Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ふたたび熱が出た

2018年08月31日 22時19分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は体の節々が痛み、寒気がしていた。夕食前に熱を測ったら37.1℃と平熱よりも1℃ほどたかかった。そういえば昨晩からなんとなくおかしかった。
 どうもスッキリしない。熱が出たと自覚したのは17日以来2週間ぶりだが、あるいは上半身から太ももの筋肉の痛み・だるさはひょっとしたらこの微熱が全員なのだろうか。そうすると時間が長すぎる。風邪ならばもうとっくに治癒しているはずである。
 ということで明日、いつもの内科に行ってみることにした。先週にかかった医師はいつもの内科の医師の親族ですぐ傍で開業しており、必要な連絡は相互に撮ってくれる。一か月前のγGTPの数値が100近かったので、そちらの方の診断もしてもらうことも考えている。
 いづれにしろ体調がすっきりしないのは、とても気になる。
 胃の痛み・重苦しさもまだ解消されていない。処方された薬の効果が出てくるまではまだ2~3日はかかるかもしれない。
 日曜日の管理組合の会議と、午後の退職者会のイベント、いづれも欠席するわけにもいかない。困ったものである。特に午後のイベントの参加は気力が萎えかけている。

「初期仏教」(岩波新書)読了

2018年08月31日 20時40分37秒 | 読書


 「初期仏教 ブッダの思想をたどる」(岩波新書、馬場紀寿)を読み終えた。
 30代の初めころ、中村元氏の「原始仏典」や岩波文庫のさまざまな仏典を読み漁った私にとっては、それ以来の初期の仏教を垣間見るいい機会だと思って購入した。私などは繰り返しが多い韻文による仏典の方が古い形をのこしているのだとばかり思っていたが、この本ではそうではなかった。
 私は中村元氏の訳したり編纂した原紙仏典を読んで、『「輪廻」から如何に脱出して、何もない死後の世界を求める』という徹底した無神論、唯物論として読んでいた。この読み方自体は中村元氏の本意ではないと思いつつ、この無神論、唯物論にとても惹かれた。古代インドで強く流通していたと思われる「輪廻」のいう共同幻想からの脱出、ここにブッダの「革命」を私は嗅ぎ取っていた。この直観とはこの「初期仏典」はまるで違っている。
 あまり詳しく述べる力などはまったくないのだが、出来るだけ古い姿に迫ろうとする姿勢は伝わった。しかし一方で「四聖諦(ししょうたい)」「縁起」「五蘊(ごうん)」「六処(ろくしょ)」「十二支縁起」などという煩雑な概念や議論がごく初期の口頭伝承で伝えられたのか、という疑問はつきまとった。難解な議論ではなく韻を踏んだ平易な教えが口頭で流通としていた、という方が私には受け入れやすい議論である。
 むろん私などが議論にかみ合う能力も研究もしていないので、何事も云える立場ではないのだが‥。そして中村元氏の「信」という立場が見えない議論の方が、信仰とは遠い地点にいる私などには嬉しい。すくなくとも私にはそのように思われた。



・・・・

2018年08月31日 10時22分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今年は年の初めから体調不良でずいぶんと悩まされている。27歳、40歳、49~50歳にかけての頃、58歳、そして今年と10年間隔というのだろうか。今年を除いて病名を特定するまでに時間がかかり、とてもつらい時間を過ごした。今年のこの体調の変化は何が原因だろう。
 今年の前半は多忙が原因である。昨年からの退職者会と団地の理事会のふたつの業務に追われてきて、58歳のときのような鬱傾向を自覚した。今は胃の荒れを指摘されているが、本当にそれだけなのか未だにスッキリと納得のいく状況ではない。
 今朝も寝汗がひどく、寝間着の上半身はビショビショ、目覚めると冷たく感じてすぐに洗濯してもらっている。ほとんど毎日寝間着を洗っている。
 今朝は朝食を食べる前は胃痛はなかったのだが、食べた後にすぐに胃が痛くなった。腰から上の筋肉の疲労感が強い。げっぷもよく出る。しばらくベッドで横になって痛みが治まるのを待った。その間30分ほど。

 体調のことばかり綴ることはしたくないのだが、意識がどうしてもそちらに向いてしまう。

 本日はこれから明日の夜の団地の会議に向けた資料作り。