本日は予定どおり新橋にある汐留パソナソニックミュージアムに出かけて、「ルオーとフォーブの陶磁器」展を見た。
http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/15/150411/index.html

次のような解説があった。
第1章:陶芸家アンドレ・メテ ―その作品と生涯
20世紀初頭のフランス陶芸史に名を残したアンドレ・メテ André Metthey (1871-1920)は、陶磁器の装飾に力強さを復活させ、色彩と形態への飽くなき探求を続けた陶芸家です。初期の器作品から鮮やかな色彩で彩られたシンプルなファイアンス、そして後期の繊細で優美な装飾の施釉陶器まで、フォーヴの画家の重要な協力者だった陶工メテの活動と作品を紹介します。
第2章:フォーヴの陶磁器 ―火の絵画
マティス、ドラン、ヴラマンクらが絵付けした作品を「フォーヴの陶磁器」として一堂に会して紹介します。彼らは1906年頃よりメテの工房で陶器の絵付けに取り組みます。ファイアンスの光沢ある白い釉に、画家たちの軽快なタッチによる色彩が美しく発色する彼らの作品からは、それぞれスタイルやモティーフは異なるものの、各画家の関心と個性が溢れ出ています。「フォーヴの陶磁器」は1907年のサロン・ドートンヌにまとめて出品されました。
第3章:ルオーと陶芸 ―色彩とマティエール
陶器制作に長期にわたり熱中し、実り多き活動をした画家、それがジョルジュ・ルオー Georges Rouault(1871-1958)です。1906年から13年までの7年間に、豊富な作品群が生まれました。釉薬の輝きを生かしたルオーの陶磁器には、彼の絵画と同様の青を基調とする鮮やか色彩が用いられ、描かれた主題は、裸婦、道化師など絵画となんら変わることはありませんでした。

まず展示の始めが、メテの作品と生涯のコーナーである。日本の陶磁器の影響を受けたというメテの作品の「グレーの釉模様」(上、1906)は日本の陶芸家の作品かと思われるくらいに日本的な作品であると思われた。私はこのような作品ばかりを見ているためか、一番落ち着いてみることのできる陶器の作品である。

しかしメテという陶芸家はこのような冒険では満足しなかったらしい。紋様は次第に複雑に変化し、ギリシャ・ローマ神話や聖書の物語の場面らしい具象的な紋様に変化していく。私などはこの変化が不思議な過程に思えてしまう。紋様は具象化し、私にすれば過剰な装飾に陥っていく。たとえば上の作品は「アダムとイブ」(1909-20)というように、日常使用する食器という機能性が薄らいでいく。
日常性から切り離され、飾ることがその機能となった陶器自体の美という観点からも果たして作者の意図は達成されたのであろうか、という思いが私には湧いてくる。
さてメテと画商ヴォラールからのアプローチを受けた画家達、フォーブの画家達の中で、私には初めて目にする画家もいたが、アリスティド・マイヨール、アンリ・マティス、モーリス・ヴラマンク、アンドレ・ドランそしてジョルジュ・ルオーなどの作品が並んでいる。

私が感銘を受けたのはまずはマティスの「装飾的な花」(1906)。母親が陶器の絵付けをしていたということや、青年期にテキスタイル・デザインの教育を受けたという経歴を生かして、釉薬の白い地を活かした装飾性豊かな器に惹かれた。マティスの作品はこれひとつであったので、他の作品も見たいと思った。同時に、マティスの絵には陶器が登場するということなので、今後はこのことにも注目して鑑賞したいと思った。

次に感銘を受けたのはドラン。陶磁器に男女の姿態を描くというのは、大胆な試みであると思うが、ここに掲げた「二人の裸婦」(1907)などのように特に違和感なく受け入れられる図案である。やはり下地の白をうまく生かしている。他の作品でも幾何学的な紋様や抽象的な紋様なども使い、過剰な装飾もあるが、陶器という素材をうまく使いこなしている、と感じた。

さらにヴラマンクの陶器の作品にも惹かれた。私はヴラマンクの絵画はことのほか好みである。陶器作品についてはマティスやドランほどにはしっくりとは馴染めなかったが、それでもつぎのような2点、「植物」「黄色の花と葉」(共に1907)などは装飾的な紋様として陶磁器になじむような感じがした。面白いことに下地の白が底の方、あるいは口の方など上下どちらかに偏っているのが面白い。多くの画家が1~2年で陶器制作の活動を止めてしまうが、ヴラマンクは5年ほどかけて300点もの作品を仕上げたらしい。植物をあしらった幾何学的な紋様も試みており、さまざまな試みを行ったようだ。

そしてジョルジュ・ルオーの陶磁器の作品である。ルオーは、他の画家達とは違い1906年から13年という長い間メテと共同で陶器制作に携わり、メテとは親密な交流を続けたようだ。ルオーの陶器作品は主題も器の形も多様で、ルオーの活動の内に大きな比重を占めているとのことであった。
だが私にもいいものとは残念ながら思えなかった。まだまだ私の眼がついて言っていないのかもしれないが、掲げた作品のように多きな器全体にルオーの絵画作品そのもののように厚塗りで、黒い縁取りがされ、描かれている対象がわかりにくくなってしまっている。主題は道化師、サーカスの人々、裸婦、裁判官などなど絵画の主題とほぼ重なっている。
ルオーの意図した表現効果が陶器制作でどのように実現したのか、私にはまだわからない。
掲げた作品は花瓶「沐浴の女たち」(1909)という題でとても大きい器である。眼を凝らして見ると豊満な肉感的な女性像であるが、底から口まで隙間なく色が塗り込められている。これでは花を生けるという器の目的からするとその目的を否定している。花の美しさを活かすのではなく、花は器自体の存在感に押しつぶされそうである。その上、花瓶そのものを部屋に飾るものとして見ても、花瓶という形でなければならない必然性、あるいはその形を活かした紋様といえるであろうか。評価は難しいと思えた。

ポット・ピッチャーそして5客のカップ・ソーサーで組になったティーセット(1911)が並べられていた。いづれにも裸婦が、それもかなり艶めかしく露わに描かれている。少なくともこれらが日常使われる茶器として求められることはあったとは思えない。ひとつの試み、陶磁器の新しい可能性としての試みという範疇を出ないと思われる。
私はルオーの絵画にはとても惹かれる。特にキリストを描いた作品は忘れることが出来ない。ルオーが陶磁器にこだわった思いというものをいつかはもう少し理解したいと思う。
メテという陶器製作者があらたな陶器の絵付けの可能性追及のひとつの試みとして、そして次の飛躍のための契機として刺激を受けたと理解するとして、それがどのようにメテの作品に活かされたか、私にはそこに理解が届かなかった。
陶磁器による表現というものについて私はまだ理解が出来ていない。特に器という日常使われる形状を使った表現はどうしても「使う」という前提で鑑賞してしまう。「使いやすい」「日常のように足りる」という制約との均衡の中に、美を見出すという回路からどうしても抜け出さないでいる。
また「使いやすい」「日常の用に足りる」ということはそれぞれの地域毎の歴史的な経過に基づく様々な慣習や生活様式による制約がとても大きい。「機能美」や「約束事」が微妙に絡まっている。
そんな制約を考えると、鑑賞者の美的な基準は絵画一般よりもなお一層複雑である。「気に入った」「美しい」「惹かれる」‥といった自分なりの基準を鑑賞をとおしてどのようにつくりあげたらよいのか、まだまだ分からないことが多い。
http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/15/150411/index.html


次のような解説があった。
第1章:陶芸家アンドレ・メテ ―その作品と生涯
20世紀初頭のフランス陶芸史に名を残したアンドレ・メテ André Metthey (1871-1920)は、陶磁器の装飾に力強さを復活させ、色彩と形態への飽くなき探求を続けた陶芸家です。初期の器作品から鮮やかな色彩で彩られたシンプルなファイアンス、そして後期の繊細で優美な装飾の施釉陶器まで、フォーヴの画家の重要な協力者だった陶工メテの活動と作品を紹介します。
第2章:フォーヴの陶磁器 ―火の絵画
マティス、ドラン、ヴラマンクらが絵付けした作品を「フォーヴの陶磁器」として一堂に会して紹介します。彼らは1906年頃よりメテの工房で陶器の絵付けに取り組みます。ファイアンスの光沢ある白い釉に、画家たちの軽快なタッチによる色彩が美しく発色する彼らの作品からは、それぞれスタイルやモティーフは異なるものの、各画家の関心と個性が溢れ出ています。「フォーヴの陶磁器」は1907年のサロン・ドートンヌにまとめて出品されました。
第3章:ルオーと陶芸 ―色彩とマティエール
陶器制作に長期にわたり熱中し、実り多き活動をした画家、それがジョルジュ・ルオー Georges Rouault(1871-1958)です。1906年から13年までの7年間に、豊富な作品群が生まれました。釉薬の輝きを生かしたルオーの陶磁器には、彼の絵画と同様の青を基調とする鮮やか色彩が用いられ、描かれた主題は、裸婦、道化師など絵画となんら変わることはありませんでした。

まず展示の始めが、メテの作品と生涯のコーナーである。日本の陶磁器の影響を受けたというメテの作品の「グレーの釉模様」(上、1906)は日本の陶芸家の作品かと思われるくらいに日本的な作品であると思われた。私はこのような作品ばかりを見ているためか、一番落ち着いてみることのできる陶器の作品である。

しかしメテという陶芸家はこのような冒険では満足しなかったらしい。紋様は次第に複雑に変化し、ギリシャ・ローマ神話や聖書の物語の場面らしい具象的な紋様に変化していく。私などはこの変化が不思議な過程に思えてしまう。紋様は具象化し、私にすれば過剰な装飾に陥っていく。たとえば上の作品は「アダムとイブ」(1909-20)というように、日常使用する食器という機能性が薄らいでいく。
日常性から切り離され、飾ることがその機能となった陶器自体の美という観点からも果たして作者の意図は達成されたのであろうか、という思いが私には湧いてくる。
さてメテと画商ヴォラールからのアプローチを受けた画家達、フォーブの画家達の中で、私には初めて目にする画家もいたが、アリスティド・マイヨール、アンリ・マティス、モーリス・ヴラマンク、アンドレ・ドランそしてジョルジュ・ルオーなどの作品が並んでいる。

私が感銘を受けたのはまずはマティスの「装飾的な花」(1906)。母親が陶器の絵付けをしていたということや、青年期にテキスタイル・デザインの教育を受けたという経歴を生かして、釉薬の白い地を活かした装飾性豊かな器に惹かれた。マティスの作品はこれひとつであったので、他の作品も見たいと思った。同時に、マティスの絵には陶器が登場するということなので、今後はこのことにも注目して鑑賞したいと思った。

次に感銘を受けたのはドラン。陶磁器に男女の姿態を描くというのは、大胆な試みであると思うが、ここに掲げた「二人の裸婦」(1907)などのように特に違和感なく受け入れられる図案である。やはり下地の白をうまく生かしている。他の作品でも幾何学的な紋様や抽象的な紋様なども使い、過剰な装飾もあるが、陶器という素材をうまく使いこなしている、と感じた。

さらにヴラマンクの陶器の作品にも惹かれた。私はヴラマンクの絵画はことのほか好みである。陶器作品についてはマティスやドランほどにはしっくりとは馴染めなかったが、それでもつぎのような2点、「植物」「黄色の花と葉」(共に1907)などは装飾的な紋様として陶磁器になじむような感じがした。面白いことに下地の白が底の方、あるいは口の方など上下どちらかに偏っているのが面白い。多くの画家が1~2年で陶器制作の活動を止めてしまうが、ヴラマンクは5年ほどかけて300点もの作品を仕上げたらしい。植物をあしらった幾何学的な紋様も試みており、さまざまな試みを行ったようだ。

そしてジョルジュ・ルオーの陶磁器の作品である。ルオーは、他の画家達とは違い1906年から13年という長い間メテと共同で陶器制作に携わり、メテとは親密な交流を続けたようだ。ルオーの陶器作品は主題も器の形も多様で、ルオーの活動の内に大きな比重を占めているとのことであった。
だが私にもいいものとは残念ながら思えなかった。まだまだ私の眼がついて言っていないのかもしれないが、掲げた作品のように多きな器全体にルオーの絵画作品そのもののように厚塗りで、黒い縁取りがされ、描かれている対象がわかりにくくなってしまっている。主題は道化師、サーカスの人々、裸婦、裁判官などなど絵画の主題とほぼ重なっている。
ルオーの意図した表現効果が陶器制作でどのように実現したのか、私にはまだわからない。
掲げた作品は花瓶「沐浴の女たち」(1909)という題でとても大きい器である。眼を凝らして見ると豊満な肉感的な女性像であるが、底から口まで隙間なく色が塗り込められている。これでは花を生けるという器の目的からするとその目的を否定している。花の美しさを活かすのではなく、花は器自体の存在感に押しつぶされそうである。その上、花瓶そのものを部屋に飾るものとして見ても、花瓶という形でなければならない必然性、あるいはその形を活かした紋様といえるであろうか。評価は難しいと思えた。

ポット・ピッチャーそして5客のカップ・ソーサーで組になったティーセット(1911)が並べられていた。いづれにも裸婦が、それもかなり艶めかしく露わに描かれている。少なくともこれらが日常使われる茶器として求められることはあったとは思えない。ひとつの試み、陶磁器の新しい可能性としての試みという範疇を出ないと思われる。
私はルオーの絵画にはとても惹かれる。特にキリストを描いた作品は忘れることが出来ない。ルオーが陶磁器にこだわった思いというものをいつかはもう少し理解したいと思う。
メテという陶器製作者があらたな陶器の絵付けの可能性追及のひとつの試みとして、そして次の飛躍のための契機として刺激を受けたと理解するとして、それがどのようにメテの作品に活かされたか、私にはそこに理解が届かなかった。
陶磁器による表現というものについて私はまだ理解が出来ていない。特に器という日常使われる形状を使った表現はどうしても「使う」という前提で鑑賞してしまう。「使いやすい」「日常のように足りる」という制約との均衡の中に、美を見出すという回路からどうしても抜け出さないでいる。
また「使いやすい」「日常の用に足りる」ということはそれぞれの地域毎の歴史的な経過に基づく様々な慣習や生活様式による制約がとても大きい。「機能美」や「約束事」が微妙に絡まっている。
そんな制約を考えると、鑑賞者の美的な基準は絵画一般よりもなお一層複雑である。「気に入った」「美しい」「惹かれる」‥といった自分なりの基準を鑑賞をとおしてどのようにつくりあげたらよいのか、まだまだ分からないことが多い。