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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は市民病院

2020年01月21日 23時35分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は朝から市民病院。血液内科と眼科の受診。眼科は手術後1週間での視力検査。視力そのものは4週間は経過しないと安定しないが、取りあえず手術の結果の確認ということと思われる。見え方が歪んでいたり、見えない範囲があったりなどの不都合は今のところ感じていないので、手術そのもので問題は生じていないと思われる。
 血液内科の方は毎日服用する薬の処方が主な目的と思われる。

 本日「道展」の帰りに神奈川県立歴史博物館で「古文書が語る富士山宝永噴火-神奈川県域の被災と復興-」を見てきた。
 記事を今晩中に作り上げて明日の朝アップする予定。これから準備。

 


今年も「道展」

2020年01月21日 21時14分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 毎年訪れている「道展」。今年は第34回。昨年・一昨年は残念ながら見に行けなかった。私の中学・高校のときの美術の先生であった菊地洋二氏(一水会会員)が会員として毎年作品を出している。
 当時の仲の良かった同級生であった故松井英明氏は美術部で菊地先生の薫陶を受けていた。
 私は絵を描くことについてはまったくだめで、美術についてはいつも劣等生であった。しかし授業はとても面白かった。美術史、色彩論の入門的な今でも覚えている。
 中学一年生のときに学校を卒業されてすぐに私たちの学校に採用され、6年間お世話になった。当時の教師ではどういうわけか、私にとってとてもありがたく世話になった先生と、付き合いたくない先生とに極端に分かれていた。
 菊地先生は世話になり、面倒をかけた先生の一人。今の私が美術に関心を持つのもこのとき教えてもらったことが下敷きにあるような気がする。
 本日は、その先生に付きっ切りで会場を案内してもらった。
 さらに「菊地洋二個展」の案内ももらった。3月23日から28日、銀座の「光画廊」。是非とも訪れたい。


ベートーベン生誕250年

2020年01月21日 19時46分12秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 

 知人から戴いた年賀状に「ベートーベン生誕250年」と記されていた。そういえばベートーベンは1770年12月に生まれ、1827年3月に56歳で亡くなっている。私の好きなブラームスはベートーベンの死後の生誕である。
 私はベートーベンの曲ではヴァイオリン協奏曲がことのほか好みである。こればかり聴いている。CDもこの曲ばかり10種も揃えてしまった。
 地味だが、コンヴィチュニー指揮のチェコフィル、ヨゼフ・スークの1962年の演奏に酔いしれている。学生時代にレコードを購入し、CDに変えた。昔のレコードの表紙はチェコの付近の麦畑と農家の風景写真で、とても気に入っていたが、廃棄してしまった。悔やまれている。



 せっかくいただいた年賀状を契機にピアノ曲を中心に聴いてみようかと思っている。私の所有しているCDでベートーベンのビアノが活躍する曲はピアノトリオ全曲(アイザック・スターン外)と第5番のピアノ協奏曲「皇帝」、チェロソナタ全曲、ヴァイオンソナタ全曲、そしてボザールトリオの3曲のピアノトリオしかない。
 本日はボザールトリオのピアノ三重奏曲を繰り返し聴いている。1978年の演奏・録音。収録している曲は7つのトリオのうち、題名のついている次の3曲。
・ピアノ三重奏曲第4番 変ロ長調「街の歌」 Op.11(1797年)
・ピアノ三重奏曲第5番 ニ長調「幽霊」Op.70-1(1808年)
・ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調「大公」Op.97(1811年)

 購入した時は輸入盤であったので、日本語の解説は残念ながら添付されていない。


本日で一区切り

2020年01月21日 11時15分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩、目に防水バッドを貼りさらにテープで防水補強をして、頭皮と髪の毛を丹念に洗った。実に気持ちよかった。明日には診察で洗髪の許可が出ると思うが、それまで我慢できなかった。特にフケが出たわけでもないし、頭髪がにおうといわれたわけではないが、何かゴワゴワとした感じが嫌であった。
 明後日23日には理髪店に行って、さらにさっぱりとしたい。

 今朝は朝から薬箱の整理。古い薬などを廃棄、意外と病院の薬がたまっている。そして降圧剤などについては1週間分を災害備蓄用として別途保管。降圧剤はいろいろな種類があり、併用はよくないので、以前に貰っていた薬が少しずつ残っていた。それらをすぺて廃棄した。
 鎮痛剤は今はやりのものは服用すると蕁麻疹用の発疹がすぐに出るので、別の鎮痛剤を7回分ほど確保してやはり別途保管。

 昼食まで、残った本の整理。これで処分する本は一応確定する。残る作業は、退職者会の5年ほどの書類の廃棄と、残った本の再収納。これは23日に古書店が引取に来て以降の作業である。せっかく本が少なくなったので、綺麗に収めたい。これは1月1杯で終了できればいい。

 購入してしまった40インチのテレビを置く台とスペースがなくとか捻出するためにということで始めた作業だが、本棚の大掃除そのものが目的となった。大事となってしまった。

 妻とは、「終活の一環」と冗談ともつかないことを言ってお茶を一服。


夜のウォーキング復活

2020年01月20日 23時19分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 団地の外へ一人で夜のウォーキングに出かけてみた。団地の中ではないので、はじめから用心のために眼鏡をかけて歩いた。バス通りでも、車の来ない暗い裏道でも、階段でも歩きなれた道なので、どうやら無事に歩きとおした。
 ただしこれが歩く慣れない、凸凹の多い道であれば、きちんと再調整した眼鏡でなければ怖いと思った。
 車の前照灯などは、下に向けて貰えば特に怖くはなかった。しかしハイビームでそのまま走行されるととても怖いことには変わりはない。

 明日は特に予定を立てていない。午前中は俳句や現代詩の本で、処分してもよいとおもわれるものを整理してみたい。

 午後からは本日に続いて休養としたい。


本日は大寒

2020年01月20日 21時29分21秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日は寒かったが、大寒の本日は暖かく感じるほどの陽気であった。風がなく、日溜りにいると眠気に襲われるような日であった。

★大寒の一戸もかくれなき故郷      飯田龍太
★大寒の残る夕日を市の中        石橋秀野
★大寒や転びて諸手つく悲しさ      西東三鬼

 第1句、教科書にも載っていた有名な句。大寒という自然の厳しさと同時に太平洋岸の冬のきりっとした季節の澄んだ大気を表現している。姿勢の正しい人の句であると思わせる。自然の厳しさとそれを引き受けている人の心のきりっとした厳しさもうかがえる。
 第2句、厳しい自然をうかがわせる大寒の語感に対して、どちらかというと暖かさすら感じさせる夕日の中で夕食の食材を算段しながら買おうとしている作者を思い出す。決して暖かいわけではなく、そして多分財布の中もゆとりがあるわけではなさそうである。しかしそこには日常の生活に根出した暖かみを感じる。
 第3句、大寒の寒さと同時に老いの実感を突き付けられるような現実におののいた作者がいる。老いというものをことさらに突き付けられた一瞬ではないだろうか。若ければ片手もつかずに姿勢を元に戻すようなことも年齢とともに両手を地面について体を支えざるを得なかったのであろう。人目を気にしてとても恥ずかしい思いをしたのであろう。私も実際に体験した。

 大寒という季節の語感が人の心に作用するとき、さまざまなバリエーションが奏でられる。暖かみを感じることも、寒さが一層募ることも、そして自然の冷気そのものを受けとめる心情もある。


洗顔・洗髪

2020年01月20日 18時32分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 家の近くの喫茶店でサンドイッチとドリップコーヒーというちょっと贅沢をしてから、横浜駅まで久しぶりに歩いた。家電量販店で親に頼まれた家電製品の品定めをしてから、妻はスーパーへ、私は書店を見て回り、ふたたび喫茶店で一休み。帰りも家まで遠回りしてウォーキング。途中で日本酒の4合瓶を購入してにこやかに帰宅。

 出かけたときは陽射しが強く、目がショボショボした。しかし眼鏡は必要なく気持ちよく歩いた。帰りは暗くなりかけて眼鏡がほしくなった。やはり暗いと眼鏡が欲しくなる。

 目を手術した日からすでに4日目。洗顔も洗髪も禁止、といわれている。しかし顔は左目の周りは省いて石鹸で洗っている。左目に水や石鹸が入らないように細心の注意を払いながら。頭はまだ洗っていないが、さすがに洗いたくなってきた。
 今晩、左目を絆創膏で隠して頭を存分に洗いたい。いつもは毎日洗髪しているので、4日も洗わないのは耐えられない。

 


本日の作業は終了

2020年01月20日 12時38分24秒 | 読書

 本日も朝から本の整理、100冊あまりを作者別・出版社別に分けて結わえる作業。結局網野善彦の全著作と宮田登・石井進・阿部謹也などの諸氏の単行本も手離すこととした。阿部謹也氏のちくま学芸文庫のものは時どき目をとおすこともあるので残してある。大岡信の著作も数点を除いて手離す。
 その他1960~70年代を駆け抜けた方々の著作も一部を除いて手離す。
 全体では古書店に持って行ってもらう予定が820余り、廃棄は60冊余り。これにまだ結わえてあるがまだ親の家に置いてあるものや、現代詩歌・俳句でも処分するものがあるので全体では1000冊近くになりそうである。
 大概は眼をとおしたり、全部は読まずとも必要なところは眼をとおしている。20代から40代半ばまでずいぶん読んだのだと自分で感心している。ほとんど記憶には残っていないのが悲しい。

 古書店に電話をして書籍の概数の訂正をお願いした。

 同時にここ7年ほどの手紙・ハガキ・年賀状も一部を除いて廃棄することにした。廃棄は大型のシュレッダーのある所に持ち込んで自分で処理するのが礼儀だと思う。
 今年の年賀状と昨年末に届いた喪中ハガキは大切に保管。

 一応これらの作業が終了。これより久しぶりに妻と横浜駅に出向くことにした。二人で揃ってターミナル駅まで出向くのは4日ぶりである。それだけ作業で二人共引き籠っていたことになる。


白内障手術後の自己流状態確認

2020年01月19日 23時30分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほど思い切って団地の中を3周ほど一人で歩いてきた。暗い道なので不安であったもののどうやら問題なく歩き通した。見え方はよく成っている。前半は眼鏡なし、後半は眼鏡をかけて歩いた。車の前照灯は眼鏡の有無にかかわらず、これまでよりも眩しく感じる度合いが少なくなったと思った。

 白内障手術後の目の調子は感覚的にはかなり良い。まず3日目にして、目薬をさしても、急に見る方向を変えても、明るいところに急に出ても、ビリッとした痛みは無くなった。自然に視点の移動もできる。また焦点が合うまでの時間も短く、これまでと変わらなくなった。
 また左目は要望したとおり35センチほどの距離に焦点があう。全体にボヤッとベールをかぶっていたような視界は解消された。
 ただし、明るくないと近いところはなかなか見えない。読書程度の近距離では少しでも暗いと摺りガラス越しに物をみているように感じる。数メートルから先ではそのようには感じない。また手術前と同様に右目の乱視が強調され、二重にものが見えるのはこれまでと同様、あるいはもっと強調されているように感じる。
 はたしてこれが3~4週間後の眼鏡の作り直しまでに解消され、より快適な視界を確保できるか、今のところは私には何とも言えない。

 昼間は、眼鏡を掛けなくともとくに普段の生活には支障は生じない。テレビも眼鏡をかけなくとも問題は特に感じない。
 これまでの眼鏡をかけると左が過矯正で見にくい。ただし15分も使用していると慣れてしまう。
 中学2年の後半以降、もう54年も眼鏡をかける生活をしているので、眼鏡なしでいるとふと不安になって、眼鏡を探してしまう。手元に眼鏡があると、ついかけてしまう。

 視力に合っていい眼鏡をかけ続けるのは眼によくないと思うので、できるだけ早急に眼鏡店で調整をしたいものである。


本は重い‥

2020年01月19日 21時28分09秒 | 読書

 妻と二人で2往復して親の家から大型本54冊を家まで運び込んだ。二人共腕が抜けそうにつらかった。二人であと2往復は必要だと思われる。これは明後日までに実行したい。

 だが残っているものは、中井久夫、白川静、網野善彦、埴谷雄高、鶴見俊輔、澁澤龍彦、大岡信などの評論・エッセイなど。特に前4者はすべての刊行物がそろっているので、古書店からの評価はかなり高いと思う。だが、手放すのは思い切りが必要である。これらはふと再読したくなるものばかりである。特に白川静、埴谷雄高は頻度が高い。
 その他、さまざまな近現代詩や俳句集なども整理できていない。これらをどうするか未だ判断できないでいる。

 親の家にはマルエン全集の一部、レーニン15巻選集、吉本隆明の1990年までの全著作などのほか、日本史関連の大型本、大量の新書類がまだ残っている。

 明日は気張って、自分の部屋の整理の最後としたい。といっても自信はまったくない。


本日も本の整理に追われる

2020年01月19日 17時16分49秒 | 読書

 本日も朝から今迄古書店に持って行ってもらう本の整理。午前中は自分の家の中で新書・文庫本を中心にビニールの紐で分野別・出版社別にまとめた。午後からは親の住居に行って100冊ほどの単行本を結わえてきた。あまりに多い上に重いので、これから2日程かけて妻と運搬予定。50メートル先で近いのだが、階段を4階まで上り下りしないといけない。かなり古い本で箱入りの大型本。しかもまだまだ予定の三分の一ほど。今回だけでは無理なのでここは再度古書店に依頼することも考えた方がいいと思われる。

 一昨日は小説類を中心に処分。井上光晴の作品集、新作品集、第3作品集を対象にするか否かいまだに悩んでいる。初期作品は残したい。
 昨日は地球物理・地震学・天文関係、ならびに科学一般の啓蒙書を中心にほとんど処分することにした。
 本日は主に私の家にある歴史関係の本、日本史、世界史、中国史、朝鮮史、ならびに英和・和英・独和・古語・漢和・国語・仏教用語などの古い辞書も10冊ほど。
 親の住居には、谷崎潤一郎全集と永井荷風全集、講談社の今西錦司の旧版の10刊本全集が手つかずでしまわれている。中央公論社が1960年代に刊行した「日本の歴史」や「世界の歴史」、岩波の「漱石全集」、平凡社の「国民百科事典」は私の手あかにまみれているものの箱付きで残っている。「漱石全集」を除いて処分することにした。 

 昨日は雨と雪が23時まで降り続いたので、ウォーキングは出来なかった。本日も気がついたらもう17時近くになってしまった。
 ウォーキングはあきらめて、15分前から焼酎のお湯割りで一服中。

 


いろいろと手つかず・・

2020年01月18日 23時18分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 積み上げた本を出版社、ジャンル別に紐で結わえて、取りあえず本日の片づけは終了。だいぶ草臥れた。
 雨がようやく上がった。本日のウォーキングはもう無理である。しかも夜に一人で歩くのはまだ不安がある。しかも寒い。

 明日は親の住居の本を片付ける方に力を注ぐ予定。

 坂田一男展の「その2」がまだアップできていない。さらにハプスブルク展の感想もまだ手をつけていない。慌ただしい時にはいろいろとしなくてはいけないことが重なる。イライラしても仕方がないので、本日はこれにて就寝。

 


終わらない本の処分

2020年01月18日 17時49分10秒 | 読書

 本日の最低気温は今のところ13時過ぎに記録した1.5℃。最高気温が深夜1時過ぎの7.3℃である。果たしてこれが本日の最高・最低気温となるのだろうか。
 そして午後から雨ないし雪はあがるとの予報であったが、まだまだやみそうにない。みぞれは雨に変わっているが、気温が高くなった実感はまったくない。

 昼食は本の山に囲まれて韓国のインスタントラーメンで済ませてしまった。刺激的な辛さが体を温めてくれた。

 昼食後は再び本の整理。あらたに単行本37冊と文庫・新書63冊の古書店買取依頼の山をつくり、廃棄をさらに20冊。これでこれまでの分を合わせて480冊の処分をすることになった。処理しなくてはいけない本はまだまだある。

 切りがないので本日の本の処理はここまで。あとはここ2年の医者から処方された薬の処分と医療費控除に使用した領収書の裁断処理。これが終わって17時を過ぎた。

 明日もまたこの作業が続く。年末の大掃除をしている気分である。


本棚の整理

2020年01月18日 13時48分28秒 | 読書

 朝9時から本棚の本の整理、というよりも残すものと廃棄と古書店への売却との仕分け。古い文庫本の廃棄は今のところ10冊、単行本と博物館・美術展の図録を合わせて約170冊、文庫・新書が約190冊。シリーズ物は全部そろっていなくとも取りあえず紐でひとまとめにした。
 もったいないとは思いながらやむなく古書店行きは、大江健三郎の第1期、第2期の「全作品」集とそれ以降の単行本となった全小説。地球物理学関係の教科書的なシリーズ本、新書も古書店へ依頼。
 残すものは日本の詩歌を中心とした古典。新潮社や岩波書店・小学館の大型本と文庫は残した。大型本と文庫で重なっていても持ち歩きようにも捨てがたい。ほとんど文庫本ばかりだが近現代の詩集・歌集。荒地詩集などの単行本も残す。美術関係の本は啓蒙書も含めてすべて残すことにした。

 これで整理対象の本の約5分の1に手を付けたことになる。私の部屋にも大量の本が本棚からはみ出ている。親の住居にも大量の単行本、全集、文庫・新書が眠っている。これらをすべて23日までに片付けるエネルギーはない。明日の19日、20日、21日でどこまでできるか、見通しは立っていない。気力が続く保証もない。その上、古書店ですべて買い取ってくれるかどうかも心もとない。

 しかし本日までに整理しただけでも、撓っていた居間のフローリングはだいぶ復元できたかと思う。そして何よりも40インチのテレビの鎮座する場所が出来そうである。本を売却してテレビの場所をつくるというのは、やりきれない。
 だがこの歳になって再度目にするような本は限られている。床が抜けて妻に迷惑をかけるわけにもいかない。


阪神淡路の震災から25年

2020年01月17日 20時38分40秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 現役のときに労働組合の支部長をしていたが、夜にはその支部の新年会兼退職者感謝の集いが行われている。しかし今年は白内障手術が終わったばかりなので、退職者会の他の幹事に参加してもらっている。今のところはまだ雨や雪は降っていないが、間もなく降り出しそうである。代理で参加してもらった方には申し訳なかった。

 1月17日、阪神淡路の大震災から25年である。私は高速道路の倒壊、おさまらない火事の映像に衝撃を受けた。また労働組合の支援の具体化や派遣者の手配に参画し、行政側の支援の条件整備・問題点の解消などにも携わった。はじめて支援ということに直接具体的に関わった。現地に行ったのは発災から4か月後であったが、自分がかかわった支援の現場を見て回ることが出来た。今後の支援の在り方などの議論に随分役だった。同時に災害時の職場対応にも生かすことがたくさんあった。
 25年前のあの時、自分がどのように関わり、何をしたか、何が出来なかったか、何を教訓にしたか、思い出すことが大切だとおもう。自分が携わったことはもうすでに何回もこの時期に記しているので、本日は重複を避ける。だが、労働組合にも、行政でも、そして多くの家庭でもさまざまな観点から、思い出し、そしてそれらを継承してほしいものである。

 さて、明日の朝には雪になるらしい。昨日から確率が天気予報のたびに雪の確率が高くなってきた。雪といってもわずか1センチ未満の積雪予想だが、横浜・東京では大事である。鉄道・道路など交通機関、樹木、水道の漏水、停電などの影響がすぐに出てくる。しかも明日は「センター試験」。明日の朝のニュースはこのことばかりが取り上げられるはずである。
 あえて言えば雪に弱い、ということは他の気象災害にも弱い、ということに他ならない。