やっていないことの証明について、その難しさとそれに関するレトリックを論じた本。
証拠に基づく証明の場面ではなく、討論・論争でのテクニックというか、相手への非難というか、見せ方のような場面を想定して書かれたものです。論理学のようであり、数字(根拠不明)も使っているのですが、結局は理屈で説得しきるのではなくイメージや情緒に訴えている感じですので、私は弁護士の証明・論証にも使えるかもという期待を持って読んだのですが、そちらでは参考になりませんでした。
冒頭に、モリカケ問題についての安倍晋三の答弁を出して、それを悪魔の証明の例としていることから、著者のスタンスは早々に読み取れます。その後も、出てくる例が、聖書にまつわる話の他は、嫌韓・嫌中、朝日新聞と立憲民主党が大嫌いということが大半で、証明の話そっちのけで、ただそういう非難をしたい、愚痴を言いたいのかなと感じます。終盤で、森友の文書廃棄を1度だけそれこそ「アリバイ」的に遠慮がちに消極評価し(152~153ページ)、実は自分は朝日新聞ファンだ(209ページ)とか、中立であるかのように言い繕おうとしていますが。

谷岡一郎 ちくま新書 2021年5月10日発行
証拠に基づく証明の場面ではなく、討論・論争でのテクニックというか、相手への非難というか、見せ方のような場面を想定して書かれたものです。論理学のようであり、数字(根拠不明)も使っているのですが、結局は理屈で説得しきるのではなくイメージや情緒に訴えている感じですので、私は弁護士の証明・論証にも使えるかもという期待を持って読んだのですが、そちらでは参考になりませんでした。
冒頭に、モリカケ問題についての安倍晋三の答弁を出して、それを悪魔の証明の例としていることから、著者のスタンスは早々に読み取れます。その後も、出てくる例が、聖書にまつわる話の他は、嫌韓・嫌中、朝日新聞と立憲民主党が大嫌いということが大半で、証明の話そっちのけで、ただそういう非難をしたい、愚痴を言いたいのかなと感じます。終盤で、森友の文書廃棄を1度だけそれこそ「アリバイ」的に遠慮がちに消極評価し(152~153ページ)、実は自分は朝日新聞ファンだ(209ページ)とか、中立であるかのように言い繕おうとしていますが。

谷岡一郎 ちくま新書 2021年5月10日発行