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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の作業

2013年12月13日 23時43分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 例年は正月の2日に一番年上の叔母の家に集まるのだが、支度がつらくなってきたようなので、お店で新年会をすることにした。
 ということで正月2日に親族と集まる場所を探しに、大森駅前を妻と散策。二つほどの候補を探し当てた。どこの駅前にも出店しているチェーン店は24時間365日営業で元日から得異議要している。しかし地元の店の大半は来年は5日ないし6日からの営業である。まあこれが普通の感覚であって欲しいと思いながらも、こちらの都合で2日からやっている店を探してみた。
 大きなビジネスビルの中のレストランなどはビジネスビルの営業にあわせて4日からというのが多かった。
 さんざんまわって疲れた頃、ようやく駅ビルの隣のビルで2日からやっている落ち着いた雰囲気の店を見つけた。チェーン店ではあるが、落ち着いた雰囲気が身上の店である。個室もあり高齢の参加者ばかりの小さな親族の集まりにはちょうどいい。値段も高くない。とりあえず候補としてこのビルの二店のパンフをもらってきて、親族に投げかけることにした。
 途中で遅い昼食、いつもはおにぎり1個の世界だが、奮発してインド料理の880円のセットを注文した。ナンとご飯がついてボリューム満点。2人とも夕方まで胃がもたれてしまった。
 帰途に年賀葉書を購入。これまでとちがいインクジェット用にした。
 帰宅後から、ブログの記事を大急ぎで作成。その後、退職者会のブロックの運用についての試案を作成し、他の幹事に送信。さらに年賀葉書の文案を作ってみた。
 ここまでやって時間切れというか、疲れたので年賀葉書の仕上げは明日にまわすことにした。
 明日はこの年賀状の文案作りを午前中におおよそ目処をつけたい。午後からはパソコンが年末に届くので、壊れたパソコンの始末を始めないと間に合わない。もう使うことのないMOやら、外部記憶装置としていくつか使っているUSBメモリやらの整理、パソコン台とその周辺の掃除、用紙類の片付けなども行わないといけない。畳2畳分のスペースの大掃除である。これは大分疲れそうな作業になる。しかも午後だけでは到底片付くそうも無い。壊れたパソコンの購入時から一度も片づけをしていないツケが‥。歳末になって面倒である。

秘密とは

2013年12月13日 19時04分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 私が高校生のころ衝撃を受けたのは、当時ドプチェク体制下で「プラハの春」といわれたチェコスロバキアにソビエト軍が侵攻した事件であった。当時日本でも日大や東大を筆頭に学生運動や反ベトナム闘争が各地で展開されていた。あのソビエト軍に抵抗するチェコスロバキアの運動に大きな衝撃と関心、共感を覚えた。
 古い左翼がよりどころとしてきたソビエトロシアに対する評価にとらわれていてはあの運動に共感もできないと直感した。ソビエトロシアという幻想を否定しようとするいわゆる新左翼運動や、旧来の価値にとらわれずに新しい政治的社会的価値を創出しようとする反体制運動に、私はとても近しいシンパシーを感じたことを鮮明に覚えている。

 当時の日本の保守政治はとても閉鎖的で秘密主義、権威主義で反体制派の異議申し立てには胸襟を開いた対応を拒否し続けていたと思う。日本に限らず、すべての諸外国がそのように思われた。それは旧来の左翼もそうした体質を濃く持っていた。このような「閉じられた」政治や社会の在り様に対して、政治も社会も、国家そのものがもっともっと開かれたものになるべきだという私の直感は今でも正しいと感じている。
 反公害運動も、三里塚などの住民運動も市民社会に対して「閉じら」れていて、あたかもどこかいに大いなる「秘密の玉手箱」があるかのように見える「権威」に対する闘いでもあった。
 国家も行政も、そして企業もその意思決定のあり方が当時はとても不透明であった。日大も東大もその組織の意思決定は、どのような手続きで進められたのかが公開されなかった。企業の経営方針も、政治の政策決定も自覚的に外に向っては「開かれ」ることは無かった。
 そしてその意志決定に対する責任もまたあいまいであった。その意思決定に対して賛成・反対の議論をどのように行ったのか、どのようにさまざまな検討をしたのか、明らかにしようとすることに対し「組織防衛」、「意思決定機関参加者の自由討議の保障」などの理由を盾にして開示されることは極めて少なかった。これは意思決定機関に参加するものの無責任・免罪符として機能していた。

 団塊の世代の功罪がいろいろいわれるが、あの学生運動やベトナム反戦運動、反公害運動、住民運動にかかわり、そして企業の中での振舞いを通して、市民社会に対して開かれた組織の在り様を提示してきたのは、この世代である。私は団塊の世代、全共闘世代のもっとも大きな功績はこの点に集約できると感じている。
 これは当たり前だが、秘密は隠すことで秘密となる。そのことによって意志決定過程と決定された意志に「権威」を持たせる。これは決定された意志に対する、その意思決定に参加したものの免罪符となる。秘密とは社会に対して「マイナス」に作用した「意志」決定の責任を回避する極めて大切な儀式である。
 私たちは社会を、企業を、政治決定過程を「開いて」きたこれまでのこの経過を見失ってはならない。

 北朝鮮のあの到底理解できない粛清政治、あるいは中国でも未だに政敵に対しては生命の抹殺に近い処理が横行するのを見るにつけ、政治を、社会を開いていくことの重要性は皆が了解すると思う。
 さらに私が違和感を持ったのは、団塊の世代などより若い世代の時代を先駆けしたような起業家などがそのような意思決定過程の記録や公開に無自覚で、企業経営に失敗したり問題を起こして社会から消えていく場面に多く出くわしたことである。堀江某などの企業経営など意思決定過程が幼稚でそしきの体をなしていないという印象を強く受けた。オウム真理教という教団のありよう、集団の意思形成過程にも同じような違和感を感じた。ほとんどの新左翼諸党派もあの経験を忘れているか、忘却しているか、わざと無かったことにしている。これは旧左翼と何ら変わるところが無い。とても情け無いと思うと同時に、経験が教訓化されていないとも思う。

 法律で情報開示制度がようやく定着してきた。それを有効に活用出来ているとは、行政の末端にいた私はとても思えないが、それでも枠組みは出来ている。しかしこの流れをまったく否定する「特定秘密保護法」を私は容認できないと感じる。
 「秘密」はあってならないのである。国家間の交渉のやり取りであっても出来るだけ近い期間のうちに、その時期が来れば公開されなければならない。

 「戦前に戻すな」とか「あの戦争をもたらした治安維持法の再来」とかいうような議論はしたくないし、意味はあまりない、いや反対運動を狭くすると感じてきた。団塊の世代が意外とそのような言い方をしている。団塊の世代はもっと自分たちの世代の功績をもっと自覚的に評価すべきである。
 旧左翼がその権威を持たせるために1960年代の反体制運動に「権威として」君臨し敵対した歴史を忘れてはならない。あのときの運動は「権威を権威たらしめている組織決定の秘密主義」を否定してきたことにその評価があると思う。
 ソビエトロシアのチェコスロバキアに対する侵攻に手をこまねいていたり、あの侵攻を擁護した旧左翼の政治的役割はもう既に終了している。復活させてはならない。旧左翼があの法律に反対するなら、それはそれでやらせておけばいい。彼らの政治的根拠・本質は「秘密主義」なのである。何も一緒になって「戦後に戻すな」と叫ぶ必要は無いのである。
 戦後社会を大きくこじ開けてきた団塊の世代は、自分たちの成したその流れがまったく否定されることに意義を唱えればいいのである。ソビエトロシヤや中国の「権威」にもたれかかった旧左翼が、1960年代に戦後政治を「開かれた」社会にしようとする運動に如何に桎梏であったか、敵対物でしかなかったか、思い出せばことは簡単である。彼らと同じようにスローガン化して反対するのは、彼らの政治構造を容認することになる。私はとてもそれが耐えられないと感じている。

 1970年代の新左翼緒党派の否定的惨状は、当の戦う相手であった戦後政治そのものの否定的体質である「組織決定の秘密主義・権威付け」に自覚的に対抗しなかったことによる負の遺産である。秘密主義・権威主義との闘いはオープンに、そして権威にとらわれることなく闘うことである。政治的統一性とか、「階級形成」のためとか、次の選挙のためとかを目的に闘うのではないのである。このことを踏まえなければ、陰湿な組織問題を肥大化させ、組織のための組織による凄惨な内ゲバの世界が現出する。

 何度もいうが団塊の世代の功績は、行政や企業や各種の組織を現実に「開いて」きたことである。特別に教科書があったわけではない。統一司令塔があったわけではない。それらが無かったからこそ出来た「世代としての成果」である。
 秘密は秘密にされることによって権威付けされ、人を押しつぶす。あの法律によって企業も同じような秘密保護(秘密醸成)体制をつくり始める。社会のあらゆる組織が「秘密」をつくることを当然のように行う。団塊の世代が企業や行政から年齢により退く今が「秘密」を作るチャンスということなのだろうか。
 組織運営でもっとも気の弱い人間、他の部所や組織から、市民や第三者と接する部所、外交交渉など交渉を担当する部所が秘密を一番作りやすい。何故なら公開することでのリスクを負いたくないから、そして誤った情報公開の仕方で失敗をしてしまうリスクを軽減するために、些細なことも「秘密」にしてしまうからだ。
 法律の目的は「特定秘密」だからそんなことはないと言うかもしれないが、「秘密」の本質はそこにある。
 戦前のように国家が成り立つ根拠・権威として「秘密」を横行させる社会ではもはやない。今の時代ならではの「秘密」が醸し出されようとしている。「組織」の弱いところ、弱点を法律でカバーしようとしているのである。戦前回帰ではない。むろん安倍晋三という時代錯誤の言質を繰り返す首相の取り巻き、自民党の「反共」「反戦後秩序」にとらわれている部分の時代錯誤も要因であるが、それにとらわれているとあの法律の本質が見失われるのではないだろうか。

そろそろ年賀状作成へ

2013年12月13日 12時01分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 年内に新しいパソコンが届くことになったが、ソフトのインストール等の手間を考えると、年内はその作業に追われることになりそうである。
 XPからエイト(8)に変わるのだが、一太郎、アドビ、画像処理、住所録を兼ねているハガキ作成といった主要ソフトはどうも買換えとならざるを得ないようだ。
 一太郎で9000円、アドビで30000円、画像処理は廉価版、ハガキ作成で4000円として45000円くらいを覚悟しなくてはならないのかな?と愕然。
 一太郎2009がうまくインストールできればうれしいが‥。アドビはどうであろうか。これらを試行しながらだから時間はかかりそうだ。そのほかフォントのインストールも古いCDなので不安がある。

 こんなことを考えていると年賀状を早めに作って投函しないと投函期日に間に合わなくなる可能性が出てきた。
 昔は年賀状を細々と続けてきたが、労働組合の分裂問題以降できるだけ年賀状を出すようにしてきた。さらにメールが主流となって年賀状にかげりが出てきたといわれるようになって、俄然年賀状に対するやる気が出てきた。
 根がひねくれ者なのである。
 文面に書き表せないことの方がいっぱいあるのだが、それでも一年の振り返りをするということに年賀状作成の役割を持たせることができる。

 ただし年賀メールと年賀状を併用している方も、また年賀メールだけの方もいる。この年賀メールもなかなか楽しい。年賀メールは過去一年のことよりも向こう一年への気持ちを力点に、簡潔に書くことにしている。

 作成する年賀状、どのようにするか楽しみでもある。しかし出来栄えはいつも不満足、大したデザインにはならない。能力とセンスの無さが一目瞭然、悲しい。