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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「林檎」(辻征夫)

2020年08月16日 21時02分49秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日は「辻征夫詩集」(谷川俊太郎編、岩波文庫)をめくってみた。次の詩が印象に残った。

 林  檎

転がりし林檎投手は手で拾い

(掌(たなごころ)におさまる丸いもの
ちいさくつめたいかたいものを手にとると
おのずと投球感覚がよみがえる
できればこの艶やかな光沢をすばや
前方に一直線に送球したいが
球場ならぬわたくしどもの日常では
受けとめてくれるものが常にあるとはかぎらない
かくて林檎は 断念された夢のように
龍あるいはテーブルに置き直され
投手は
降板することも許されず
悄然といまある場所にとり残されている)

               《俳諧辻詩集》より

 この詩の最後の3行「投手は/降板することも許されず/悄然といまある場所にとり残されている」がずしりと胸に突き刺さった。それは本来のこの詩の意味とは無関係なのだが、私の今の心境に響いてきた。

 むかし友人と「俺らはいつになったら人生から降板することができるのだろうか」ということを話し合ったことがある。もう40年以上も昔である。そのころ、多くのサラリーマンは55歳の定年。リタイヤした定年後、社会と切り離されて20年近くをどのように過ごすのだろうか、と20代半ばの私たちは真剣に思っていた。

 だが、定年が60歳に延び、70歳近くになっても私たちはいまだに現役なのか現役をはなれたのか曖昧なまま現実の社会と向き合いながら生きている。
 悠々自適などどこの世界のことか、家族や子や孫と付き合うだけでなく、社会との接点を断ち切れず、まして自分自身を扱いかねて、青春時代が延々と続いているのではないか。
 そしてそのまま墓場に直行するであろう自分に辟易している。自分の人生の巻引きが想定できていない。

 40年以上前に私たちの議論の俎上にのぼった親世代はそんなことなどおくびにも出さず、寡黙のうちに生きていた。私たちの方が人生の送り方が間違っていたのかと、おどおどすることも多い。だが、反省などしてられない。今が精一杯なのである。


9月は細菌性の食中毒多発月間

2020年08月16日 14時22分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中はいつものとおり、9月発行のニュースの退職者会ニュースの原稿つくり。面積的には67%くらいは埋った。しかしメインの記事がない。メイン記事と合わせてあと3つの記事が必要である。
 明日には組合の会館に行って、現職の組合の新聞やビラなどを参照する必要がありそうである。ひょっとしたら裏面のトップ記事をおもて面のトップ記事に変更するなどの割り付けの大幅な変更が必要になるかもしれない。つらいところである。



 開いたスペースを埋めるために、ミニ知識レベルの記事をときどき作るのであるが、今回は以前に作った食中毒の注意情報を再掲載するために再度ネットを探ってみた。
 9月というのは細菌性の食中毒が年間で一番多い月である。低温保存、生の肉・魚類を触る調理器具と口に運ぶ箸類は分けること、加熱処理などのほか、新型コロナウィルス対策と共通するのは、手洗いや調理器具の消毒が必要ということ。

 これを記事にしてみた。本当は吉村大阪府知事のとんでもイソジン騒動を、記事にしたいのだが、もう少し様子を見てから。

 夕方には雷雨があるかもしれないという天気予報。すでに雲が空を覆い始めている。かろうじて猛暑日にはならない気配がある。陽射しが弱い。だがベランダのガラス戸を開けるととんでもない熱気が部屋に流れ込んでくる。外に出るには気を引き締めないと、即座に倒れ込みそうである。


今年初めての鈴虫の声

2020年08月16日 09時00分15秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨晩、夕食を食べに行ったときに、神奈川大学のキャンパスの近くを通りかかったら、鈴虫の声が聞こえた。妻が最初に気がついた。「夜の蝉の声ではないよね」と自信なさそうであった。私も半信半疑で耳を凝らすと確かに鈴虫が鳴いていた

 団地の中では夜中過ぎても蝉の声が圧倒的に大きいので、鈴虫の声はまだまだ聞こえない。場所によって蝉と秋の虫の勢力が違うのであろう。
 店を出てからもその場所でふたたび「リーンリーン」という微かな声を聞いた。聞き耳を立てなくとも耳に入って来るというのは、それだけ人間の耳が反応しやすい音域なのだろう。あるいは秋を待ち焦がれている意識の反映かもしれない。

 夕食後団地に戻ってみてあらためて蝉の声ばかりが聞こえてくることに、「少し飽きたな」と同時にため息が出た。ため息は蝉の声に対してよりも、暑さに「飽きた」思いの方が強かったかもしれない。

★鈴虫のいつか遠のく眠りかな      阿部みどり女

 こんな秋が早くやってきてほしいものである。そんなことを思いながら蝉の声に包まれて眠りについた。