goo blog サービス終了のお知らせ 

Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

再見 若田石硯

2015年01月08日 23時13分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日、遠出をしてしまった。といっても一万歩ほどであるが‥。

 日本橋三越本店で開催されている長崎展(1/13(火))を夕方に覗いた。
 そこで対馬の若田石硯の実演販売の案内が昨年今年と来たのだ。昨年はすっかり忘れてしまい行くのを忘れてしまったので今年こそは行ってみたいと思っていた。
 三年前に対馬・壱岐・佐賀に行ったとき、厳原町で若田石硯を作成されている岩坂芳秀氏宅を訪れて、ビデオを見せてもらったことがある。その時に実に安く硯を販売してもらった。半値に近かったと思う。大変申し訳なく思っていた。
 本日販売コーナーを訪れ当時と変わらず元気そうな姿を見ることが出来た。たいした買い物は出来なくて一番安い筆架をひとつ購入しただけだが、3年前のお礼を伝え楽しい会話を交わすことが出来た。

 その後大久保での飲み会に顔を出したが、N氏の葬儀の会計報告をしてすぐに退散した。何しろ病気から回復したばかりなので飲めないし、早目に就寝しなくてはいけない。

 帰宅して先ほど検温したら35.8℃。このまま朝まで変わらずに推移してもらいたいが‥。

体験的治療論というとおこがましいが‥

2015年01月08日 12時04分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今朝も明け方に熱発。汗が引いた直後は37℃だった。これがはやくなくなってほしい。

 さて、まずはやはり御礼と感謝から。このブログ、本当は私の今の趣味である美術展の鑑賞記録や、山行や旅行の報告、受講している講座の感想、クラシック音楽、俳句などの感想、そして時々時事への発信を目的としているのに、正月から熱を出しその時の思いを書き連ねてしまっている。
にもかかわらず多くの皆さんのコメントや励ましをいただき感謝している。
 熱で唸らされていてベッドの傍の窓から外を見ることすら億劫な時には、今の苦しさから逃れるためにはどうするか、それだけを思ってしまうもの。
 いつもは自分の体力で治すことが大切と思っているのに、弱った体力ではなかなかそこまで思い至ることすらできない。先が見えないで時間ばかりが経過するということの怖さ、恐ろしさというものをあらためて体験したような次第である。
 コメントなどで「熱は出せるだけ出してしまうのがいい」と云われたとき、ようやくそのことに気がついた。開き直って「こうなったら当面の予定は全部飛ばしてとことんこの病気と付き合うか」という気になった。しかもこういう時のために日頃の体力を養っているともいえるのである。
体力がたくさんあっても気力や意志がないとそれは宝の持ち腐れである。気持ちはきりかわった。
 これはツイッターやブログをとおした関係や、知恵のおかげだと感謝している。同時に「高熱」に対処するには極めて体力を消耗するということもあらためて実感した。自分では13年前に嫌というほど高熱にさいなまれ、その後5年近くその病気に関わったのだが、その時のことを思い出すきっかけとなった。
 よく高齢者に「自分の体の治癒力を信じてがんばれ」という言葉が投げかけられるが、そうはいっても高齢者の場合は体力は限られている。無論自然の治癒力は持っている。それを引き出す現代医療・高度医療というのもむろん大切である。

 体力と、生物として自然に備わっている治癒力と、そして医療技術の兼ね合いが大切なことであることを今回あらためて実感した。

 私の受けた医療・投薬が適切であったのかどうかはわからないが、あの時の医師の「熱の推移からは峠は越えたみたいだ」という言葉はその時の私にはとてもありがたい言葉でもあった。
 医師というのは治療技術を発揮する以前に、豊富な事例に基づいた今の病気の状態の正確な状況把握をする必要があるわけなのだが、そこで的確なひとことが患者に力を与えることもあるというこも理解した。

 多くの方のご指摘、励ましにあらためて感謝申し上げます。