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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

墓参りと花見と

2024年04月06日 10時54分43秒 | 読書

 本日の天気予報は少しずつ悪い方向に変わって、夜には雨も降るらしい。一週間前から本日の天気予報に注目していたが、当初は太陽が出る予報であった。しかも東京の予報では午後の雨の確率は50%と高い。
 果たしてお墓のある多磨霊園の午後はどんな天気になるのであろうか。傘を持参することにした。
 多磨霊園は桜がちょうど見頃との情報であった。雨の花見も楽しみということにしておこう。

 11時半に家を出て、昼食は何処にするか、まだ決めていない。


「都市空間の怪異」 その4

2024年04月05日 19時50分38秒 | 読書

   

 昨日読みそこなった「都市空間の怪異」(宮田登)の読書を再開。だいぶ時間も立っていたので、少し遡って読み始めた。

自然の中に人間がうまく調和している限りでは、怪異という現象は生じなかった。自然を破戒しつつ地域開発が伸長するプロセスで自然と人間は対立関係に入るが、人間の営みの体系である文化の中に自然が取り込まれるようになると、逆に超自然現象がさまざまに語り出されてくる。都市文化の一部分として怪異譚が位置づけられるが、これは人間か自然を破戒して都市を作ったということの現在意識が漂白されていると見ることができよう。」(第3章「都市と妖怪」第3節「異界との交流」)

「人生を黄昏化するが理想の鏡花小史」と折口がいうように、鏡花の論じ方には、かならず二つの世界の境界論が浮き彫りにされており、とりわけ超自然的領域との関わり方が、鏡花文学の大きな特色となっている。」(第3章「都市と妖怪」第4節「鏡花と妖怪文化」)

若者たちが怪奇現象に関心をもつ前提には、現代人の霊魂観の傾向があると思われる。・・・誰もが関心を寄せるのは、人の霊魂はどの段階で人に宿るのかという点ではなかろうか。臓器移植の前提にある脳死の位置づけが不分明である点に人々の批判が集中している・・。国民的合意を得られないでいるのも、脳死の判定がこうした霊魂観に整合しきれないでいるためである。脳死の状態になっても霊魂がまだ自由自在に出入りしているのではないかという疑問を捨て切れないでいる・・。脳死体県のフォークロアが日本では他民族と比べて相対的に多く語られていた。」(第4章「近現代社会の妖怪」第1節「若者の霊魂観」)

現代日本における世紀末の世相には、とりわけ日常化した神秘主義が目立っている。その基層には民俗文化の核が横たわっていると考えられる。引いつの文化を型をなし、それが基層から表層に浮上するとき、占いや新宗教が一挙に巨大化する。」(第4章「近現代社会の妖怪」第1節「若者の霊魂観」)

 残るは第4章の後半と、「附 都市とフォークロア」ならびに解説等である。


「図書4月号」から その2

2024年04月04日 11時52分29秒 | 読書

 昨晩「図書4月号」を読み終えた。

・謎解き「しかばねの物語」   星  泉

・あかん、食べたんかあ!    前田恭二

・ポトツキと清国へのロシア外交使節団  畑浩一郎

 以上3編を読み終えた。前回までの7編と合せてこれにて今号は読了したことにして終了。残り5編はパス。

 入浴までの短時間に、「波4月号」に目をとおしたが、1編のみ読み終えて終了。

・こんな友達がいた    椎名 誠

・グラジオラスの花束と共に  小池真理子

 


「図書4月号」から その1

2024年04月02日 21時17分41秒 | 読書

 本日喫茶店で読んだのは「図書4月号」。以下の7編に目をとおした。

・[表紙]比叡山麓の山桜     加藤静允

・モダンジャズの「花伝書」   五木寛之
(「マイク・モラスキー著「ジャズピアノ」について)演奏者とリスナーとの境界を自由に往来しながら、現代におけるジャズの位相を、これほど鮮やかに分析してみせた本は、これまでになかった。現代の『花伝書』と呼ぶ所以である。

・ジャズを聴きなおす      深澤英隆
日本は、ジャズ聴取者が多い国だとよく言われる。アメリカでの音楽ジャンル別の売上シェアは、ジャズとクラシックがともに1%で最下位である。日本人を対象としたアンケートでは、ジャズを上げたものは全体平均で10%前後であり、これが60第男性では23%となる。
本書を読む前と後では、ジャズの聴き方、聴こえ方が変わる。このことは読了した誰もが感じるに違いない。

・創立100年、「恩人」を迎えた東洋文庫   牧野元紀

・「教会の外に救いなし」 パスカルの信仰告白をめぐって    塩川徹也

・「ショック・ドクトリン」のインパクト   西谷 修
「新自由主義」とは、たんにひとつの経済思想なのではなく、市場の自由のために人びとの人格や社会の破戒を要請する「ショック・ドクトリン」なのである。・・アメリカ的「新世界」設定のための戦略教程だということだ。この着眼が本書に政治・経済・社会を貫いて歴史と認識論も巻き込んだダイナミックな視野を開き、圧倒的なインパクトを生んでいる。ナオミ・クラインがただのジャーナリストでなく、「思想家」と呼ぶにふさわしい所以である。

・見えないキノコの勤勉な日々       永井佳子
私は大学で美術史を専攻する中で、・・・作家というひとりの人間の生き方や、その人が生きた時代や社会、環境などが同心円状に広がりながら見えてくることに興味を持つようになった。
展覧会の場所やタイミング、作品を伝えるためのメディアの種類やデザインなど届け方や出会い方を工夫することで・・私たちを取り巻く社会や環境課題に関連したすべての歴史と、伝えるための技術や美意識といった多種多彩な要素を接続して、混沌とした暗闇のなかに微かに見える淡い光の道筋を追いながら、手探りでその思いを形にしていく。
この世界にあってどんな枠組にも入れることができないもの、逸脱するものには、それを的確に示す言葉も当てはめるカテゴリーもない。私は菌類の動きを思い浮かべながら、分類できない人間の創造をも追っている。逸脱するものを受け入れること、自然の循環のなかに人間の営みを戻すこと、成果だけに止まらない目に見えない創造の蠢きのなかに身を投じることである。

・ビールとともにある街の歴史       有友亮太


「都市空間の怪異」 その3

2024年03月28日 21時59分16秒 | 読書

   

 久しぶりに「都市空間の怪異」(宮田登)に目をとおした。第3章「都市と妖怪」の第1節「都市の怪異」まで読み進んだ。第2章からとても惹かれる記述が続いている。

戦乱の時期に「物の怪」がいろいろなメッセージを世に送り出すと人々は考えていた。「物の怪」が人間に対して警告を発する立場からものをいっている。災いをもたらすというよりも警告を発するという内容である。もともと「物の怪」は幸運をもたらすものであり、人間を庇護する役割を担った自然に属する精霊としての存在という見方があったことがうかがわれる。」(第2章「妖怪と幽霊」 第1節「平田篤胤の天狗研究」)

日本のゴジラで重要なのは、水爆実験が生み出した存在であることと、海の向こうから出現してくることである。黒潮文化という日本文化の基層部分を校正した黒潮に沿って、海の彼方から怪獣がやってくるモチーフである。」(第2章「妖怪と幽霊」 第1節「平田篤胤の天狗研究」)

一般論としては、妖怪伝承をたくさんもつ民俗は危険状況を乗り越えられると柳田國男はいっている。宗教が衰微してくると幽冥界の消息が不明確になってしまう。これは幽冥界に対する、あの世と霊魂に対する感覚を失いつつあることを示す。そうすると形骸化した宗教だけが残ってしまう。形骸化した宗教になると、精神世界そのものが末期的な症状になる。これが、終末というものを招く大きな原因になる。」(第2章「妖怪と幽霊」 第1節「平田篤胤の天狗研究」)

柳田國男は幽霊と妖怪を区別する観点を示したが、これは幽霊の存在が共同幻覚の対象にならないという特徴にもとづくためである。特定の個人が、死者の生前の出来事に関わったため、その個人のみが死者と交流できるという霊魂観による。だから他者には幻視されない何かが映像化された。死者の霊魂をみる人が限定されているのに対して、妖怪は誰もが体験できるものと考えた。妖怪の属性として、出現する場所や時刻が限られててることをあげ、霊魂との関係からいえば、人間以外の霊が憑依したものと考えた。」(第2章「妖怪と幽霊」 第1節「平田篤胤の天狗研究」)

南方熊楠が「実体なき幽霊」と「実体ありてかつて地上に生活し、もしくは現存する禽獣より訛り生ぜる妖怪」として幽霊と妖怪の相違を規定したところは面白い。実体がないとすれば、当然足跡は残らないのであるが、・・・生者とくらべるとどこかが不足してくる。頭がない幽霊も、へそのない幽霊もあり得る。だから生者に足があるならば、逆に幽霊に欠如するという考えは一つの道理ということになる。日本の幽霊は円山応挙の幽霊画に端を発し、そのイメージが普遍化した・・・。」(第2章「妖怪と幽霊」 第3節「幽霊の描かれ方」)

現代都市の生活空間に発生した怪異をテーマとするフォークロアを考えてきた。消えた乗客、学校の怪談、「リング」のモチーフなどは、共通して日本が近代化をおしすすめる20世紀に入ってから都市を中心に発生、展開した。その根にあたるモチーフは、女性の隠れた霊力に関する民俗信仰にもとづいている。女の霊力によるメッセージは、都市の病める精神の回復を促していることになり、それを発見する妖怪研究が今後も必要になってくる。」(第3章「都市と妖怪」 第1節「都市の妖怪」)


ぎっくり腰の気配

2024年03月22日 13時40分02秒 | 読書



 最近少し歩きすぎたかと反省していたら、本日は朝から腰痛。この1週間、歩数計は1日平均9千歩を越えていた。ひと月で28万歩を越える。今月の目標を25万歩としていた。調子がいいので、気持ちよくウォーキングをやり過ぎた感がある。
 本日は休息日ならぬ休足日としないと、ぎっくり腰が再発しそうな気配である。起床してから、クシャミや咳をするときは、手を頑丈なものを握って腰に負担がかからないようにしている。
 午前中から「永瀬清子詩集」(岩波文庫)を読んでいる。永瀬清子の詩を読む前に「はしがき」(谷川俊太郎)、《研究ノート》(白根直子)、「永瀬清子自筆年譜」を再度読み直している。
 「詩」というものを読む前に、永瀬清子という詩人のことを知らないので、まずはどんな人生とどんな作品を作り上げたかの下調べをしたかった。
 この文庫本を購入したときにすでに一度目をとおしているが、忘れていることも忘れていることもたくさんあると思い、読み直した。

 これより親のかかりつけ医で薬の処方箋をもらい、私のかかりつけの眼科で点眼薬の商法戦を貰いに行く。腰の状態が悪くないようならば、歩く距離が最短の近くの喫茶店で「永瀬清子詩集」でも読んでみたい。
 フラワー緑道のヨコハマヒザクラの状態を知りたいのだが、本日は我慢である。

 


「都市空間の怪異」 その3

2024年03月19日 22時10分43秒 | 読書

 

 とりあえず本日読んだ部分からの引用を2個所。引用は要約やポイントというところではなく、気になった個所ということである。

現在の日本も無宗教の時代と言われるが、(柳田の妖怪、お化け研究の中心テーマは)1910年代という時期は、日本が明治以来の大きな変革の中でだんだん精神的なものを見失いつつある、そういう時代にさしかかっていた。その時点で、日本の宗教が勢力を失いつつある、そういうことを指摘して、改正させるために、天狗の研究を行い、幽冥教のデータを発掘しなければならないという主張である。」(第二章「妖怪と幽霊」 第一節「妖怪と幽霊」)

私たちが日常生活の中で何気なく過ごしていても、何だかよく分からないけれども、突然日常的なものではない、異質なものに遭遇したり、体験したりする。それは無意識の慣習といわれたりする。それを柳田は、フォークロアの口で伝えられるている伝承として記憶に止めている。『遠野物語』はは柳田の手で「物語」となった。全国各地で明治二十~三十年代の、近代化が農村部に浸透していく時期に起こっている曖昧とした不安な精神状態がその規定にある。『遠野物語』の階段のような不思議な話にそうした精神状況が反映しているとみていくと、不思議を語りたがる私たちの心の奥に隠れた何ものかに出会うことができ、それを突き詰めていくと霊魂観やあの世に対する日本文化の根っこの部分に触れることが可能になる。」(同上)

   

 


「都市空間の怪異」 その2

2024年03月17日 20時03分14秒 | 読書

 「都市空間の怪異」(宮田登)の第1章を読み終わった。第1節が1963年の論考、第2節が1993年のもの。ということで少し論点が移動があるが、そこは気にせずに読み終わった。

霊魂は、首から上に籠っているのであり、身体から切り離されていても、以前活動をしているのではないかという思いが分かる。近年の「脳死」における判定基準がもめるのも、脳の活動の不可避な部分と、伝統的な霊魂観のからみがあるためと思われる。現代人が語ったり想像したりした妖怪も、ないがしろにできぬ存在なのである。」(第1章「妖怪と人間との交流」 第2節「妖怪からのメッセージ」)

河鍋暁斎の描いた作品では、妖怪のイメージはすこぶる擬人化されていて、こちらの世界の生活ぶりとあまり変わっていない。江戸時代中期以降そうした傾向が深まっており、闇の世界にも昼間の日常が投影している。・・・明治三十年以降、百鬼夜行は姿を見せなくなった。・・近年放課後、子供が見かける妖怪が学校中心になっている。」(同上)


本日より「都市空間の怪異」

2024年03月16日 19時58分41秒 | 読書

   

 本日より読むことにした本は「都市空間の怪異」(宮田登、角川ソフィア文庫)。水木しげるの「百鬼夜行展」を見たからというわけではないが、「妖怪」というものの存在が人々の観念からどのように生み出されたのか、という疑問は昔からある。しかしそのことについては不勉強であった。念願のいい機会である。また引用されている絵画への関心もある。
 本日は読み始めたばかり。早速柳田國男の「妖怪談義」から始まる。

妖怪は怪異とか不思議、恐怖の対象であり、とりわけ神霊が他界と人間との交感の媒介機能を果たす重要な文化要素であり、アニミズムの世界に属する現象として、民俗文化の中に位置づけられてきた。」(第1章「妖怪と人間との交流」 第1節「妖怪の音声」)


読了「風俗画入門」

2024年03月15日 20時21分29秒 | 読書

 本日、第8章「風俗画としての浮世絵」を読み、全体を読み終えた。

浮世絵の語は1680年代初めから、江戸、上方の両方で出版される草紙、絵本の類に見られます。主に当世の美人風俗を描く図を指した・・。春画やそれに近いエロチックな描写が、そのころの浮世絵の本領であったことも察せられます。菱川師宣は、自ら浮世絵師と称した最初の画工と思われ・・。」(第8章)

枕絵こそは、やまと絵の伝統の継承者を自負する浮世絵師の技量の見せどころだったのです。枕絵の高い芸術性の秘密はそこにあります。・・北斎の有名な枕絵の肉筆画冊「浪千鳥」を見る機会があり、強い感銘を受けました。・・どの構図にも緊張感がみなぎり、画家の気分の芸術的高揚がじかに伝わってきます。・・一種の歓喜天曼荼羅と形容してもよい・・。」(第8章)

(久隅守景の「納涼図屏風」に)描かれた親子の気品ある顔つきは、農民というよりむしろ武士のそれで、土地から離され、城下の都市に住むことになった武士たちの田園生活への郷愁が感じられ、身分の拘束を離れた自由な生活へのあこがれもそこに込められているようです。」(第8章)
  この「納涼図屏風」に描かれた人物への言及として、私は全く同意である。私はもっと進めて、男を守景、女性を父と和解した娘とその子、という仮定があることをどこかで読んだことがある。とても惹かれる仮説だと感じている。

慶長や寛永の(風俗画の)女性像の美しい衣装の中には、生身の体があり、彼女らの笑い声、息づかい、胸の鼓動までが伝わってくる・・。それに比べると浮世絵美人は冷たく抽象的でさえあります。美化のゆきすぎが、対象の現実感を弱める結果をうんでいます。」(第8章)

「北斎漫画」の中で力強くユーモラスに展開されている庶民生活の種々相(によって)日本の風俗画は、初めて、庶民の目による庶民生活の描写に至り着いたということもできましょう。」(第8章)

 引用された作品は多数ある。記憶しているものを再見したときにおおいに参考にしたいと思った。

   



「風俗画入門」第5~7章

2024年03月14日 20時17分52秒 | 読書

   


 昨日までに読んだのは、第5章「戦国から桃山へ」、第6章「桃山風俗画の満開」。本日読んだのは第7章「初期風俗画の爛熟」。残るは第8章「風俗画としての浮世絵」とあとがきのみとなった。

風俗画は近世になって突然現れたものでなく、それまでに培われた風俗描写の伝統の上に花開いたものであること、というよりもそれ自体興味つきないものである・・・・。」(第5章)

近世風俗画の展開は、寛文年間(1661-73)のあたりを境に、前後の二段階に分けられます。前にあたるのが、近世初期風俗画で、障屏画を主な画面形式として、上方でつくられました。日本風俗画上の文字通り黄金期・・。寛文以降の風俗画は、中心の場を江戸に移して、菱川師宣に始まる浮世絵にその展開を求めています。障屏画ではなく、木版挿絵が発展した一枚摺りの版画が浮世絵の画面形式の特色・・・。優れた芸術性はさておき、不ヴく描写の生き生きとして性格という観点からすれば、型にはまって後退したといってよい・・・。日本風俗画の最盛期を近世初頭においてよい。」(第5章)

慶長風俗画の描き手は主に狩野派です。・・・慶長風俗画の魅力は、何と言っても画中の人物たちの明るさ、健康さです。」(第6章)

慶長風俗画の画中人物は明るく典雅です。だが慶長の末から元和にかけての時期(1610年代)を境にして、風俗画の世界に新しい波-卑俗化の波-が打ち寄せ、変質させています。」(第7章)


本日より「風俗画入門」(辻惟雄)

2024年03月08日 18時23分29秒 | 読書

   

 本日より読み始めたのは、「風俗画入門」(辻惟雄、講談社学術文庫)。1986年小学館より刊行の同書を文庫化したもの。
 久しぶりに辻惟雄氏の著作に触れる。
 本日は、第1章「風俗画の東西」、第2章「唐美人の移入」を読み終えた。

17世紀のオランダの風俗画は、お祭り騒ぎや居酒屋、娼婦なども描くには描いたのですが、概して市民層の堅実な生活態度を反映した、地味な日常生活をじっくりと見据えたものが主流です。堅実な風俗画制作の態度は、近世日本の風俗画にはあまり根付かなかったようです。同時代との類似で、より注目されるのは、ブーシェやフラゴナールらが上流社会のロココ趣味に応えて描く、享楽気分の横溢した、いかにも粋な風俗画でしょう。片や上流貴族、片や町人という享受者の階層の違いを越えて、両者の風俗画に求めたものが、意外と似通っているのは興味ある現象です。喜多川歌麿など、浮世絵の美人風俗画が、19世紀後半になってヨーロッパ人の絶賛を浴びた伏線として、このことを見逃すわけにはいきません。」(第1章)
 常に東西の比較と同時代性について着目しつつ論を進めようとする姿勢が私はとても気に入っている。ただし現在では、フェルメールが「堅実な」風俗画と断定してしまっていいのか、というのは異論もあるはずだ。またイギリスのホガースも「堅実」というよりも社会の歪みを抉り出そうとする姿勢からすると、議論の余地がありそうである。

絵画は人格の向上に役立つものでなければならないとする、中国の士大夫の伝統的な建前としての絵画館が、(宋代)あたりで風俗画に矛先を向けた感があり、日陰に追いやられていく・・。(以降)概して尚古趣味が目立ち、風俗画の新風と言えるようなものに乏しい。日本の風俗画が近世になって全盛を迎えたのと正反対とさえいえます。この対比が何によってもたらされたか興味ある問題で、中国と日本の絵画観の違い以外にもありそうですが、この問題はさておいて・・」(第1章)
 ここで止まっているのがとても残念である。

天平工人の生き生きとした〝落書の精神〟は、貴族社会の戯画に受け継がれ、12世紀の絵巻の中で芸術的昇華をとげるのです。」(第2章)


「図書3月号」から

2024年03月05日 22時15分06秒 | 読書

 「図書」で連載していた「写真に耳を澄ます」(竹内万里子)の写真論が5回で終了してしまった。わかりやすい文章でなのだが、短い引用が難しい。もっと連載が続き、お付き合いをしたかった。
 今回は、「見ることの始まりへ」という題である。内容はなかなか重い。

見る者を拒むイメージというものがある。それこそが稀にではあれ「見ること」を成立させる・・・。見る者を拒むイメージとは、簡単にその意味を理解したり納得したりすることができず、(見る側に)違和感のある経験をもたらすもの、と言い換えてもいいかもしれない。それゆえ「好き/嫌い」の範疇においては、後者の中に放り込まれる。そして胸の奥に、微かな疼きだけが残される。

土門拳は、徹底して被写体を細部まで凝視することを得意とする写真家だった。そんな彼の手を止めさせ、激しく動揺させた少年(広島の原爆病院で白血病の被爆者)のまなざしは、写真には残されていない。自らの色濃い死の気配の中で、同情を寄せるべき哀れな被写体として自分を固定化しようとする土門の強靭なまなざしに全身で抗ったのである。いわば被写体=客体として捉えようとする写真家=主体のまなざしを相手に投げ返し、自らが見る者=主体であることを束の間取り戻したのだ。

(アヴェドンの死に立ち向かう父親を撮影した作品について)この写真が放つ怒りの矛先がなんであるのか。それは私たちの他ならぬ生を容赦無く断ち切る死そのものであり、その過酷な現実を安易な物語へ回収して手懐けようとする我々人間だったのではないか。だからこそこの写真は、一度見たら忘れられなくなるほど強烈で、人を苛立たせる。


図書3月号ほぼ読了

2024年03月04日 20時18分18秒 | 読書

 本日読んだのは、岩波書店の広報誌「図書3月号」。目を通したものは、次の8編。

・「社会」の暗闇に小さな光を当てる    筒井淳也

・沖縄の大江健三郎           池澤夏樹
大江健三郎と共に過去を思い出しながら、たった今の沖縄を見ると、そこまで虐められるのかと悲哀の念に駆られる。大江健三郎が1972年の国会強行採決について使った「陋劣」という言葉を使いたくなる。‥楽観には意志と努力が要る

・「最後の小説」に向けて 大江健三郎の自筆原稿」  阿部賢一

・死者とともに生きよ 「ブーンという音」      原 広司

・現代に生きる仏教と仏教学 岩波 仏教辞典 第三版」
           対談 大谷栄一・菊地大樹・末木文美士

・父の友人たち(下)           松本礼二

・ルーマニア、あまりに複雑な希望    済東鉄腸
現代のルーマニア映画には陰鬱な映画が多い。どれも観ていると体力がごっそり奪われる。そこには深い絶望の裏返しとしてしの力強い希望もある。ルーマニアという国の暗部から目を背けず立ち向かう勇気が、登場人物たちはもちろう〝デクレツェイ〟世代(チャウシェスク制限が中絶と避妊を法律で禁止した1966年から70年代にかけて生まれた世代)の映画作家に確かに宿っている。

・東京美術学校の終焉から東京芸術大学へ       新関公子
松本竣介の《立てる像》も「銃後の国民の気概」を描きつつ普遍に達した例かもしれない
 これには驚いた。誰の文章の引用かわからないが、松本竣介評価を根底から覆す。私のこれまでの知識からは同意できない。
大方の国民が竹鎗で本土決戦などと愚かなことを考えていた時に、敗戦後の芸術教育の強力な体制づくりを構想し実現した横山大観とはなんとすごい人なのであろう
 これにも驚いている。竹鎗云々を強制したのは誰なのか、という突っ込みもあるが、戦争に対する大観の身の処し方への評価を是非とも前提として聞きたいものである。

 なお、「見ることの始まりへ」(竹内万里子)は、明日読む予定。
 


昨日から「楽天の日々」(古井由吉)

2024年02月29日 09時53分55秒 | 読書



 昨日は、フラワー緑道をのんびりと歩いてから、横浜駅傍のいつもの喫茶店で読書タイム。古井由吉「楽天の日々」(草思社文庫)の最初の5編に目を通した。
 1970年代初頭には長編をいくつか続けて読んだが、その後いつの間にか読まなくなっていた。ほぼ50年ぶりに読むエッセイである。読み続けるのはなかなか難しい文体であるが、今回はエッセイに挑戦である。
 著者独特の文体と思考と思われる個所をいくつか取り上げてみたい。同意・不同意とは別である。

詩をつくるのは興に乗りさえすればまだしもたやすいことだが、さてつくり終えて詩中の一字に心足らわふところがある、これを直すほうがはるかにむずかしい、というような意味のことをたしか清の時代の文学者が書いているのを、永井荷風が日記の中で引いている。さらに曰く、その場で直そうと苦心しても直るものではない、何日も経って、そのことを忘れた頃になり、あるべき文字がおのずと心に浮かぶ、と。・・・・しかし考えてみればかりにこだわりを放下して、文章のおのずと直るのを待つとしても、自分にはその日が来るものだろうか、と疑った。また、ひとつの文字が心に足らわふとは、詩がすでに完璧の域に入っていて、最後の文字を待って張りつめているということではないか。この文の緊張こそがやがて言葉を呼ぶ。」(「夜の楽しみ」)

虚無が物やら形象やらの狂乱反乱を呼ぶとは、虚無が寂滅へ通じるこちらと感じ方がずいぶん違うものだと驚いた。しかしそうでもないか。(島崎藤村「夜明け前」の主人公)青山半蔵の身辺にも、一新によって伝統が壊されて自身の理念も破れかけた時に、化物が跳梁し始めたではないか、と思い直した。混沌の恐怖もまた根は揺るがしがたい単調の相のものであるらしい。これは若年にも老年にも共通することか。」(「病み上がりのおさらい」)

時代がさらに進むにつれて、宗教的な超越の心に支えられることはすくなくなっても、写実はいよいよきびしくなって行ったようだ。近代の反写実や超現実も写実の過激化の結果、あるいは過激化そのものではないのか。極限からまた極限への展開ともいえる。限界に至るそのたびに、写実は厳格になるほどに、その移すべき「実」を解体していくという矛盾域に入る。・・・解体の先に不毛と虚無を見た過激な詩人もいた。絶望がかすかな希望へ通ずるらしい。現実の始まり、つまり「始めの言葉」を待つようなのだ。時代の危機にふれて写実がけわしくなるということも東西の歴史にくりかえされてきたことなのだろう。東日本大地震大津波の惨事の後から、千何百年昔にも東北に今回の規模に劣らぬ大地震大津波のあったことが指摘された。貞観年間のことだという。・・・・ふっと貞観の仏たちの相貌が浮かんだ。写真集をひらけば、烈しい形相の仏たちがあり、峻厳に静まった仏たちがあり、一見柔和な仏たちもあるが、いずれもその面立は深くけわしく、写実が現実らしさを越えそうな境まで彫りこまれている。」(「写実ということの底知れなさ」)

 なかなかすぐには理解できない文章が並ぶ。理解できるまでに時間がかかる。根気よくこの本全体を読み切るということはできないかもしれない。
 少しでも共感できるところがあれば、また読み続けることができると思うが、それを期待してしばらくは頁をめくりつづけたい。