Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

昨日の地震、危機対処能力

2015年05月26日 21時20分15秒 | 天気と自然災害
 昨日の埼玉県北部を震源とする地震は遠い茨城県土浦市で震度5弱を記録した。新幹線も一時停まったようだったが、私は12時15分過ぎに新横浜についており、地震の起きた時は横浜市中区にある組合の事務所内で文書の発送作業のために動き回っている時であった。30名近い会員が集まり1200通を超すメール作業の途中であった。数人が「地震だ」「大きい」と声を出すと同時に何人かの緊急地震速報の携帯の通知が鳴っていた。
 私のスマホには地震速報や横浜市の防災メールがいくつもたて続けに届いた。ツィッターでもいろいろ情報が届いていた。震源が埼玉県北部ということと津波がないことはすぐに発表になった。それらの情報が一段落した途端にこんどは電車が点検で停まっているとの情報が次々にきた。詳しい震度が明らかになるようになって、横浜市は最大で震度4の観測地点が北部を中心に6か所あり、私が作業をしていた組合会館のある中区は震度3と表示されていた。我が家に急いで電話をしたが、「混み合っていて繋がりません」との音声が流されていた。30分ほどしてかけ直したらさいわいすぐに繋がった。
 情報は大体どの会員も同じように正確に伝わってきた。揺れがわりと早くおさまったこともあり、みんな正確に事態を掌握しているようであった。特にパニックになる人も無かった。知った仲間が大勢いる方が正しい情報がキチンと伝わるように思われる。

 そういった意味では職場や学校での正しい情報の伝達というのは極めて大切なことだと感じる。これが交通機関の中や、劇場、繁華街、大きな商業施設など、お互いに知らない者同士が集まっている場所ではなかなか正しい情報が正しく伝わることのむずかしさ、正しい判断をすることのむずかしさをあらためて感じた。
 そのような人混みの中で正しいか、あるいはより確かな情報を発すること、根拠のある正しい、より頼りになる判断を的確に人に伝えることが大切である。また人の発する情報が正しいのか、確かなのか、合理的なものなのか、咄嗟に判断する能力も問われる。
 常日頃から自分で考えながら歩くこと、自分で地図を見て目的地につけるように歩くことをする必要がある。いつも人に連れられてばかりで、人の流れに乗るだけの歩行は、災害時にはとても危険である。せめてこのくらいのことはいつも心がけていたいものである。

 家にいないこともあり、ツイッターとブログには地震情報の発信はしなかった。

「アート鑑賞、超入門!」(集英社新書、藤田令伊)

2015年05月26日 20時40分30秒 | 読書
 普段はいわゆるハウツウ物を読むことはまずない。しかし私がいくら美術鑑賞が好きとはいっても我流ばかりではどうしようもないので、遅ればせながら絵画の解説書などを読むようにしたり、展覧会の図録にはできるだけ目をとおしている。しかし図録の解説というのはなかなか難物である。はっきり言って難しい。その道の専門家でないと分からない記述も多い。

      


 もっと主体的なで自由な鑑賞の仕方があってもいいのではないか、と思っていた時に目次を見てつい購入した。大阪往復の新幹線の中で読む分には気楽に読めて、ちょうど良かった。
 「ディスクリプション」「時間をかける」「数多く見る」はいくども聞かされてきた。さらに第二章で主体的に見るために「正誤を気にしない」「買いつけるつもりで見る」「何かを発見する」を心がけるという展開となる。「買いつけるつもりで見る」というのは私には想定もできない態度なのでこれは「ブログに掲載して評価してみる」に変えてみたい。
 次の「感性で見る」「知性で見る」は私なりにこれまでもこれの繰り返しをしている。「肯定的に見る」「否定的に見る」「寄り添い」‥これらもすでに自分なりにやっている。

 要はこれまでの私の実践していることをとりあえず整理してくれた、という風に理解した。「主体的に見る」という言葉は頭の中に入れておこうと思う。
 これまでも私は、「自分の感覚をまず大切にする」「わからない解説や理解できない評価は信用しない」「作品の5W1Hの知識よりも「体感」、ただし作家ないし時代の時間軸は重視する」にこだわってきた。これをまとめて「主体的に見る」という言葉に置き換えて頭の隅に置いておこうと思った。


行きそびれた池田茶臼山古墳と池田城公園

2015年05月26日 12時25分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
   

 22日(金)から25日(月)までの4日連続の宴会、しかも24日(日)は大阪一泊でのとんぼ返りは草臥れた。本日は午前中に東京国立博物館に行きたかったが、無理であった。疲れたし、退職者会のホームページの更新でお昼近くまでかかってしまった。
 日曜日は大阪府の池田市に行ったのだが、駅の案内板を見て、池田茶臼山古墳の所在地であることにはじめて気がついた。池田茶臼山古墳自体は幾度も本で読んだり講座で聴いたことはあるのだが、所在地がここであることは知らなかった。1960年代の古墳保存運動の先駆けとなったと聞いている。渡来系の秦氏の墓と云われているらしいが、それ以上のことは知らない。近くに歴史民俗資料館もあり、詳しく知ることが出来たかも知れない。翌日に時間が取れるならば訪れてみたかった。
 さらに荒木村重が織田信長に反旗を翻した時に織田方の重要な城となった池田城跡地に城が復元されて池田城公園となっている。これも訪れてみたかった。
 城や古墳というのは現地に行って周囲の景観、地形を見て、体感したいものである。

 昨日は13時からの退職者会の会議・作業、交流会と続いたため朝10時過ぎの新幹線で横浜に戻らなくてはならず、残念であった。