蛇口が取れた

4年半の杭州生活を終え、ついに帰国。現在、中国人化後遺症に悩まされ、好評リハビリ中。

かんじをつかってくれたらたすかるのですが

2008-08-13 21:55:05 | 日本・中国以外
初手から完全アウェーであった。

上海発釜山行きの大韓航空機。
案の定、客は韓国人が大半の状況。
しかしながら、それでも上海発。
まだまだ中国語支配圏のはずだ。

機内の放送を聞いてびっくりした。
機内アナウンスは韓国語と英語のみ。

韓国語は「イッポヨ」と「サランヘヨ」のみを習得して入国を目論んでいた私。
正直言って「カムサムニダ」と「アンニョンハシムニカ」の違いも微妙なままに。
はやいはなしが、韓国語はまったくもって読めず話せず歌えず踊れず。

ならば、英語はどうか。
英語はすでに闇の彼方。
悪夢探偵ですら探しだせない状況。
中国語を一つ覚えると英語を一つ忘却するという、
いたってシンプルな作りの私の脳内言語記憶装置。

機内は中途半端に寒かった。
毛布をもらおうとおもった私は客室乗務員に声を掛けようと思った。
そこで、はたと思った。

「毛布は英語で何だっけ?」

中国語ではなんとか思い出す。
日本語でもとうぜん思い出す。
しかし、英語が出てこない。
枕はあっさりと思い出したのに、毛布が出てこない。

まごうことなきバカである。
我ながらあっぱれなバカである。
休み休みいってもバカである。
かくもの名将野村克也監督ですら再生を諦めるくらいのバカである。


そんなお馬鹿さんが韓国進入。
それにしても街中はハングルばかり。
一体何のお店なのかさっぱりわからない。
時には漢字や日本語が見受けられるが、
基本的にはハングルハングルである。

何故、漢字を使わないのだあ、と叫びたくなる。
それとともに韓国語ができない悔しさも滲み出てくる。
英語もできなきゃ、韓国語もできない。

ああ、なんだかなあ、と強く感じた韓国初体験であった。


*写真は釜山の繁華街西面。