Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「万葉の時代と風土」から「「絶唱三首」の誤り」

2021年11月17日 17時22分08秒 | 読書

   

 Ⅰ部から「「絶唱三首」の誤り」を昨日読み終わった。
 万葉集の巻19に大伴家持の有名な歌が三首ある。高校の古文でも取り上げられていた歌である。
 
  二十三日興に依りて作れる歌二首
 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影にうぐひす鳴くも(四二九〇)
 わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも(四二九一)
   二十五日作れる歌一首
 うらうらに照れる春日にひばりあがり心悲しもひとりし思へば(四二九二)

 萩原朔太郎がこの歌に着目し、近代の憂愁にも通い合うとして評価して、有名になった。確かに他の万葉歌とは異質な匂いを若い私も感じ取ったものであった。
 しかしこの書を記したころの中西進はこの通説に首を傾げ始め、次のように記している。
「第一首と第二首とには‥時刻の指定がきちんと行われていて、これらを土台とした上で夕霞の中のうぐいす、群竹を揺する夕風が映じられている。二首を一件と考えることは可能だろう。ところが第三首では状態がまるで違う。‥第一首は目が春の野という外界に広く向けられているのに対して、第二首はわが屋戸と狭く内に向けられている。第一首はなお明るさを保った時刻によまれ、‥第二首では「夕影」は消え、ゆったりと四囲にこめようとする春の夕闇があって、もはや小禽の鳴くべき時刻も過ぎている。視界はほとんど失われて、‥風の音を耳にするだけである。半ば視覚を合わせもった聴覚のせかいだったものが、ただ聴覚のみの世界へと経過していった‥。」
「二十三日の歌(第一首と第二首)は景を叙べたものであるのに対して、二十五日の歌(第三首)はそれにとどまらず情を述べたものだ‥。」
「家持は一昨日の感慨をもう一度、今度は漢籍を翻案する形で繰り返したとおぼしい。」

 さらに橘諸兄によって万葉集が作られたという記録に基づき、巻19が蚊帳持ちによって諸兄の許に届けられた、と推定している。
「(二十五日の第三首は)二十三日の感懐をもう一度歌い直したものであること、その春愁を「ひとり」たることに絞り、わが孤独を訴えようとしたものであること、歌い直しは晴れがましい公の場を意識してね漢詩を和歌化するという子コメ見によってなされたものであること、挨拶として巻末記を書き加え、諸兄のもとに送ったであろうこと、などが考え浮かぶ。」
「(第三首の)「ひとり」とは諸兄とともにいない状態を、直接にはさしていることになる。しかし我が国の詩歌がしばしばこうした現実の場に即しつつ、挨拶などの性格をかねながら、実に深い弧心を語っていることは、いうもでもない。‥しみじみとかつさりげなく、諸兄への思慕と必ずしも思わしくない政局からくる圧迫感、そのゆえに野の空間を求めつつ沈思におちいりがちになる孤独感を歌いえた一首といえる。」
 結論はなかなか大胆であると同時に、説得力があると感じた。こういうところが、私が中西進に惹かれるゆえんでもある。



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