Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

春の雨

2021年03月25日 18時11分09秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 午後出かけようとしたら、ぽつりぽつりと微かに降ってきた。急いで家にもどり折り畳みの傘を手にして、再度外出。
 しかし団地のある小高い丘を降りたところでは雨は降っていなかった。横浜駅のそばの喫茶店にいたら再び雨が降り始て路面が濡れてきた。
 レインアイヨコハマによると最大で時間雨量5mmの雨と表記されているが、実感としては1mm未満の雨のように感じた。
 春の雨、を歳時記で紐解くと、「しっとりと趣ある雨」のような説明がある。すると本降りの雨のことではなく、本日の関東地方の雨のように傘が必要ないほどの雨、しかも南寄りの温かい気温のもとでの雨ということになるのであろうか。
 では本降りで、冷たい風をともなう雨はなんというのか、と天の邪鬼である私は突っ込みたくなる。

★春雨や小磯の小貝濡るゝほど      与謝蕪村
★春雨のあがるともなき明るさに     星野立子
★捨鍬の次第に触れて春の雨       山口青邨
★春雨を髪に含みて人と逢う       岸田今日子
★もつれつゝとけつゝ春の雨の糸     鈴木花蓑

 どの句も蕪村の句の春のイメージがそのまま受け継がれている。もしも蕪村の句が、春の雨の印象をはじめに作ったのならば、270年もの間そのイメージを変えることのなかった偉大な芸術家である。真相は浅学の私にはわからないが‥。
 蕪村の句は焦点がきちっと定まり、そして温かい句である。そして後代の4つの句とも、蕪村の句のイメージを踏襲している。私はことのほか最後の句に惹かれる。
 実は中学生の時、千mからの雨粒が人の顔に当たるときにはどうして痛くもないのか、と不思議に感じた。摩擦ということで説明できる、といわれて少しだけ納得したが、計算式でどうなるのか、深くは追及しなかった。世の中は、わかったようでわからないまま、そんなことばかりである。
 不思議なもので、そのまま大学は物理学科に合格した。私はとんでもない物理学徒であった。そしていまだによくわかっていない。大気の流れに沿って高度を上げたり下げたりしながら、地上まで落ちてくる。一直線に落ちてくるわけではない、ここまではわかったつもりになれる。真相はいかに‥。
 今度、物理の先生になった同期の友人に聞いてみたい。本当は短なことの説明が一番難しいのである。



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