Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

取りあえず作業と会議は終了

2017年07月23日 20時39分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝からの作業と会議は無事終了。
 夕方には修理に出していたプリンターが無事に戻ってきた。さっそく試し刷りして動作確認を行った。梱包からプリンターを出して、梱包材の段ボールやクッション材のビニールなどを畳んだり、廃棄するものに分別すると全身汗だくになった。横浜は本日は最高気温が28℃であったが、この梱包材の始末が重労働である。
 運搬上の損傷を避けるための梱包であることは承知をしつつも、過剰な梱包ではないかという思いもまた湧いてくる。

 1万8千円という修理代は高い。しかしグレードを下げてA4のプリンターへの買い替えという選択は出来ない。A3仕様でかつ印刷もスキャナーの速度も速いこと、インクの節約モードを備えていること、最近はA3のスキャン作業が頻繁でありコンビニの機械では1枚30円もかかること、プリンター自体のランニングコストも安いことを考えるとグレードを下げることはとても出来ない。私も作業が遅くなることでストレスもたまる。

暑さは少しだけ和らいだ

2017年07月22日 23時04分59秒 | 天気と自然災害
 本日も暑い中を歩いたら、いつの間にか2万歩を超えていた。みなとみらい地区での講座終了後、いつものとおり友人と横浜駅まで歩き、その後は喫茶店で軽く読書をしてから再び歩いて帰宅。夕食後にまた横浜駅方面まで往復歩いた。
 夕方になっても暑さは残っている。しかし昨晩の夜は極めて蒸し暑かったが、本日は風が出てきて、それほどの蒸し暑さは感じなかった。
 明日は団地の管理組合の会議が午前中に行われる。午後には修理に足していたプリンターが戻ってくることになっている。修理代1万8千円也はずいぶんと高いものである。家電量販店の延長保証は2月に修理に出しているので、保証できないと断られてしまった。


本日の講座「EU離脱交渉とイギリスの政治社会」

2017年07月22日 22時43分08秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日の講座は「EU離脱交渉とイギリスの政治社会」と題して今井貴子成蹊大学教授の講演。
 EUの歴史とイギリスの関係から、離脱を「決めた」国民投票結果の分析、そして離脱に伴う経済的・社会的影響と今後のイギリスの動向で着目すべき点を話してもらった。
 とてもいい内容だったと思うが、まだ内容を整理しきれていない。

「原理主義とは思考の停止」

2017年07月22日 09時29分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 友人のブログ【⇒こちら「昭和音楽の風景」の「村の鍛冶屋は平和産業」】に次のような表現を見つけた。なかなかの表現だと感心したので、引用してみる。
 「原理主義とは、改善・改良のための思考・試行の努力を放棄した思考の怠惰に過ぎぬ」。
 まさしくそのとおりであると思う。「原理主義」というと「イスラムの原理主義」と刷り込まれてしまっているが、現代の世界を動かしている政治こそ「資本主義の原理主義」に陥っていないか。日本の政治もそのさいたるものではないのか。むろん中国もアメリカもロシアも、それを追随する国々も例外ではない。
 「戦争」や「国家悪」を忌避してきた日本という国、「忌避」がいつの間にかそれらを意識の外に追いやってしまって、肝心の「戦争批判」「国家悪批判」が空洞化して希薄になってしまった。そしてとうとう忌避してきた「戦争」「国家悪」そのものに侵食されてしまっている。安倍政権というものが、戦後の理念の空隙を縫って成立してしまった。
 彼等には早々に退場願わねばならないのだが、一方で戦後の混乱期、市民の多くが貧しかった時に出来上がった各種の福祉政策など社会保障や相互扶助、基本的人権、平和主義、政治の公平公正、教育の機会均等、政治の規範などをもう一度、少子高齢化社会・活力を失いつつある社会状況を踏まえて、捉え直さなければならない時期に来ているようだ。これらは戦後憲法に裏打ちされた制度である。
 末端ではたらく者の給与所得が減少することで貧富の差がどんどん拡大している現状ならば、健康保険や失業保険・年金・各種福祉政策など社会保障システムは、より機能の充実が求められなければいけないのだが、市場の原理主義の徹底でそれらが否定されようとしている。成功した者=能力のある者、貧しい者・保護を受けなければならない者=淘汰されるべき者、という理屈が平然と政治家や政治家をめざす者の口から吐かれている。
 強者、権力者に擦り寄ることが「悪」といわれた規範がますます希薄になっている。「被災者」「被害者」「社会的弱者」等々に寄りそうことが「余計なこと」であり、彼等は自助努力が足りないために今の状況に自らなっている、ということが平然と語られるようになった。
 受益者負担論で国公立の大学の授業料を値上げし、義務教育を有償化してきた。これも「原理主義」といえる。
 年金制度も本人の積み立てた分に企業の負担分と合わせて将来受け取る、という仕組みで発足した。しかしいつの間にか、若い世代が高齢の世代を支える、と言い始めた時から制度の根幹が揺らいでいる。企業・国家の負担分も含めて年金受給世代が積み立てた分の不足を、現役世代にいくら負担してもらっているのか、それすらも明らかにしようとしない中で、現役世代〇○人で年金世代◎◎人を支えている、というたぐいの宣伝ばかりが先行している。これは企業が社会的システムから少しでも自由になりたいという「市場原理主義」と結びついて、現役世代の不平等感を煽ることになる。「原理主義」は企業の論理に押された政治が、制度の根幹を破壊するためのいいわけでもある。
 ひょっとしたら国民健康保険制度なども、今成立を図ろうとしたら、世論動向では否定されてしまうかもしれない。アメリカの状況をあざ笑うことは出来ない。

歩き方はスムーズになったようだ

2017年07月21日 23時40分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は午前中は団地の管理組合の仕事、午後からみなとみらい地区での講座。間に合うかどうかギリギリの時間である。
 みなとみらい地区まで歩いていこうかと考えていたが、時間的に厳しいので断念、地下鉄を使うことにした。あまり暑い中を無理して歩いて行ってもつかれて寝てしまいそうである。寝ない自信はまったくない。
 帰りは横浜まで歩いて喫茶店で一服というのがいつものパターンである。ときどきは途中の喫茶店で休むこともある。この一服が夏・冬関係なくとても気分のいい時間である。

 本日も石川町から歩いて帰ってきた。往復約1万8千歩、そして先ほど夜のウォーキングを久しぶりにしてみた。合わせて2万2千歩。最近は坐骨神経痛の心配なしに歩けるようになった。以前よりはスムーズに芦が前に出てくれる。これまではどことなくぎこちなかったようで、友人に今までの歩き方とは違うといわれていた。今はなんといわれるであろうか。

暑さに少しまいっている

2017年07月21日 21時35分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日も暑かった。昼間は32.6℃まで気温が上昇したという。横浜は東京・埼玉・群馬ほど暑くないのがありがたい。横浜上空で熱せられた空気が海風に載って東京・埼玉・群馬に行く間にますますヒートアイランド現象で暑くなっていくのであろうか。
 すると、暑さは横浜から始まるということになる。暑さに悩む地域の方には申し訳ない気分になってしまう。私個人の責任ではないのが救いではある。

 慌ただしさと暑さで読書にもあまり身が入らない。夏バテにはなりたくない。そして読書のために冷房の効いた部屋に籠るのも性格的に合わない。喫茶店に歩いていくと、暑さで疲れて寝てしまう。どうもうまくいかないものである。

 来週は友人の息子の「たかくらかずき展「有無ヴェルト」」を見に銀座に行こうかと考えているが、果たして実行できるか。→【http://rcc.recruit.co.jp/gg/exhibition/gg_sec_gr_201707/gg_sec_gr_201707.html
 私の固くなった頭で理解ができるか、頭の中に納めることが出来るか、はなはだ疑問である。頭の体操のつもりで新しいものを見てみようかと思う。
 紹介文には「たかくらかずきはドット絵を用いた平面作品で第7回グラフィック「1_WALL」のファイナリストに選出されました。その後も画像を構成する最小単位である「ピクセル」をテーマに、イラストレーター、アーティストとして多岐に渡る作品を発表し、2016年「スタジオ常世」を設立、ゲーム開発をスタート、2017年には演劇の脚本を手掛けるなど、近年ますます表現の場を広げています。本展では、ドット絵や絵文字といったデジタル表現を使いながら、見る角度によって絵柄が変化するレンチキュラー作品や、バーチャルリアリティ(VR)作品を中心に展示します」と記されている。

 会場を前にしてオロオロしてしまう自分を見つけるかもしれない。

「塵泥の数にもあらぬ‥」(万葉集巻15から)

2017年07月21日 18時15分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
★塵泥(ちりひぢ)の 数にもあらぬ 我れゆゑに 思ひわぶらむ 妹(いも)がかなしさ (3727)
★あをによし 奈良の大道は 行きよけど この山道は 行き悪(あ)しかりけり (3728)
★愛(うるわ)しと 我が思ふ妹を 思ひつつ 行けばかもとな 行き悪(あ)しかるらむ (3729)
★畏(かしこ)みと 告(の)らずありしを み越道(こしぢ)の
                    手向(たむ)けに立ちて 妹が名告(の)りつ (3730)


 訳は
(3727) 塵あくた同然、ものの数にも入らぬ私ゆえに悲しみに嘆いているあなた、何ともいとしいひとだろう。(大岡信)
(3728) おをによしなら、あの都大路は歩きやすいが、遠い国へ向かうこの山道は何といきづらいことか。
(3729) 愛しいとわたしが思い詰めているあの子を心にかけながら配所に行くので、この山道はむやみに歩きづらいのであろうか。
(3730) 恐れ憚って口に出さずにこれまで来たが、腰の国へと超えていく道の手向けの山にたってとうとうあの子の名を口に出してしまった。

 3727以外の3首の訳は、伊藤博の訳をわたしなりに変えてみた。3727の第3句「われゆゑに」の訳が私にはよくわからないが、「私など塵あくたのように下っ端の人間なので、奈良に戻るようなことなどないかもしれないが、それでも私を慕ってくれるあの子が愛しい」という意味に解釈できるのではないか。高位高官ならば恩赦や返り咲きということもあるだろうが、下っ端の私にはそれはのぞむべくもないという自嘲なのだろうか。
 この最初の1首は塵泥(ちりひじ)ということばの響きで持っている歌である。他の3首も前回とりあげた、巻15の冒頭の女から男への歌と比べると地味で、思いの強さや表現の斬新さは感じられない。しかし地味で突拍子もない表現、耳目を驚かすような表現はないが、切々とした訴えであることはわかる。

 女から男への歌にあった「道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天(あめ)の火もがも」や「けだし罷(まか)らば 白𣑥(しろたへ)の 袖を振らさね」などの読む人の心に響く表現や、畳みかけるようなリズムを持った歌ではない。女から男への歌では、想いを表す表現とリズムとがともに躍動感がある。しかしこれに唱和するかのような男から女への歌では表現もある意味平凡でリズムにも躍動感が感じられない。最初の「塵泥(ちりひぢ)の 数にもあらぬ 我れゆゑに」は切実感は感じられるが、他の3首は平坦な一本調子に聞こえる。だが、地味だが女への誠実さがこもった歌だと感じる。真面目さが伝わる。
 このグループの63首全体がまだ目をとおしていないので、これだけでは断定はできないが、男女の贈答歌、別離の歌の女からする切実感は、やはり万葉集の大きな特徴といわれるのは間違いがいがないのではないか。

 ただよくわからないことがある。この4首を見る限り、峠で女の名を口にすることがタブーとして認識させられていたらしい。それがどのような信仰に基づくものなのか、よく分からない。伊藤博の解説でもこれについては触れていない。この個所ですでに触れていることなのか、それすらもわからない。

「ニュートン」8月号

2017年07月20日 23時15分06秒 | 読書
 本日も暑かった。昨日2万2千歩も歩いたので本日は病院への往復と若干の買い物の付き合い程度で約8千歩あるいただけであった。それでも病院から帰ったときにシャワーを浴びて下着を取り換えた。



 昨日購入した「ニュートン8月号」を斜め読み。この雑誌は物理学や数学から離れて半世紀近く立ってしまった人間にはとても難しい。現代科学や宇宙論の動向を見るだけの私にはわからないことばかり。難しいところはさっさと飛ばして読むようにしないととてもではないが、読み切れない。斜め読みしてわかった気になる程度が私には相応しい、と割り切っている。

今の「医薬分業」への違和感

2017年07月20日 18時48分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の視野検査の結果はあまり芳しくなかった。右目は視野も眼圧も変化はないのだが、左目の視野と眼圧がよくない。見えていない範囲も広がっている可能性があるようだ。
 点眼薬が変更になったが、以前のように副作用で痒みが出たり、赤く被れたりするとまた薬を変えなくてはいけない。副作用のことを考えると使う薬の範囲も限られてしまう。難しい判断を医師にしてもらわなければならない。

 医薬分業ということで薬は薬局で出してもらいことになって久しい。しかし当然ながらかえって患者の負担が増えている。そのことは高齢者や難病の方に対する特例措置をキチンとすることが将来的に可能ならば、私は特に異存はないのだが、体験的には費用のこと以外に疑問がないわけではない。
 それは次のようなことがまかり通っていることである。普通は医師が患者と相対して会話をしながら薬を処方してくれる。今はそこでちゃんとした会話が成立しない医師は淘汰される時代でもある。しかも病院は医師と患者が個室で相対して会話をしており、他の患者にその会話は聞こえない。聞こえたとしても日頃顔を合わせている患者同士、特に違和感もない程度で済ませられる。
 ところが薬局に行くと薬剤師が個室ではない大勢の患者や付き添いの人間がいる前で、しかも高齢者を相手にしているので大声で、患者の名前や病名や症状を確認する。そして薬が変わったのは、症状にどういう変化があったのか、薬は一人で飲めるかなどと聞く。さらに医師からいわれているような薬の注意点を繰り返すようにくどくどと、長々と喋りはじめる。私はこのおしゃべりが何としても苦手である。プライバシー云々よりもこの長ったらしい説明がどうしても馴染めない。医師とは違う観点からの指摘があれば、あるいは「服用にあたって不便だったりしことはないか」とか「飲み忘れた時の対応方法は‥」などの問いかけならばいい会話となるかもしれないが、医師と同じことを繰り返し一方的にまくしたてられるのは勘弁してもらいたい。
 私はいつも説明が始まると「会計は?」という発言をして説明を拒否するようにしている。それでもしゃべり続ける薬剤師には「静かにしてください。説明は医師から受けていますし、他人に聞かれたくありませんので迷惑です」といっておしゃべりを止めることにしている。
 「いいこと」というのは一方的な判断だけでしかない。善意も悪意にかわることがある。
 医薬分業、掛け声だけの建て前で済ませられているようでいて、極めて不快である。


「不染鉄」展 感想3

2017年07月20日 14時16分28秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 1950年代を中心に不染鉄は伊豆大島岡田村の俯瞰図を素材にして、画面下(手前)に海の中の魚を描き、画面上部(遠景)に向かって波、船、断崖、港、町並み、里山、遠い山を順に描いた縦長の作品群を作り上げている。ここに掲載したのはその一連の作品の中の「思い出の伊豆大島岡田村」(1955年、星野画廊蔵)。
 特に波の描写が大きな割合を占めている。しかし特徴は断崖とごつごつした岩(火山のマグマで出来た奇怪な丸みを帯びた岩礁帯)が特徴のある造形である。家々には人が端座している姿が描かれているものもある。大島の漁村の風景は画家にとってはわずか3年の生活であったようだが原風景にも近い印象的な、そして発想の原点でもあるような場所だったのであろう。遠景の山は富士山にも似た印象すら与える。
全部の作品ではないが、帆をあげた漁船と思しき船には人が描きこまれている。そしてほとんどが水墨画か、ほぼ単色の作品である。波の柔らかな曲線と黒く塗りつぶされた海水面、硬い岩を表す曲線と白い表面、このコントラストもまた見どころである。



 敗戦後すぐに奈良の風景を描きはじめ、次第に薬師寺東塔を中心にした構図に発展してゆく。1960年代後半から1970年代にかけて富士山の図のように左右対称になり、近景に東塔を描き背後に若草山が光背のように描かれるようになる。手前に鬱蒼とした森が配される。同様の作品に唐招提寺金堂を描いたものもある。
この頃は伊豆の水墨画風の作品ではなく彩色され、配色が美しい。東塔の背後から若草山までの水色と空の黄色味が私にはとても効果的に見える。そしてここでも横になびく青の線が遠近の強調におおきな役割を果たしている。
 不染鉄という画家は、ひとつの風景をいくつも描きながら少しずつ形を変え、左右対称の独特の画面構成に変わっていく。その変化を楽しむのもまた鑑賞の楽しみであると思う。

   

 次の「いちょう」(S40年代、個人蔵)などの銀杏の黄落も執拗に描かれている。そしてこのシリーズは「落葉浄土」(1974年、奈良県立美術館蔵)に結実していると感じた。初期からこだわってきた民家の延長のような古い寺の佇まいには諸仏・菩薩の像がならび、仁王がいかめしく経っているものの人を威圧するものとは思えない。背後に力を秘めているとは思えないほど、背景の森にとけ込んでいる。そして左手に父子の姿らしきものも描かれている。銀杏の大木とこの父子が左右の均衡を保っているように感じた。



 このような題材ごとの作品群の中に異様に迫力のある1枚の作品がある。「廃船」(1969年、京都国立博物館蔵)という作品である。この作品には驚いた。
 高さ47センチ余り、横が100センチを超える大作である。巨大な鉄の船がほとんど船底を見せて港を圧するように停泊している。港の船と比べるとその異様な大きさに驚く。これは現実の船ではない。画面の手前にはあばら家のような小さな家がひしめき、貧しい人々の生活が垣間見える。船のすぐ下に描きこまれた家々よりも狭く、直立せずに傾いた建物すらある。そしてこの船は戦争用に戦闘艦ではない。客船のようである。
 解説によると「天にも地にも海にも、救いようのない暗く重苦しい空気が漂う、他の作品とは一線を画した異色作」とある。
 また図録の冒頭に松川綾子奈良県立美術館学芸員は「時は日米安保闘争と学生運動のさなかの昭和40年代、多くの尊い生命を奪った戦争への激しい怒りを込めて制作された《廃船》は、不染の内なる良心と正義感の表れである。もえさかる戦火を背景に帰らぬ船となった焼け焦げた船体は、戦争によってすべてを失い抜け殻となった無力な人間たちの姿であり、恐怖や悲しみ、憤りといった感情を越え、深い喪失感と虚脱感が漂っている」と記している。
 大筋はこの指摘は首肯できる。このような大きな船のような重しを背負って敗戦後の日本は歩んできた。国内の経済の土台を失い、アジアでの信用と位置を喪失し、数えきれない人の命を喪失させた。そんな重苦しい思いが作者には居座っていたのである。これが、敗戦後教育に携わり、社会党員としての活動を促し、付近の奈良女子大の学生との交流を続けたのであろうと推察できる。



 残された多くの絵葉書や文字が入った作品は細かくびっしりとした文言が溢れている。画家は思いのほか饒舌にさまざまなことを語っている。学生運動に寄りそう文章もある。それらの文章をすべて読むことはとてもできなかったが、多分若い人に充分に伝わることばであったのではないかと推察できる。私が当時この画家のことを知っており、その言に注目していたらどのような反応を示し、どのような影響を受けたであろうか。


鰻重と家族の会話

2017年07月19日 22時35分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は暑さの中、鰻専門店に行った。これまで毎年夏に行っていた鰻店とは違う店を見つけた。これまでの店よりは少し遠いのだが、安かった。安くてもなかなか美味しい。白焼きが1700円と1100円。うな重は2100円と1700円。私は生ビールと1100円の白焼き。妻は生ビールと1700円のうな重。二人共控え目な注文にした。妻の残した生ビールと鰻重の六分の一ほどを貰って、量としては私も妻も満足。
 お店は外観よりも中はきれいで好感が持てた。わたしたちが帰る頃は席がすべて埋まっていた。
 ただし美味しい日本酒がなかったのが残念。家族連れで来るにはいい店なのだろう。
 隣の4人掛けの席に着いた50代半ばの夫婦と30歳前と思われる息子の3人連れ、席に着くやいなや3人それぞれにスマホをいじり始め、私たち夫婦が変えるまでまったく無言でそれぞれがスマホの世界にはまっていた。ゲームではないらしいが、会話はまったくなかった。
 途中注文を取りに来た時だけそれぞれの声を聞いたが、注文したものが出てきて食べ始めても会話はなく、画面を見ながら箸と口が動いていた。とても不思議な光景を見た気分になった。

「不染鉄」展 感想2

2017年07月19日 18時20分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 戦前の作品でもっとも筆の力を感じ、そして異様な視点と構図に目を見張ったのがこの作品である。チラシにも取り上げられている「山海図絵(伊豆の追憶)」(1925年 木下美術館蔵)と題された第6回帝展入選作。34歳の作品である。
 手前に伊豆の南端の下田の面している太平洋から富士山を組正面に据え、富士山の背後に広がる甲斐・信濃と思われる山村を越えて、日本海に面する漁村の佇まいと思われる景色まで描き込んである。しかも富士山の向こう側は雪に覆われている。
 手前の太平洋岸は海の中の魚の群れまで描いている。手前の太平洋岸の季節は海の様子からはわからないが、富士山と海岸線の間の森や畑の黄色の色彩からは冬枯れかと思われる。画面の真ん中には列車が描かれている。
 家々の細かい描写は独特の細密画風であり、家々の窓や引き戸の向こう側には人間すら描かれているのではないかと思われる。実際に人間が描かれていたかどうかは判別は難しく確認できなかったのが残念である。しかし富士山の向こう側の雪に埋もれた家々からも家族の会話が聞こえてきそうな感じがする。人は描かれていないが、人への関心、人の生活の痕跡に対する興味をこの画家は手放してはいない。
 高所からの鳥瞰図の視点、細密画のような望遠鏡をのぞくような視点、見えないはずの遠点を描く視点、左右対称に描かれたあり得ない富士山の形によって安定した構図、時間と空間を作者の力技で強引に画面の中に押し込めたような構図は類型的な富士山からは大きく逸脱している。
 子どもの絵のような視点・視線で支えられているように感じた。
 1925年に描かれているこの作品以降、翌年の「秋色山村」「晩秋画房」「思出之記」3部作とひとつのなだらかないただきのような作品が並ぶが、それらを除いて1930年代から敗戦の1945年を経て1950年代まで残念ながら私がはっとした作品には目にかかれなかった。富士山の作品が繰り返し描かれ、それらが並んでいたが、似た構図と配色で、大人しく自足してしまったように思える。作品を時系列に眺めても躍動感、構図や配色の冒険が見られなかったと思われた。
 しかし1950年ころから再び作家としては大きな転換を迎えるように私には思えた。


今年2度目のウナギとなるか

2017年07月19日 12時33分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝から雲が厚い。陽射しはときどきしかないので、なんとなくすっきりしない。しかし本日梅雨明けと発表されたようだ。南関東では空梅雨のような気候がつづしたので「昨日の雨が梅雨明けの天からのご託宣」のようだと友人の言。なるほどそういう表現の仕方もあるかもしれないと納得した。気象庁という人為的な組織からの宣言よりも、自然自らのサインだったのかもしれない。
 梅雨明け直前の雷雨、というものが昔から言われていた。

 本日の夕食は今年2度目のウナギにしようか、という妻のひとこと。先月は自宅でウナギを食べた。今回は外でウナギ専門店でということなので、喜んで了承した。これから所用を済ませに出かけ、病院に行ってから待ち合わせすることにした。


明日は天気は回復の予報

2017年07月18日 22時50分10秒 | 天気と自然災害
 明日は天気は回復しそうな予報になっている。明日の午後も組合の会館へ出かける必要が出来た。用件は短時間で終わるはず。
 さらにいつもの内科に血圧の薬の処方をお願いしに行かなけば行けなくなった。4週間分の薬が無くなりかけている。 どういうわけか緑内障の点眼薬もあとすこしとなっている。両方の薬を処方してもらうとかなりの金額になる。しかも眼科の報は視野検査もしなくてはいけないといわれている。いっそう高くなる。予定外の出費となってしまった。眼科は明日は休みのため明後日である。
 今朝8時半過ぎにアリューシャン列島のロシア側の領域でマグニチュード7.8の地震があったという。震源の深さは不明。津波はなかったものの若干の海面変動が予想された。ずっと出かけていたので、海面変動の状況などはわからないが、その後の報道がないので大きなものではなかったようだ。


梅雨空の中であっても‥

2017年07月18日 21時29分21秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★梅雨明けの手かけてきしるキャベツかな    石田波郷

 はじめて読んだとき意味がわからなかった。
 畑に出来立てのキャベツなのか、買ってきたばかりのキャベツなのかは不明だが、かなりみずみずしいキャベツなのだろう。手に取るとズシリと重く、そして艶やかな葉が手に滑るのではなく、手に貼り付いてキシキシと音を立てる。梅雨時期の湿気を多く含む空気のなかにあった腐ってしまう野菜ではなく新鮮さを保ってといる野菜の生命力に触れた驚きなどが伝わってくる。
 キャベツを手に取って見たくなる句である。包丁さばきの上手な人が刻むといい音がするはずだ。

 野菜ひとつを手にしても、このような感動と発見をしたいものである。