多くの方々から御著書・御論文をいただきました。
感謝しております。
以下、ご紹介させていただきます。
小金井信宏氏からは、同『中医学ってなんだろう①人間のしくみ』(東洋学術出版社、2009)、同『医理真伝編註』(ブイツーソリューション、2010)、
増尾伸一郎氏からは、『道教美術の可能性』(氏の「日本の君王、道士法を崇めず―古代日本における道教と文物の受容」を所収。勉誠出版、2010)、
山下克明氏からは、同『陰陽道の発見』(NHKブックス、2010)、同「平安時代初期の政治課題と漢籍―三伝・三史・『劉子』の利用―」(『東洋研究』171、2009)、同「陰陽道の特質と関係典籍」(『東洋研究』175、2010)、
高木徳郎氏からは、同『中世紀州の景観と地域社会』(2010)、
石川巧氏からは、同『「いい文章」ってなんだ?―入試作文・小論文の歴史』(ちくま新書、2010)、
瀧音能之氏からは、同『古事記と日本書紀でたどる日本神話の謎』(青春新書、2010)、
森公章氏からは、森公章・神田千里他篇『日本における地域と社会集団―公共性の構造と変容―』(科研報告書、2010)、同「「任那」の用法と「任那日本府」(「在安羅諸倭臣等」)の実態に関する研究」(『東洋大学文学部紀要』63集史学科篇35号、2010)、同「遣隋・遣唐留学者とその役割」(『東アジア世界史研究センター年報』4、2010)、
吉原浩人氏からは、『甲斐善光寺』(山梨歴史美術研究会、2009)、同「紀斉名勧学会詩序考―白居易の仏教思想と十五日開筵の意義―」(『水門』22、2010)、同「生身仏への鑚仰―世界最初の仏像と日本最初の仏像―」(『心 日曜講演集』28、2009)、同「紀斉名勧学会詩序訳註」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』55、2009)、同「高階積善勧学会詩序考―白居易詩文と天台教学の受容―」(高松寿夫・雋雪艶編『日本古代文学と白居易―王朝文学の生成と東アジア文化交流―』、勉誠出版、2010)、
倉田実氏からは、秋澤亙・川村裕子編『王朝文化を学ぶ人のために』(氏の「王朝文化と建築―寝殿造の様式から―」所収。世界思想社、2010)、同「女院詮子の東三条邸本院焼亡と三条院御所―『権記』と『栄花物語』から―」(『大妻国文』41、2010)、同「寝殿造の接客空間―王朝文学と簀子・廂の用―」(『古代文学研究』第二次18、2009)、同「女が男に物を返す時―平安和歌にみる離婚・離縁―」(『大妻女子大学紀要』42、2010)、
河野貴美子氏からは、同「『弘決外典鈔』音釈小考」(『注釈史と考証』創刊号、2009)、同「本草学と医薬書」(小峯和明編『漢文文化圏の説話世界』、竹林舎、2010)、同「『周易』在古代日本的継承与展開」(『中国典籍与文化』72、2010)、同「島田忠臣、菅原道真の詩と白居易―渤海使との贈答詩を通して―」(高松寿夫・雋雪艶編『日本古代文学と白居易―王朝文学の生成と東アジア文化交流―』、勉誠出版、2010)、
大多和朋子氏からは、同「遊行女婦考―日本古代史における遊女の一起源の研究―」(『学習院大学人文科学論集』7、1998)、禹仁秀(翻訳:大多和朋子)「朝鮮王朝妓生の管理体系とその流出の様相」(『東洋文化研究』9、2007)、
田村航氏からは、同「西雲庵の素性―足利義教政権期における大炊御門家ー」(『日本歴史』735)、
堀内和宏氏からは、同「律令官制の形成とその特質」(『アジア研究と地域文化学』、2009)
董科氏からは、同「奈良時代前後における疫病流行の研究―『続日本紀』に見る疫病関連記事を中心に―」(『東アジア文化考証研究』3、2010)、
新川登亀男氏からは、同「古代朝鮮半島の舎利と舎利銘文―飛鳥寺再考の準備として―」(鈴木靖民編『古代東アジアの仏教と王権』、勉誠出版、2010)、同「いま日本古代史とは何か~「おどろき」への喚起~」(『人民の歴史学』183、2010)、同「「日本」呼称と遣唐使」(ファン・ハイ・リン編『日本研究論文集 社会・文化史』、世界出版社、2010)、同「文字の伝来」(荒野泰典他編『東アジア世界の成立』、吉川弘文館、2010)、
井上亘氏からは、同「「大化改新」管見」(『北大史学』14、2009)、
野村英登氏からは、同「民国初期の武術と内丹―呼吸法の近代化をめぐって―」(田中文雄、テリー・クリーマン編『道教と共生思想』、大河書房、2009)、
河野保博氏からは、同「唐代交通の宿泊施設―宗教施設の供給機能を中心として―」(『國學院大學大学院紀要―文学研究科―』41、2010)、
鄭淳一氏からは、同「承和年間における日本の対外交渉と新羅康州」(『アジア研究と地域文化学』、2010)、
荒井秀規氏からは、同「大嶋郷戸籍復原考―擦消・書き直しの考察と剥離紙片からの復原」(『古代学研究所紀要』11、2009)、
堀部猛氏からは、同「織部司臨時所と内蔵寮―平安初期における手工業生産官司の再編―」(『史境』59、2009)、上高津貝塚ふるさと歴史の広場『神の寺・山の寺・里の寺―古代仏教信仰の広がり―』(2010)、
坂上康俊氏からは、同「榎本淳一著『唐王朝と古代日本』」(『法制史研究』59、2010)、同「八~十一世紀日本の南方領域問題」(九州史学研究会編『境界からみた内と外』、岩田書院、2008)、同「天聖令の藍本となった唐令の年代比定」(大津透編『日唐律令比較研究の新段階』、山川出版社、2008)、同「日本に舶載された唐令の年次比定について」(『史淵』146、2009)、同「対馬・金田城の調査成果」(『海路』4、2007)、同「天聖令藍本唐開元二十五年令説再論」(『史淵』147、2010)、
佐々木聡氏からは、同「『白澤図』輯校―附解題―」(『東北大学中国語学文学論集別刷』14、2009)、同「『女青鬼律』に見える鬼神観及びその受容と展開」(『東方宗教』113、2009)、同「蛇ノ巻、中国古代編」(『幽』7、2007)、
高田宗平氏からは、同「『令義解』「上令義解表」の注釈所引『論語義疏』の性格について」(『日本漢文学研究』5、2010)、
小倉慈司氏からは、同「道昭―日本仏教を形づくった僧侶」(鎌田元一編『古代の人物①日出づる国の誕生』、清文堂出版、2009)、同「書評と紹介:有富純也著『日本古代国家と支配理念』」(『日本歴史』741、2010)、同「書評:遠藤慶太著『平安勅撰史書研究』」(『市大日本史』11、2008)、同「親王・王成年式表」(『書陵部紀要』61、2010)、同「古代在地社会における「神社」の存在形態と青木遺跡」(『国史学』194、2008)、
藤本誠氏からは、同「『東大寺諷誦文稿』の史料的特質をめぐる諸問題―書き入れを中心として―」(『水門』22、2010)、
亀谷弘明氏からは、同「上総・安房の古代氏族について」(『千葉史学』56、2010)、同「展示評:鉄道博物館」(『歴史学研究』864、2010)、
河内春人氏からは、同「倭の五王と中国外交」(荒野泰典他編『東アジア世界の成立』、吉川弘文館、2010)、同「書評:仁藤敦史著『卑弥呼と台与―倭国の女王たち』」(『歴史と地理」635、2010)、同「書評:石見清裕著『唐代の国際関係』」(『環』41、2010)、
有働智奘氏からは、同「古代日本における鏡の宗教性―多紐細文鏡と仏獣鏡を中心に―」(『國學院雑誌』110-4、2009)、同「欽明朝の宗教交流―仏教受容と建邦之神について―」(『國學院大學大学院紀要―文学研究科―』41、2010)、
ファム・レ・フイ氏からは、同「賦役令車牛人力条からみた逓送制度」(『日本歴史』号数不明)、同「On Some Local Chiefdoms during the Chinese Tang's Colonization of Vietnam」(『Historical Studies』9(401)、2009)、
をそれぞれ頂戴いたしました。
本来ならば、一つ一つ返答をし、こちらの拙稿をお送りするべきなのですが、
怠惰なため、失礼を致しております。
感謝すると共に、お詫び申し上げます。
今後とも宜しくお付き合い下さいますようお願い申し上げます。
感謝しております。
以下、ご紹介させていただきます。
小金井信宏氏からは、同『中医学ってなんだろう①人間のしくみ』(東洋学術出版社、2009)、同『医理真伝編註』(ブイツーソリューション、2010)、
増尾伸一郎氏からは、『道教美術の可能性』(氏の「日本の君王、道士法を崇めず―古代日本における道教と文物の受容」を所収。勉誠出版、2010)、
山下克明氏からは、同『陰陽道の発見』(NHKブックス、2010)、同「平安時代初期の政治課題と漢籍―三伝・三史・『劉子』の利用―」(『東洋研究』171、2009)、同「陰陽道の特質と関係典籍」(『東洋研究』175、2010)、
高木徳郎氏からは、同『中世紀州の景観と地域社会』(2010)、
石川巧氏からは、同『「いい文章」ってなんだ?―入試作文・小論文の歴史』(ちくま新書、2010)、
瀧音能之氏からは、同『古事記と日本書紀でたどる日本神話の謎』(青春新書、2010)、
森公章氏からは、森公章・神田千里他篇『日本における地域と社会集団―公共性の構造と変容―』(科研報告書、2010)、同「「任那」の用法と「任那日本府」(「在安羅諸倭臣等」)の実態に関する研究」(『東洋大学文学部紀要』63集史学科篇35号、2010)、同「遣隋・遣唐留学者とその役割」(『東アジア世界史研究センター年報』4、2010)、
吉原浩人氏からは、『甲斐善光寺』(山梨歴史美術研究会、2009)、同「紀斉名勧学会詩序考―白居易の仏教思想と十五日開筵の意義―」(『水門』22、2010)、同「生身仏への鑚仰―世界最初の仏像と日本最初の仏像―」(『心 日曜講演集』28、2009)、同「紀斉名勧学会詩序訳註」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』55、2009)、同「高階積善勧学会詩序考―白居易詩文と天台教学の受容―」(高松寿夫・雋雪艶編『日本古代文学と白居易―王朝文学の生成と東アジア文化交流―』、勉誠出版、2010)、
倉田実氏からは、秋澤亙・川村裕子編『王朝文化を学ぶ人のために』(氏の「王朝文化と建築―寝殿造の様式から―」所収。世界思想社、2010)、同「女院詮子の東三条邸本院焼亡と三条院御所―『権記』と『栄花物語』から―」(『大妻国文』41、2010)、同「寝殿造の接客空間―王朝文学と簀子・廂の用―」(『古代文学研究』第二次18、2009)、同「女が男に物を返す時―平安和歌にみる離婚・離縁―」(『大妻女子大学紀要』42、2010)、
河野貴美子氏からは、同「『弘決外典鈔』音釈小考」(『注釈史と考証』創刊号、2009)、同「本草学と医薬書」(小峯和明編『漢文文化圏の説話世界』、竹林舎、2010)、同「『周易』在古代日本的継承与展開」(『中国典籍与文化』72、2010)、同「島田忠臣、菅原道真の詩と白居易―渤海使との贈答詩を通して―」(高松寿夫・雋雪艶編『日本古代文学と白居易―王朝文学の生成と東アジア文化交流―』、勉誠出版、2010)、
大多和朋子氏からは、同「遊行女婦考―日本古代史における遊女の一起源の研究―」(『学習院大学人文科学論集』7、1998)、禹仁秀(翻訳:大多和朋子)「朝鮮王朝妓生の管理体系とその流出の様相」(『東洋文化研究』9、2007)、
田村航氏からは、同「西雲庵の素性―足利義教政権期における大炊御門家ー」(『日本歴史』735)、
堀内和宏氏からは、同「律令官制の形成とその特質」(『アジア研究と地域文化学』、2009)
董科氏からは、同「奈良時代前後における疫病流行の研究―『続日本紀』に見る疫病関連記事を中心に―」(『東アジア文化考証研究』3、2010)、
新川登亀男氏からは、同「古代朝鮮半島の舎利と舎利銘文―飛鳥寺再考の準備として―」(鈴木靖民編『古代東アジアの仏教と王権』、勉誠出版、2010)、同「いま日本古代史とは何か~「おどろき」への喚起~」(『人民の歴史学』183、2010)、同「「日本」呼称と遣唐使」(ファン・ハイ・リン編『日本研究論文集 社会・文化史』、世界出版社、2010)、同「文字の伝来」(荒野泰典他編『東アジア世界の成立』、吉川弘文館、2010)、
井上亘氏からは、同「「大化改新」管見」(『北大史学』14、2009)、
野村英登氏からは、同「民国初期の武術と内丹―呼吸法の近代化をめぐって―」(田中文雄、テリー・クリーマン編『道教と共生思想』、大河書房、2009)、
河野保博氏からは、同「唐代交通の宿泊施設―宗教施設の供給機能を中心として―」(『國學院大學大学院紀要―文学研究科―』41、2010)、
鄭淳一氏からは、同「承和年間における日本の対外交渉と新羅康州」(『アジア研究と地域文化学』、2010)、
荒井秀規氏からは、同「大嶋郷戸籍復原考―擦消・書き直しの考察と剥離紙片からの復原」(『古代学研究所紀要』11、2009)、
堀部猛氏からは、同「織部司臨時所と内蔵寮―平安初期における手工業生産官司の再編―」(『史境』59、2009)、上高津貝塚ふるさと歴史の広場『神の寺・山の寺・里の寺―古代仏教信仰の広がり―』(2010)、
坂上康俊氏からは、同「榎本淳一著『唐王朝と古代日本』」(『法制史研究』59、2010)、同「八~十一世紀日本の南方領域問題」(九州史学研究会編『境界からみた内と外』、岩田書院、2008)、同「天聖令の藍本となった唐令の年代比定」(大津透編『日唐律令比較研究の新段階』、山川出版社、2008)、同「日本に舶載された唐令の年次比定について」(『史淵』146、2009)、同「対馬・金田城の調査成果」(『海路』4、2007)、同「天聖令藍本唐開元二十五年令説再論」(『史淵』147、2010)、
佐々木聡氏からは、同「『白澤図』輯校―附解題―」(『東北大学中国語学文学論集別刷』14、2009)、同「『女青鬼律』に見える鬼神観及びその受容と展開」(『東方宗教』113、2009)、同「蛇ノ巻、中国古代編」(『幽』7、2007)、
高田宗平氏からは、同「『令義解』「上令義解表」の注釈所引『論語義疏』の性格について」(『日本漢文学研究』5、2010)、
小倉慈司氏からは、同「道昭―日本仏教を形づくった僧侶」(鎌田元一編『古代の人物①日出づる国の誕生』、清文堂出版、2009)、同「書評と紹介:有富純也著『日本古代国家と支配理念』」(『日本歴史』741、2010)、同「書評:遠藤慶太著『平安勅撰史書研究』」(『市大日本史』11、2008)、同「親王・王成年式表」(『書陵部紀要』61、2010)、同「古代在地社会における「神社」の存在形態と青木遺跡」(『国史学』194、2008)、
藤本誠氏からは、同「『東大寺諷誦文稿』の史料的特質をめぐる諸問題―書き入れを中心として―」(『水門』22、2010)、
亀谷弘明氏からは、同「上総・安房の古代氏族について」(『千葉史学』56、2010)、同「展示評:鉄道博物館」(『歴史学研究』864、2010)、
河内春人氏からは、同「倭の五王と中国外交」(荒野泰典他編『東アジア世界の成立』、吉川弘文館、2010)、同「書評:仁藤敦史著『卑弥呼と台与―倭国の女王たち』」(『歴史と地理」635、2010)、同「書評:石見清裕著『唐代の国際関係』」(『環』41、2010)、
有働智奘氏からは、同「古代日本における鏡の宗教性―多紐細文鏡と仏獣鏡を中心に―」(『國學院雑誌』110-4、2009)、同「欽明朝の宗教交流―仏教受容と建邦之神について―」(『國學院大學大学院紀要―文学研究科―』41、2010)、
ファム・レ・フイ氏からは、同「賦役令車牛人力条からみた逓送制度」(『日本歴史』号数不明)、同「On Some Local Chiefdoms during the Chinese Tang's Colonization of Vietnam」(『Historical Studies』9(401)、2009)、
をそれぞれ頂戴いたしました。
本来ならば、一つ一つ返答をし、こちらの拙稿をお送りするべきなのですが、
怠惰なため、失礼を致しております。
感謝すると共に、お詫び申し上げます。
今後とも宜しくお付き合い下さいますようお願い申し上げます。