Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「図書8月号」から

2017年07月28日 19時16分43秒 | 読書


 16時過ぎに帰宅した。家には「図書8月号」(岩波書店)が届いていた。シャワーを浴び、クーラーとアイスクリームを食べて体を冷やしたのち、ベッドで読んでいるうちにうつらうつらしてしまった。暑さの中、歩いて帰ってきたのでやはり疲れたようだ。

 眠るまでに読んだのは、

★表紙・壊れた井戸ポンプから水が吹き上がり続ける夢      司  修
「空襲で焼けた私の家。見渡す限り焼け野原となった町。毎年8月になるとその黒い地面に私は立たされるのです。あの日、福島の小学校の庭の除染作業がラジオで伝えられていて、50センチ削り取って‥しかし雨が降れば山林や台地から‥。絶望的な原発事故汚染に怒りを感じつつ、‥、わたしの神経はすべて福島に向けられているのに、焼野原での9歳のガキとなってしまったのです。‥」

★ジャズ喫茶と戦後日本文化                  マイク・モラスキー
「ジャズ音楽(そしてジャズ喫茶)に触れずには、戦後日本文化の歴史自体が語れない」

★戦争体験を語れる最後の世代を生きて             柳澤桂子
「真っ赤な筒(焼夷弾)は雨のように松山の街の上に降りそそぎました。やがて焼夷弾は#發して、大きな音を轟かせはじめました。あの下に居る人たちはどんな怖い思いをしていることか、たくさんの人が今、この瞬間に焼け死んでいるのだと思いながら、私は体が凍りついていました。」
「私は戦争の悲惨さをこの目で見ました。いま、生命科学を学んできたからこそ、長い病と共に過ごしてきたからこそ、一人ひとりが奇跡的ないのちであることを実感しています。‥いのちを大切に。戦争ほどばからしいことはありません。」

★対談・ここにしかない出会い                 奥泉 光・熊野純彦

★ブリューゲルと宗教改革(上)                  宮田光雄
「ヒエロニムス・ボスの作品には、人類の罪にたいする厳しい髪の捌きという地獄図絵の暗さが強く刻印されていた。これに較べて、ブリューゲルには、人間の底知れぬ堕落についての驚愕にもかかわらず、諦念や絶望ではなく、それにたいしてユーモラスな笑い-そこには自己アイロニーも隠されている-へ誘うかのような趣もあるのではなかろうか。」

「ベルギー奇想の系譜」感想の準備作業

2017年07月27日 21時06分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の午後は、友人が42年前、知人を招いて開催したライブ録音(ギターとハーモニカの弾き語り)のCDを妻とふたりで聴いた。いづれこの感想も書かなくてはいけない。
 そして夕方から「ベルギー奇想の系譜」展の感想を書くための準備作業。まずは展覧会用のチラシと展示目録(共にA3二つ折り)の取り込み。そして気に入った作品のピックアップ。
 本日はこの作業を終了するまで。明日以降は、作品の取り込みと図録の解説を読んで知識を蓄えることから始めることにしたい。うまくまとめられるだろうか。いつものとおり自信はない。
 明日は朝から所用で出かけなくてはいけない。帰りは夕方。明日も休肝日にできるか。決意を新たに‥。
 本日はこれから夜のウォーキングへ。ウォーキングといっても30分ほど、3~4千歩ほどで切り上げるつもり。少し早めに寝たい。




蝉がいっせいに鳴きだした

2017年07月27日 14時25分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝から蝉が一斉に鳴き出した。昨日までの沈黙がうそのようである。鳴き声はミンミンゼミ。昨日は最高気温が27.3℃、本日も13時前に27.8℃と30℃を超えていない。湿度は63%とやはり湿度は高め。

 最近は蝉の声が騒音として認識してしまう人も多いようで、昔現役の頃には「蝉の声が煩いから公園や街路樹の木をすぐに伐採しろ」と幾度も電話で怒鳴られたことがある。特定の人というよりもいろいろな公園の傍に住んでいるさまざまな市民からである。中には隣地の木で鳴いている蝉が煩いという苦情もあった。

 信じられないような要望でも一応伝票に記載して、保管はするがどこかの政府のように保管期限前に即日廃棄などはしない。一定期間の年度末までは保管することになっている。
 この団地の内部では今のところそのような要望はないので助かってはいるが、将来はわからない。

たかくらかずき展「有無ヴェルト」

2017年07月27日 12時26分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「たかくらかずき展「有無ヴェルト」」を見てきた。

会期:2017.7.11(火)-8.4(金)、時間:11:00a.m.-7:00p.m.、日曜・祝日休館 入場無料、
会場:東京・銀座ギャラリーガーディアン・ガーデン。


      

 公募展入選者の中から各界で活躍する作家のその後を伝える展覧会「The Second Stage at GG」シリーズの第45回目として、たかくらかずき展『有無ヴェルト』が開催されている。
 私にはまったく接点のないゲームの世界のドット絵ということで、恐る恐る古い友人と一緒に覗いてみた。
 描かれているものの精緻さと、そして現実の遠近感の不思議な放棄と再構築、そして原色の溢れるような配置に目が眩むのだが、思った以上に引き込まれて見入っていた。遠近感は非常に詰まっている。例えば奥行き1メートルのものの感覚が1センチの縮尺に押し込めたような感覚になる。また交差する図柄によってかろうじて遠近感が出ているもののどこかで破たんしているところもあり、一筋縄では全体を追うことはできないし、それを求めてもいないようだ。
 素材は意外と仏教的なもので、それをパソコンの世界の中で再構成している。今回の展示では曼荼羅図や興福寺の阿修羅像などが使われている。また風神雷神図なども思い浮かべてしまう作品もある。拡大していくとドット絵らしくピントはあったまま点の集合となる。また、虫や動物、植物などを繰り返し使い、複雑な絡み合いと単純な繰り返しのようでいて少しずつ変化してやまない。この変化がある意味個性なのであろうと推察した。
 バーチャル空間の作品もあるが、これは視力が衰えている私はあえて鑑賞は拒否をした。それは生理的に受け付けないし、三半規管が悲鳴を上げる。ここまではついて行けない。
 いくつかの作品は、見る角度で動いていくのであるが、現実の世界では動かないビルなどを「動かし」て、現実には動く動物などを「固定」するという仕掛けなどもある。それがどのような意味づけなのか、なかなか理解できなかった。
 さらに個別の平面作品は、画面のどこの場所をとっても全体の中で等価に配置されている。これが私などにはまた目がまわってしまう仕掛けなのでもある。パソコンの中の世界では主題と副主題、中心と周辺、主と従の区別の境界は喪失して、どこをとっても等価であり、時間という軸を挿入してもそれに変化がない。色の配置も含めて構成は対称性が強い理由はそこにありそうだ。
 私のこれまでの体験でこだわってきた「この世界を作り上げるときの作者の思いは、果たして世界の先端のどこに位置を占めようとしているのか、そのような自覚が有効なのか、無効と理解されているのか、そして世界の先端に位置することと、普遍性ということの折り合いをどこでつけようとしているのか」という視点はもはや有効ではないのか、という思いも湧いてきた。そういった意味では、なかなか理解が難しいと思った。
 個としてのこだわりが、作品として自立して独り歩きしていくための、普遍性との兼ね合い、言い換えれば世界との折り合いのつけ方の葛藤が、作品からどのように読み取れるかが、これまでの「芸術」の課題であった。そのことに自覚的であるか、もうひとつ聞いてみたかったことであった。またの機会に譲ってみよう。
 いろいろと考えさせてもらった展示であった。

 なお、解説と本人の言が以下のように記されている。

★たかくらかずきはドット絵を用いた平面作品で第7回グラフィック「1_WALL」のファイナリストに選出されました。その後も画像を構成する最小単位である「ピクセル」をテーマに、イラストレーター、アーティストとして多岐に渡る作品を発表し、2016年「スタジオ常世」を設立、ゲーム開発をスタート、2017年には演劇の脚本を手掛けるなど、近年ますます表現の場を広げています。
本展では、ドット絵や絵文字といったデジタル表現を使いながら、見る角度によって絵柄が変化するレンチキュラー作品や、バーチャルリアリティ(VR)作品を中心に展示します。
人間の知覚を問うことに焦点を当てた本展では、鑑賞者の位置により見えるものが変化するVRやレンチキュラーと、その作品に動かされる鑑賞者を、別の鑑賞者が見るという二重の構造をつくり、作品と向き合う身体を再認識させます。
ヘッドマウントディスプレイを装着して360°の映像を見るVR作品では、メディアアーティストのゴッドスコーピオンとコラボレーションし、「視点」をテーマにした作品を制作しました。VR作品を体験している鑑賞者が見ている画面はプロジェクションされ、見ることが見せることになる状況がライブで展開します。

★【umwelt(ウムヴェルト)=環世界
すべての生物は種特有の知覚世界をもって生きており、
その主体として行動している。】
増やすことは 正しいことですか?
作ることは 正しいですか?
死んだ後もやっぱり つなげてゆきたいですか?
消えたくないですか
あなたは気づいてしまっている ここが虚無であることに
き01001011010010でしょう?
この虚無を乗り越えるためには
誰よりも早く広がるか
とどまって積み重なるしかない
あとひとつ、方法があるけど
いまはまだ、10010ね。
ここからが本番です
あなたの名前は100101011
立派な0100000100000000001001001なんですから
【今見ているものは、なにか?】
                 たかくらかずき


昼酒をたっぷり

2017年07月26日 20時48分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昼間から飲むお酒は一日の気力を根こそぎそいでしまう。特に酔って寝てしまう私には効果抜群。
 ということで昨日訪れた「ベルギー・奇想の系譜展」と「たかくらかずき展」の感想は明日以降ということにさせてもらう。

 本日は居酒屋の安いチェーン店に友人と二人でいった。いつもいく家電量販店の店は混雑して騒がしいので、別の場所にある店に行った。席は埋まっていたがそれほど騒がしくはなかった。少々アルコールは薄めだが、かえって飲み過ぎなくて良かったのだろう。
 いい気分になって歩いて帰ってきた。楽しい会話のあとは、足も弾んだが、汗もたっぷり。往復1万歩、帰りは傘をささずに歩き通すことが出来た。家に着くころには汗で全身びっしょり、雨にあたったような具合で急いで風呂場に直行、シャワーを浴びて、そのまま寝てしまった。

 夕食はごく軽く。キュウリと小麦粉を表面に振った豚肉の炒め物、昼間友人に貰ったミョウガも加えて炒めた。あっさりとしてお酒のあとのおかずとしてはよかった。

 まだ頭が少しばかりマヒしているような、重苦しいような気分。体もだるい。明日は休肝日としたほうがよさそうである。


ミンミンゼミ

2017年07月26日 11時42分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今朝5時前、雨が降る前だがベッドの中でミンミンゼミが鳴いているのを聞いた。始めは空耳か、あるいは夢うつつで聞いた気分になっているのか、と疑った。しかしはっきりと聞いた。そのまま便所まで歩いて便所の中でも聞いたので確かだと思う。
 弱々しい声で、羽化したばかりなのかと思えた。今年は蝉声をあまり聞かないとの話もあり、何となく懐かしく、ホッとした気分になった。
 蝉の声を聞くと、夏も本番になったと思える。空梅雨でいくら暑い日が続いても蝉の声が聞こえないと夏になったとは思えない。不思議なものである。
 しかし9時ころからの雨で蝉の声は途絶えたままである。台風5号の動き次第であるが、今秋から来週にかけて、曇りがち、そして雨が予想されている。台風の雨は強烈なので台風には来てほしくないが、雨は降ってもらいたい。

 雨は小降りになった。これから出かける支度。

久しぶりにしとしと降り始めた

2017年07月26日 10時10分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜では先ほどから雨が降り始めた。弱い雨だが、それなりにしっかり振っている。時間雨量換算で5ミリ未満の雨であるが、川崎・横浜の北部では50ミリ未満の強い雨の表示もある。雨の区域は東にながれながら、東京の多摩地域から横浜・川崎の海沿いに少しずつ南下している。
 本日の最高気温の予報は28℃。すこしほっとしている。しかし湿度は高いようだ。梅雨時期ほとんど降ったいないので、しっとりと降る雨は好ましいものに思える。そして水源地帯に長めに降ってほしいものである。これはちょっと期待薄かもしれない。

 本日は13時から昼呑み。さてどこの店に入ろうか。昼間から開店している居酒屋は限られている。雨も降っているので、濡れない範囲ではごく限られている。
 昨日は久しぶりにホルモンをツマミにした。さて本日は‥。

 先日に引き続き、天満敦子のヴァイオリンで「哀歌 ベルタのノクターン」を聴いている。「城ヶ島の雨」も含まれている。このような雨の日に聴くにはいいCDである。


雨のにおいもしたが、降らずに終始

2017年07月25日 23時26分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 眠いのを通り越して、ほとんど目がふさがってきた。これ以上起きているのは不可能に近いようだ。明け方にかけて雨が降るかもしれないが、今のところ雨の降る様子はない。

 明日は別の友人と午後から横浜駅界隈で飲むことにしている。体調に要注意。

失態!国立新美術館は休館日

2017年07月25日 14時14分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
渋谷駅から表参道駅経由で乃木坂駅に着いたところで、「新美術館は休館日」の表示。知っていたのに、一昨日の計画段階から今まで、頭のなかではその認識が浮かんでこなかった。
すっかり意気消沈、プラットホームの椅子に腰かけてお茶を飲みながら、ボーッとしている。
そろそろ表参道駅駅に戻って銀座線で新橋駅に行かないといけない時間になってきた。立ち上がる気力が出てこない・・・。

閲覧数が250万越え

2017年07月25日 06時42分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日「トータルの閲覧数」が250万を超えた。
 閲覧してもらった方々に心より感謝申し上げる次第である。
 登録してからほぼ10年。丸2年間放置してから投稿するようになって8年経過した。

 最初登録した2007年7月の時は、記事に岩手山の手前の鞍掛山に妻と登って苧環の写真を掲載した。岩手山の写真は撮影しそこなってしまった。前年にひとりで岩手山を縦走したので、その時のことを思い浮かべながら、鞍掛山の山頂の岩に腰かけて周囲を見回した。岩手山が覆いかぶさるように見えで圧巻であった。
 投稿を本格的に開始したのは、次に投稿した2009年8月から。民主党政権が発足した時の総選挙の感想。2年半後に定年を迎えた。しかし早いもので、もう8年も経ってしまった。

 250万もの閲覧数に達するとは思ってもいなかった。最近は閲覧数は毎日1500~2000位だろうか。この閲覧数というものの定義が今ひとつはっきりしないのはいつも記載している通りであるが、何はともあれひとつの区切りとして捉えておこう。一昨日・昨日と3200、4300超といつもの約倍以上の数値が出ている。ときどきこのように数が大きく跳ね上がることがあるのが不思議である。
 このまま推移すると次に250万を超えて、トータルで500万を超えるのは閲覧数が1日1700として割り算をするとちょうど4年後になる。私が70歳になったころであろうか。それまで生きていれば、という仮定である。

明日はジャコメッティ展外を予定

2017年07月24日 23時32分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夜のウォーキングは断念。夕食時に缶酎ハイを飲んで寝てしまった起きたのが22時半過ぎ。風もおさまっておらず、友人にメールの返信などをしているうちに23時となってしまった。
 本日は9千歩でおしまい。昨晩より1500歩ほど多いだけで終わった。スマホの歩数計には日日の目標歩数は1万2千歩としているので、二日続けて目標値にとどかなかった。目標にこだわるのはあまりよくないし、二日間休養ということでまた明日から‥。
 明日は国立新美術館の「ジャコメッティ」展、Bunkamuraザ・ミュージアムの「ベルギー・奇想の系譜」展と、欲張ってふたつに挑戦。その後銀座で「たかくらかずき展」を見に行ってから東京駅近辺で友人とビールでも飲むというコースを考えた。

 暑いさなか、果たしてこの通りのことができるか。


風のやまない一日

2017年07月24日 19時57分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 なぜかこの暑いさ中にみなとみらい地区にあるスーパーまで買い物に行くとのこと。例によって荷物持ちとしてお供と相成った。横浜駅から歩いて30分近くの大きなスーパーである。おおきいといっても種類が豊富というわけではなく、私が探していたタバスコは棚の片隅にわずか数個、コーレーグースーに至っては見つけられず、店員に聞いてもその名を知らず、全然通じなかった。弁当の類は極めて安く売っていた。しかし弁当を購入するサラリーマンなどが訪れるところでもなく、不思議な気分であった。
 横浜では強風注意報が出たまま。17時前に8.7mの風を記録している。現在も風の音がしている。夜のウォーキングを予定していたが、これ以上風が強まるならばやめた方がいいかもしれない。

天満敦子「哀歌 ベルタのノクターン」

2017年07月24日 11時16分47秒 | 読書
 友人にちょっと長めのメールをひとつ、ようやく出来上がった。昔の記憶をたどりながら‥。
 そして26日には別の友人と昼間から飲む算段が成立。
 どうもじっとしていられないのが私の性分になってしまった。中学・高校まではどちらかというと引きこもりの性格だったのだが、変われば変わるものである。
 横浜では本日は昨日とは違ってまた30℃を越えるらしいが、風がとても強い。そして太陽が眩しい。



 こんな明るい日には似合わいといわれそうだが、天満敦子のヴァイオリンで「哀歌 ベルタのノクターン」を聴いている。ピアノは小森谷裕子、録音が1995年。ポルムベスクの「哀歌」「ベルタのノクターン」「望郷のバラード」、モンティの「チャルダーシュ」などがとてもいい。その間にグノーの「アヴェ・マリア」、バッハ「G線上のアリア」、フォーレ「夢のあとに」、マスネ「タイスの瞑想曲」などがあり、配列もまた効果的である。

         


明後日はどこの美術館に行くか‥

2017年07月23日 23時12分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一昨日今年初めての蝉の鳴き声を聞いた、と妻に言われた。どんな鳴き方か、と問うたが要領を得ない。ニイニイゼミかヒグラシか。アブラゼミやクマゼミはもう少し後かと思うが、果たしてどんな鳴き声だったのだろうか。
 昨日、本日と耳をすましていたつもりだったが鳴き声はしなかった。

 さて明日からの一週間は特に予定は込み合っていない。金曜日は朝から出かけなくてはいけなくなった。
 25日(火)に美術館に出向きたいと思っている。国立西洋美術館の「アルチンボルト」展、国立新美術館の「ジャコメッティ」展、Bunkamuraザ・ミュージアムの「ベルギー・奇想の系譜」展からひとつ。三つともという欲深いことは金銭的にも体力的にも、むろん能力的にも無理。

 一昨日取り上げた、「たかくらかずき展」は見に行くことにしている。

 明日一日どれにするか悩んでみることにする。

 本日は結局団地の中を3千歩ほど歩いただけで日付が変わりそうである。足の休養日ということになってしまった。これから近くのコンビニまで往復してみるつもりではあるが、わずか千歩程度でしかない。
 明日はもう少し歩いてみたい。


「ニュートン8月号」読了

2017年07月23日 21時50分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 読了と言っても今回は写真を中心に楽しんだ程度といえる。数年前に何冊か続けて購入した時には読みごたえがあるというか、理解しきれない記事が多くあったと思う。今回の号は記事を読むというよりは、掲載してある写真の美しさを堪能するにとどまった。編集方針が変わったのではないだろうが、それなりに楽しめた。
 私としてはどちらかというと、数学や生物学、医学の上方よりは宇宙論・地球物理学・地萼的な記事の方に目が吸い寄せられる。

 昔、俳句を作っていた時にこんな俳句を作ったことがある。

★卒業式周期律表も少し増え

 高校生の卒業式を仕事の帰り際に目にして、そういえば40年前に化学の授業で周期律表を前にしていろいろ勉強したことを思い出した。当時よりも周期律表に載っている毛践祚の数も少し増えているはずだ。その程度の知識・関心は未だ保持している。
 増えた元素を当時も特に覚えなくてはいけないことはいなかったし、今もそんなことは求められない。しかし周期律表を思い出したということが頭に残っていたので、そのまま句にしてみた。

 こんなことを思い出しながら、科学雑誌に目をとおすのも悪くない。