ゴッホ展のカタログを見ながら、8枚ほどの作品を選択。本日中に画像として取組み、解説を読んでみようと思っている。
正月も4日、ふと思い出して本棚から「新古今集和歌集」をひっぱり出してきた。高校生のころ、新古今集にはまって受験用の参考書として「新古今和歌集」の逐語訳のついたものを購入して通学の電車の中で読んでいた。
逐語訳自体が幾度読んでもなかなか理解できなくて、「春歌上」だけはなんとか全部読んだけれど、他は拾い読みであった。今持っているのは「新潮日本古典集成」の上下2巻。
当時いたく気に入ったのが「春歌上7」の
岩間とぢし 氷もけさは とけそめて 苔のしたみづ 道もとむなり 西行法師
この歌は、最後の「道もとむなり」が気に入っていた。
春の歌というと教科書や学校の授業で取り上げる歌は「雪」「霞」などのイメージとそこに春の訪れを見つける、というものばかり。それもかなり強引なこじつけに近いもので、関東の都会に住む人間の季節感からは遠い世界であった。京都を囲む山々の世界を具体的に想定できないのである。
しかしこの西行法師の歌は、そんな季節感とは別に納得できる光景として、そして自分でも体験したような感覚で詠むことができた。それから西行に関心を持つようになった。西行の歌には、叙景歌として観察眼の鋭さに驚くものと、たとえば「冬歌691」では
おのづから いはぬを慕ふ 人やあると やすらふほどに 年の暮れぬる
〈私からは何も言わなくとも私のことを理解してくれていると思い、便りをしないうちに年も暮れてしまいました。(どうして訪ねてくれたり、便りをしてくれなかったのですか)〉
と心情を、それもかなり出家遁世とは遠い心情を臆面もなく歌っている。人懐っこい、それどころか人に頼り勝ちな人間臭さが立ち上ってくる歌が、先の鋭い叙景歌と綯い交ぜになっている。それが魅力である、と思う。