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伊東良徳の超乱読読書日記

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世界が赫に染まる日に

2016-05-04 00:05:35 | 小説
 中2の従弟を集団暴行で昏睡状態にされ、中1の従妹を輪姦され、野球部を辞めて鬱屈した日々を過ごしていた中3の緒方櫂が、父が寄りつかない家で酒浸りの母を嫌悪して過ごし15歳になったら死ぬことを決意して内にこもる同級生高橋文稀と夜の公園で遭遇して意気投合し、いじめの加害者たちへの復讐のため計画を練り、練習と称してネット等で見つけたいじめ事件の加害者を襲撃していくという展開の小説。
 いじめを繰り返し、反省の色も見せない悪辣な加害者を描き、この種のものではワンパターンに見える「加害者ばかりが守られる」という主張を展開し、加害者の親、弁護士、教師(特に日教組)を悪者に仕立て、その加害者への「復讐」と称する(被害者がするんじゃないから実際には復讐でも何でもない)暴力による肉体的・精神的破壊を描くことで、読者が現実にあるいは仮想的に(被害妄想的に:近年は思い通りに行かないことを何かに付け自分が被害者だと思いたがる人が少なくないので)経験した被害による不快感・屈辱感を解消・緩和するカタルシスを感じたいというニーズを狙った作品だと思います。そういったパターン自体は、私たちの世代では「必殺仕掛け人」以来のシリーズに見られるように、一定のニーズがあるのだと思います。
 しかし、この作品には、その暗さにとどまらない気持ち悪さがあります。いじめ(暴力)被害者の側に立つかのように、加害者ばかりが守られているなどと主張し、法制度や教師、弁護士などを批判していながら、復讐のためという主観的な目的を持つ者には、ターゲットが加害行為に参加したか黙認したかさえ気にせずに結局は無差別殺傷に至ってもそれは何ら糾弾しない、その無差別殺傷の被害者にはいじめと無関係な者もいるはずなのにそこでの被害者のためには憤らない、復讐目的のために自らは反撃されることを恐れない「勇気」「覚悟」を持つ者を英雄視する姿勢、そこには、平常時は殺人者に対して重罰を要求しながら、「正しい」目的なら、例えば戦争なら、どれだけ無差別殺人を犯しても英雄視する人々に通じるものがあります。
 昏睡状態で植物人間化が危惧された被害者が覚醒したとき、その家族の気持ちが加害者への復讐よりも現に生きている被害者のリハビリに動き、復讐など心の中から外れていく描写は、加害者を糾弾し重罰を要求し続けるステレオタイプな被害者像を相対化する意味はありますし、被害者・遺族が外から復讐心を押しつけられる風潮への問題提起としてあっていいと思います。しかし、そうでない被害者もいるわけで、私は、被害者もそれぞれで、復讐心を持ち続ける被害者もいるし、いていいと思います。その意味で、作者は、被害者側に立ちきっているわけでもないように思えます。
 そういった点で、被害者の側に立つかのように装いながら、自分の気に入らない加害者に重罰を求め、自分が正しいと思う目的(勇気、覚悟)を持つ者は英雄視して実際の行動が無差別殺人であっても(そこに被害者が出ても)支持/容認するという姿勢が感じられ、私にはこの作品を貫く価値観がとても気持ち悪く思えるのです。


櫛木理宇 光文社 2016年1月20日発行
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