友人からとても美味しい葡萄を1箱頂戴した。さっそく夕食後のデザートとして賞味させてもらった。妻も私も満足。お互いに退職して仕事もしていない仲である。気兼ねはない。しかし負担をかけてしまうのは心苦しい。まずはさっそくメールでお礼をした。
満足しながらも、こんなことを思った。
私は、末端の地方公務員であった。しかも許認可の仕事が中心だったので、お中元・お歳暮という習慣はまったくなかった。一度だけ業者から2000円相当のものが送られてきたが、所属長を通して返却した。とても気持ちの悪い事態だった。だいたい、どこで私の住所を調べたのか、結局追求しきれなかった。所定のやり方で所属の事務所から返却した。確かに一担当者としてもそれなりの応用力は発揮できる業務である。だが、私の住所を調べる労力と私の業務上の権限をはかりに掛ければ、またそれが露見した時の面倒を考えれば、如何に馬鹿馬鹿しい行為であるか、分からないはずは無いのだが‥。そしてその業務は次年度は変えてもらった。所属のまわりの職員にとってもえらい迷惑であったと思う。
私の父親が民間の管理職で毎年お中元・お歳暮はかなり届いた。それが小学生の私にもどうしても馴染めなかった。今はどうかわからないが、当時どこの家でも同じであったようだ。あの費用は結局販売価格に転化されていたはずである。その商習慣がなくならない限り、公務員に対する贈収賄はなくならないと思った。それは今でも思っている。
国家公務員の上級職の報道の振舞いを見ているととてもではないが、信じられない。業者に申請の仕方の指導を、相手の費用持ちの料亭で、しかも特定の業者にするということ自体が私からすればあり得ないことである。業者の指導などは勤務時間中に、職場で、皆が見ている前でするものである。これが公平・公正の担保でもある。
また2000円のランチが許容範囲かどうか、などという議論すら馬鹿馬鹿しい。インスタントのコーヒー1杯も駄目なのが前提で、行政というのは動かさなくてはいけない。報道されている上級職の不祥事で、地方公務員の末端のわれわれも誤解を受けている。市民と相対したときに「お前もあいつらと同じだろう」と罵声を浴びせられる立場というもののつらさが、行政をさらにゆがめてしまうものである。
満足しながらも、こんなことを思った。
私は、末端の地方公務員であった。しかも許認可の仕事が中心だったので、お中元・お歳暮という習慣はまったくなかった。一度だけ業者から2000円相当のものが送られてきたが、所属長を通して返却した。とても気持ちの悪い事態だった。だいたい、どこで私の住所を調べたのか、結局追求しきれなかった。所定のやり方で所属の事務所から返却した。確かに一担当者としてもそれなりの応用力は発揮できる業務である。だが、私の住所を調べる労力と私の業務上の権限をはかりに掛ければ、またそれが露見した時の面倒を考えれば、如何に馬鹿馬鹿しい行為であるか、分からないはずは無いのだが‥。そしてその業務は次年度は変えてもらった。所属のまわりの職員にとってもえらい迷惑であったと思う。
私の父親が民間の管理職で毎年お中元・お歳暮はかなり届いた。それが小学生の私にもどうしても馴染めなかった。今はどうかわからないが、当時どこの家でも同じであったようだ。あの費用は結局販売価格に転化されていたはずである。その商習慣がなくならない限り、公務員に対する贈収賄はなくならないと思った。それは今でも思っている。
国家公務員の上級職の報道の振舞いを見ているととてもではないが、信じられない。業者に申請の仕方の指導を、相手の費用持ちの料亭で、しかも特定の業者にするということ自体が私からすればあり得ないことである。業者の指導などは勤務時間中に、職場で、皆が見ている前でするものである。これが公平・公正の担保でもある。
また2000円のランチが許容範囲かどうか、などという議論すら馬鹿馬鹿しい。インスタントのコーヒー1杯も駄目なのが前提で、行政というのは動かさなくてはいけない。報道されている上級職の不祥事で、地方公務員の末端のわれわれも誤解を受けている。市民と相対したときに「お前もあいつらと同じだろう」と罵声を浴びせられる立場というもののつらさが、行政をさらにゆがめてしまうものである。