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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日から作業再開予定

2021年03月17日 21時41分16秒 | 読書

 明日からは退職者会の30年記念誌の校正作業を再開予定。第2校ができたので、付け合わせしながらの作業である。40ページ分の校正は時間がかかる。できれば明日一日で終えたいのであるが、果たして終わることができるであろうか。

 本日中に「洋画家の美術史」は読み終わりたい。明日から読む本は、「ベートーヴェン――巨匠への道」(門馬直美、講談社学術文庫)とすることにした。

 


「洋画家の美術史」 続き

2021年03月17日 20時16分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 本日は退職者会の作業はサボり。午前中は何もせずそれこそ「無為」に時間を過ごし、午後からは温かい陽気の中を、妻に連れられて新しくなった近くのスーパーを訪れた。下見がてらに若干の買い物。
 午後からようやく2時間半ほどの読書タイム。それも途中で1時間ほど寝てしまった。読んだ本は「洋画家の美術史」(ナカムラクニオ、光文社新書)。軽めの文章で、読みやすいが‥。
 読み終えていた第二章の佐伯祐三、坂本繁二郎を再読。第三章の梅原龍三郎、長谷川敏行、東郷青児、熊谷守一、第四章の曾宮一念まで。

「佐伯祐三は大阪にある古刹、光徳寺の次男として生まれた。‥佐伯といえば、パリの街角を描いた作品で有名だ。煤けて、くすんだ石壁のマチエール。繰り返し貼られ、剥がされた広告ポスターやチラシの跡。その何気ない画面を鋭い筆で写し取った。特に「文字」を絵画の画面に大胆に取りこんだ画家として興味深い。実は、寺の息子だから「文字を写すこと」にこだわった‥。佐伯にとって、憧れたバリの壁の文字は、崇拝する対象なのだ。彼は、ボロボロになったポスターの文字を、祈るように写し取った。そういった類の作品だからこそ、普遍的な美しさを保っている‥。愛おしいパリの文字を、絵画全体を使って埋め尽くしたかったのだ。‥「パリで死んだ」夭折の天才画家としての情報が広まったことで西洋的なイメージが定着してしまったが、本来は地味で渋く、日本的で禅画的ともいえる作風なのだ。」(第二章 成熟する「和製洋画む革命 佐伯祐三)

 佐伯祐三が「文字」にこだわったということ、ならびにそれが、その生い立ちであるお寺に生まれたことにあるという言及は、頷けるものだと感じた。私も好きな画家で、同じように感じていたがその由来がよくわからなかった。よく作品を見たいと思った。
 文字というものに神聖さを感じたり、美を感じ、言霊が張り付いていると思う感性が、象形文字・表意文字である漢字文化圏に色濃く残っている。そのような意識と、表意文字を使用する西洋での文字の文化への違和感と親和性の双方から私は考えてみたいと思った。
 しかし末尾の「日本的で禅画的」というのは飛躍がありすぎる。「日本的」「禅画的」が何をどういうイメージなのか、私にはわからない。何か魔法の言葉のようで、何かを語ったようで何も語っていない。意味するようでいて何も意味していない空虚な結論だと思える。

「(モランディのように)日常のオブジェを渋い色彩で描き続けた。「皮肉なことだが、新しいということを目ざすときほど、個性は消えている」とも言っている坂本は、「能面」を愛し、30点以上制作した。‥坂本の作品は、能と似ている。妄想の芸術だ。「絵は悟りだと思う。絵は、こちらが向こうをつかんだ力である。‥絵は悟りである。非人情です」。坂本は、昭和の画壇のなかで、孤高の存在でありながら偉大な画業を遺し、日本の洋画のことを誰よりも考えながら、87歳で亡くなった。西洋の物質文明に対抗し、最後まで東洋の美を追い求め、高い精神性を画面に塗りこめたのだ。」(第二章 坂本繁二郎)

 私が美術作品を好んでみるようになったきっかけともいえる坂本繁二郎なので注目して目を通した。モランディからは対象の評言の仕方を取り入れた、と私も思うが、モランディは対象はごくありふれた日用品であったと思う。坂本繁二郎は能面や能衣装など、対象を厳選している。坂本は容器である霧箱をモランディのように描いているが、それは日用品ではない。その違いが私にはまだ解けていない。「西洋の物質文明に対抗し、東洋の美を追い求め、高い精神性」どれもが何かを言ったようでいて、何も語ったことにならない、空虚な言葉に頼った結語だと私は思う。私は、このような表現を避けて、きちんと語りたいと思いながら言葉が見つからずに、もどかしい思いを重ねてきた。
 厩の月と馬の最晩年の作品から、私は何を感じているのか、考え続けている。漱石が坂本繁二郎の初期の「うすれ日」の牛に感じた「何か考へてゐる」と評したとき、対象とそれを描く作者の意識の上での距離感と、画面の奥行き感の相互作用が、鑑賞者に考える契機となっていると指摘したのだと私は感じた。うまく表現できないが、今でもどう表現したらよいか、ずっと悩んでいる。自分の表現力のないことを恨んでもいる。
 著者のような表現では私にはうまく伝わらなかったことだけは、記載しておきたい。入門書であるので、致し方ないのかもしれない。あとは自分で考えろ、といわれたと思っている。


明日からの読む本を物色中

2021年03月16日 23時22分33秒 | 読書

 「眼の神殿」を読み終わったので、次の本は何にするか、物色中。現在は「洋画家の美術史」と「銀河の光 修羅の闇」を並行して読んでいる。前者は半分読み終わったが、私の好きな坂本繁二郎と佐伯祐三を再度読み直している。これより後半の第3章と第4章。
 「銀河の光 修羅の闇」は扱っている西川徹郎の俳句自体が難解なので、こちらは急いで読んでも理解は難しい。時間をかけたい。

 目についた本は「ベートーヴェン――巨匠への道」(門馬直美、講談社学術文庫)。1987年の「ザ・ベートーヴェン」の文庫化で昨年8月の刊行。多分正月にふと思いついて購入した。 あるいは「バロック音楽 豊かなる生のドラム」(磯山雅、ちくま学芸文庫)にするか、思案中。後者も同じく正月に購入した。こちらは1989年の本の文庫化。
 両者とも名前は聞いているが、著作は読んだことがない。後者に少し惹かれているが‥。明日の朝の気分次第。またまた優柔不断‥。


「眼の神殿」読了

2021年03月16日 22時28分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   


「明治22年2月11日、憲法発布の式典が行われた。‥『大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス』この一条にはじまる大日本帝国憲法の基本理念は、‥皇室を国政の「機軸」であると同時に、国民の精神的な「機軸」として位置づけようとものであった。‥同じ年に帝国博物館が設置され、雑誌「国華」が創刊され、その翌年には、帝室技芸員制度が制裁され、岡倉天心による日本美術史の講義が行われた。‥美術を国民国家の「機軸」に位置づけることにほかならず、美術は、こうして日本のアイデンティティと重ね合わされることとなったのだ。美術は‥近代日本国家の精神的「機軸」として、いわば国家の神殿のごときものとなったのである。」(第3章 5.美術という神殿――「美術」をめぐる諸制度と国家の機軸)

「「反芸術」とはいったい何か‥それは視覚芸術としての美術からの逸脱である。絵画、彫刻というワリツケからの横溢であり、非美術的や物件や物質の反乱であり、確固たる実体性をもつ作品の解体であり、作品の環境化ないし空間化であり、‥美術と非美術の境を無化する動きにほかならなかった。このような傾向を、美術という制度を体現するものである美術館が許容するはずがない。美術館は、‥当然締め出しにかかる。‥こうして、反芸術は美術館から日常の街へと溢れ出すことになったのだった。」(終章 美術の終焉と再生――日本語「美術」の現実)


日程調整に四苦八苦

2021年03月16日 20時55分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 風は強かったが、温かくいい日和。

 午前中11時まで、昨日の退職者会の会議のまとめを行った。あわせて、新たな日程に沿って、日程を調整。7月の退職者会ニュースまでの日程をずいぶんと変更しなければならなくなってしまった。調整に四苦八苦しているうちに病院に行く時間になってしまった。
 あわてていつものかかりつけ医で診察、降圧剤を処方してもらった。日医工の薬ではなかったので、新しい薬とはならなかった。

 午後は1時間ほどのウォーキングと喫茶店での一服。「眼の神殿」を読む。終章を半分ほど残して、ほぼ読み終わった。


地震と何十年ぶりの夢

2021年03月16日 18時16分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明け方の茨城県南部を震源とする地震では被害は出ていないようで、ホッとしている。

 昨晩は23時過ぎには就寝。思った通り眠りは浅く、1時過ぎまで目はつぶっていたものの眠りには落ちなかった。1時過ぎにいったんベッドを離れて、1時間ほどリビングルームでボーッとしながら熱いお茶を2杯ほど飲んだ。ウーロン茶がことのほかおいしく感じた。新聞を眺めたものの、何を読んでいるのか頭には入らない。疲れている実感があり、欠伸が幾度も出るのだが、眠いと感じなかった。
 2時過ぎにもう一度布団に潜り込んで、長い時間暗い空間を眺めていた。ようやく眠ることができたようだった。しかし5時になって茨城県南部で震度4の地震。横浜では震度3を記録し、またいったん目が覚めてしまった。
 妻がつけたテレビを眺めたり、スマホの地震情報を確かめているうちに、こんどは「あるところでは震度7だった」という声がどこからか聞こえた。慌ててスマホを見たがそのようなメールは着信していなかった。妻に言わせると寝言のように「震度7の地点があったんだってね」としゃべっていたらしい。
 それでまた目が覚めてしまった。夢を見ていたらしい。夢を覚えていたり、寝言を言ったりするのは何十年振りであろうか。私も驚いたが、妻も驚いていた。夢は見ていたとは思うが、目が覚めた時にそれを記憶していることは少なくともこの30年、否40年は記憶にない。
 この時が5時半ころ。そして次に目が覚めたら9時前であった。3時間以上熟睡したようだ。ずいぶんとすっきりとした朝を迎えることができた。

 疲労と浅い眠りののちに地震で目が覚め、夢を見て、そして熟睡、不思議なパターンだったと思う。

 


ジェネリック医薬品

2021年03月15日 22時10分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 国内ジェネリック医薬品最大手の日医工に業務停止命令の結果、本日妻がかかりつけ医からもらった処方箋も、別のジェネリックに変更されていた。よく流通している薬で、汎用性の高いようで、私も以前に処方してもらったことがある。

 業務停止は約1か月ということであったが、処方箋の医薬品がいったん変わると、シェアを回復するのはなかなか困難なのだろう、と想像できる。
 明日、私もいつものかかりつけ医で処方してもらう予定である。薬局でもらっている説明書によると私の場合は影響はないと思われるが、果たしてどうであろうか。

 本日の会議で決まった内容の整理や、日程のスケジュール帳への記載は明日の午後にした。本日は夜のウォーキングもお休みして、入浴・就寝を早めに。

 


司馬江漢と歌川広重の「五十三次」 その2

2021年03月15日 21時27分08秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 疲れた日というのは、晩酌のお酒の酔いも早い。しかし疲れていると眠りが浅い、というのもまた確かなことのように思える。精神的疲労、肉体的疲労の区別なく、ともに眠りが浅くなる。そしてお酒に頼って余計に摂取するとかえって眠れなくなる。
 登山と仕事、そして組合活動を長年続けていると、体験的に習得したと思う。
 山小屋やテントの中で、災害時の会議室のテーブルの上の仮眠時に、そして徹夜の労使交渉が終了した日には眠りはとても浅い。
 こういう時こそ、好きな絵や詩や俳句などを眺めていると自然に瞼が閉じてくれる。それが多少浅い眠りでも、目覚めはすっきりとすることが多い。これも体験を通して悟った。
 ということで本日も昨日に続いて司馬江漢の「東海道五十三次画帖」から「蒲原」と「由井」。私は蒲原の広重の作品はとても気に入っている。江漢も広重も登場人物は同じ3人で、雪が降っいる情景も同じ。江漢のほうが降り続く雪を強調している。だが、広重のほうは降り続く雪はより少なく描写している。しかし家々や山の麓の黒があるために白い雪が強調されることで、3人の人物がクローズアップされて、難儀な雪がより想像できる。
 情景としては江漢のほうがより写実的であるが、広重のほうが作品に物語性が生まれている。ドラマを感じる。
 「由井」でも画面中ほど左に共に3人の人物がえがかれている。江漢のほうが人物は目立つ。だが、人物に動きを感じるのは広重の作品のほうである。

 両者の優劣、というのを論じているのではない。江漢は江漢としての先駆性と、歴史的な価値と必然があったというのが前提である。私は広重のほうにより「近代性」を感じてしまう。彩色と構図によってこんなにも差が出てしまうのか、ということをあらためて実感した。


さすがに疲労困憊

2021年03月15日 20時05分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 幸いにも朝は予定よりも早く目が覚め、起きることができた。9時前には組合の会館に到着、事務局4名で準備作業も無事に終了。しかし昼食にありつけたのは13時半過ぎ。14時からの会議に合わせて昼食休憩は20分。朝のうちに野菜ジュース1パックとサンドイッチを購入しておいて助かった。17時前には後片付けも終わり、家路についた。

 温かい陽気のもと、サクラの蕾がだいぶ膨らんでいるのを見上げながら、関内近辺を30分ほど歩いてから、帰宅。


明日は早出

2021年03月14日 20時02分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は朝8時過ぎには家を出なくてはいけない。午後からの退職者会の幹事会の事前の作業と準備、10時からの事前会議をこなさなくてはならない。13時からは発送作業、14時過ぎからの幹事会と続く。できれば16時半には終了したいものである。
 午前中の事前会議終了後は、発送作業が行われる奇数月は昼食は食べている時間はほぼゼロ。朝のうちに購入したおにぎりと野菜ジュースを頬張っておしまいになる場合が多い。現役時代の昼窓当番の日のようである。
 コロナ禍でなければ、幹事会終了後に慰労を兼ねて居酒屋での一杯会で息抜きができるが、緊急事態宣言以降は、それも中止。楽しみが無くなってしまった。
 明日のための資料作りは終了しているので、こんばんは早めに寝て、明日の早起きに備えるつもり。

 果たして7時過ぎに起きられるであろうか。心もとない。

 


司馬江漢と歌川広重の「五十三次」

2021年03月14日 18時33分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨日の天気とは打って変わって風もほとんどなく、気持ちのいい日和となった。強風注意報は朝になって出ていたが、ウォーキング中に風を意識しなかった。

   

 図書館に立ち寄り、「司馬江漢「東海道五十三次画帖」 広重「五十三次」には元絵があった」(監修 對中如雲、ワイズ出版)を借りてきた。
 司馬江漢の「東海道五十三次画帖」(没年1818年以前に成立)と、歌川広重の「東海道五十三次」(1833(天保四)年刊)の55枚を上下に比較しやすいように並べてある。なかなか面白い。
 西洋画風の写生に基づく江漢の画帖をもとに、広重が換骨奪胎、浮世絵風に新たな構図と色彩で独特の画面に仕立て上げているのが歴然としている。広重がいかに優れた表現方法を身に着けていたかがよくわかる。同時に平賀源内以上に毀誉褒貶・虚飾が多いといわれる江漢であるらしいが、西洋画の技法を見につけた江漢という人の能力にもあらためて驚いている。

 3月28日まで就寝前のひと時にじっくりと見ていくつもりである。

 


「悪魔の話」(池内紀)から (3) 読了

2021年03月14日 11時52分07秒 | 読書

   

 昨日読み終わった本は、「悪魔の話」(池内紀、講談社学術文庫)。「8.不思議博物館」以降の「9.流刑の神々」、「10.気の好い悪魔たち」、「11.魔除け」、「12.いたるところに悪魔がいる」、「補遺 ニーチェの妹」を読んで読了。

「並外れたもの、特殊なもの、想像を絶したもの、およそ人間ばなれした壮大なもの、それらと対面するたびに人々は悪魔を借りて敬意を表してきたわけだ。無名の名匠をそんな風に神格化した。世に知られた名作や逸品には、しばしば悪魔が関与している。芸術伝説、また芸術家伝説には悪魔の影がちらついている。無類に美しいものが世にあらわれた際のエピソード、あるいは一人の芸術家が驚くべき手腕を発揮するにあたっての逸話。きまって最後にたのしいオチがつくのもぴってり同じ。」(10.気の好い悪魔たち)

「神話学者のフリードリヒ・フォン・デア・ライエンによると、世界中のいたるところで何世紀にもわたって存続した一つの信仰があり、そもそも、いかなる建造物であれ、それを建てることは神に対する挑戦であって、そのため供犠によって神をなだめなければならない。「大建造物が神への冒涜とみなされてきたことは、ユダヤのバベルの塔の物語が示しているとおりである。それは邪悪な力だけが完成させることができるものなのである」。こうした建物を建てるには、不正や裏切り、詐欺行為などがつきものとされ、だからこそ「いけにえ」が必要だった。」(10.気の好い悪魔たち)

 「12.いたるところに悪魔がいる」では、16世紀ドイツのゴシック建築に掘られた悪魔の数々が紹介されている。そして私も知っているグリューネヴァルトの描いた「キリスト磔刑図」についても「凄惨な腐乱する屍としてのキリストであって、通常、祭壇画におなじみの美しい聖性とは縁遠い、凶暴な謎のような絵」と記載されている。
「執拗かつ残酷に描き出す画家の眼は、ひたすら闇を見つめていたかのようだ。画面のおおかたを占めて深々とひろがる闇、そこには息を殺して無数の「闇の王たち」がひそんでいる」
 悪魔の話から、人間の闇、人の世の闇を見つめる芸術家の眼に視点が進行していく。
 さらに「ゴヤの辛辣な目」という段に至る。ゴヤの描いたカルロス四世の王妃「マリーア・ルイーサ像」について「無残な醜女としてわが身が描かれていなることに気づかなかったはずがない。とすればそれはやはり奇妙な女というべきかもしれず、より正確には、偉大な女の肖像というのがもっともふさわしいにちがいない」と記している。
「(ゴヤの描く)どの悪霊も、ことさら想をこらしてひねり出すまでもなかった。夢のイメージ、あるいは悪夢の形象であり、中世キリスト教会が悪魔的所産としてその表象を禁じたものだった。数世紀このかた人々の想像力から駆逐されてきたものが、近代のトバ口にあってゴヤという、いかにも予言的な名をかりてほとばしり出た。」
 ゴヤからロシアのコーゴリへと論は移る。
「ロシアの大地は、皇帝の名のもとに配置された一群の警察長官と、軍隊と、官僚によって、つまりは金モールつきの制服を着こんだ肩書だらけの悪党たちによって統轄されていた。若いゴーゴリはそれをウクライナ風の笑いによって軽妙にわていとばした。悪魔と警察長官とか一見してわからない世界の上には陽気な哄笑が響いている。ゴーゴリは晩年ロシア産悪霊たちみちみち「死せる魂」を書き、ようやく完成したその「第二部」を自らの手で焼いた。‥食を絶ち、自分の中の悪魔を追い払おうとしたのである。」

 「補遺 ニーチェの妹」で、時代は現代のヒトラーに移る。ニーチェの妹の編によって大きく捻じ曲げられたというニーチェの遺稿「権力への意志」を手放さなかったヒトラー。
「(ヒトラーが)少年として過ごした時期に、一つの共通項といったものが浮かんでくる。過酷な場賞金と古今未曽有のインフレで、国の存続さえ危ぶまれた歳月、その間に吹きこまれた悪魔=ユダヤ人への恐怖、成長してのち、ナチス組織の有能なテクノクラートして昇進を競うなかで、尖鋭化していく過程、ナチスはロシアへの侵略とユダヤ人絶滅の正当化のためにレトリックを多用したが、若手の実務官僚たちはそれを巧みに消化して、みずからレトリックの実践者となっていった。心理的にも社会的にも微妙な問題を含んでおり、どのように論じてもなお解けない余地が残る。」
 悪魔に身を売ったのは、ニーチェの妹か、ヒトラーか、ナチズムを支えたテクノクラート・実務官僚たちか。現代の日本もにらみながら、考えなくてはならなくなった。かれらは「人の闇」「人の世の闇」をどのように見ているのだろうか。


春の大曲線と春の大三角

2021年03月13日 22時48分14秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 22時45分になって横浜市域の注意報は解除された。ホッとした。



 雨が上がったので1時間10分ほどのウォーキングに出かけた。約8千歩。
 空は雲一つ見えない快晴。北におおぐま座の北斗七星、うしかい座のアルクトゥールス、おとめ座のスピカが曲線状に並び、しし座のデネボラを含めた春の大三角をしばらく駐車場で眺めていた。

★指栞して春雷を聞きゐたり        藤木倶子
★春星のめぐる夜空を時計とす       末永朱胤
★名ある星春星としてみなうるむ      山口誓子
★春の星またたきあひて近寄らず      成瀬櫻桃子


オンライン講座「ローマ教皇と芸術」

2021年03月13日 19時37分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 午前中はオンラインで「学んでから行く展覧会 ローマ教皇と芸術」という表題の講座を受講した。講師は中村宏美氏。
 おもにグレゴリウス7世(1073-1085)から、ルネサンス期のシクトゥス4世からバロック期のウルバヌス8世(1623-1644)まで。後期は戦国時代末期の日本ともかかわりの深い時期でもあり、興味深いものであった。
 長い時期を扱うので、90分の講義では駆け足になってしまったのは致し方ない。

 ズームはうまく作動したようだが、しかし途中で一度ネット接続が切れてしまった。すぐに回復はして、受講には支障はなかったもののイライラがつのった。当分Zoomの利用には不便が咲き纏う。

 


大気の息吹と大地の鼓動に敏感でいたい

2021年03月13日 18時13分07秒 | 思いつき・エッセイ・・・



 春の嵐は収まったように思える。カラスも収まったと判断したのだろうか、鳴き交かわしながら数羽が団地の中で飛び始めた。西の空では地平線に近いところで雲が切れており、夕焼けが黄色く見える。いつものカラスの夕方のおしゃべりタイムなのだろうか。東の空にはかすかに虹が出現した。

 私はできるだけ外界の気象状況の変化に敏感でありたいと思っている。近くの高層マンションでは、家族での宴会の大きな声が気象異常時でも聞こえることがおおい。気象状況を拒否する、というよりもまったく無関係に暮らしているように思えるのだ。
 それに比べると元公団の建てた5階建ての団地は、気密性が高層マンションほど高くはないためだろうか、異常気象時にはシンと静かである。外界の異常が、気密性の低い窓ガラスや、外部空間に直接面した玄関扉から伝わってくる。
 戸建ての住宅は、団地よりもさらに直接外界の影響を受けやすい。雨漏り、庭の樹木の揺れや折損の被害、草花や芝の被害などより直接的に住んでいる人に恐怖を植え付ける。
 反対に、現代のビルの中で仕事をしていると、まったく気象条件と無関係に時間を過ごしてしまう。雨・風の音などほとんど聞こえない。意識的にならないと外の様子は伝わらない。
 「より安全に」、ということが大気の息吹や大地の鼓動とは無縁なところに自分を押し込めるのではなく、「自然」とより密接な関係を維持しつつ、危険を避けることを考えたいと思う。それが「より安全に」ということにつながるのではないか。

 私は、大気の息吹や大地の鼓動に敏感であることを、常に意識していたい。それらと直接に関わりながら生きてきた過去というのは、遠い過去かもしれないが、ごく近い過去でもある。その過去の人々の、文学や芸術にも表現されてきた豊かな感性を身近かなものとして受け止めるためにも、常に意識していたいと思う。気象災害時、地震時にも、避難を余儀なくされたときの生活にも、何らかの糧になる。人はそうやって生き延びてきたと思う。