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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

今晩も通り雨

2018年03月23日 22時19分09秒 | 天気と自然災害
 友人の夕方、ホルモンとホッピーという組み合わせで軽く飲み会。帰り際に野球帽を店に忘れてきてしまった。しかし雨が降り始めたため、近くの公園のパーゴラの下に避難をしたら、ビニール傘が捨ててあり、それをさして友人を桜木町駅まで送り、私はその傘をさしたまま、家まで歩いて帰ってきた。軸が少し曲がり、ビニールに小さな穴が二つほど開いていたが、小振りだったため特に支障はなかった。
 108円で購入し、もう3年以上使っている野球帽と、多分あと2回程度しか使えそうもない傘との交換、得をしたのか、損をしたのか、判然とはしない。
 昨晩の雨と言い、今晩の雨と言い、なかなかすっきりしない天候を物語っている。
 明日は気持ちよく晴れてもらいたいものである。

 通り雨かと思っていたら、再び降り始めた。今度は強くはないものの、本降りである。夜のウオーキングは断念した方がよさそうな気配である。


サクラがあちこちで咲き始めた

2018年03月23日 21時50分38秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 早咲きのサクラ以外にも街のあちこちでサクラが咲き始めた。一昨日の冷たい雪と雨でいったんは身を縮めてしまったような気もするが、やはり咲くときは自然に組み込まれた体内時計に従って咲くのであろう。

★つなぐ手にをさなの湿り夕ざくら   千代田葛彦
★目瞑りて眠るにあらず花のもと    下村梅子
★水の上に花ひろびろと一枝かな    高野素十


 第1句、サクラを詠むとき、空気や水は思ったよりも冷たい、というような読まれ方が多い。例えば「手をつけて海のつめたき桜かな 岸本尚毅」のように。しかし小さい子どもの汗に濡れた温かな手がこの句ではとても似つかわしい。特に「夕ざくら」であることが、遊びまわったこどもの底知れないエネルギーと、サクラの旺盛な花を咲かせるエネルギーとか響き合っていないか。こどもと手をつないで初めて実感できる体験である。父親としての驚きも感じる。
 第2句、目を瞑ってサクラの旺盛な生命力を感じているのだろう。春の陽射しや暖かみなど春の躍動感を静かに感じている姿勢が私には好ましい。「眠るにあらず」という語が上滑りしていない作者の感情を丁寧に表現していると思った。このような句をつくりたいものである。
 第3句、一見あまりに写生的過ぎて、一度は敬遠してみた。しかし、川の護岸から秘話に向かって大枝を伸ばしているサクラではなく、ひろびろと伸ばしているのは「一枝」であるという。若いサクラの樹なのかもしれない。若いがゆえに「ひろびろと」なのであろう。よくこなれた作りの句なのではないか、と思うようになった。

昨晩は突然の雨

2018年03月23日 10時21分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩は夜のウォーキング中突然雨が降り始めた。弱い雨で15分位で止んだものの、ビックリした。たまたま野球帽をかぶっていたので、ウィンドブレーカーのフードと合わせてウォーキングを中断せずにしのぐことができた。歩いている間にも雨の予告メールが4つも届いた。
 帰宅後レインアイよこはまを見てみると弱い雨の小さな区域がいくつも点在していた。少しずつ南西から北東に移動していた。一つの塊が私の家の傍を通る度にメールが届いたようだ。
 一昨日の雪と雨、そして昨晩の急な雨といい、天気がぐずついてスッキリしない。そして寒暖の差があまりに大きい。花粉症の方にはこの湿り気は少しは症状を和らげてくれているのだろうか。

 本日は曇で最高気温が15℃、夜の降水確率が30%とまたスッキリしない予報である。外は肌寒い。果たして予報どおり15℃まであがるのか、と感じる。何を着て出かけるか、悩むところである。気温が高くなるとリュックに着ていた上着か何かを押し込んで持ち帰るしかない。妻からは「皺くちゃになる」と極めて不評である。

宮城県で震度4

2018年03月23日 09時33分58秒 | 天気と自然災害
 今朝6時過ぎ、宮城県大崎市で震度4の地震が発生した。横浜では人が感ずる揺れはなかったので、ツィッターを見るまで気がつかなかった。

平成30年 3月23日06時36分 気象庁発表
23日06時32分ころ、地震がありました。
震源地は、宮城県沖(北緯38.9度、東経142.1度)で、震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は5.1と推定されます。
この地震による津波の心配はありません。この地震により観測された最大震度は4です。
宮城県  震度4  大崎市田尻


 他の地域は最大震度3どまりであった。2011年の地震の余震なのだろうが、長い間続くものである。