久しぶりに読書タイムを確保できた。読みかけの「美術の愉しみ方 「好きを見つける」から「判る判らない」まで」(山梨俊夫、中公新書)の第3章「読む」の半ばまで読み終えた。
理解しやすい言葉で記載しているが、これまでの体験で私なりに思っていたことなどを別の視点で記載してもらったような気分になる。
以下は新鮮に思えた個所をいくつか。判っていたことでも文章にしてもらうと頭の整理ができる。
「名作は、絵が描かれたときに誕生するのではない。あそのあとの長い時間を経てつくられる。そこからさらに選別の篩に掛けられる。時間の経過に耐えられるか、忘却という無慈悲な仕打ちを受けるか、次第に区分けされる。」(第2章)
「専門家は、自分の感情を相対的なものにして、できるだけ客観性を求める。けれど、客観的な判断も不変なものではない。主観性の集まりでつくられたものだから、専門家の価値判断には大勢に寄りかかった頼りなさがさいて回る。その反面、独創的な視点で新たな価値を切り開き、しかもそれが説得力をもっていると、新たに判断基準に加わってくる。そして広く浸透すると、多くの人を納得させる。」(第2章)
「共感をもつことの根元を作品のなかに見つけだすことなのである。それは、作品の中に自分の感覚が集中していく節のようなものだから、さまざまな彩りがつけられていく。」(第2章)
「美術史は、書かれた時代、文化圏、書き手の史観によって変わっていく。不動の位置を保つことはない。」(第3章)
「(画家は)自分の絵画感を言葉にした。作品自体も言葉にならないことをたくさん語る。作家の言葉は、作品を見ることとは違う角度から、彼等の仕事を読み取る道筋を開いてくれる。」(第3章)