二科会が結成されて100年を記念した展覧会「伝説の洋画家たち-二科100年展-」が東京都美術館で開催されている。
二科会と云われてすぐに会の歴史や関係した画家の名が出てくるほど日本の絵画の歴史に詳しくはない。それでも二科会という名は幾度も耳にしている。折角だからそこらへんの勉強も兼ねて展覧会に足を運んだ。
二科会の歴史年表などを丁寧に見ながらゆっくりと2時間少しかけて会場を回った。
むろん目当てはある。坂本繁二郎の「海岸の牛」「放牧三馬」「帽子を持てる女」、佐伯祐三「リュ・ブランシオン」「新聞屋」、松本俊介「画家の像」。これだけでも1500円を払う価値はあると思って出かけた。
会場は空いている。夏休みだから混んでいるかなと心配もしていたが、人気はないのだろうかと少々心配になった。雨が降りだしそうな天気だったこともあるのだろうか。
私の目当ての作品以外にも私なりに気になった作品もいくつかあった。それを大きな収穫としようと思った。
まずは会場に入ってすぐに目に入ったのが、坂本繁二郎の「海岸の牛」(1914)。もうここですっかり足は止まった。1970年3月の追悼展、2006年の坂本繁二郎展、2013年の「夏目漱石美術世界」展以来4回目の対面である。強い夏の陽射しを受けた海岸とそこに立つ牛、私が強い陽射しのもとで何かを見るとこのように見える。明確な輪郭が溶け出て周囲を合体するように境界があいまいとなる。そんな私の目に映る風景そのものである。高校3年の卒業間際の私が美術作品を見ることの楽しさを実感した作品である。
他の作品を飛ばして同じ坂本繁二郎の「帽子を持てる女」(1923)、「放牧三馬」(1932)の3点の間をうろうろした。とくに「海岸の牛」「放牧三馬」は飽きることはない。「胞子を持てる女」と「放牧三馬」は3度目の対面となる。
「放牧三馬」に描かれた3頭の馬の内、真ん中の馬は眼が青い。他の2頭は眼が描かれていない。構図としては空に浮かぶ3本の雲と地上の水溜りが平行、馬の脚と首が雲と水たまりに直行するように描かれ、横に伸びるリズムが心地よい。遺影のような3頭の馬を思い出しながら描く視線が印象的である。この馬は何の象徴だろうか。
私が坂本繁二郎の絵に惹かれるのは、タッチが終生同じようなのだが、対象が馬、牛、能面とかわりつつ飽きることがないことだ。手馴れて同じような描き方を続けたという姿勢は感じない。どの牛にも、馬にも、能面にもどこかに作者が牛・馬・能面の向こうに佇んでいる。どれもが同じ表情をしているわけではない。牛も馬も静止しているポーズだが、静かで微かであるものの動きがある。
この2点の牛、馬に比べて胞子を持つ女は完全に動きを封じられている。そして画家の面影が女性像の向こう側に見えるだろうか。背景の色に溶けてしまいそうな人物である。牛や馬の絵とどう違うのか、私には今のところそれがわからない。ヨーロッパでの体験が坂本繁二郎という画家の画業にどのような影響を与えたのか、もう一度勉強しなくてはいけないと思う。
お出かけになるとわかっていたら、割引券を差し上げましたのに!!
期待値が低かったせいもあってか、案外充実した内容だったような気がしますね(苦笑)。
個人的には、長谷川利之を二枚も見ることができたことが最大の収穫でした。
松本俊介の「画家の像」も、仙台から来ていましたね。今の感覚からすると「女性は守られる立場」という批判も出てきそうですが、生身で立ちはだかろうとする意気は感じます。
それが構図や描き方の観点から画業上のエポックとしてどう位置づけられるのか、興味のあるところです。
他の展示されている作品と比べると完成度は高い方の作品であると、私のようなものでも直感でわかります。
向井潤吉の「争へる鹿」や、今まで食わず嫌いだった岸田劉生の「初夏の小路」を見たのが収穫でした。