「火星の歩き方」(光文社新書)を読み終えた。以下、「エピローグ」から。
「そもそも人類には火星を旅行する権利があるのか‥。‥火星の土地で生命がいそうもないエリアは、いる可能性のあるエリアに比べて環境保存の重要性は剥がるのでしようか。さらに、宇宙には火星以上に、生命が存在しないと考えられている天体がたくさんありますが、生命の痕跡がない天体ならば、我々は自分たちの都合で好き勝手に探査機などを送り込んでも良いのでしょうか。」
「太陽系にはすでに数多くの探査機が打ち上げられ、月には人までもが降り立っていますが、、今のところ、地球の外のほとんどは原生自然といってよいでしょう。だとすると、地球以外の天体にはむしろ、原生自然の保存こそが参考にすべき考えなのかもしれません。実際近年には地球以外の場所にも、ジオ多様性という考えを広げようと呼びかけがなされています。」
「地球外の天体が、地球の自然観を変化させた興味深い事例もあります。‥イギリスにおける人々の山に対する態度です。‥17世紀までイギリスの人々は、山というものに対してあまりよい印象を持っていませんでした。‥山は大地に出来た「瘤」のようなものだと表現されています。‥球体こそが完全な形であるという観念が当時の人々の間に共有されていたからです。特に創世記の影響は大きく、聖書の解釈によって大地というのは本来球体であったのだが、洪水によって山や谷が形成されたという考えがつくられました。しかし17世紀になると‥望遠鏡によって、完全な球体である天体(月や火星)にも山が存在していることが明らかになった来たのです。17世紀後半以降、イギリスでは次第にでこぼこの山が美しいものと見なされるようになっていきます。‥不均質なものにも美しさが見出されるようになったのです。それでは多くの人々が火星を訪れるようになったとき、地球の見方はどのようなものになるのでしょうか。望遠鏡でイギリス人の山の見方が変ったように、地球に対して新たな価値転換が起こるのでしょうか。‥」(エピローグ)
最後の引用部分は強引な点も目につくが、言わんとしていることは理解できる。頭の中に入れておきたい指摘である。ノー天気に金を積んで「宇宙旅行」ではしゃいでいる成金とその人間に拍手をおくる人間にはかなり耳の痛い話であろう。