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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

中欧の旅(3)-チェコ訪問(3)、ザルツブルグ(1)

2015年10月16日 22時35分00秒 | 読書
                                                         

 3日目の朝にプラハを発ち、チェコ国内の世界遺産の血チェスキー・クルムロフに向かった。多分日本の治水の発想ならばくびれた部分を難工事であったとしても刳り抜くなり、破砕して河道にしてしまうと思われるような蛇行の土地によくもこんな要塞をかまえ、町場を築いたとおもわれるような地形である。
 要害の地であるということと、支配するということの意味合いの違いがこのような城と町場を築いたと思われりる。
 いかにも中世・ルネサンス期の匂いを漂わす街で昼食を撮り、町の雰囲気を楽しんだのちザルツブルグに向かった。



 オーストリアに入る直前の高速道路のサービスエリアに相当する個所から菜の花の咲き誇る畠を見ることができた。季節は秋なのに春の菜の花が一面に咲く景色にびっくり。印象深かった景色である。菜の花がどうして秋に咲くのか、また菜の花がどういう風に利用されているのか、残念ながら結局わからずじまいであった。

   

 夕刻ザルツブルグに到着。近郊の山に日が沈む光景をホテルから楽しむことができた。

                  

 夕食後、添乗員さんの案内でツアーの他のご夫婦を含め5人で旧市街を訪れた。トロリーバスに乗車して旧市街のまずはモーツアルトの生家の近辺を歩いた。20時過ぎにもかかわらず多くの観光客が夜の街を楽しんでいた。大聖堂の周辺を歩き、またホーエンザルツブルク城塞などの控えめなライトアップにホッとした。
トロリーバスの利用勝手はなかなか良かった。

                                    

 翌日は朝から、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となったという新市街にあるミラベル庭園を訪れたのち、昨晩訪れた旧市街でモーツアルトの生家を訪れ、大聖堂周辺の商店などを巡った。私としてはモーツアルトの生家は訪れたかったので念願は適った。
 有名なモーツアルト橋は歩行者専用の橋である。金網に無数の錠が装着されてしまっている。プラハのカレル橋でも街灯に着けられていた。ヨーロッパでは随分流行っているらしいが、管理者は景観の維持や施設管理の点からかなり苦労しているとのこと。
 ただし歴史的興味としては、ホーエンザルツブルク城、ノンベルク尼僧院、大聖堂内部を見たかったがかなえられなかった。またザルツブルク音楽祭の会場である祝祭劇場の前はあるいたが、内部まで見ることができなかったのはとても残念であった。致し方ない。
 ここでお土産用のチョコレートを購入した。

モーツアルト「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」

2015年10月16日 18時48分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 初めてこの曲を聴いたのは高校を卒業してすぐの頃だったと思う。とてもびっくりした。
まずヴァイオリンとヴィオラがこんなにバランスよく鳴っていることに驚いた。どちらかに偏るのではなく、それぞれがちゃんと主役を演じている。不思議であった。
 そして明るい豊かな響きの第1楽章の印象深いふたつの主題のあと、第2楽章の静かで内省的な短調の世界への転換にそれこそしびれた。ヴァイオリンとヴィオラが交互に奏でるのだが、それぞれの楽器による雰囲気の違いが効果的だと思った。
 軽快な第3楽章、ヴィオラはなかなか難しいのではないかと思う。艶やかなヴァイオリンに負けないよう艶やかさと軽快さが求められるヴィオラの聴かせどころのような気がする。ヴィオラという楽器の魅力をはじめて味わった曲でもある。
 私は第1楽章と第3楽章のオーボエとホルンの音色も好きである。だが、何しろ曲全体をじっくりと聴きたいものである。
 そのころ誰のレコードで聴いたのかまったく記憶にない。たぶん先輩の持っていたレコードではなかったかと思う。楽譜を追いながら、自分でもヴァイオリンパートをひいてみた気がする。モーツアルトの曲に挑戦したのははじめたであった。私の力量でもゆっくりと弾けば弾きとおすことはできるが、ひとつひとつの音を絶対にゆるがせにできないモーツアルトの曲の厳しさを味合わせられたことも確かだ。
 このCDは1972年の録音であるが、購入したのは50歳も過ぎて2000年を超えてからだと記憶している。ヴァイオリンはヨゼフ・スーク、ヴィオラはヨゼフ・コドウセク、プラハ室内楽管弦楽団。
 このCDをかけることもあまりなかったが、定年前になって続けて幾度か聴いて、とても懐かしかった。そしていかにもヨゼフ・スークらしい音色何とも嬉しかった。