こんにちは 岡本しょういです

京都の南部、和束町で日本共産党の町会議員をしています。町や議会などの情報をお知らせしています。

「フレデリック」

2012-09-28 14:31:20 | こどもの本

「フレデリック~ちょっと かわった のねずみの はなし~」

この絵本は、作 レオ=レオニ、訳 谷川俊太郎 好学社から出版されています。

以前、紹介した「スイミー」と同じ作者で、この絵本も、なかなか面白いし、考えさせられます。

まきばにそった、古い石垣の中に、「おしゃべり のねずみのいえ」があるんです。

冬に備えようと、のねずみたちは、とうもろこしや、きのみや、こむぎや、わらなどなどをせっせと集めます。

ひるも、よるも働いて、みんな大忙し。

でも、フレデリックという名のねずみだけは、べつでした。

「どうして働かないの?」「何をしているの?」と聞く仲間たちに、

フレデリックは、こう言います。

「さむくて くらい ふゆの ひの ために、ぼくは おひさまの ひかりを あつめているんだ」

「いろを あつめてるのさ ふゆは はいいろだからね」

「ぼくは ことばを あつめてるんだ。ふゆは ながいから はなしの たねも つきて しまうもの」

 

そうしているうちに、雪が降ってきて、いよいよ冬がやってきます。

のねずみたちは、石垣の隠れ家にこもります。

食べ物があるうちは、みんなでぬくぬくと楽しい日々を過ごすのですが、食べ物が底をついてくると、みんなだまってしまいました。

そんなとき、みんなは思いだします。

フレデリックが、働きもせずに、もくもくと集めていたものがあったことを。

そして、あれはどうなったの?とフレデリックに訊ねます。

すると、フレデリックは、「めを つむって ごらん」と言って、

おひさまの金色の光や、黄色い麦、青いあさがお、赤いけし、のいちごの緑の葉などの事を話して、みんなの心の中はあったかくなり、いろいろな色を頭に浮かべるんです。

そして、最後に「ことば」をせがまれたフレデリックは、いわゆる「四季のうつろい」を、「舞台の上の俳優みたいに」しゃべります。

それを聴いた、のねずみたとは、拍手かっさいし、「きみって 詩人じゃないか」と絶賛します。

フレデリックは、ちょっと照れた顔をして、「そう いう わけさ」と言って、お話は終わります。

この最後の場面、今まで何となくボーっとしたというか、すっとぼけた顔だったフレデリックが、とても生き生きと、誇り高い姿に見えたりします。

このお話を読んで思ったのは、生きると言う事は、というか人間が生きると言う事は、働いて、食べるだけではない。

世の中のいろいろな事を知る事、いろいろな事で、生活を彩ることで、人間らしく豊かに生きられる、ってことを、何となく教えてくれているように思うんです。いわゆる文化的な生活というのかな。

いま、特に日本では、子どもも大人も、とにかく忙しくて、働いて(勉強して)、食べて、寝て、また起きて、働いて(勉強して)、食べての繰り返しの中で、太陽がどんな輝きだったか、道端の花や葉っぱがどうだったか、世の中の動きがどうなっているのか、だんだん無関心になってしまう傾向がありますよね。

働く事も食べる事も、生きる上で大切なことだけど、それだけでは、ただ生きているだけになってしまう。

世の中の事に思いをはせて、いろいろなことを自由に想像して、こころも生活も豊かにしていける。

人間って、そうありたいし、そうでなくてはと思わせてくれる絵本です。

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿