Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の思い付き的音楽論

2021年03月03日 22時50分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 本日の読書は「眼の神殿」を再開し、第3章「「美術」の制度化」の第4節「統合と純化-「日本画」の創出と「絵画」の純化」、並びに第5節「美術という神殿-「美術」をめぐる諸制度と国家の機軸」の冒頭まで。
 また本日は定期購読している「星ナビ4月号」が到着。これは毎月妻が読み終わったころに目を通すことにしている。



 ベートーヴェンのビアノソナタの第30番と第31番を聴いている。第30番の第3楽章は主題と6つの変奏曲からなっている。主題と第1変奏、第4変奏、第6変奏が気に入っている。第31番は全体としてのまとまり具合が気に入っている。特に第2楽章の前半と後半が別の楽章の様に聴こえ、その対比が心に残る。
 第32番はなかなか頭の中に残らない。もう少し時間をかけて聴くことになりそうである。

 ベートーウェンという作曲家は、自身の形式・様式の確立と、その確立した形式と様式に安住することなく破壊し、それからの脱却へと自覚的に進んだと思える。そんなことを考えながら聴いている。時として私の音の流れの感覚とは相いれない流れになって戸惑うことも多いが、それもまた楽しい。
 様式や形式に則った流れの曲を作ること、ならびにそれに収まり切れない和声や旋律の流れと様式・形式との葛藤は、どの作曲家も必然的に持っていると思う。しかしベートーヴェンはその乖離が大きく、また人一倍自覚的だったのではないか。その自覚がベートーヴェンをベートーヴェンたらしめている。
 曲を聴く私が好ましいと思うリズムや旋律・和声の進行と、作曲家のそれとの乖離が、耳からの感覚として実感できれば、その曲を愉しんだことになるのだと思っている。

 以上のことは、文章としてはなかなかうまく表現できない。力不足の私である。そのうえ、楽譜で追いながら曲を聴くのも私は好きであるが、楽典を理解しているのではないので、分析ができるほどの能力も私にはない。
 私のもっている身体的なリズムの感覚、旋律の好ましい流れとベートーヴェンの音楽との乖離は、ブラームスよりは少しだけ大きい。幾度もベートーヴェンを聴いていると、ふとブラームスの曲に帰りたくなる。そういう感覚をそのまま受け入れてさまざまな音楽家の曲を楽しんでいる。


本日は桃の節句・・

2021年03月03日 18時18分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 通院と買い物、帰りには分かれて私はいつもよりは空いていた有隣堂で30分ほど立ち読みをしてから帰宅。立ち読みだけで購入はしなかった。先日亡くなった半藤一利の平凡社ライブラリーの「昭和史」シリーズは売り切れのようである。問い合わせをしていた客に、在庫なし、と店員が答えていた。先々週までは4種類(戦前、戦後、世界史の中の、B面)がそれぞれ4冊ずつ積んであったのが、先週はずっとなかった。入荷したら購入してみようかとも、考えていたのだがしばらくは無理のようだ。
 楽譜や講談社ブルーバックスのコーナーも見て回ってから、私鉄の駅経由で帰宅。

 本日の夕食は、ひな祭りにちなんだものらしいが、娘が来宅するわけでもないし、私の口に合うか、少々疑問なれど文句は禁物。

 


ようやく強風おさまる

2021年03月03日 10時47分06秒 | 天気と自然災害

   昨晩も北風が強く、プラタナスなどの落ち葉が団地の階段室内で風にあおられて大きな音を立て、止むことがなかった。玄関扉に当たると人がたたいているような音がした。2度ほどその音で目が覚めた。

 今朝の気象庁のホームページを見ると日付の変わる前後には最大瞬間風速が24mを超える北風であったことがわかる。
 昨日の昼間の最大瞬間風速も22.1mとほぼ同じ。ただしまったく反対の南風であった。
 太陽が顔を出しており窓越しでは温かいのだが、ベランダに出てみると弱まったとはいえ北よりの風もあり、寒さを感じる。強風・波浪注意報は継続している。

 本日は病院で受診をしてから妻の買い物に付き従うことになった。