Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

図書11月号から その2

2023年11月06日 14時56分32秒 | 読書

 昨晩から今朝にかけて読んだのは、次の4編。

・田村義也さんの誤解      山田裕樹

・書店と私③          近藤ようこ

・揺れる写真          竹内万里子
(写真は)たった125分の1秒、あるいは250分の1秒ほどの光が刻まれただけにもかかわらず、思いがけず人の心を深く揺さぶりね眠っていた思考を喚起することがある。
木村伊兵衛はつねに市井の人々とその暮らしをカメラで捉え続けた。沖縄においてもそのまなざしの質が大きく変わることはなかった。‥画面(1936年の「那覇の市場 本通り」)に登場する一人ひとりの人物の歩み=時間の流れが幾重にも重なり合い、一枚の写真であるにもかかわらず、まるで長回しの映像をみているような感覚になる。(満州事変からの戦時体制の移行、沖縄での風俗改良運動(方言撲滅・改姓改名運動などの同化政策、米軍の沖縄上陸と地上戦での20万人の犠牲を経て木村の撮影した写真を見ると)その後沖縄を襲った戦火。写真の中にいる一人ひとりの行く末と、写真を見る私たちのこれから。それぞれの時の流れは決して一致することがないだろう。写真はたった一つの像を結ぶことなく、私たちの目の中で永遠に揺れ動く。

・花の種            柳 広司

 昨日引用を忘れた個所があった。

・出会い            新川 明
「沖縄ノート」の印税の一部は、沖縄で新劇運動を続けてい入る大江と同世代の幸喜良秀が主催する演劇グループ「創造」の稽古場整備資金としても贈られた。大江自らは語ることはない沖縄の文化運動への知られざる支援が買ったことは関係者以外に知る人はいない。大江は「沖縄ノート」について「三十歳の時に初めて沖縄を訪れ、幾度か再訪した後、「沖縄ノート」を書きました。強く感情的な-倫理的な、ともいわねばなりません。本土で生きてきた小説家は、打ちのめされていました-思い入れにかりたてられながら、持っていた力はすべて投入したのです。しかしあの時の年齢の二倍を越えるまで生きて、思い出す悔いの残る本になりました。」私は末尾の「思い出すと悔いの残る本になりました」という言葉の「謎」を、どうしても解くことが出来ないでいる。

 今月号はこれで終了。



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