Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「軍は市民を守らない」「戦争は市民を救わない」

2022年11月01日 15時52分35秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 「軍は住民を守らない」ということばはよく聞く。沖縄戦では日本軍は住民を守らないどころか、住民を盾にしたり、集団自決を強いたり、住民とともに洞窟に逃げ込み住民を洞窟から追い出した事例が数多く証言されている。
 追いつめられた軍だけではなく、圧倒的な力を背景に攻め込んできた米軍もまた、無抵抗で逃げる住民を銃撃をしている。
 本日も退職者会ニュースではさまざまな集会や講演会での話の要約を盛り込んだ。記事の訂正の指摘ではその部分の補足をすべきだという指摘もあった。限られた字数の記事にそれらを盛り込むことと、写真を多用して視覚に訴える紙面構成のせめぎ合いで苦労する。毎回のことである。
 今回の記事では「軍は住民を守らない」というのは沖縄だけではなく、今回のウクライナへのロシアの軍事侵攻でも繰り返されたことを付け加えた。攻め込んだロシアは敗北過程では、住民を人間の盾として利用していることが報道されている。「戦争」は人を野生の生存競争の中に放り込む。人は人を盾にしても逃げようとする。動物の本能の行動である。
 ロシア・ウクライナ戦争は現代の戦争の縮図である。逃げようもないミサイルによる市民への直接的攻撃ダムや発電所・原発への攻撃といった間接的な市民への攻撃、無人兵器による生身の人間殺戮。直接生身の人間が見えない遠距離からの攻撃は生身の人間を目の当たりにした躊躇いや罪悪感から目をそらせて感覚をマヒさせる。

 本当は、「戦争は市民を救うことはあり得ない」「軍や力を背景にした政治は市民を犠牲にすることを厭わない」という表現すらしたかったが、それは私の思い。そのようなところまで話を進めた講演者はいなかったので、断念。
 習近平の政権が台湾を侵略すると危機を煽る人がいる。中には煽り運転のように執拗に煽り続けて沖縄の日米の基地の強化を煽る人がいる。戦場になるのは沖縄の人々の住む地である。犠牲になるのは沖縄に住む人々である。煽る人ではない。煽る人が、沖縄にたまたまいたとしても、たぶん一番先に逃げ出す人である、と私は思っている。
 日本列島全体に戦火が及ぶようになれば、基地と原発や火力発電所、ダム、ガス貯蔵施設のある地は真っ先に攻撃を受ける。いくらJアラートが鳴っても身は守れない。80年前近く前の空襲警報ほどの役にも立たない。それほどのスピードでミサイルは飛んでくる。放射能は防げることはできない。一時的に防いでも食料になるものが汚染されてしまう。ライフラインが破壊されて市民生活がマヒする。
 まずは戦争にならないよう、どこまでも冷静で理性的な政治家を選ぶことからしか第一歩は始まらない。

 抵抗の仕方はその国の成り立ちや歴史などに大きく左右される。今の私に、ウクライナやビルマや香港などの世界中の人々に「こうすべきだ」とお説教をいうことはできない。それぞれの国の人々の抵抗の仕方を見つめることと、いわゆる人道支援を行うことしかできない。

 私の頭に常にあるのは、1967~68年にかけてのチェコのプラハの春の抵抗である。四半世紀近く経ってからのビロード革命を準備した、かの地の人々の抵抗である。
 戦争の体験はおおいに語り継がれるべきである。同時に権力を振り回す政権への抵抗の歴史もまたおおいに語り継がれるべきである。それが私には本当の救いのような気がする。

 



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