講演会に行く予定であったが、くたびれたので、残念ながら講演会は欠席させてもらうことにした。飲み会だけの参加もあるが検討中。
1時間ほど読書タイムののちに、今晩の過ごし方を決めることにした。優雅に一人居酒屋という、何年かぶりの選択もある。気分はだいぶそちらに傾いている。
本日は久しぶりに夕方45分ほどの読書タイムを確保できた。「万葉読本Ⅰ 万葉の時代と風土」(中西進)の第2部。なかなか刺激的であった。感想と覚書は後日掲載予定。
明日も相続の関係でいくつかの業者と打合せ。その準備が先ほどまでかかった。明日はまた整形外科でリハビリとヒアルロン酸の注射、そして飲み会。
日程が重なるのは、効率的ではあるが、反面慌ただしいし、この年では疲労が蓄積する。やはり現役の頃とはだいぶ違う精神力と体力であることを強く実感する。加齢のせいもあるが、同時に現役のときのような忙しさから離れて久しいということも原因のひとつかもしれない。
ということで本日も早めに入浴と就寝。